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2019年11月17日日曜日

自分の知性を活用して、ささやかでも同胞の生活の改善に貢献するという仕事は、この世界と人間に関する多種多様な興味と探究心を喚起し、その人の人生を価値あるものにしてくれる。これが教育の究極目的である。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

教育の究極目的

【自分の知性を活用して、ささやかでも同胞の生活の改善に貢献するという仕事は、この世界と人間に関する多種多様な興味と探究心を喚起し、その人の人生を価値あるものにしてくれる。これが教育の究極目的である。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】

(5)教育の究極の目的は何か
 (5.1)同胞の生活の改善、人類への貢献
  (a)人間性と人間社会が変化する過程で、日々新たな問題が発生し、解決が求められる。このような諸問題を解決できるための、能力を高めること。
  (b)何らかの点で、人類を現在よりもより賢明に、より善良にする方法を探究すること。
  (c)人間生活のすべての側面を、現在よりももっと合理的な基盤に置く方法を探究すること。
 (5.2)各個人が為すべきこと
  (a)ささやかな貢献をする
   誰でも、自分の知性を活用して、ささやかでも同胞の生活をある程度改善することができる。
  (b)最善の思想を理解する
   また、我々の時代の独創的な精神の持ち主達によって産み出された最善の思想に精通する努力をすること。
  (c)最善の思想を育てる土壌、世論の質を向上させる
   なぜなら、独創的で最善の思想も、多くの人たちの理解と歓迎、激励、援助という土壌がなければ、大きく育たないからである。
  (d)もちろん、人によっては自ら人類に対して独創的な貢献をする者もいることだろう。
 (5.3)真の報酬とは何か
  (a)同胞の生活の改善、人類への貢献という目的は、本来なら、報酬が与えられるなどということを、考えなければ考えないほど、純粋で善いものであることは言うまでもない。
  (b)しかし、期待を決して裏切ることのない、いわば、利害を超越した報酬がある。同胞の生活の改善、人類への貢献という仕事は、この世界と人間に関する多種多様な興味と探究心を喚起し、その人の人生を価値あるものにしてくれる。すなわち、報酬はこの仕事そのものに内在しているのである。

 「諸君は、今こそ、細々とした商売上のあるいは職業上の知識よりもより重大なかつはるかに人間を高尚にする諸問題についてある程度の見識を獲得し、人間のより高尚な関心事すべてに諸君の精神を活用する術を習得すべき時期であります。諸君がこのような能力を身につけて、実生活の仕事のなかに入って行かれるならば、仕事の合間に見出される僅かな余暇でさえも、空費されることなく、高貴な目的のために利用されることでありましょう。退屈さが興味を圧倒するという最初の難関を突破し、そして更にある時点を通り過ぎて、今迄の苦労が楽しみに変わるようになると、最も多忙な後半生においても、思考の自発的な活動によって、知らず知らずに精神的能力は益々向上し、また教訓を通じて日常生活から学ぶ方法を会得するようになります。もし諸君が、青年時代の勉学において究極の目的――この究極の目的に向かって行われればこそ青年時代の勉学は価値があるのでありますが――この究極の目的を見失わなければ、少なくともそうなることでありましょう。では、この究極の目的とは何であるかと申しますと、そしてそのような目的がわれわれの胸中にあることで、われわれは、絶えず高度な能力を働かせるようになり、また、年を経るとともに貯めてきた学識や能力を、何らかの点で人類を現在よりもより賢明に、より善良にする方法、あるいは人間生活のすべての側面を現在よりももっと合理的な基盤に置く方法があれば、それを支援するために惜しみなく費やすいわば精神的資本と考えるようになります。われわれのなかで、人並みな機会が与えられれば、その機会を利用し、そして今までに覚えた知性の活用の仕方を応用して、同胞の生活をある程度改善しうる能力を備えていない人は誰一人いません。このささやかな貢献を結集してより大きなものにするために、われわれの時代の独創的な精神の持ち主達によって産み出された最善の思想に精通する努力を常に致しましょう。この努力を通じて、われわれは、どんな社会運動がわれわれの助力を最も切実に必要としているかが分かるようになり、そしてまた、こうすることがわれわれの最大の務めであるように、良き種子が岩石の上に落ちて、もしも土の上に落ちたならば芽を出し、繁茂しえたのに、土に達することなく朽ちて行くというようなことのないようにすることができます。諸君は、将来、人類の福祉に知的な側面で寄与する人々を歓迎し、激励し、援助する立場の人々の一員となります。そしてまた、諸君は、もしその機会があるならば、人類に知的恩恵を施す人々のなかに加わるべき人々であります。意気消沈している時は、そのような機会がないように思われるかもしれませんが、そんなことで勇気を失ってはなりません。機会を捉える方法を知っている人は、機会というものは自分で創り出すこともできるということに気がついています。われわれの実績は、われわれの所有する時間の多寡に左右されるのではなく、むしろその利用法次第であります。諸君や諸君と同じ環境にある人こそ、次の世代を担う国の希望であり、人材であります。次の世代が遂行すべき使命を担っている大事業のほとんどすべては、諸君達の誰かが成し遂げなければなりません。確かに、そのなかのいくつかは、私が今こうして話し掛けている諸君に比べれば、社会から受ける恩恵がはるかに少なく、教育を受ける機会もほとんど与えてもらえなかった人々によって成し遂げられることもあるでしょう。私は、地上における報いにせよ、天上における幸福にせよ、報酬を眼前に示して、諸君をそそのかすつもりは毛頭ありません。どちらであろうと、報酬が与えられるなどということを考えなければ考えないほど、われわれにとっては良い事なのであります。しかしただ一つ、諸君の期待を決して裏切ることのない、いわば、利害を超越した報酬があります。なぜそうなるかと申しますと、それは、ことのある結果ではなく、それを受けるに値するという事実そのものに内在しているものであるからです。では、それは一体何であるかと申しますと、「諸君が人生に対して益々深く、益々多種多様な興味を感ずるようになる」ということであります。それは、人生を十倍も価値あるものにし、しかも死に至るまで持ち続けることのできる価値であります。単に個人的な関心事は、年を経るに従って、次第にその価値が減少して行きますが、この価値は、減少することがないばかりか、増大してやまないものなのであります。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『教育について』,日本語書籍名『ミルの大学教育論』,8 結論,pp.85-88,お茶の水書房(1983),竹内一誠(訳))
(索引:教育,教育の究極目的,同胞の生活の改善,人類への貢献,利害を超越した報酬)
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)

(出典:wikipedia
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)

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