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2024年1月30日火曜日

18. 対人関係の欲求はそれぞれの個人ごとに多様であるが、しかし個人があらゆる状況において適えようとする、より一般的な処理欲求がある。(1)関連する資源の報酬交換の欲求(2)自己確認の欲求(3)知覚を中心に展開する信頼(4)予測可能性(5)間主観性の欲求(6)集団への包摂の欲求がある。(ジョナサン・H・ターナー(1942-)

対人関係の欲求はそれぞれの個人ごとに多様であるが、しかし個人があらゆる状況において適えようとする、より一般的な処理欲求がある。(1)関連する資源の報酬交換の欲求(2)自己確認の欲求(3)知覚を中心に展開する信頼(4)予測可能性(5)間主観性の欲求(6)集団への包摂の欲求がある。(ジョナサン・H・ターナー(1942-)

 「もちろん、対人関係の欲求はそれぞれの個人ごとに多様であるが、しかし個人があらゆる状況において適えようとする、より一般的な処理欲求がある(Turner 1987)。

こうした処理欲求ははるかに包括的であり、そして特定の個人の具体的また特異な欲求を処理する前にまず実現されなければならない。こうした処理欲求はいくつかの次元に沿って働く。

第一に、関連する資源の報酬交換の欲求があり、そしてこうした報酬は状況への費用と投資を超えていなければならない。

第二に、個人である自己がその人の自己評価と一貫する仕方で他者によって評価される自己確認の欲求がある。

第三に、知覚を中心に展開する信頼がある。信頼の知覚とは、他者が行うと述べたこと、あるいは彼らに期待されていることを彼らが履行することである。

第四に、予測可能性がある。これによって他者の行為が予測できる。

第五に、間主観性の欲求がある。これによって個人は、相互作用のために、彼らが共通の経験を共有することを(正しくあるいは誤解して)感知する。

そして、第六に、人が相互作用のフローの一部という感覚を中心に展開する集団への包摂の欲求がある。相互作用が順調に進行し、また適切な感情が喚起するためには、これらの欲求が適えられなければならない。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第5章 どのような種類の感情動物であるか、pp.216-217、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳)



2024年1月23日火曜日

17.  社会構造とは、異なるタイプの位置間の関係と複数の位置にまたがる諸個人の配置であると定義できる。相互作用が順調にすすみ、また適切な感情が活性化するためには、出会いにおいて個人は社会構造のいくつかの特徴に注意を払わなければならない。ジョナサン・H・ターナー(1942-)

 社会構造とは、異なるタイプの位置間の関係と複数の位置にまたがる諸個人の配置であると定義できる。相互作用が順調にすすみ、また適切な感情が活性化するためには、出会いにおいて個人は社会構造のいくつかの特徴に注意を払わなければならない。ジョナサン・H・ターナー(1942-)


「社会構造とは、異なるタイプの位置間の関係と複数の位置にまたがる諸個人の配置であると定義できる。

相互作用が順調にすすみ、また適切な感情が活性化するためには、出会いにおいて個人は社会構造のいくつかの特徴に注意を払わなければならない。

第一に、出会いの人口統計学に関しては、(1)現前する人びとの数量、(2)人びとの社会的カテゴリー(たとえば、年齢、ジェンダー、民族)、(3)カテゴリーを異にする人びとの、時間の経過にともなう出会いへの流入と出会いからの流出、そして、(4)空間上における異なるカテゴリーの人びとの分布である。

第二に、地位の次元がある。これは、(1)種々な地位の威信と権威の水準(Kemper 1984)、そして、(2)こうした地位を占める個人の属性(たとえば、地位特性の拡散、態度のスタイル、自己の知覚など)を中心にして展開する。

そして、第三に、こうした結合の属性を中心にして動くネットワークの次元がある。これは、(1)数量、(2)方向性、(3)相補性、(4)推移性、(5)密度、(6)強度、(7)仲立ち、そして、(8)斡旋である。対面的相互作用の性質をふまえるとき、これら属性のすべてが対人的な出会いにおいて明らかである。結合の数量、相補性、そして密度は出会いにおける感情のフローを形成する際にもっとも重要であろう。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第5章 どのような種類の感情動物であるか、p.216、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))



2024年1月18日木曜日

16.文化とは、人間が知識の貯蔵庫に運び入れ、そして人間が出会いにおいて反応を秩序づけるために使用する象徴体系と定義できる。ジョナサン・H・ターナー(1942-)

文化とは、人間が知識の貯蔵庫に運び入れ、そして人間が出会いにおいて反応を秩序づけるために使用する象徴体系と定義できる。ジョナサン・H・ターナー(1942-)


「文化とは、人間が知識の貯蔵庫に運び入れ、そして人間が出会いにおいて反応を秩序づけるために使用する象徴体系と定義できる。

こうした文化的知識の貯蔵庫はいくつかの基本的次元に沿って配列されている。

第一に、高度に抽象的で一般的な善悪の基準が自己および他者を評価するために用いられる価値の次元がある。

第二に、一般的価値を特定する評価的な指令(自己および他者が特定の状況においていかに行動すべきか、またしなければならないかということに関する指令)に変換する信念とイデオロギーの次元がある。

第三に、いくつかの領域に沿う規範の次元がある。(1)一定タイプ(たとえば、職業、遊戯、社交、家族など)の活動のために適当な行動の輪郭を指示する制度規範、(2)特定の状況で行動するための適当な方法を具体化している制度規範、そして、(3)広範な制度的舞台上の具体的状況において活性化する感情的構成を特定する感情規則(Hochschild 1975,1979,1983)

第四に、状況の物理的な小道具をどのようにうまく操作するかについての技能もしくは知識がある。

第五に、出会いにおいて用いられる表象の適切なテクストもしくは言語学的様相(たとえば、ジャンル、話し方、言説の様式など)がある。これらは図5-1に概説されている。」

 文化シンボルの貯蔵
  │
 言語────────────────┬─┬──────┐
  │           │ │     │
 価値          伝統 テクスト 技術
 (高度に抽象的で     │   │                   │
 一般的な善悪の基準)   └─┼───────┘
    ↓↑           │
 信念とイデオロギー ←──────┤
 (いかに行動すべきか     │
 に関する指令)        │
    ↓↑           │
   制度規範 ←──────────┤
 (適当な行動の輪郭を指示   │
    ↓↑           │
   組織規範 ←──────────┤
 (行動するための       │
 適当な方法を具体化)     │
    ↓↑           │
   対人規範 ←──────────┘
 (具体的状況における感情規則)

 「そして第六に、価値、信念や規範にしたがって、相互作用の過程になにが含まれ、なにが排除されるべきかについての指示を行うフレームがある。そしてそれらは図5-2にしめしたいくつかの基礎次元ごとに異なる。

だから、これは文化の力が状況における感情のフローを制約し、また文化の力からの明快な指針がなければ、臆病さと絶え間ない違反(当惑、恥、怒り、悲しみ他の離反的感情を生成する)のゆえに、相互作用を維持することが難しい。」

 知識の貯蔵
  └フレームの発明
    ├身体フレーム
    │├身体間の受けいれられる距離
    │├身体アクセスの許容度
    │└身体に関する部位
    ├人口統計学的フレーム
    │├個人の適切な人数
    │├個人の適切な密度
    │└個人の適切な移住
    ├物理的距離フレーム
    │├妥当な小道具
    │├妥当な舞台
    │└妥当な物理的境界
    ├組織フレーム
    │├妥当な組織領域
    │├妥当な組織状況
    │└妥当な準拠集団
    ├文化フレーム
    │├妥当な価値前提
    │├妥当な信念体系
    │└妥当な規範
    └個人フレーム
     ├妥当な人生史の部分
     ├妥当な親密性の水準
     └妥当な自己包絡の水準

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第5章 どのような種類の感情動物であるか、pp.213-216、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))

2024年1月14日日曜日

15. 人間はすべての出会いにおいて文化的制約、地位のネットワークとこれらの地位の占有者の性質、そしてすべての出会いにおける他者の処理欲求を理解できるよう偏向させられている。われわれの脳はこうした情報を探索している。(ジョナサン・H・ターナー(1942-)

