2020年4月24日金曜日

正義に反する定式化を回避しながら、広範囲の様々な判例に矛盾しない一般的ルールを精密化していく裁判所の方法は、帰納的方法というよりむしろ、科学理論における仮説的推理、仮説-演繹法推理と類似している。(ハーバート・ハート(1907-1992))

法と仮説-演繹法推理

【正義に反する定式化を回避しながら、広範囲の様々な判例に矛盾しない一般的ルールを精密化していく裁判所の方法は、帰納的方法というよりむしろ、科学理論における仮説的推理、仮説-演繹法推理と類似している。(ハーバート・ハート(1907-1992))】

(再掲)

(1)先例からルールを発見する帰納的方法
  先例が関わるある事実の言明と、あるルールとから、先例の決定が導出可能であるような一般的ルールを発見できたとしても、同様に導出可能なルールは一意には決まらない。あるルールの選択には、別の諸基準が必要となる。(ハーバート・ハート(1907-1992))
 (a)関連のある先例から、一般的ルールを発見して定式化する。
 (b)その一般的ルールが、その先例によって正当化されるための必要条件は、その事件の事実の言明と、抽出された一般的ルールとから、先例における決定が導き出されることである。
(2)一般的ルールは、一意には決まらない
 (a)しかし一般的に、ある先例の決定を導く一般的ルールは、他にも無数に存在している。その一般的ルールが唯一のものとして選択されるためには、その選択を制約する別の諸基準が存在するはずである。
 (b)一般的ルールを正当化する諸基準とは何だろうか。
  (i)ある理論は、その事件にとって重要なものとして扱われるべき諸事実の選択基準が、そのような諸基準だと考える。
  (ii)他の理論によれば、その先例を検討する後の裁判所が、論理上可能な諸ルールのなかから通常の道徳的、社会的諸要因を比較考量した後で選択するであろうルールである。
(3)別の理論は、一般的ルールを経由せずに、先例を利用する。
 (2.1)今回の事例と重要な点で十分に類似している先例を推論する。
 (2.2)その先例を典型例として、今回の事例も同じように決定する。

《説明図》
(1)
先例が関わる  ある一般的
ある事実の言明 ルール
 │┌──────┘
 ↓↓
先例の決定a

(2)
どの事実が 通常の道徳的、社会的
重要か   諸要因を比較考量
 ↓       ↓
先例が関わる  ある一般的
ある事実の言明 ルール1
 │┌──────┘
 ││
 ↓↓
先例の決定a

 「過去の判例を一般的ルールの適用例であると考えるとしても、そこに含まれている演繹法の適用の反対を指示するために「帰納法」という言葉を用いることは、誤解を招く恐れがあるだろう。というのは、その言葉は、諸科学において、すでに観察された個々の事実から一般的な事実命題とか観察されていない個々の事実についての言明が推理されたり、確証されたりする時に用いられている蓋然的推理の様式との実際以上の類似性を示唆しているからである。「帰納法」という言葉はまた、完全な帰納法として知られている演繹的推理の形式あるいは直感的帰納法として言及されることのある一般命題発見の方法――本当の、あるいはそのようにいわれている方法――との混同を招くことにもなるであろう。
 けれども、先例の使用に含まれている演繹法の適用の反対もまた科学的手続の重要な一部であることは事実であり、それは仮説的推理ないし仮説――演繹法推理として知られている。したがって、反対事例による反証を回避するために行なわれる科学的仮説の漸進的精密化の作業のなかに見られる観察と理論の相互作用と、裁判所が、一般的ルールを、それが広範囲のさまざまな判例と矛盾しないようにするために、また正義に反した、あるいは望ましくない結果を生むその定式化を避けるために精密化していく仕方との間には、一定の興味深い類似性がある。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法学・哲学論集』,第1部 一般理論,3 法哲学の諸問題,p.118,みすず書房(1990),矢崎光圀(監訳),深田三徳(訳),古川彩二(訳))
(索引:仮説-演繹法推理,法,仮説的推理,判例,一般的ルール)

法学・哲学論集


(出典:wikipedia
ハーバート・ハート(1907-1992)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「決定的に重要な問題は、新しい理論がベンサムがブラックストーンの理論について行なった次のような批判を回避できるかどうかです。つまりブラックストーンの理論は、裁判官が実定法の背後に実際にある法を発見するという誤った偽装の下で、彼自身の個人的、道徳的、ないし政治的見解に対してすでに「在る法」としての表面的客観性を付与することを可能にするフィクションである、という批判です。すべては、ここでは正当に扱うことができませんでしたが、ドゥオーキン教授が強力かつ緻密に行なっている主張、つまりハード・ケースが生じる時、潜在している法が何であるかについての、同じようにもっともらしくかつ同じように十分根拠のある複数の説明的仮説が出てくることはないであろうという主張に依拠しているのです。これはまだこれから検討されねばならない主張であると思います。
 では要約に移りましょう。法学や哲学の将来に対する私の展望では、まだ終わっていない仕事がたくさんあります。私の国とあなたがたの国の両方で社会政策の実質的諸問題が個人の諸権利の観点から大いに議論されている時点で、われわれは、基本的人権およびそれらの人権と法を通して追求される他の諸価値との関係についての満足のゆく理論を依然として必要としているのです。したがってまた、もしも法理学において実証主義が最終的に葬られるべきであるとするならば、われわれは、すべての法体系にとって、ハード・ケースの解決の予備としての独自の正当化的諸原理群を含む、拡大された法の概念が、裁判官の任務の記述や遂行を曖昧にせず、それに照明を投ずるであろうということの論証を依然として必要としているのです。しかし現在進んでいる研究から判断すれば、われわれがこれらのものの少なくともあるものを手にするであろう見込みは十分あります。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法学・哲学論集』,第2部 アメリカ法理学,5 1776-1976年 哲学の透視図からみた法,pp.178-179,みすず書房(1990),矢崎光圀(監訳),深田三徳(訳))
(索引:)

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