2018年8月10日金曜日

遅延刺激によるマスキング効果:最大で100ms遅れた刺激は、先行する刺激の意識化を抑制する。遅延刺激が皮質への直接的な刺激の場合には、200~500ms遅れた刺激でも、先行刺激の意識化を抑制する。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

遅延刺激によるマスキング効果

【遅延刺激によるマスキング効果:最大で100ms遅れた刺激は、先行する刺激の意識化を抑制する。遅延刺激が皮質への直接的な刺激の場合には、200~500ms遅れた刺激でも、先行刺激の意識化を抑制する。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】

(a)1番目の刺激による意識的な感覚が生じるのに十分な脳の活性化が完了する前に、2番目の刺激を与えると、2番目の刺激に妨げられて、1番目の刺激が意識されなくなる。

       1番目の刺激は
       意識されない
          ↑
          │
感覚皮質の活性化─妨げられる
 ↑       ↑
1番目の刺激    │
 小さな微弱な  │
 光の点     │
 │    2番目の刺激
 │    1番目の刺激を囲む、
 │    より強く大きな閃光
 │       │
  最大100ms遅れ

(b)両腕の皮膚刺激による実験
 1番目の刺激
  一方の前腕の皮膚に、閾値の強さのテスト刺激(電気刺激)を与える。
 2番目の刺激
  もう一方の前腕に、条件刺激を与える。
 結果:テスト刺激の閾値が上がる。
  最大100ms遅れても効果がある。500ms遅れると効果はない。
(c)条件刺激を、皮質への刺激に変えた実験
 1番目の刺激
  皮膚へ微弱な単発のパルスを与える。
 2番目の刺激
  電極を使って、皮質へ連発したパルスを与える。
 結果
  200~500ms遅れた皮質刺激でも、意識をブロックできる。
  皮質刺激が、100ms以下の連発刺激や単発のパルスでは、意識をブロックできない。

 「二番目の証拠というのは、最初にテストしたものに続いて遅れた二番目の刺激の、逆行性の遡及効果に基づくものです。二つの末梢の感覚刺激の間に、逆行性、または遡行するマスキング効果があることが、よく知られています。最初の小さな微弱な光の点を囲む二番目のより強く大きな閃光は、最初の光に対する被験者のアウェアネスを遮断することができます。最初の微弱な閃光の後、最大限100ミリ秒間の遅れがあったとしても、二番目の閃光にはこうした効果があります(例としてクロウフォード(1947年)参照)。
 遡及性のマスキングはまた、皮膚への電気刺激においても報告されてきました(ホーリデイとミンゲイ(1961年))。一方の前腕に閾値の強さのテスト刺激を与え、閾値より上の条件刺激をもう一方の前腕に与えると、テスト刺激の閾値が上がります〔訳注=閾値が上がるとはすなわち、刺激強度を上げないと検出しにくくなるということ。〕テスト刺激の100ミリ秒後でも、この条件刺激は効果がありますが、500ミリ秒後では効果がありません。この、100ミリ秒の感覚での逆行性マスキングは、中枢神経系によって媒介されているに違いありません。なぜなら、テスト刺激と条件刺激は、それぞれ異なる感覚経路(つまり逆側の腕)を経由して伝達されるからです。
 この逆行性マスキングは、感覚的なアウェアネスについて私たちが仮定した遅れとどのような関係にあるのでしょうか? もし、アウェアネスを生み出すために、適切な神経活動が脳内で最大0.5秒間継続しなければならないのならば、その必要条件である時間感覚の間に二番目の刺激が伝達されると、この神経活動の正常な完了を妨げることになるでしょう。そして、これは感覚的なアウェアネスをブロックすることになるでしょう。末梢の感覚組織ではなく、脳レベルで(刺激に)反応する組織において、このようなマスキングが生じることを私たちは立証したいと考えました。またさらに、遡及性の効果を生み出す二つの刺激の間の時間的間隔が、私たちが主張する0.5秒間という必要条件に何とか近い値まで上げることができるかを検討したいと思いました。
 こうした目的を達成するために、私たちは体性感覚皮質に直接、遅延した条件刺激を与えました。最初の(テスト)刺激は、皮膚への微弱な単発のパルスでした。続いて、1センチ以上の大きなディスク電極を使って、皮質への遅延刺激を与えました。この刺激は比較的強く、皮膚へのパルスから生じる感覚の領域とオーバーラップする、(ほぼ同じ)皮膚領域で感覚が生じました。被験者は、この二つの感覚を、質感と強さ、また関与する皮膚の領域によって難なく区別できました。
 実際、皮膚パルスの後、200~500ミリ秒までの間に皮質刺激が始まったとしても、この遅延皮質刺激が皮膚のアウェアネスをマスクまたはブロックし得ることを、私たちは発見しました。ついでに言えば、遅延皮質刺激は、連発したパルスから成ります。100ミリ秒以下の皮質への連発刺激、または単発のパルスには、この遡及性のある抑制効果が《ありません》。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第2章 意識を伴う感覚的なアウェアネスに生じる遅延,岩波書店(2005),pp.58-60,下條信輔(訳))
(索引:遅延刺激によるマスキング効果)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