人間はすべての出会いにおいて文化的制約、地位のネットワークとこれらの地位の占有者の性質、そしてすべての出会いにおける他者の処理欲求を理解できるよう偏向させられている。われわれの脳はこうした情報を探索している。(ジョナサン・H・ターナー(1942-)

 「これらすべての諸力――文化的、構造的、および対人関係的――には、固く配線された基盤があるとわたしは確信している。

どの出会いにおいても、人間は文化、構造、そして処理欲求(自らのそれであれ、他者のそれであれ)に注意を向けるよう偏向させられている。なぜなら、これらは対面的相互作用を継続させるからである。

妥当な文化的象徴、社会構造的人口統計学についての理解、そして処理欲求を適えることに関して不一致があるならば、相互作用はほどなく不統合になり、そして怒り、恐れ、悲しみなどの離反的感情を喚起するかもしれない。

こうした諸力に関する合意、あるいは少なくとも感知される合意がある場合、より結合的な感情が満足-幸せの変種と精巧化を中心に展開し、活性化する。

したがって人間はすべての出会いにおいて文化的制約、地位のネットワークとこれらの地位の占有者の性質、そしてすべての出会いにおける他者の処理欲求を理解できるよう偏向させられている。われわれの脳はこうした情報を探索している。

そして感情ごとに配列されたわれわれの感情の貯蔵庫が出会いの経験を通して構築されるにつれて、われわれは必要な情報を確保し、そして次に、われわれの神経的特徴である感情統語法によって、またわれわれの神経学的特徴が知識の貯蔵庫に蓄えている方法によって、さらにこうした貯蔵庫が、相互作用において使用するために抽出され、利用できるような形で秩序づけられた適切な反応を活性化するために、他者の感情を帯びた合図を読み解くことに熟達することになる。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第5章 どのような種類の感情動物であるか、pp.217-218、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))




2024年1月11日木曜日

14. 自己制御のできる動物は絶えず監視また裁可される必要のない動物である。なぜなら、こうした動物は自己監視と自己裁可を行うことができるからである。こうした自己監視と自己裁可は自己に向う特定種類の感情を動員する能力を考えることによってはじめて可能である。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

自己制御のできる動物は絶えず監視また裁可される必要のない動物である。なぜなら、こうした動物は自己監視と自己裁可を行うことができるからである。こうした自己監視と自己裁可は自己に向う特定種類の感情を動員する能力を考えることによってはじめて可能である。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

 「人間に特有な能力の一つは、自分をある状況において対象とみなすだけでなく、ある一定種類の存在としての持続的な概念化と自らのアイデンティティを自らの内面にもちつづけうる力である。

自己言及活動(self-referential behavior)を行うことができるという人間の能力は、相互作用に新たな次元を付け加えるが、この能力は人間の感情装置を抜きにしては成り立たない。

確かに、一定水準の新皮質の発達が自己の中程度の期間にわたる記憶保持にとっての基本であるが、しかし自己認知は古生的な皮質下辺縁系の過程に起因する感情標識と感情価によってのみ可能である。

感情を抜きにして人間はワーキング・メモリー内にわずか数秒間しか自己イメージを維持できず、あるいはより安定し、一貫したアイデンティティを保持できないことが認識できると、われわれはヒト科の感情能力と自己に関わる能力とが互いに他者を情報源として利用するように紡ぎあわされていることを知ることになる。

自己を評価するために、より多くの感情が利用できるようになると、行動反応を組織するための自己の重要性がますます拡張することになった。

そして自己が相互作用にとって基本的であるほど、感情の精巧化は自己に媒介された対人関係によってますます制約されていった。

 感情の精巧化が社会性の低い類人猿の集団連帯を増加するための基盤であったとすれば、こうした感情は自己意識的な個人をめざす必要があったはずである。

いっそう感情的に適応した動物にあって、道徳記号、肯定的ならびに否定的裁可の使用、協同的交換、および意思決定に向けて感情を動員し、また経路づけることは、感情価によって自分自身と他者をみつめ、評価できる能力なくして起きるはずはない。

社会統制と、こうした統制によって可能になる調整は、個人による自己制御によってもっともよく達成される。こうした個人は自分を対象とみなし、また道徳記号と他者の期待に応答する自己評価を介して一つづきの行動について意思決定を行う。

自己制御のできる動物は絶えず監視また裁可される必要のない動物である。なぜなら、こうした動物は自己監視と自己裁可を行うことができるからである。こうした自己監視と自己裁可は自己に向う特定種類の感情を動員する能力を考えることによってはじめて可能である。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第5章 どのような種類の感情動物であるか、pp.190-192、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))




2024年1月2日火曜日

13.選択は、辺縁系の拡張と感情呈示の新皮質による調整を強化した。行動水準においては、その証拠は明白である。儀礼化された開始、修正、および出会いの終了、意味を伝達するための身体の位置取りと顔の表情、そして感情状態を伝えるための顔の表情と声の抑揚に大きく頼っていることなどである。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

選択は、辺縁系の拡張と感情呈示の新皮質による調整を強化した。行動水準においては、その証拠は明白である。儀礼化された開始、修正、および出会いの終了、意味を伝達するための身体の位置取りと顔の表情、そして感情状態を伝えるための顔の表情と声の抑揚に大きく頼っていることなどである。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))


 「選択が神経学的水準において、脳にどのように働いたかをある程度知ることができる。

つまり、辺縁系の拡張と感情呈示の新皮質による調整の強化である。

行動水準においては、その証拠や人間が相互作用するときはいつでも、またすべての相互作用においてそれは明白である。

儀礼化された開始、修正、および出会いの終了、意味を伝達するための身体の位置取りと顔の表情、そして感情状態を伝えるための顔の表情と声の抑揚に大きく頼っていることなどである。

これらの信号のいずれかが失われ、あるいは不適当なやり方で生産されると、たとえ手段的な音声によるお喋りの流れはつづいているとしても、相互作用は緊張を帯びることになる。

なぜなら、われわれのヒト科の祖先が社会結合を強化するために最初に用いた非音声的で感情的な一連の合図をともなわなければ、言語だけで相互作用の流れを維持することはできないからである。

もっと原基的で、視覚に基づく感情言語をともなわなければ、相互作用はいくつかの側面で問題を発生させる。

個人はその出会いになにが含まれ、またなにが排除されるべきかという点に関して、どのように枠組みを設定すればよいかに確信がもてない(Goffman 1974;Turner 1995,1997a)。

個人は使用すべき妥当な規範や他の文化システムに確信がもてない。

個人はどのような資源、とくに相互作用にとって基本である内面的な資源のうちなにが交換されるべきかということに確信がもてない。

個人が進行中の相互作用のフローの一部分をなしているかどうかについて確信がもてない。

他者が行うものと想定されていることがらを確かにその人たちが行うと信用できるかどうか確信がもてない。

他者の反応を予測できるかどうかに確信がもてない。

そして個人が他者と同じ仕方で他者との状況を主観的に経験していると想定することができるかどうか確信がもてない。

ハロルド・ガーフィンケル(Garfinkel 1966)が初期に実施した「日常的な秩序を破壊する実験」は、対面的相互作用がとても脆弱であることを検証している。そして相互作用がいとも簡単に壊れてしまうことも検証している。

われわれの相互作用がとても壊れやすいのは、生物学的プログラムとしてのわれわれの遺伝子に、高水準の社会連帯に向う傾向がないからである。

だから、われわれは相互作用をぎこちなくしないために、精妙で複雑な感情コミュニケーションを用いなければならないのである。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第5章 どのような種類の感情動物であるか、pp.172-173、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))


2023年12月28日木曜日

12.意識的情動の性質は皮質下と皮質の水準における視床経由による辺縁系への現在の刺激と、過去に指標を与えられ、表象された記憶を、適当な感覚皮質と身体系を活性化するコード化された指示の集合として海馬による再刺激と組み合わされた複雑な混合物である。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

 意識的情動の性質は皮質下と皮質の水準における視床経由による辺縁系への現在の刺激と、過去に指標を与えられ、表象された記憶を、適当な感覚皮質と身体系を活性化するコード化された指示の集合として海馬による再刺激と組み合わされた複雑な混合物である。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))


