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2018年6月3日日曜日

すべての現実存在命題は、真なる偶然的命題である。現実存在命題の証明は、無限個の個体の完備概念を含み、決して完了した証明には達し得ない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

現実存在命題

【すべての現実存在命題は、真なる偶然的命題である。現実存在命題の証明は、無限個の個体の完備概念を含み、決して完了した証明には達し得ない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
(再掲)
真なる偶然的命題:無限に継続される分解を必要とする命題。
 しかし、真なる偶然的命題は、経験によって、この命題が真であることがあり得ないと証明される可能性がつねに存在する。これが「偶然的」の意味である。

 すべての現実存在命題は、真ではあるが必然的ではない。何故ならば、それは、無限個の命題の使用によって、つまり無限にいたる分解によってのみ証明されるからである。仮に、我々が完備な項に到達可能であるとしても、ある命題は、現実存在するものを無限に含む個体の完備概念によってのみ証明される。よって、決して完了した証明に達することはできない。
 「七四――すべての現実存在命題(propositiones existentiales)は真ではあるが必然的ではない。何故ならば、それは、無限個の命題の使用によって、つまり無限にいたる分解によってのみ証明されるからである。即ち、それは、現実存在するものを無限に含む個体の完備概念(notio completa)によってのみ証明されるのである。例えば”ペテロは否認する”と私がいうとき、それを特定の時間について考えると、とにかくその時間の本性が前提されており、その本性は確かにその時間に現実存在したすべてを含んでいる。私が時間を離れて不定に”ペテロは否認する”というとき、すでに否認したのであれ、否認しようとしているのであれ、これが真なるためには少なくともペテロの概念からこの事実が証明されねばならない。しかしペテロの概念は完備で、そのため無限に多くのものを含んでいる。よって決して完了した証明に達することはできないが、その差が任意の与えられた差より小となるように漸近的に接近するのである。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『概念と真理の解析についての一般的研究』七四、ライプニッツ著作集1、p.179、[澤口昭聿・1988])
(索引:現実存在命題)

論理学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)
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問題点:偽なることが証明され得ないものはすべて真であるか、真なることが証明され得ないものはすべて偽であるか、両方とも成立しないものについては一体何であるか?(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

排中律について

【問題点:偽なることが証明され得ないものはすべて真であるか、真なることが証明され得ないものはすべて偽であるか、両方とも成立しないものについては一体何であるか?(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
 「{問題点:偽なることが証明され得ないものはすべて真であるか、真なることが証明され得ないものはすべて偽であるか、両方とも成立しないものについては一体何であるか? 真なるものも偽なるものも少なくとも無限な分解によって常に証明されるというべきである。しかしこの場合命題は偶然的である、即ち真であることまたは偽であることが可能である。そして概念についても同じであって、無限な分解において真であるか偽であるか、即ち現実存在を許容されるべきであるかそうでないか明らかとなる。注意:同じようにして、真なる概念は現実存在であるか、偽なる概念は非現実存在であるか。すべての不可能な概念は偽である。しかし可能な概念のすべてが真であるわけではない。従って存在せず、また存在しないであろうような概念は偽であろう、その種の命題も偽であるのと同じである、etc.もちろん、概念においては現実存在をいっさい考慮しなく、真なる概念は可能な概念と同じであり、偽なる概念は不可能な概念と同じである―――例えば現実に存在するペガサスは語らずともよい―――という決心をすれば話は別となる。}」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『概念と真理の解析についての一般的研究』六六、ライプニッツ著作集1、p.175、[澤口昭聿・1988])
(索引:排中律)

論理学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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2018年6月1日金曜日

経験的事実を表すどの命題も、理性によっては完全には証明され得ない。理性が把握できる経験的事実とは、真なる偶然的命題である。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

経験的事実

【経験的事実を表すどの命題も、理性によっては完全には証明され得ない。理性が把握できる経験的事実とは、真なる偶然的命題である。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
(a) 公理:それ自身で認識される経験的事実。
(b) それ自身で把握される項。
(c) 経験的事実を、他の事実から基礎づけるという考え方をするならば、経験的事実は、公理、それ自身で把握される項と経験的事実に分解され、これらから証明される必要がある。
(d) そうすると経験的事実は、他の経験的事実へ無限に分解されることになるのではないか?

