2018年7月16日月曜日

語、表現、文全体を相互に区別する三つの段階:(1)たかだか表象に関わる区分、(2)意義に関わる区分、(3)意味に関わる区分。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))

表象、意義、意味の区分

【語、表現、文全体を相互に区別する三つの段階:(1)たかだか表象に関わる区分、(2)意義に関わる区分、(3)意味に関わる区分。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))】
さまざまな語、表現、文全体を相互に区別する三つの段階がある。
(1)意味と意義は同じで、たかだか表象に関わる区分
 ・翻訳を原文と区別するものは、本来、この第一の段階を超えるものではありえない。
 ・また、作詩法や雄弁術が意義に対して付加する色合いと陰影は、この段階のものである。
(2)意味は同じだが、意義に関わる区分
(3)意味が異なり、意味に関わる区分

(再掲)
(a)記号の意義、意味と、記号に結合する表象
 記号─→一つの意義─→一つの意味
 │         (一つの対象)
 └記号に結合する表象
  ├記号の意味が感覚的に知覚可能な対象のときは
  │ 私が持っていたその対象の感覚的印象
  └対象に関連して私が遂行した内的、外的な行為
    から生成する内的な像
(b)記号に結合する表象の特徴
 ・像には、しばしば感情が浸透している。
 ・明瞭さは千差万別であり、移ろいやすい。
 ・同一の人物においてすら、同一の表象が同一の意義に結び付いているとは限らない。
 ・一人の人物が持つ表象は、他の人物の表象ではない。

 「かくして、我々は、さまざまな語、表現、文全体を相互に区別する三つの段階を認めることができる。その区分は、たかだか表象に関わる区分であるか、意義には関わるが意味には関わらない区分であるか、あるいは、結局意味にも関わる区分であるかのいずれかである。第一の段階に関しては、表象が語に結合する様態が不確定的であるゆえに、他人には知られることのない差違が一人の人にとって存在しうるという点を指摘することができる。翻訳を原文と区別するものは、本来、この第一の段階を超えるものではありえない。また、この段階で可能なさらに別の区分としては、色合い(Färbung)と陰影(Beleuchtung)という区分もある。これらは、作詩法や雄弁術が意義に対して付加するものである。この色合いと陰影とは客観的なものではなく、したがって、聞き手と読者が詩人または弁士の与える手がかりに従いつつ自ら作り出して、付加するものである。もちろん人間の表象作用が親和的でないかぎり、芸術は不可能であろうが、しかし、詩人の意図にいかなる程度まで合致しているかということを正確に指摘することはほとんど不可能である。
 以下において表象と直感に関して論ずることはしない。以上でこの問題に関してあえて論じたのは、一つの語が聞き手において惹き起す表象が、その語の意義やその語の意味と混同されることを防ぐという目的のためである。」
(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『意味と意義について』30-31、フレーゲ著作集4、p.77、土屋俊)
(索引:作詩法,雄弁術)

フレーゲ著作集〈4〉哲学論集


(出典:wikipedia
ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「1. 思考の本質を形づくる結合は、表象の連合とは本来異なる。
2. 違いは、[思考の場合には]結合に対しその身分を裏書きする副思想(Nebengedanke)が存在する、ということだけにあるのではない。
3. 思考に際して結合されるものは、本来、表象ではなく、物、性質、概念、関係である。
4. 思想は、特殊な事例を越えてその向こう側へと手を伸ばす何かを常に含んでいる。そして、これによって、特殊な事例が一般的な何かに帰属するということに気づくのである。
5. 思想の特質は、言語では、繋辞や動詞の人称語尾に現われる。
6. ある結合[様式]が思想を形づくっているかどうかを識別するための基準は、その結合[様式]について、それは真であるかまたは偽であるかという問いが意味を持つか否かである。
7. 真であるものは、私は、定義不可能であると思う。
8. 思想を言語で表現したものが文である。我々はまた、転用された意味で、文の真理についても語る。
9. 文は、思想の表現であるときにのみ、真または偽である。
10.「レオ・ザクセ」が何かを指示するときに限り、文「レオ・ザクセは人間である」は思想の表現である。同様に、語「この机」が、空虚な語でなく、私にとって何か特定のものを指示するときに限り、文「この机はまるい」は思想の表現である。
11. ダーウィン的進化の結果、すべての人間が 2+2=5 であると主張するようになっても、「2+2=4」は依然として真である。あらゆる真理は永遠であり、それを[誰かが]考えるかどうかということや、それを考える者の心理的構成要素には左右されない
12. 真と偽との間には違いがある、という確信があってはじめて論理学が可能になる。
13. 既に承認されている真理に立ち返るか、あるいは他の判断を利用しないかのいずれか[の方法]によって、我々は判断を正当化する。最初の場合[すなわち]、推論、のみが論理学の対象である。
14. 概念と判断に関する理論は、推論の理論に対する準備にすぎない。
15. 論理学の任務は、ある判断を他の判断によって正当化する際に用いる法則を打ち立てることである。ただし、これらの判断自身は真であるかどうかはどうでもよい。
16. 論理法則に従えば判断の真理が保証できるといえるのは、正当化のために我々が立ち返る判断が真である場合に限る。
17. 論理学の法則は心理学の研究によって正当化することはできない。
」 (ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『論理学についての一七のキー・センテンス』フレーゲ著作集4、p.9、大辻正晴)

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