 「記憶は、海馬を介して記号化された指令を遷移性皮質と前頭葉から引きだすことに関係し、そして次に、それを適当な感覚皮質に放出する。

したがって、記憶の想起は、新皮質に貯蔵されすでにできあがった、また完全に発達した画像もしくはイメージを引きだすことに関係しているのではなく、むしろ、これは新皮質に、あるいはより中間的に遷移性皮質に貯蔵されている、急場しのぎの伝達法、記号化された指令の活性化をともなっている。

遷移性皮質は、記憶に記号化された経験を大ざっぱな形で再生産するために、感覚皮質と適切な身体系を再活性化させる(Damasio 1994)。 

この経験が重い感情的内容をもつならば、この記憶の再生は、その記憶に元の経験と同じくらい多くの感情内容を与える四つの身体系を作動させるであろう。

 なぜ社会学者は意識的情動を生産するこうした力学に関心をもつのだろうか。わたしの答えはこうだ。

意識的情動を生産する力学は、われわれが社会的相互作用を分析する際に、意識的情動をどのように概念化するかという点に大きな影響を与えるからだ。ある人が恥、罪、幸せ、怒り、あるいはどのような感情であれそれを感じるとき、こうした意識的情動は四つの身体系の――現時点における視床の直接の刺激からの、そして過去において活性化された関連する身体系を再度刺激するために感覚皮質に再発火することからの――動員をともなう。

したがって、意識的情動の性質は皮質下と皮質の水準における視床経由による辺縁系への現在の刺激と、過去に指標を与えられ、表象された記憶を、適当な感覚皮質と身体系を活性化するコード化された指示の集合として海馬による再刺激と組み合わされた複雑な混合物である。

しかししばしば、人が自らある感情を認知するずっと以前に、その人の周りにいる他者は、身体系を通して皮質下で表現され、そしてときに意識的情動として意識に浸透している基礎的な感情をみることができる。

われわれはそうすることができるようになったのだ。それは、視覚様相を介して感情を帯びた結合を形成することのできる動物を生みだすため、われわれヒト科の祖先に働いた自然選択の作用の結果なのである。

それゆえ、意識的情動の社会学(sociology of feelings)は感情的身体系のより一般的な、そして、進化の用語を用いるならば、より原基的な動員の特別なケースでしかない、あるいはたぶん、あまり重要ではないケースでしかないのである。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第4章 人間感情の神経学、p.149,p.152、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))


2023年12月23日土曜日

11,意識はほとんどいつも辺縁系――辺縁系から直接に、あるいは辺縁系からの感情的入力をもって視床下部によって過去に付け加えられた中間的ならびに長期的記憶を介して間接に――からの入力情報と関係している。ジョナサン・H・ターナー(1942-)

 意識はほとんどいつも辺縁系――辺縁系から直接に、あるいは辺縁系からの感情的入力をもって視床下部によって過去に付け加えられた中間的ならびに長期的記憶を介して間接に――からの入力情報と関係している。ジョナサン・H・ターナー(1942-)


 「意識に関係する脳の重要な構造は前頭前皮質であり、これが事実上、脳のすべての部位――新皮質、辺縁系、および他の皮質下系――と連動している(MacLean 1990,Damasio 1994)。


刺激の意識化は感覚の様相――視覚、聴覚、嗅覚、触覚――を通じて入力情報を受け取り、そして次に、視床の特化した感覚領野へとすすむ。

そしてそこから、感覚入力は皮質下辺縁系および新皮質の適当な脳葉の両方――すなわち、視覚は後頭、聴覚は側頭、触覚は頭頂、臭いは嗅球――に移動する(後者は直接にさまざまな辺縁系、とくに扁頭体を収容している皮質下領野に伝えることに注意を払わなければならない。そのため、臭いはしばしば感情を急速に高める)(Le Doux 1996)。

新皮質のかなりの部分を構成し、また感覚入力を統合することに関係する連合皮質はあるイメージを生成し、そしてそれを一時的に緩衝器に貯蔵する(Geschwind 1965a,1965b)。

そのあと、海馬傍皮質、嗅周野皮質および嗅内野皮質からなる遷移性皮質がそのイメージを貯え、そしてそれらを海馬に送る。

次に、海馬は一つの表象を作り、それを中間的な貯蔵のための記憶として遷移性皮質に送る(Heimer 1995;Gloor 1997)。

最近の研究では、海馬傍皮質は、前頭前皮質の背外側部と相互作用して、記憶が継続するかどうかを決める際にとくに重要であることが示唆されている(Rugg 1998,Brewer et al.1998)。

もしあるイメージが、数年後に、経験もしくは思考によって再活性化されると、組み立てられたイメージは長期にわたる記憶として貯蔵するするために新皮質、とりわけ前頭葉に送られる(Damasio 1994;Echenbaum 1997;Vargha-Khadem et al.1997)。

 皮質下の記憶システムはこの過程に強く関係しており、視床、海馬、扁頭体、および前帯状回を介して情報を視床下部および前頭前皮質に伝える。次に、これがその情報を遷移性皮質に貯留し、そして視床下部によって表わされる一時的な緩衝器に位置づけられる。

意識はほとんどいつも辺縁系――辺縁系から直接に、あるいは辺縁系からの感情的入力をもって視床下部によって過去に付け加えられた中間的ならびに長期的記憶を介して間接に――からの入力情報と関係している。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第4章 人間感情の神経学、pp.148-150、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))




2023年12月15日金曜日

10.人間は精神分析理論が示唆しているほどに感情反応を抑制することに関わっていないということである。むしろ人間は皮質下に貯蔵されている感情記憶を意識していない。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))


人間は精神分析理論が示唆しているほどに感情反応を抑制することに関わっていないということである。むしろ人間は皮質下に貯蔵されている感情記憶を意識していない。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

「感情記憶システムの存在は、ある人によって表現され、他者によって読まれる感情信号が、その人の意識的思考から取り外されたままであることを確証している(Bowers and Mechenbaum 1984)。

それは意識的情動(feeling)でなく、感情(emotion)であろう。ここでもまた、こうした無意識の感情記憶が多くの点で意識的な記憶よりも役割取得にとってはるかに基本的であることが想定されている。

事実、もし他人から、今ある感情反応が起きていることがわかると言われたら、あるいはもし身体的なフィードバックが感情的実感として意識に浸透していくほどに強かったら、その人が一定の感情(emotion)を放出し、あるいは経験することにそれでもなお驚き――そして驚くだけでなく――、その感情的反応の源泉に関して確信をもつこともできない。

この無意識的な記憶システムのもう一つの含意といえるのは、人間は精神分析理論が示唆しているほどに感情反応を抑制することに関わっていないということである。むしろ人間は皮質下に貯蔵されている感情記憶を意識していないのである。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第4章 人間感情の神経学、p.144,pp.146-147、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))





2020年6月9日火曜日

感情が引き起こす身体変化のうち筋骨格系は、視床下部が、他の辺縁系からの入力情報を横紋筋の収縮へと伝えることで迅速に起こる。特に顔面の変化は、文化によって変わらず、役割取得に重要な役割を果す。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

筋骨格系

【感情が引き起こす身体変化のうち筋骨格系は、視床下部が、他の辺縁系からの入力情報を横紋筋の収縮へと伝えることで迅速に起こる。特に顔面の変化は、文化によって変わらず、役割取得に重要な役割を果す。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】
筋骨格系
 (1)視床下部
  (a)視床下部が、他の辺縁系からの入力情報を横紋筋の収縮へと伝える。
 (2)横紋筋
  (a)横紋筋は、自律神経系の平滑筋よりもより敏捷に反応するので、その刺激と関係する感情興奮ならびにその収縮からのフィードバックは迅速である。
  (b)個人の最初の役割取得は筋骨格系、とくに顔の筋肉からの信号を頼りにしている。顔の原基的感情反応は文化によって変わるということがない。なぜなら、人間はことごとく顔面に設定された同一の筋肉構成をもっているからである。そして横紋筋の刺激は速やかに働く。