(限りがない?)
   ↓
 経験的事実、公理、それ自身で把握される項
   ↓
 経験的事実

あるいは、
 他の命題(公理でも定義でもない)
(これ自身、証明を必要とする)
   ↓
 経験的事実
(e) 経験的事実を、他の事実から基礎づけるという考え方をする限り、到達された知識の状態は、事実とわかったものへの分解が完了した状態ということになる。

 公理、それ自身で把握される項
(潜勢的一致が形相的または表現的となる)
   ↓
 経験的事実

(f) しかし、それ自身で把握されまた判明に捉えられるような概念が、全くないか、もしくはただ一つ、すなわち、存在の概念だけだとしたら、どうだろう。どの命題も、理性によっては完全には証明され得ないことが、結論する。

    それ自身で把握される項
     または
    経験において発見された項
     ↓
 公理、仮定された定義
   │(項の定義は可能性を前提とする)
   ↓
 経験的事実

(g) 理性が把握できる経験的事実とは、真なる偶然的命題である。

(再掲)
可能な命題:それから決して分解において矛盾が生じないであろうことが証明され得る命題。

真なる偶然的命題:無限に継続される分解を必要とする命題。
 しかし、真なる偶然的命題は、経験によって、この命題が真であることがあり得ないと証明される可能性がつねに存在する。これが「偶然的」の意味である。

偽なる偶然的命題:偽なることが証明されるのは、その真である証明があり得ないということによってのみであるような命題。

 「六二――しかしすべての真なる命題は証明される。従って経験的事実もまた真なる命題である故に、いま述べた証明法と別のものが存在しないならば、それも再び公理、それ自身で把握される項と経験的事実に分解されることが帰結する。しかしそれ自身で認識されるもの即ち公理以外第一の経験的事実はない。
 六三――経験的事実が他の経験的事実へ無限に分解されるかどうか問題となる。経験に言及しなくとも、ある証明があって、そこでは命題の証明が常にほかの命題の証明を前提としており、これは公理でも、定義でもなくて、さらに自身証明を必要とすることが分かるというようなことが可能であるかどうか問題となる。この場合には必ずある非複合項は連続的に分解され、決してそれ自身で把握される項に到達しないのである。しからざれば分解の完了により潜勢的一致が形相的または表現的となるか、即ちすべてが自同命題に帰するか明らかとなるであろう。
 六四――従って、非複合項の分解がある場合には無限に継続して、それ自身で把握される項に決して達しないことが可能であるか問題である。われわれにはそれ自身で把握されまた判明に捉えられるような概念が全くないか、またはただ一つである(例えば存在の概念)ならば、確かにどの命題も理性によっては完全には証明され得ないことが帰結する。何故ならば、仮定された定義と公理からは完全に経験なしで証明されるとしても、定義は項の可能性を前提し、従ってそれ自身で把握される項への分解か、または経験において発見された項への分解を前提する、よって経験的命題、その他の命題に戻ることになるからである。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『概念と真理の解析についての一般的研究』六二~六四、ライプニッツ著作集1、pp.173-174、[澤口昭聿・1988])
(索引:経験的事実)

論理学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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2018年5月31日木曜日

完備な項、完備でない項とは? 完備でない項の相似とは?(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

完備な項

【完備な項、完備でない項とは? 完備でない項の相似とは?(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
これ以上分解できない第一の可能なもの
(第一原因、事物の究極理由)
  ↓
可能性の既に知られている他の諸概念
  ↓
「ア・プリオリな真なる観念」の実在的定義、因果的定義

事物が現実に存在することを経験によって知る
「ア・ポステリオリな真なる観念」の実在的定義
定義には、それが可能であることが証明されていることが必要であるが、可能であることの証明(検証)は、経験以外では認識されない。つまり、それが現実に存在すること、あるいは現実に存在したこと。

