2018年5月9日水曜日

想像力は、感官や理性の代理人となり真の判定、善の実行を助けるが、想像力自身に真や善の権威が付与されるか、それを僭称している。信仰の問題で、想像力は理性の及ばないところまで高まる。比喩と象徴、たとえ話、まぼろし、夢。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

想像力と信仰

【想像力は、感官や理性の代理人となり真の判定、善の実行を助けるが、想像力自身に真や善の権威が付与されるか、それを僭称している。信仰の問題で、想像力は理性の及ばないところまで高まる。比喩と象徴、たとえ話、まぼろし、夢。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
(a) 悟性と理性は、決定と判定を生む。
(b) 意志と欲望と感情は、行動と実行を生む。
(c) 想像力は、感官と理性の代理人あるいは「使者」の役割をつとめる。
 感官が、想像力に映像を送ってはじめて、理性が「真」であると判定を下す。
 理性が、想像力に映像を送ってはじめて、理性の判定「善」が実行に移される。すなわち、想像はつねに意志の運動に先だつ。能弁によって行われるすべての説得や、事物の真のすがたを色どり偽装するような、説得に似た性質の印象づけにおいて、理性を動かすのは、主として想像力に訴えることによるのである。
(c') 想像力は、感官や理性からの「真」や「善」の伝言の使者に過ぎないのではなく、それ自身決して小さくない権威そのものを付与されるか、そうっとそれを僭称している。すなわち、感官や理性の伝言を超えて、自ら「真」や「善」の権威を僭称する。
(d) 信仰と宗教の問題において、われわれはその想像力を理性の及ばないところに高めるのであって、それこそ、宗教がつねに比喩と象徴とたとえ話とまぼろしと夢によって、精神に近づこうとした理由なのである。

 「人間の精神の諸能力に関する知識には二つの種類がある。

すなわち、その一つは人間の悟性と理性に関するものであり、他の一つは人間の意志と欲望と感情に関するものである。

そしてこれらの能力のうちさきの二つは、決定あるいは判定を生み、あとの三つは行動あるいは実行を生む。

なるほど、想像力は、双方の領域において、すなわち、判定を下す理性の領域においても、またその判定に従う情意の領域においても、代理人あるいは「使者」の役割をつとめる。

というのは、感官が想像力に映像を送ってはじめて理性が判定を下し、また理性が想像力に映像を送ってはじめてその判定が実行に移されることができるからである。それというのも、想像はつねに意志の運動に先だつからである。

ただし、この想像力というヤヌス〔二つの顔をもつローマの神〕はちがった顔をもっていないとしてのことである。というのは、想像力の理性に向けた顔には真が刻まれ、行為に向けた顔には善が刻まれているが、それにもかかわらず、
 「姉妹にふさわしいような」〔オウィディウス『変身譚』二の一四〕
顔なのであるから。

なおまた、想像力は、ただの使者にすぎないのではなく、伝言の使命のほかに、それ自身けっして小さくない権威そのものを付与されるか、そうっとそれを僭称している。

というのは、アリストテレスの至言のように、「精神は身体に対して、主人が奴隷に対してもつような支配力をもっているが、しかし理性は想像力に対して、役人が自由市民に対してもつような支配力をもっている」〔『政治学』一の三〕のであって、自由市民も順番がくると支配者になるかもしれないからである。

すなわち、われわれの知るように、信仰と宗教の問題において、われわれはその想像力を理性の及ばないところに高めるのであって、それこそ、宗教がつねに比喩と象徴とたとえ話とまぼろしと夢によって、精神に近づこうとした理由なのである。

それからまた、能弁によって行われるすべての説得や、事物の真のすがたを色どり偽装するような、説得に似た性質の印象づけにおいて、理性を動かすのは、主として想像力に訴えることによるのである。」

(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、一二・一、pp.207-208、[服部英次郎、多田英次・1974])

(索引:想像力、感官、理性、意志、宗教、信仰)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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12.意志において理性の力を助ける方法:(1)巧妙な詭弁を、論理学の力で見破る。(2)激烈な感情に十分に対抗できるような想像、印象を、弁論術の力で理性の判断から仕立てる。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