 「筋骨格系は身体運動を指令する骨格構造を制御する横紋筋の刺激に関与する。この系で働く基礎過程は図4-5に略図化されている。ここでも、視床下部が他の辺縁系からの入力情報を横紋筋の収縮へと伝える際にとくに重要である。そして横紋筋は自律神経系の平滑筋よりもより敏捷に反応するので、その刺激と関係する感情興奮ならびにその収縮からのフィードバックは迅速である(Le Doux 1996)。事実、個人の最初の役割取得(および、意図的か意図的でないかにかかわらず、役割づくり)は筋骨格系、とくに顔の筋肉からの信号を頼りにしている。エクマン(Ekman 1982,1992b)と同僚たちが検証しているように、顔の原基的感情反応は文化によって変わるということがない。なぜなら、人間はことごとく顔面に設定された同一の筋肉構成をもっているからである。そして横紋筋の刺激は速やかに働く(ミリ秒単位で)。さらに、神経伝達物質は筋肉収縮に関与しているので、顔の表情の読解は筋骨格系と神経伝達身体系の両方を対象にしていることになる。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第4章 人間感情の神経学、p.141、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:筋骨格系)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学


(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

ジョナサン・H・ターナー(1942-)
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感情が引き起こす身体変化のうち内分泌系は、辺縁系を経由した入力情報を視床下部が受信し、直接に、あるいは下垂体とこれに直接に関係する諸領野を通って、ホルモンとペプチドの血流への放出を引き起こす。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

内分泌系

【感情が引き起こす身体変化のうち内分泌系は、辺縁系を経由した入力情報を視床下部が受信し、直接に、あるいは下垂体とこれに直接に関係する諸領野を通って、ホルモンとペプチドの血流への放出を引き起こす。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】
内分泌系
 (a)視床下部
  視床下部は他の辺縁系からの入力情報を受信し、そして直接に、あるいはより典型的には下垂体とこれに直接に関係する諸領野を通って、ホルモンとペプチドの血流への放出を引き起こす。
 (b)神経刺激性のペプチドのフロー
 (c)ホルモンのフロー

 「この系は内分泌系から構成され、脳の血流を通して神経刺激性のペプチドのフローと、身体の全体的な脈管系に通じるホルモンのフローからなっている。視床下部は他の辺縁系からの入力情報を受信し、そして直接に、あるいはより典型的には下垂体とこれに直接に関係する諸領野を通って、ホルモンとペプチドの血流への放出を引き起こす。それらは伝達されるにともなって身体を活性化し、そしてすみずみまで作用し、脳血管系に戻るにつれて、それらは他の辺縁系に対して重要なフィードフォワードならびにフィードバック効果をもつ(Le Doux 1996)。もちろん、これらの効果が現われるまでには時間がかかる。なぜなら、ホルモンは身体中を頻繁に循環しなければならないからだ。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第4章 人間感情の神経学、p.140、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:内分泌系)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学


(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

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感情が引き起こす身体変化のうち神経伝達物質と神経刺激性ペプチドは、次のような影響を及ぼす。(a)満足感、福利感、リラクセーション、快楽、(b)注意、興奮、(c)学習、記憶、(d)摂食への刺激、(e)睡眠、覚醒(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

神経伝達物質と神経刺激性ペプチド

【感情が引き起こす身体変化のうち神経伝達物質と神経刺激性ペプチドは、次のような影響を及ぼす。(a)満足感、福利感、リラクセーション、快楽、(b)注意、興奮、(c)学習、記憶、(d)摂食への刺激、(e)睡眠、覚醒(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】

神経伝達物質と神経刺激性ペプチド
 例えば、次のような変化を引き起こす。
 (a)満足感、福利感、リラクセーション、快楽
 (b)注意、興奮
 (c)学習、記憶
 (d)摂食への刺激
 (e)睡眠、覚醒
 「この身体系は神経伝達物質の放出に関係する。もっとも重要なものは表4-3ならびに図4-3に列挙されている。」
神経伝達物質
 アセチルコリン(ACh) 皮質興奮、学習、そして記憶、これらが身体系を刺激する。アセチルコリンが中程度の満足と関係するといういくらかの証拠がある。
 モノアミン
  ドーパミン 運動機能と視床機能を規制し、またほとんどの辺縁系を刺激する。
  ノルアドレナリン
  (ノルエピネフリン)
入力情報に反応し、興奮を刺激するニューロンの能力を強化する。
  アドレナリン
  (ピネフリン)
ノルアドレナリンと同じ。
  セロトニン 睡眠-覚醒サイクルを調整し、またリラクセーションと快楽を生成する。
  ヒスタミン 十分にわかっていないが、神経内分泌機能に関与すると考えられる。
 アミノ酸
  ガンマアミノ酪酸
  (GABA)
抑制行動がニューロンの出力を制御する。
  グリシン 不分明であるが、しかしグルタミンの効果を緩和する。
  グルタミン 辺縁系のニューロンを含めて、ニューロンの興奮行動の原因である。
神経刺激性ペプチド 判明している数十種のペプチドのうち、多くのペプチドは脳で生産され、伝達物質のように作用する。その理由は、これが微小であり、また脳脈管系を往き来する能力のゆえである。これらは種々の辺縁系によって刺激される広範な感情に影響すると考えられる。オピオイドは感情反応でとくに重要と考えられる。多数のペプチドが内分泌系、また身体のより包括的な循環器系を介して作用する。最近のデータはサブスタンスPが感情反応、とくにモノアミンとの関係において決定的に重要であることを立証している(Wahlestedt 1998,Kramer et al. 1998)。

 「感情状態に含まれる神経伝達物質のほとんどはふつう、他の感情システムからの刺激のもとで、そしてドレヴェットら(Drevets et al. 1997)の最近の研究が明らかにしているように、脳梁膝下の前頭前皮質の影響下で脳幹の中脳部位によって放出される。

前脳基底もまた一つの伝達物質であるアセチルコリン(ACh)を放出していると考えられる。

そして視床も直接に関与しているのかもしれない(Bentivoglio,Kutas-Ilinsky,and Ilinsky 1993)。

ところで、最近発表された研究では、伝達物質が以前に考えられていた以上に脳幹の外側の領野で放出されていると考えられている。

表4-3にしめしたように、伝達物質それぞれの気分高揚の効果を列挙するのは伝達物質を議論するうえで魅力的である。

たとえば、われわれはセロトニンを福利感、リラクセーション、そして睡眠を生みだすのに関与するものとみなし、またドーパミンを注意、興奮、摂食への刺激とみなすことができるかもしれない。 


しかしこうした伝達物質の効果はおそらくそれぞれ異なり、またそれらの相互作用効果はまだ十分にわかっていない。

ケェティ(Kety 1970:p.120)が二五年以上前に指摘したように、「特定の感情状態を一つあるいは複数の成体アミンの活動によって考察しようとする企てはそもそも不毛であると思われる。これらのアミンは複雑なニューロン・ネットワークの非常に重要な結節点で、単独で、もしくは結びあって機能すると考えられる。〔中略〕しかしこれらは個人の経験におそらく由来している」。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第4章 人間感情の神経学、pp.134-138、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:神経伝達物質,神経刺激性ペプチド)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学



(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

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9感情が引き起こす身体変化のうち自律神経系は、主として視床を通して作用するフィードバック・システムとして働き、入力情報を受信し、呼吸、心拍、筋肉収縮、口の渇き、発汗、胃などへ影響を波及させる。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

自律神経系

【感情が引き起こす身体変化のうち自律神経系は、主として視床を通して作用するフィードバック・システムとして働き、入力情報を受信し、呼吸、心拍、筋肉収縮、口の渇き、発汗、胃などへ影響を波及させる。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】

(1)感情が引き起こす身体変化
 (1.1)視床下部、下垂体、ホルモン
  (a)視床下部が受信した神経情報は、下垂体を経由して、ホルモン情報に変換される。
 (1.2)自律神経系
  (a)自律神経系は、主として視床を通して作用するフィードバック・システムとして働き、入力情報を受信し、他の感情システムや大脳皮質に伝達する。
  (b)感情は、自律神経系を介して、呼吸、心拍、筋肉収縮、口の渇き、発汗、胃もたれなどの身体変化を生じる。
 (1.3)反応の連鎖
  (a)ある刺激への最初の興奮は最初の興奮を維持し、変換し、あるいは強化する仕方で身体系を動員する。その一方で、他の感情的身体系を起動させる。
(2)反応の社会的機能
 (2.1)ジェスチャーの無意識的な表現を含む自己呈示(役割づくり)
  自己呈示は、しばしば無意識に進行する。自己呈示に反応した他者が役割を取得し、その他者の反応を彼らの無意識なジェスチャー表現と気づくまで、自らの身体動員にしばしば無意識である。
 (2.2)自己呈示に対する他者の反応(役割取得)
  自己呈示が無意識であることに起因して、感情システムの興奮に起因するフィードバックは、しばしば他者が役割を取得することに依存する。