完備な項:これ以上の分解ができない項。
完備な項の相似:このような場合は、恐らく起らない。何故ならば、二つの完備なものは決して相似ではないからである。
完備な項が可能であることの証明:経験以外では認識されない。つまり、それが現実に存在すること、あるいは現実に存在したこと。

完備でない項:分析により、さらに分解ができる項。
完備でない項の相似:異なる対象A、Bにおいて、それを定義する項が、定義において等しいとき、AとBは、この定義において「相似」であるという。このとき、AとBは「共通な名称」を持つ。
完備でない項が可能であることの証明:完備でないものが可能といわれるためには、二つの相似な事物の一つが現実に存在し、あるいは現実に存在したものであれば、十分である。

 「しかしさらに議論を進めるならば、定義には、それが可能であることが要求される。即ち、Aが可能であることが証明されていることつまりEFGが矛盾を含まない、即ち X non X を含まないことが証明されていることが必要である。このことは経験以外では認識されない、つまりAが現実に存在するあるいは現実に存在した、従って可能であることが確定している場合のみ認識される。(少なくともAに相似なものが現実に存在したこと。しかし事実はこのような場合は恐らく起らない、何故ならば二つの完備(completum)なものは決して相似ではないからである。完備でない項については、完備でないもの即ち共通な名称が可能といわれるためには二つの相似な事物の一つが存在すれば十分である。(しかしこれはなかなか有用であると思われる。即ち一つの球が存在すれば、任意の球が可能であると正当にいうことができるのである。)){それに相似なものが可能ならば、それ自身も可能である。}」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『概念と真理の解析についての一般的研究』六一、ライプニッツ著作集1、p.172、[澤口昭聿・1988])
(索引:完備な項、完備でない項、完備でない項の相似)

論理学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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2018年5月29日火曜日

必然的命題と偶然的命題の違いは? 可能な命題とは? 真なる偶然的命題、偽なる偶然的命題とは? (ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

必然的命題と偶然的命題

【必然的命題と偶然的命題の違いは? 可能な命題とは? 真なる偶然的命題、偽なる偶然的命題とは? (ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
真なる必然的命題:自同命題に還元される命題、あるいはその対立命題が矛盾命題に還元される命題。
不可能な命題:矛盾命題に還元される命題、あるいはその対立命題が自同命題に還元されるような命題。
 以上は、数学の命題についての真偽である。この世界についての命題については、以下のとおり。

可能な命題:それから決して分解において矛盾が生じないであろうことが証明され得る命題。
 しかし、分解を継続して、いかなる矛盾も生じないであろうことが確実であるだけで、真理性を証明するのに十分であるか疑問であると思われる。何故ならばそこから、すべての可能なものは真であることが帰結するからである。したがって、私たちはこの命題を真なる必然的命題と呼ぶことはできない。

真なる偶然的命題:無限に継続される分解を必要とする命題。
 しかし、真なる偶然的命題は、経験によって、この命題が真であることがあり得ないと証明される可能性がつねに存在する。これが「偶然的」の意味である。

偽なる偶然的命題:偽なることが証明されるのは、その真である証明があり得ないということによってのみであるような命題。
 「六〇――またここから必然的真理と他の真理の区分を論ずることができると考えられる。即ち必然的な真なる命題は自同命題に還元される命題、あるいはその対立命題が矛盾命題に還元される命題である。不可能な命題は矛盾命題に還元される命題、あるいはその対立命題が自同命題に還元されるような命題である。
 六一――可能な命題は、それから決して分解において矛盾が生じないであろうことが証明され得る命題である。真なる偶然的命題は無限に継続される分解を必要とする命題である。偽なる偶然的命題は、その偽なることが証明されるのはその真である証明があり得ないということによってのみであるような命題である。真理性を証明するのに、分解を継続して、いかなる矛盾も生じないであろうことが確実であるだけで十分であるか疑問であると思われる。何故ならばそこから、すべての可能なものは真であることが帰結するからである。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『概念と真理の解析についての一般的研究』六〇~六一、ライプニッツ著作集1、pp.171-172、[澤口昭聿・1988])
(索引:必然的命題、偶然的命題、可能な命題、不可能な命題)

論理学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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