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1. 人間の心の所産である対象も、物理的な世界1には属するが、それが人間と相互作用するとき、個々の主観的経験の世界2を超えた、世界3を生み出す。世界3は、世界2を経由して世界1に作用し、新たな世界3を作る。(カール・ポパー(1902-1994))】

世界3

【人間の心の所産である対象も、物理的な世界1には属するが、それが人間と相互作用するとき、個々の主観的経験の世界2を超えた、世界3を生み出す。世界3は、世界2を経由して世界1に作用し、新たな世界3を作る。(カール・ポパー(1902-1994))】
世界3
(a)世界3とは、物語、説明的神話、道具、真であろうとなかろうと科学理論、科学上の問題、社会制度、芸術作品(彫刻、絵画など)のような人間の心の所産の世界である。
(b)対象の多くは物体の形で存在し、世界1に属している。例として、書物そのものは、世界1に属している。
(c)しかし、人間の心の所産である対象が、人間とともに存在しているとき、そこに世界1、世界2とは異なる世界が生まれる。例えば書物には「内容」が存在する。この内容は世界1ではないし、読者の個人的な世界2でもない。これは、世界3に属している。内容は、本ごとや版ごとで変わりはしない。
(d)世界3の対象は、世界2を経由して間接的に、物理的な世界1に働きかける。ゆえに、世界1を実在的と呼ぶならば、それに作用する世界3も実在的な対象である。
(e)世界3の対象は、世界2と世界1を経由して、世界3の他の対象を作り出す。
(f)世界3の諸対象は、我々自身の手になるものであるが、それらは必ずしも常に個々人によって計画的に生産された結果ではない。

 「私は世界3の役割を研究することで理解がいくらか増すと考えている。

 世界3によって私が意味しているのは、物語、説明的神話、道具、(真であろうとなかろうと)科学理論、科学上の問題、社会制度、そして芸術作品のような人間の心の所産の世界である。

世界3の諸対象はわれわれ自身の手になるものであるが、それらは必ずしも常に個々人によって計画的に生産された結果ではない。

 世界3の対象の多くは物体の形で存在し、ある意味で世界1と世界3の両方に属している。彫刻、絵画、そして科学的主題・文学を問わずに書かれた書物、それらがこの例である。書物は物理的対象であり、したがって世界1に属している。だが、それが人間の心の重要な所産であるのは、その《内容》のためである。内容は本ごとや版ごとで変わりはしない。そしてその内容は世界3に属している。

 私の主要なテーゼの一つは、世界3の対象は4節の意味で、つまり世界1の中での物象化ないし具現化においてのみでなく、それらの世界3の中ででの諸相においても実在的であり得るということである。

世界3の対象として、それらは、人間に他の世界3の対象を作り出させるかもしれない、したがって世界1に働きかけるかもしれない。私は世界1とのこの相互作用――間接的な相互作用であっても――を、対象を実在的と呼ぶ決定的な論証と考える。

 したがって、一人の彫刻家の新しい作品製作に鼓舞されて、他の彫刻家たちはそれを模写し、類似の彫刻を刻むかもしれない。彼の作品は――その物質的側面よりはむしろ彼が創作した新しい形を通して――他の彫刻家たちの世界2の経験として、そして間接的には、新しい世界1の対象を通して、彼らに影響を与えることができる。」
(カール・ポパー(1902-1994)『自我と脳』第1部、P2章 世界1・2・3、11――世界3の実在性(上)pp.66-67、思索社(1986)、西脇与作・沢田允茂(訳))
(索引:世界3)
宇宙進化の諸段階
世界3
(人間の心の所産)
(6)(技術を含む)芸術と科学の諸成果
(7) 人間言語、自我と死についての諸理論
世界2
(主観的経験の世界)
(4) 自我と死についての意識
(3) 感覚意識(動物意識)
世界1
(物理的対象の世界)
(2) 生命有機体
(1) 重元素:液体と結晶
(0) 水素とヘリウム
(カール・ポパー(1902-1994)『自我と脳』第1部、P1章 唯物論は自らを超越する、7――この世界に新しいものは何もない。還元主義と《下向きの相互作用》(上)p.31、思索社(1986)、西脇与作・沢田允茂(訳))