 「自律神経系(ANS)は、感情興奮に随伴する本能的な反応を制御する平滑筋組織から構成されている。こうした反応、呼吸、心拍、筋肉収縮、口の渇き、発汗、胃もたれを含む(Shepered 1994:p.395)。図4-2は自律神経系の反応に関与する重要な脳システムの大略をしめしている。」
 新皮質───┐ …─→自律神経系
  運動領野 │
  感覚皮質 │
  前頭葉  │
  前頭前葉 │
 前葉帯───│──┐ …─→自律神経系
 扁桃体───│─┐│ …─→自律神経系
 海馬    │ ││ …─→自律神経系
 前脳基底  │ ││ …─→自律神経系
┌視床←───┘ ││ …─→自律神経系
│ ↓      ││
│視床下部←───┘┘ …─→自律神経系
│ ↓
│下垂体 …─→自律神経系

└→脳幹:間脳 …─→自律神経系

「ずば抜けて重要なのは視床下部であり、これが脳の他の領野からの入力情報を受信し、そして血流に分泌する下垂体にねらいを定めることによって神経情報をホルモン情報に変換する。

これがひとたび起動すると、自律神経系は、主として視床を通して作用するフィードバック・システムとして働き、入力情報を受信し、そしてそれを他の感情システムや大脳皮質に伝達する(Le Doux 1996)。

ダマシオ(Damasio 1994)とルドゥー(Le Doux 1996)が論じているように、こうしたフィードバック・システムは感情興奮にとって重要である。ある刺激への最初の興奮は最初の興奮を維持し、変換し、あるいは強化する仕方で身体系を動員する。

その一方で、他の感情的身体系を起動させる。

そしてわたしが論じているように、自己呈示(ジェスチャーの無意識的な表現を含めて)において、あるいは役割づくり(R.H.Turner 1962)、そしてこうした呈示に対する他者の反応、あるいは役割取得(Mead 1934)において非常に重要であるのは、そうした身体系の動員なのである。

さらに、個人が他者の役割を取得し、そして、そうした他者の反応を彼らの無意識なジェスチャー表現とみなすまで、自らの身体動員にしばしば無意識である。

だから、感情システムの興奮に起因するフィードバックは、個人にとって内面的であるだけでなく、それはしばしば身体系動員の視覚的な光景に反応する他者の役割を取得することに依存している。

自律神経系について真であることは、すぐ後でみるように、他の三つの身体系についても同じく真である。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第4章 人間感情の神経学、pp.132-135、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学



(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

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8.環境への迅速な対応のため、感情記憶は無意識的な過程を介して生成され機能する。合理的な思考と言語も、感情記憶の基礎の上に構築されており、認知能力は、感情によって活性化され、複雑かつ繊細になっていく。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

合理的な意思決定

【環境への迅速な対応のため、感情記憶は無意識的な過程を介して生成され機能する。合理的な思考と言語も、感情記憶の基礎の上に構築されており、認知能力は、感情によって活性化され、複雑かつ繊細になっていく。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】

(1.9)追記。

(1)人類の歴史
 (1.1)社会性と集団が無ければ生存できなかった
 (1.2)感情能力が強化されることで社会性が獲得された
 (1.3)社会性を強化するための、感情能力に依存する6つの仕組み
 (1.4)その1:感情エネルギーの動員と経路づけ
 (1.5)その2:対面反応の調整
 (1.6)その3:裁可
  (1.6.1)否定的裁可
   (1.6.1.1)怒りの表出
   (1.6.1.2)恐怖の喚起
   (1.6.1.3)否定的裁可の効果
   (1.6.1.4)否定的裁可の離反的効果
  (1.6.2)否定的裁可の内在化、恥と罪の感情
  (1.6.3)記憶による感情の持続化、激情化と肯定的感情の発展
   (1.6.3.1)記憶による感情の持続化と激情化
   (1.6.3.2)肯定的感情の必要性
  (1.6.4)肯定的裁可の内在化、誇りの感情
  (1.6.5)自己像の形成と自尊心の感情の誕生
  (1.6.6)悲しみなどの否定的感情の役割
   (1.6.6.1)恥や後悔などの感情と動機づけ
   (1.6.6.2)他者の悲しみの感知と連帯
 (1.7)その4:道徳的記号化
 (1.8)その5:資源評価と資源交換
 (1.9)その6:合理的意思決定
  (1.9.1)記憶
   (1.9.1.1)無意識的な感情記憶
    (a)危険に対してただちに反応するためには、もしその危険が繰り返し起こりそうであるなら、適切な感情反応を瞬時に送信できる経験を、皮質下辺縁系に貯蔵する。
    (b)新皮質を通るループを迂回する。
   (1.9.1.2)意識的な記憶
    (a)すべての期待を新皮質経由にすると時間がかかり、身体反応を起こす感情中枢の起動が遅れてしまう。危険な状況下で、貴重な時間を失うことは適合度を減じることになる。
    (b)新皮質からの制御システムは、皮質下辺縁系を補完する。
  (1.9.2)思考と行為
   (a)合理的思考と言語は、無意識的な感情記憶の能力の上に構築されている。
   (b)その結果、個人はなぜそのような決定をしてしまったのか、なぜそのように行動したのかを理解するのにとまどうことがしばしばある。
   (c)しかし合理的な思考は、具体的な経験と感情、情動と結合されないならば、活性化しない。
   (d)情動の拡がりが大きいほど、認知能力は複雑かつ繊細になっていく。

 「ここでもう一度、わたしの考えを繰り返しておこう。しばしば人間のもっとも卓越した特徴――合理的思考と言語――とみなされているものは、われわれのもっとも特有な特徴のもう一つ――非常に感情的であるわれわれの能力――の上に構築されたのだ。

ここでのわたしの要点は、記憶と思考は思考に経験、感情に情動をぴったり付ける能力なしには活性化しないだろうということである。

そして情動の拡がりが大きいほど、認知能力は複雑かつ繊細になっていくのである。

 とはいえ、思考と行為を導く記憶のすべてが意識的ではない。脳は感情記憶を皮質下に貯蔵できることがわかっている。すなわち、意識的な思考と評価が起こるのは新皮質の外部においてである(Le Doux 1996)。

選択が原始哺乳類の適合度をどのように強化したかを考えれば、このことは一目瞭然である。危険に対してただちに反応するためには、もし繰り返し起こりそうであるなら、適切な感情反応を瞬時に送信できる経験を皮質下辺縁系に貯蔵するために新皮質(もしそれが大きくなければ)を通るループを迂回するのが有用である。

すべての期待を新皮質経由にすると時間がかかり、身体反応を起こす感情中枢の起動が遅れてしまう。

そして、危険な状況下で、貴重な時間を失うことは適合度を減じることになる。

この種の皮質下の記憶系はヒト科の認知能力の拡張によって取り代えられはしなかった。むしろ原基的な皮質下の感情記憶系は新皮質からの制御システムによって補完された。

その結果、人間は新皮質に貯蔵された意識的記憶によって、あるいは中間的記憶(数年程度)を貯蔵する新皮質と統合される皮質下海馬と遷移性皮質によって、つき動かされて決定したり行動したりするのではなく、むしろ感情記憶を新皮質の直接的な関係の外部に貯蔵する、他の皮質下辺縁系によって押しだされる身体反応の影響下でしばしば意思決定は行われる。

事実、個人はなぜそのような決定をしてしまったのか、なぜそのように行動したのかを理解するのにとまどうことがしばしばある。

その答えは皮質下の感情記憶システムが皮質によって制御される系と交絡しているからである。

ゆえに、合理性はしばしば感情価との混合であり、その一部は、もし必要ならば、自己に接合され、そしてそれ以外は完全な自意識の外部にとどまっている。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第2章 選択力と感情の進化、pp.88-89、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:合理的意思決定)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学