意志において理性の力を助ける方法

【意志において理性の力を助ける方法:(1)巧妙な詭弁を、論理学の力で見破る。(2)激烈な感情に十分に対抗できるような想像、印象を、弁論術の力で理性の判断から仕立てる。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 意志は理性による支配から、3つのものに妨害されている。
(a1) 巧妙な詭弁:論理学に関係のある罠で、まちがった推論によって理性は罠をかけられる。
(b1) 激烈な情念と感情:道徳哲学に関係し、我を忘れさせられる。
(c1) しつこい想像、印象:弁論術に関係のある罠で、印象あるいは所見にまといつかれる。
 意志を、理性の命ずる方向に動かすにあたっては、どうすれば良いか。すなわち理性の命令を、想像力に受け入れさせるには、どうすれば良いか。
(a2) 論理学の力をかりて巧妙な詭弁を見破り、理性を確実にする。
 理性は未来と時間の全体とを見るという点で、情念とは異なる。
(b2) 感情そのものにも、つねに、善への欲求がある。
(c2) ところが、感情は現在だけを見るので、未来と時間の全体とを見る理性よりも、いっそう多く想像力をかきたて、理性はふつう負かされてしまう。
 そこで、
(c3) 弁論術の力をかりて雄弁と説得とで、理性が命ずるもの、例えば未来の遠いものを現在のように見えさせてしまえば、そのときは想像力が、現在だけを見ている感情から、理性のほうへ寝がえり、理性が勝つ。

 「弁論術の任務と役目は、意志を理性の命ずる方向にいっそうよく動かすために、理性の命令を想像力にうけいれさせることである。

現に、理性はその支配を三つのものによって妨害されているからである。三つのものとは、論理学に関係のあるわなあるいは詭弁と、弁論術に関係のある想像あるいは印象と、道徳哲学に関係のある情念と感情とである。

そして他人との折衝の場合、人間は巧妙な手としつこい要求と激烈さとによって左右されるように、内心における折衝の場合も、人間は、まちがった推論によって根底をくずされ、印象あるいは所見にしつこくまといつかれ、情念のために我を忘れさせられる。

といっても、人間の本性はそれほど できそこなってはいないので、あの三つの能力と技術は、理性をかき乱して、それを確立し高めないような力をもっているわけではない。

というのは、論理学の目的は、立論の形式を教えて理性を確実にすることであって、理性をわなにかけることではなく、道徳哲学の目的も、感情を理性に従わせることであって、理性の領域を侵させることではなく、弁論術の目的も、想像力をみたして理性を補佐することであるからである。」(中略)

「なおまた、もしも感情それ自身が御しやすくて、理性に従順なものであったら、意志に対する説得と巧言などを用いる必要は たいしてなく、ただの命題と証明だけで十分であろうが、しかし、感情がたえず むほんをおこし扇動する、
 「よいほうの道はわかっており、そのほうがよいと思う。
  しかし、わたしはわるいほうの道をたどる」〔オウィディウス『変身譚』七の二〇〕
のをみると、もし説得の雄弁がうまくやって、想像力を感情の側からこちらの味方に引き入れ、理性と想像力との同盟を結んで、感情と対抗しなければ、理性は捕虜と奴隷になるであろう。

というのは、感情そのものにも、理性と同じように、つねに、善への欲求があるが、感情は現在だけを見、理性は未来と時間の全体とを見るという点で異なり、そしてそれゆえ、現在のほうがいっそう多く想像力をみたすので、理性はふつう負かされてしまうからである。

しかし、雄弁と説得との力が未来の遠いものを、現在のように見えさせてしまえば、そのときは、想像力の寝がえりで、理性が勝つのである。」

(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、一八・二、一八・四、pp.249-252、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:論理学、道徳哲学、弁論術、詭弁、情念、感情、想像、印象)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


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フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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11.発見の技術は、発見とともに成長しうるものである。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

発見の技術

【発見の技術は、発見とともに成長しうるものである。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「ところで今や、自然解明の技術そのものを提示する時である。その中で我々は最も有用で最も真正な法式を説いたと信ずるけれども、しかしそれに絶対的必然性(あたかもそれなくしては、何も行なわれ得ないということ)、もしくは完全無欠を認めたわけではない。」(中略)
 「精神をば単にそれ自らの能力においてだけではなく、事物との結合されている限りで考察する我々は、発見の技術が、発見とともに成長しうるものであることを、主張せざるを得ないのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、一三〇、pp.197-198、[桂寿一・1978])
(索引:発見の技術)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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10.最大の希望:過ぎたことに関して最悪のことは、未来に対しては最善と見られねばならない。なぜなら、私たちの課題や問題が、過去の誤りによるのなら、それを除き訂正することで、大きく好転させ得る希望がある。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