自我と脳


(出典:wikipedia
カール・ポパー(1902-1994)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あらゆる合理的討論、つまり、真理探究に奉仕するあらゆる討論の基礎にある原則は、本来、《倫理的な》原則です。そのような原則を3つ述べておきましょう。
 1.可謬性の原則。おそらくわたくしが間違っているのであって、おそらくあなたが正しいのであろう。しかし、われわれ両方がともに間違っているのかもしれない。
 2.合理的討論の原則。われわれは、ある特定の批判可能な理論に対する賛否それぞれの理由を、可能なかぎり非個人的に比較検討しようと欲する。
 3.真理への接近の原則。ことがらに即した討論を通じて、われわれはほとんどいつでも真理に接近しようとする。そして、合意に達することができないときでも、よりよい理解には達する。
 これら3つの原則は、認識論的な、そして同時に倫理的な原則であるという点に気づくことが大切です。というのも、それらは、なんと言っても寛容を合意しているからです。わたくしがあなたから学ぶことができ、そして真理探究のために学ぼうとしているとき、わたくしはあなたに対して寛容であるだけでなく、あなたを潜在的に同等なものとして承認しなければなりません。あらゆる人間が潜在的には統一をもちうるのであり同等の権利をもちうるということが、合理的に討論しようとするわれわれの心構えの前提です。われわれは、討論が合意を導かないときでさえ、討論から多くを学ぶことができるという原則もまた重要です。なぜなら討論は、われわれの立場が抱えている弱点のいくつかを理解させてくれるからです。」
 「わたくしはこの点をさらに、知識人にとっての倫理という例に即して、とりわけ、知的職業の倫理、つまり、科学者、医者、法律家、技術者、建築家、公務員、そして非常に重要なこととしては、政治家にとっての倫理という例に即して、示してみたいと思います。」(中略)「わたくしは、その倫理を以下の12の原則に基礎をおくように提案します。そしてそれらを述べて〔この講演を〕終えたいと思います。
 1.われわれの客観的な推論知は、いつでも《ひとりの》人間が修得できるところをはるかに超えている。それゆえ《いかなる権威も存在しない》。このことは専門領域の内部においてもあてはまる。
 2.《すべての誤りを避けること》は、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けることは、《不可能である》。」(中略)「
 3.《もちろん、可能なかぎり誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である》。しかしながら、まさに誤りを避けるためには、誤りを避けることがいかに難しいことであるか、そして何ぴとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。」(中略)「
 4.もっともよく確証された理論のうちにさえ、誤りは潜んでいるかもしれない。」(中略)「
 5.《それゆえ、われわれは誤りに対する態度を変更しなければならない》。われわれの実際上の倫理改革が始まるのは《ここにおいて》である。」(中略)「
 6.新しい原則は、学ぶためには、また可能なかぎり誤りを避けるためには、われわれは《まさに自らの誤りから学ば》ねばならないということである。それゆえ、誤りをもみ消すことは最大の知的犯罪である。
 7.それゆえ、われわれはたえずわれわれの誤りを見張っていなければならない。われわれは、誤りを見出したなら、それを心に刻まねばならない。誤りの根本に達するために、誤りをあらゆる角度から分析しなければならない。
 8.それゆえ、自己批判的な態度と誠実さが義務となる
 9.われわれは、誤りから学ばねばならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせてくれたときには、それを受け入れること、実際、《感謝の念をもって》受け入れることを学ばねばならない。われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと同じような誤りを犯したことがあることをいつでも思い出すべきである。」(中略)「
 10.《誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とする(また彼らはわれわれを必要とする)ということ》、とりわけ、異なった環境のもとで異なった理念のもとで育った他の人間を必要とすることが自覚されねばならない。これはまた寛容に通じる。
 11.われわれは、自己批判が最良の批判であること、しかし《他者による批判が必要な》ことを学ばねばならない。それは自己批判と同じくらい良いものである。
 12.合理的な批判は、いつでも特定されたものでなければならない。それは、なぜ特定の言明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の論証が妥当でないのかについての特定された理由を述べるものでなければならない。それは客観的真理に接近するという理念によって導かれていなければならない。このような意味において、合理的な批判は非個人的なものでなければならない。」
(カール・ポパー(1902-1994),『よりよき世界を求めて』,第3部 最近のものから,第14章 寛容と知的責任,VI~VIII,pp.316-317,319-321,未来社(1995),小河原誠,蔭山泰之,(訳))

カール・ポパー(1902-1994)
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