(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

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2020年6月8日月曜日

7.否定的および肯定的裁可によって社会性を維持するための諸感情を洗練してきた人類は、他者の感情と期待を表現する、より一般的な道徳記号を生成した。そして、道徳記号への違反と同調が、感情を喚起する。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

道徳的記号化

【否定的および肯定的裁可によって社会性を維持するための諸感情を洗練してきた人類は、他者の感情と期待を表現する、より一般的な道徳記号を生成した。そして、道徳記号への違反と同調が、感情を喚起する。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】

(1.7)追記

(1)人類の歴史
 (1.1)社会性と集団が無ければ生存できなかった
 (1.2)感情能力が強化されることで社会性が獲得された
 (1.3)社会性を強化するための、感情能力に依存する6つの仕組み
 (1.4)その1:感情エネルギーの動員と経路づけ
 (1.5)その2:対面反応の調整
 (1.6)その3:裁可
  (1.6.1)否定的裁可
   (1.6.1.1)怒りの表出
   (1.6.1.2)恐怖の喚起
   (1.6.1.3)否定的裁可の効果
   (1.6.1.4)否定的裁可の離反的効果
  (1.6.2)否定的裁可の内在化、恥と罪の感情
  (1.6.3)記憶による感情の持続化、激情化と肯定的感情の発展
   (1.6.3.1)記憶による感情の持続化と激情化
   (1.6.3.2)肯定的感情の必要性
  (1.6.4)肯定的裁可の内在化、誇りの感情
  (1.6.5)自己像の形成と自尊心の感情の誕生
  (1.6.6)悲しみなどの否定的感情の役割
   (1.6.6.1)恥や後悔などの感情と動機づけ
   (1.6.6.2)他者の悲しみの感知と連帯
 (1.7)その4:道徳的記号化
  (1.7.1)道徳的記号化
   (a)人間は他者の期待に注意を払い、同調性を高めなければならなかった。
   (b)人間は他者の表現する全方向の感情に対して、敏感でなければならなかった。
   (c)人間は感情と期待を、より一般的な行動記号(たとえば、規範、価値)を生成できるような方法で結合する必要があった。
  (1.7.2)道徳記号の機能
   (a)道徳記号に違反が発生すると、違反者に対する怒りが同調を要求する他者を興奮させ、また違反者に向けられた。
   (b)違反者に向けられる怒りは、同調の努力を喚起させるであろう。
   (c)道徳記号が守られるとき、同調に向う満足-幸せは、同調の継続に肯定的強化物を与えるであろう。
 (1.8)その5:資源評価と資源交換
 (1.9)その6:合理的意思決定

 「アフリカ・サヴァンナで組織を作ろうとする相対的に社会性の低い動物を想像するとき、選択はこの動物の神経解剖学的構造にどのように関与しなければならなかっただろうか。

第一に、選択はこの動物の神経解剖学的構造を強化する必要があった。そのためこの動物は他者の期待に注意を払い、そして同調性を高めなければならなかった。

第二に、その動物は他者の表現する全方向の感情に対して敏感でなければならなかった。

第三に、その動物は感情と期待を、より一般的な行動記号(たとえば、規範、価値)を生成できるような方法で結合する必要があった。

恐れ、怒り、そして満足といった原基感情はこの過程を開始するのに十分であった。

選択はこれらの原基感情を道徳記号にするための変種に、そしてその変種によって作られる感情をいっそう複雑かつ精妙に拡張したと仮定することは可能である。

したがって道徳記号に違反が発生すると、違反者に対する怒りが同調を要求する他者を興奮させ、また違反者に向けられた。これと同様に、違反者に向けられる怒りは、同調の努力を喚起させるであろう。

道徳記号が守られるとき、同調に向う満足-幸せは同調の継続に肯定的強化物を与えるであろう。

こうした原基感情のより微妙な変種と組み合わせが進化すると、記号そのものとその裁可が結果的にますます複雑になり、これによってヒト科類人猿の祖先に適した、いっそう柔軟な社会的構成が可能になった。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第2章 選択力と感情の進化、pp.76-77、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:道徳的記号化)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学



(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

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6.恥や後悔などの否定的感情は、肯定的裁可を得られるような行為へと個人を動機づけ、他者の悲しみの感情の感知は、他者の悲しみを救済しようとする行為を介して、連帯を強化する。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

悲しみ等の否定的感情

【恥や後悔などの否定的感情は、肯定的裁可を得られるような行為へと個人を動機づけ、他者の悲しみの感情の感知は、他者の悲しみを救済しようとする行為を介して、連帯を強化する。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】

(6)悲しみなどの否定的感情の役割
 (6.1)恥や後悔などの感情と動機づけ
  悲しみは肯定的裁可の力と結合される。なぜなら、われわれがこうした裁可を受けとれないときに感じる悲しみは、その裁可を確実に受けとれるような仕方で行動しようとわれわれを動機づけるからである。
 (6.2)他者の悲しみの感知と連帯
  他者における悲しみを感じとり、他者の状態を認知できるようになり、悲しみを送信してくる者を肯定的に裁可しようとする環境にいる各個人にとって、一つの標識になる。この意味で、悲しみはほとんどの連帯を最終的に生産できる。

 「ところで、失望-悲しみが原基感情であるかどうかについては多少の議論がある。

有名なフロイト学派の見解によれば、失望-悲しみは感情エネルギーを消耗させ、そして拡散した不安と鬱ぎ込みの双方を引き起こす抑圧の産物である。

この議論にはいくつかの利点があるが、しかしここでのわたしの議論にとって、もし裁可が社会連帯を作りだすのに必要な複雑さをもつことだとすれば、悲しみは非常に重要な感情であるとだけ強調しておく。

神経伝達物質と神経刺激性ペプチド系がもともと、悲しみを引き起こすようにみえる物質を、微量もしくは中程度の量を作るのであれば、あるいはよくあるように、それらが単に満足をもたらすだけの物質を作りそこねたのであれば、選択は他者における悲しみの変種と組み合わせを感じとり、そして認知するように人間の能力を拡張するために、このシステムに働くかもしれない。

悲しみは、怒り、恐れ、満足だけではありえない次元を感情レパートリーに付け足している。

そしてさらに、悲しみは否定的ならびに肯定的裁可の重要な部分である。

上述したように、罪と恥――これはわたしの見解では、圧倒的に悲しみによって特徴づけられる(第3章をみよ)――のような感情を生産する否定的裁可は、怒り-恐れ-怒りの悪循環を作ってしまう暴発を減らし、と同時に個人に償いをするよう動機づける。

また、悲しみは肯定的裁可の力と結合される。なぜなら、われわれがこうした裁可を受けとれないときに感じる悲しみは、その裁可を確実に受けとれるような仕方で行動しようとわれわれを動機づけるからである。

確かに、深い悲しみと抑圧は社会結合を妨げる。明らかに、霊長類はこうした深い感情を経験する能力をもっている。

けれども、もっと短い悲しみのエピソードは高度に結合的である。なぜならそうした短期の悲しいエピソードは、霊長類を肯定的であろうとさせ、そして肯定的裁可を強化するからである。

そしてこうした裁可が実際に満足-幸せのような肯定的感情を生産すると、悲しみは個人にとって、また悲しみを送信してくる者を肯定的に裁可しようとする環境にいる各個人にとって、一つの標識になる。

この意味で、悲しみはほとんどの連帯を最終的に生産でき、もっと肯定的な裁可の過程の活性化にとって一種の引き金になる。

したがって、悲しみと、恥や罪などの剥奪感情とがなければ、否定的裁可と肯定的裁可の両方が、感情によって社会結合を構築するための力と機微、また活力になりえなかったであろう。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第2章 選択力と感情の進化、pp.72-74、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:悲しみ,後悔,恥)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学


(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

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5.肯定的裁可は内在化し、誇りの感情を生む。やがて、個人は自己像を持ち、対象としての自己を自分で肯定的に評価することで、自尊心の感情が誕生し、強い社会結合と連帯を作り出すことができるようになる。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