最大の希望

【最大の希望:過ぎたことに関して最悪のことは、未来に対しては最善と見られねばならない。なぜなら、私たちの課題や問題が、過去の誤りによるのなら、それを除き訂正することで、大きく好転させ得る希望がある。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】

 もし私たちが、私たちの義務に係わる一切を遂行したが、にも拘わらず私たちの事態が好転しないとしたら、それらをよりよい方に進めるという、いかなる希望さえ残らないであろう。

しかし、現在の私たちの抱える課題や問題が、事がらそのもののためにではなく、過去の時代の誤り、今まで試みられた方法の誤りによるものならば、それらの誤りを除き、もしくは訂正することによって、事がらを大きく好転させうるよう希望することができる。

「過ぎたことに関して最悪のことは、未来に対しては最善と見られねばならない。」
───
 「希望を与えるのにあらゆる理由のうち最大のものがある。すなわち過去の時代の誤り、ならびに今まで試みられた道の誤りからの理由である。

というのも、余り巧みでなく治められた政治的状態について、或る人が次の言葉で表明した非難は、最も優れたものであろう。すなわち、「過ぎたことに関して最悪のことは、未来に対しては最善と見られねばならない。

というのは、もしも諸君が諸君の義務に係わる一切を遂行したが、にも拘わらず諸君の事態が好転しないとしたら、それらをよりよい方に進めるという、いかなる希望さえ残らないであろう。

しかしながら諸君の事がらの状態が、事がらそのものの為にではなく、諸君の誤りによってうまく行かないときには、それらの誤りを除き、もしくは訂正することによって、事がらを大きく好転させうるよう希望することができる」と。」

(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、九四、p.153、[桂寿一・1978])
(索引:最大の希望)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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権力者に取り入るには、彼の信任の厚い人物を味方にすること。対象:才気がある取り巻き、そば仕えの役人、大臣、お気に入りの音楽家や歌姫、方法:贈り物、包み金、秘密の年金、注意事項:相手が気持よく、安心して、受け取れるようにすること。(フランソワ・ド・カリエール(1645-1717))

買収

【権力者に取り入るには、彼の信任の厚い人物を味方にすること。対象:才気がある取り巻き、そば仕えの役人、大臣、お気に入りの音楽家や歌姫、方法:贈り物、包み金、秘密の年金、注意事項:相手が気持よく、安心して、受け取れるようにすること。(フランソワ・ド・カリエール(1645-1717))】
 任国の君主に好かれる最も確かな方法は、その信任の厚い人物を味方にすることである。そのためには、包み金や秘密の年金、うまい時機をねらった贈り物など、その目的を達成するために役立つような出費が必要となる。その際、注意すべきは、贈り物をしようと思う相手が気持よく、安心して、受け取れるようにしなければならないということだ。また、国によっては、きまった慣習があって、ちょっとした贈り物をする機会が、しばしばある。
(a) とくに君主の信任の厚い人物。
  これ以外にも、次のような人たちが対象となる。
(b) 財産はないが才気があり、お偉方に取り入るすべを心得ているという人間。
(c) 機密事項をしばしば扱わせるために用いている地位の低い役人。
(d) 大臣でさえも、気持ちよくさらりとした態度で贈り物をもってゆけば、愛想よく受けとってくれる。
(e) 君主や大臣の許に出入りを許されている音楽家や歌姫。
 「任国の君主に好かれる最も確かな方法は、その信任の厚い人物を味方にすることであるから、すぐれた交渉家は丁重で礼儀正しく、かつ、愛想よく振舞うばかりでなく、道を通じさせるために大いに役立つような出費を何がしかする必要がある。しかし、それは、上手にやる必要がある。そして、贈り物をしようと思う相手が気持よく、安心して、受け取れるようにしなければならない。贈り物を受けとらせるのにむずかしい技巧がいらないような国も、ないではないが、やはり、贈る仕方によってその効果を増大させることは、贈り物をする人、もしくは、贈り物が手に入るように他人のためにはからう人にとって、賢明なことであり、礼儀にもかなったことである。
 国によっては、きまった慣習があって、ちょっとした贈り物をする機会が、しばしばある。この種の出費は、大使が任地の宮廷で尊敬され好かれるようになるのに大いに助けになるし、彼の任務を成功させるためにも、しばしば、すこぶる役立つことになる。
 どこの宮廷にも、財産はないが才気があり、お偉方に取り入るすべを心得ているという人間がいる。敏腕な交渉家ならば、この連中を、包み金や秘密の年金を与えて、味方にすることも怠ってはならない。上手にその人をえらぶことができれば、こうした連中を大いに役立たせることが可能である。君主や大臣の許に出入りを許されている音楽家や歌姫が、きわめて重要な謀を見破ったことも何度かある。こうした主権者たちは、機密事項をしばしば扱わせるために、地位の低い役人を、身辺に用いざるをえない。こうした役人どもや、うまい時機をねらって贈り物をすると、秘密を洩らさないとは限らない。大臣でさえも、気持ちよくさらりとした態度で贈り物をもってゆけば、愛想よく受けとってくれる。」
(フランソワ・ド・カリエール(1645-1717)『外交談判法』第3章 交渉家の資質と行状について、pp.24-25、岩波文庫(1978)、坂野正高(訳))
(索引:買収、贈賄)

外交談判法 (岩波文庫 白 19-1)



(出典:wikipedia
「こうしたいろいろな交渉の仕方のいずれの場合にも、彼は、とりわけ、公明正大で礼儀にかなったやり方で成功を収めるようにするべきである。もし、細かい駆け引きを用い、相手よりもすぐれているつもりのおのれの才智にたよって、成功しようなどと思うならば、それはまず思い違いというものである。みずからの本当の利益を知る能力をそなえた顧問会議をもたないような君主や国家はない。いちばん粗野なようにみえる国民こそが、実は、自分の利益を最もよく理解して、ひとよりも一層粘り強くこれを追求する国民であることがしばしばある。であるから、どんなに有能な交渉家でも、そうした国民を、この点で欺こうなどと思ってはいけない。むしろ、彼が役目柄提案している事柄の中には、彼らにとって本当に有利な点がいろいろあることを分かってもらえるように、おのが知識と知力の限りを尽くして努力すべきである。人と人の間の友情とは、各人が自分の利益を追求する取引にほかならない、と昔のある哲人が言ったが、主権者相互の間に結ばれる関係や条約については、なおさら同じことが言える。相互的な利益を基礎においていない関係や条約は、存在しない。各主権者が相互に利益を見出さない場合には、条約は効力をほとんど持ち続けないで、自壊する。従って、交渉のいちばんの秘訣はかかる共通の諸利益を共存させ、できれば変わらぬ足どりで、前進させるための方法を見つけることである。」
(フランソワ・ド・カリエール(1645-1717)『外交談判法』第8章 交渉家の職務について、pp.58-59、岩波文庫(1978)、坂野正高(訳))


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外交においては、ものごとの道理と正義に殉ずる覚悟の精神がなければ、十分な成果を収めることなどできない。相手への畏縮、道理と正義を曲げた従順は、軽侮を招き、真の友好も得られない。(西郷隆盛(1828-1877))

正道

【外交においては、ものごとの道理と正義に殉ずる覚悟の精神がなければ、十分な成果を収めることなどできない。相手への畏縮、道理と正義を曲げた従順は、軽侮を招き、真の友好も得られない。(西郷隆盛(1828-1877))】
 外交においては、ものごとの道理と正義に則り、仮にそのために国が倒れても後悔はないというほどの覚悟の精神〈正道を踏み國を以て斃るゝの精神〉がなければ、十分な成果を収めることなどできない。相手の強大に畏縮し、円滑を主として、道理と正義を曲げて相手に従順になるときは、相手から軽侮を招き、かえって真の友好も得られずに、相手の思うままになってしまうだろう。
 「正道を踏み國を以て斃るゝの精神無くば、外國交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、圓滑を主として、曲げて彼の意に順從する時は、輕侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん。」
(西郷隆盛(1828-1877)『遺訓』17(集録本『西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文』)p.11、岩波文庫 (1939)、山田済斎(編))
(索引:外交、正道)
『遺訓』西郷隆盛(1828-1877)青空文庫

西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文 (岩波文庫)


(出典:wikipedia
西郷隆盛(1828-1877)  「事大小と無く、正道を蹈み至誠を推し、一事の詐謀(さぼう)を用ふ可からず。人多くは事の指支(さしつか)ゆる時に臨み、作略(さりやく)を用て一旦其の指支を通せば、跡は時宜(じぎ)次第工夫の出來る樣に思へ共、作略の煩ひ屹度生じ、事必ず敗るゝものぞ。正道を以て之を行へば、目前には迂遠なる樣なれ共、先きに行けば成功は早きもの也。」
(西郷隆盛(1828-1877)『遺訓』7(集録本『西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文』)p.7、岩波文庫 (1939)、山田済斎(編))
『遺訓』西郷隆盛(1828-1877)青空文庫