自尊心

【肯定的裁可は内在化し、誇りの感情を生む。やがて、個人は自己像を持ち、対象としての自己を自分で肯定的に評価することで、自尊心の感情が誕生し、強い社会結合と連帯を作り出すことができるようになる。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】

(4)肯定的裁可の内在化、誇りの感情
(5)自己像の形成と自尊心の感情の誕生
 (a)肯定的裁可が内在化した誇りの感情がさらに自律化し、対象としての自己を自分で肯定的に評価することで、自尊心の感情が誕生する。
 (b)自尊心の感情は、おおむね幸せからなっている。
 (c)自らを誇れるような仕方で行動できないかもしれないという恐れの気持ちが付きまとっている。
 (d)自尊心は個人が将来の期待を適え、そしてこうした努力によって生まれる肯定的裁可を確保できるように個人を押しあげる能力をもっている。
 (e)相互的な自尊心を用いる方法は、否定的裁可とその感情を用いる方法よりも、はるかに強い社会結合と連帯を作りだすことができる。

 「社会結合と連帯にとってとくに重要であったのは自尊心の感情である。自尊心の感情はおおむね幸せからなっている。

とはいえそれには自らを誇れるような仕方で行動できないかもしれないという恐れの気持ちが付きまとっている。

チャールズ・ホートン・クーリー(Cooley 1916)がはじめて自尊心の重要性を認識した。トーマス・シェフ(Scheff 1988,1990a,1990b)の最近の研究によってその重要性があらためて検証されている。

自尊心がとりわけ重要であるのは、それが対象としての自己についての個人の意識的情動と結びついているからである。

自尊心は自己が課し、また他者によって課せられた期待を適えることができたとき、もしくは期待以上のことをなし遂げたときに生まれる。

肯定的裁可は自尊心の生産にとっての基本であるが、しかしこれがひとたび活性化すると、自尊心は個人が将来の期待を適え、そしてこうした努力によって生まれる肯定的裁可を確保できるように個人を押しあげる能力をもっている。

さらに自尊心は肯定的な社会結合を築くような仕方で個人に行為を行わせる。というのも、自尊心は基本的に自分にとっての幸せの感情――これは伝染しやすい傾向をもつ――だからである。

それゆえ、他者は自尊心を経験している人と役割取得をしているわけだから、彼らは肯定的情動を経験しやすい。

だからこそ、ヒト科の進化のきわめて早い時期に、選択は人間の祖先に自尊心を経験する能力を与えたのではないだろうか。ついで、自尊心は期待を適えるように自らを方向づけるための羅針盤を個人に与え、また肯定的裁可の表現を通して他者に同一の行動をするよう促す。

相互的な自尊心を用いる方が、他の方法を用いるよりもはるかに相互的な自尊心から強い社会結合と連帯を作りだすことができる。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第2章 選択力と感情の進化、pp.71-72、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:自尊心)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学



(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

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4.怒りと恐れを使った否定的裁可は内在化し、恥と罪の感情を生む。しかし記憶は、怒りと恐れを持続化、激情化するため、社会性と集団構造維持の選択圧は、連帯と緊密な社会結合を生む肯定的感情を発展させた。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

肯定的感情の発展

【怒りと恐れを使った否定的裁可は内在化し、恥と罪の感情を生む。しかし記憶は、怒りと恐れを持続化、激情化するため、社会性と集団構造維持の選択圧は、連帯と緊密な社会結合を生む肯定的感情を発展させた。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】

(2)(3)追記。

(1)否定的裁可
 怒りの表出を伴う否定的裁可は、相手に恐怖を喚起する。これは、危険からの逃走、敵への攻撃という基盤を持つ感情のため効果的であるが、対抗的な怒りを生み、連帯を促進しない悪循環を生み出す可能性もある。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))
 (1.1)怒りの表出
  相手側が期待に適うことができなかったことに対する、当事者の怒りあるいはこの感情の変種を含んでいる。
 (1.2)恐怖の喚起
  間違いをした側に、恐怖心あるいはこの感情の変種を喚起する。
 (1.3)否定的裁可の効果
  否定的裁可は、ほとんどの哺乳類において原基的な感情である、怒りと恐れの感情を利用しているため、非常に効果的である。
  (a)怒り
   防衛的攻撃を動員する能力をもたない動物は、逃げのびて退避できない場合に、捕食者の歯牙にかかって死ぬ運命にあるからである。
  (b)恐怖
   恐怖心をもたない動物は、選択によって除外される。
 (1.4)否定的裁可の離反的効果
  否定的裁可は、恐れを喚起するだけでなく、しばしば対抗的な怒りを生む。そのため、否定的裁可は連帯を促進しない怒り-恐れ-怒りという複雑な循環を生みだす可能性がある。

(2)否定的裁可の内在化、恥と罪の感情
 (a)過去の否定的裁可が記憶され、自己行為が怒りの反応を喚起するかもしれないという恐れが、恥や罪の感情を生み出す。
 (b)否定的裁可の離反的効果が取り去られる。
(3)記憶による感情の持続化、激情化と肯定的感情の発展
 (3.1)記憶による感情の持続化と激情化
  (a)ヒト科の感情レパートリーが拡張すると、激怒、憎悪、逆上、反感などの、非常に激しい感情が可能になる。
  (b)また、特に記憶を貯蔵するためのヒト科の認知能力が人間の水準に達し始めたとき、激しい感情が簡単に思い起こされることは、社会的結合にとってきわめて破壊的である。
 (3.2)肯定的感情の必要性
  (a)否定的裁可に起因する感情だけでは、社会構造が維持できない。そこで、連帯と緊密な社会結合が構築される肯定的な感情を生成できるように、選択圧が働いた。すなわち、ヒト科の脳が満足と幸せの変種を組み合わせるように再配線された。
  (b)満足-幸せという原基的な情動状態が、自尊心、愛情、喜び、恍惚、歓喜といった新しい感情を生み出した。
  (c)母子結合を作りだす帯状回下部などの領野、神経伝達物質を放出する脳幹のような領野、そして神経刺激性ペプチドを生産する間脳と下垂体などの領野が関係する。

 「こうした離反的な結末を乗り越えるため、恥や罪のようなずっと複雑な感情が進化した。

これによって、否定的裁可は粗暴な怒りの反応を起こさないですむ。恐れ、怒り、そして悲しみの組み合わせが罪や恥のような感情を生成したほうがよい。

次章で述べるように、これらは特に有効な感情である。

なぜなら、期待に応えられなかった当事者に対して否定的裁可を与える側が過度の怒りをぶつけることのないように、そうした感情になんらかの修正を加えるよう自らを動機づけさせるからである(そのために、怒りの多くが自己に向けられた)。

したがって、否定的裁可が結合のための紐帯を生むためには、否定的裁可の離反効果を取り去ることができ、しかも複雑な感情を生産するために脳を再配線しなければならなかった。

ヒト科の新皮質が拡張するにつれて、彼らは過去の屈辱的な処遇に怒りの反応を喚起するかもしれないような過去の裁可を記憶することができ、それによって連帯を維持している現在の努力を壊しかねない離反的効果を取り除く必要がますます重要になった。

さらに、ヒト科の感情レパートリーが拡張すると、激怒、憎悪、逆上、反感などの非常に激しい感情が可能になる。またとくに記憶を貯蔵するためのヒト科の認知能力が人間の水準に達し始めたとき、そうした感情が簡単に思い起こされることは、結合にとってきわめて破壊的である。

 ゆえに、集団連帯は否定的感情だけに頼って構築することも、また維持することもできない。社会構造はもっと結合反応を喚起する肯定的裁可によって構築されなければならないのである(Coleman 1988,Hechter 1987)。

こうした肯定的感情は恐れ-怒りほどに哺乳類にしっかり配線されてはいなかった。事実、母-子の結合は哺乳類に普遍的であり、たとえ社会性の低い類人猿においても、たとえばチンパンジーの兄弟にみられるように、肯定的な友情の結びつきが形成できる。

しかし人間と比べて、類人猿は満足-幸せを軸にして展開する感情価の点で相対的に低い。だから、ヒト科の脳が満足と幸せの変種と組み合わせとを生みだすために再配線されたということは大いにありうることだ。

自尊心、愛情、喜び、恍惚、歓喜といった新しい感情が、辺縁系が満足-幸せという原基的な情動状態から構築される感情に再配線されるときに可能となった。

選択は、連帯と緊密な社会結合が構築される肯定的な感情を生成できる辺縁系を作りだすために激しく働いたにちがいない。

満足-幸せという感情の広範な変種を経験し、表現し、解読するための能力を急速に構築するために働きかけうるところ――母子結合を作りだす帯状回下部などの領野、神経伝達物質を放出する脳幹のような領野、そして神経刺激性ペプチドを生産する間脳と下垂体などの領野――は、選択が働きかけるに十分であった。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第2章 選択力と感情の進化、pp.70-71、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:否定的裁可,恥,罪,肯定的感情)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学



(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

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2020年5月11日月曜日

3怒りの表出を伴う否定的裁可は、相手に恐怖を喚起する。これは、危険からの逃走、敵への攻撃という基盤を持つ感情のため効果的であるが、対抗的な怒りを生み、連帯を促進しない悪循環を生み出す可能性もある。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

否定的裁可

【怒りの表出を伴う否定的裁可は、相手に恐怖を喚起する。これは、危険からの逃走、敵への攻撃という基盤を持つ感情のため効果的であるが、対抗的な怒りを生み、連帯を促進しない悪循環を生み出す可能性もある。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】


否定的裁可
 (1)怒りの表出
  相手側が期待に適うことができなかったことに対する、当事者の怒りあるいはこの感情の変種を含んでいる。
 (2)恐怖の喚起
  間違いをした側に、恐怖心あるいはこの感情の変種を喚起する。
 (3)否定的裁可の効果
  否定的裁可は、ほとんどの哺乳類において原基的な感情である、怒りと恐れの感情を利用しているため、非常に効果的である。
  (a)恐怖
   恐怖心をもたない動物は、まもなく選択から除外される。
  (b)怒り
   防衛的攻撃を動員する能力をもたない動物は、逃げのびて退避できない場合に、捕食者の歯牙にかかって死ぬ運命にあるからである。
 (4)否定的裁可の問題点
  否定的裁可は、恐れを喚起するだけでなく、しばしば対抗的な怒りを生む。そのため、否定的裁可は連帯を促進しない怒り-恐れ-怒りという複雑な循環を生みだす可能性がある。

 「否定的裁可は非常に効果的である。

というのも、否定的裁可はほとんどの哺乳類において原基的な感情――反感-恐れと不平-攻撃――の活性化に頼っているからである。これらの感情がもっとも原基的である。

なぜなら、恐怖心をもたない動物はまもなく選択から除外され、そして防衛的攻撃を動員する能力をもたない動物は逃げのびて退避できない場合に、捕食者の歯牙にかかって死ぬ運命にあるからである(Le Doux 1991,1993a,1993b,1996)。

ゆえに否定的裁可は、相手側が期待に適うことができなかったことに対する当事者の怒り(あるいはこの感情の変種)を含んでいる。

そして行動の変更を行わせる裁可の力は、間違いをした側に恐怖心(あるいはこの感情の変種)を喚起する能力である。

しかし否定的裁可につきまとう問題は、それが最小限の感情結合(恐れと怒り)にしか基づいていないということである。さらに、他の個体を裁可するためにある個体の怒りを利用することは恐れを喚起するだけでなく、しばしば対抗的な怒りを生む。そのため、否定的裁可は連帯を促進しない怒り-恐れ-怒りという複雑な循環を生みだす可能性がある(Turner 1995,1996a)。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第2章 選択力と感情の進化、pp.69-70、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:感情の進化,選択圧,否定的裁可,怒り,恐れ)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学


(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

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2.人類の祖先は元来、弱い結合、移動、自律を好んだが、社会性と集団構造という選択圧により、感情エネルギーを確実に生成し、様々な場面で、焦点、感情状態、連帯を維持するために、儀礼を使用する能力を獲得した。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

感情エネルギーの動員と経路づけ

【人類の祖先は元来、弱い結合、移動、自律を好んだが、社会性と集団構造という選択圧により、感情エネルギーを確実に生成し、様々な場面で、焦点、感情状態、連帯を維持するために、儀礼を使用する能力を獲得した。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】

感情エネルギーの動員と経路づけ
 (1)動物の儀礼
  他の動物も儀礼を使うが、しかし彼らのそれは神経学的に固定した形で配線され、そして求愛、配偶、性的争い、縄張り保全他の非常に基本的な活動に限られている。
 (2)人間の儀礼
  人間は、様々な場面で儀礼を使用し、そしてそれらを、焦点、感情状態、連帯を維持するために活用する。しかし、なぜ儀礼が必要となったのかが問題である。
 (3)人類の祖先は元来、弱い結合、移動、自律を好んだ
  (a)人類の祖先は元来、弱い結合、移動、自律を好んだ。そのため、必要な水準のエネルギーを確実に生成するために、儀礼を使用する必要に迫られた。
  (b)固体主義と集合主義の二元性の由来
   以上が、固体主義と集合主義の二元性の由来である。一方で、自由、自律を重んじ、他者の権威、束縛、統制に反抗する。もう一方で、連帯性、親密性、共同体などの結合関係を渇望する。

 「他の動物も儀礼を使うが、しかし彼らのそれは神経学的に固定した形で配線され、そして求愛、配偶、性的争い、縄張り保全他の非常に基本的な活動に限られている。

それとは対照的に、人間は相互作用の《それぞれの、またすべての》エピソードにおいて儀礼を使用し、そしてそれらを、焦点、感情状態、連帯を維持するために活用する必要がある。

ハーバート・スペンサー(H. Spencer,1874-96)とエミール・デュルケム(Durkheim 1912)は、ずっと以前に社会生活のこの事実を認識していた。

そしてほとんどの対人理論は儀礼活動のモデルをそれぞれの概念化に取り込んでいるが、しかしそのいずれも、《なぜ》儀礼が人間の相互作用にこれほどまで普及し、際だっているかということに疑問を差しはさんでいないように思われる。

 その答えは、われわれ祖先が弱い結合、移動、自律と低い社会性を好んだことのうちにあるとわたしは確信している。

ヒト科の脳は種々の感情を動員する能力を増強するために変更を余儀なくされたが、しかし選択は低い社会性という原初的傾向を一掃することはしなかった。むしろ進化上の証拠は、低位水準の社会性と連帯という元来の傾向の上に、感情エネルギーを動員し、そして必要な水準のエネルギーを確実に生成するために儀礼を使用できる拡張せられた能力が積み重ねられたにすぎないことを示唆している。

ゆえに人間は二つの心から成り立っている。一つは感情エネルギーを動員するために儀礼をわれわれに使わせようとする心であり、もう一つはわれわれ類人猿の祖先の傾向を主張する心である。

 この二元性が人間の社会的配置とイデオロギーに映しだされる。一方でわれわれは連帯性、親密性、共同体(community)他の結合関係を渇望し、もう一方でわれわれは他者の権威、束縛、統制に反抗する。

われわれは集合主義的イデオロギーを構築するが、しかし結局のところ、われわれは類人猿の祖先に押しつけるその束縛にわれわれは憤慨する。われわれは自由、自律、個体主義、そして利己主義を享受しながら、しかしなにか――社会的連帯の結合――を欠いていると感じる。

この二元性と、それが保持している恒常的な弁証法とが、われわれの神経学的特徴の一部分であると考えられるのである。だから、あらたな選択圧がわれわれの種を別の方向に連れていかない限り、われわれはこの二元性とともに歩むことを運命づけられているのである。

 わたしがこの二元性に言及する要点は、ヒト科の場合、エネルギーを動員する新しい方法がどれほど不安定であったかということである。選択はあらたな存在を創造したのではなく、われわれ類人猿の祖先の遺産の半分だけを新しいものに取り替えたのである。だからその遺産はわれわれとともにあり、それが消えてなくなる可能性は低い。

したがって人間は連帯を追求する熱狂的なマニアではない。彼らは、《必要なときだけ》、結合を動員するために儀礼を利用することのできる動物になったのである。」


(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第2章 選択力と感情の進化、pp.64-65、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:選択力,感情の進化,儀礼,感情エネルギー)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学


(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

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