西郷隆盛(1828-1877)
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自然界だけでなく、人の富貴貧賤、長寿・夭逝、利害栄辱なども、あやつり人形の芝居のからくりのように、すべて条理が前から定まっている。これを知らずに、自分の知恵力量を十分だと思い、栄誉・功名にいそしむのは、勘違いも甚だしい。(佐藤一斎(1772-1859))

傀儡の戯の機関の喩え

【自然界だけでなく、人の富貴貧賤、長寿・夭逝、利害栄辱なども、あやつり人形の芝居のからくりのように、すべて条理が前から定まっている。これを知らずに、自分の知恵力量を十分だと思い、栄誉・功名にいそしむのは、勘違いも甚だしい。(佐藤一斎(1772-1859))】
 自然界に起こることは、すべて条理がすべて前から定まっている〈其の数皆な前に定れり〉。これと同じように、人の富貴貧賤、死生、長寿・夭逝、利害栄辱も、これらは皆、定まった運命でないものはない〈一定の数に非ざるは莫し〉。ただ、これを前もって知らないだけなのだ〈殊に未だ之れを前知せざるのみ〉。たとえば、あやつり人形の芝居のからくりはちゃんと具わっているのに、これを見る人が知らないようなものだ〈譬えば猶お傀儡の戯の機関已に具れども、而も観る者知らざるがごときなり〉。このことを知らないで、自分の知恵力量は十分たのむに足りるものだとして、栄誉・功名を探し求め、疲れ倒れてしまうのは、惑えるも甚だしい。
 「天地間に起こる事がらは、昔から今まで、陰あり、陽あり、昼あり、夜あり、また太陽と月とが交互に世を照らし、四季が互いにめぐるなど、条理がすべて前から定まっている〈其の数皆な前に定れり〉。また人が富み栄えたり、貧乏したり、死んだり、生まれたり、長生きしたり、早死にしたり、もうけたり、損したり、栄誉をうけたり、はずかしめられたり、集まったり、ばらばらになったり、これらは皆、定まった運命でないものはない〈一定の数に非ざるは莫し〉。ただ、これを前もって知らないだけなのだ〈殊に未だ之れを前知せざるのみ〉。たとえば、あやつり人形の芝居のからくりはちゃんと具わっているのに、これを見る人が知らないようなものだ〈譬えば猶お傀儡の戯の機関已に具れども、而も観る者知らざるがごときなり〉。世間の人々はこのようなことを知らないで、自分の知恵力量は十分たのむに足りるものだとして、一生涯せっせと、きのうは東、今日は西と、栄誉・功名を探し求め、ついにやつれつかれて倒れてしまう。これはなんと、まどえるもはなはだしいといわざるを得ないのではないか。」
(佐藤一斎(1772-1859)『言志録』1(集録本『言志四録(1)言志録』)p.24、講談社学術文庫(1979)、川上正光(訳注))
(索引:条理(数)、運命(一定の数)、傀儡の戯の機関の喩え)

言志四録(1) 言志録 (講談社学術文庫)


(出典:wikipedia
佐藤一斎(1772-1859)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「天地間に起こる事がらは、昔から今まで、陰あり、陽あり、昼あり、夜あり、また太陽と月とが交互に世を照らし、四季が互いにめぐるなど、条理がすべて前から定まっている〈其の数皆な前に定れり〉。また人が富み栄えたり、貧乏したり、死んだり、生まれたり、長生きしたり、早死にしたり、もうけたり、損したり、栄誉をうけたり、はずかしめられたり、集まったり、ばらばらになったり、これらは皆、定まった運命でないものはない〈一定の数に非ざるは莫し〉。ただ、これを前もって知らないだけなのだ〈殊に未だ之れを前知せざるのみ〉。たとえば、あやつり人形の芝居のからくりはちゃんと具わっているのに、これを見る人が知らないようなものだ〈譬えば猶お傀儡の戯の機関已に具れども、而も観る者知らざるがごときなり〉。世間の人々はこのようなことを知らないで、自分の知恵力量は十分たのむに足りるものだとして、一生涯せっせと、きのうは東、今日は西と、栄誉・功名を探し求め、ついにやつれつかれて倒れてしまう。これはなんと、まどえるもはなはだしいといわざるを得ないのではないか。」
(佐藤一斎(1772-1859)『言志録』1(集録本『言志四録(1)言志録』)p.24、講談社学術文庫(1979)、川上正光(訳注))

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