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2018年5月27日日曜日

次のことを、よく考えよ。〈天何の故にか我が身を生み出だし、我をして果して何の用にか供せしむる〉。自分の天職もわからず、ただうかうかと生きていているだけで良いのか。(佐藤一斎(1772-1859))

天職

【次のことを、よく考えよ。〈天何の故にか我が身を生み出だし、我をして果して何の用にか供せしむる〉。自分の天職もわからず、ただうかうかと生きていているだけで良いのか。(佐藤一斎(1772-1859))】
 「人間にはだれでも、次の事を反省し考察してみる必要がある。「天はなぜ自分をこの世に生み出し、何の用をさせようとするのか〈天何の故にか我が身を生み出だし、我をして果して何の用にか供せしむる〉。自分は天(神)の物であるから、必ず天職がある。この天職を果たさなければ、天罰を必ずうける」と。ここまで反省、考察してくると、自分はただうかうかとこの世に生きているだけではすまされないことがわかる。」
(佐藤一斎(1772-1859)『言志録』10(集録本『言志四録(1)言志録』)pp.35-36、講談社学術文庫(1979)、川上正光(訳注))
(索引:天、天職)

言志四録(1) 言志録 (講談社学術文庫)


(出典:wikipedia
佐藤一斎(1772-1859)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「天地間に起こる事がらは、昔から今まで、陰あり、陽あり、昼あり、夜あり、また太陽と月とが交互に世を照らし、四季が互いにめぐるなど、条理がすべて前から定まっている〈其の数皆な前に定れり〉。また人が富み栄えたり、貧乏したり、死んだり、生まれたり、長生きしたり、早死にしたり、もうけたり、損したり、栄誉をうけたり、はずかしめられたり、集まったり、ばらばらになったり、これらは皆、定まった運命でないものはない〈一定の数に非ざるは莫し〉。ただ、これを前もって知らないだけなのだ〈殊に未だ之れを前知せざるのみ〉。たとえば、あやつり人形の芝居のからくりはちゃんと具わっているのに、これを見る人が知らないようなものだ〈譬えば猶お傀儡の戯の機関已に具れども、而も観る者知らざるがごときなり〉。世間の人々はこのようなことを知らないで、自分の知恵力量は十分たのむに足りるものだとして、一生涯せっせと、きのうは東、今日は西と、栄誉・功名を探し求め、ついにやつれつかれて倒れてしまう。これはなんと、まどえるもはなはだしいといわざるを得ないのではないか。」
(佐藤一斎(1772-1859)『言志録』1(集録本『言志四録(1)言志録』)p.24、講談社学術文庫(1979)、川上正光(訳注))

佐藤一斎(1772-1859)
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2018年5月9日水曜日

自然界だけでなく、人の富貴貧賤、長寿・夭逝、利害栄辱なども、あやつり人形の芝居のからくりのように、すべて条理が前から定まっている。これを知らずに、自分の知恵力量を十分だと思い、栄誉・功名にいそしむのは、勘違いも甚だしい。(佐藤一斎(1772-1859))

傀儡の戯の機関の喩え

【自然界だけでなく、人の富貴貧賤、長寿・夭逝、利害栄辱なども、あやつり人形の芝居のからくりのように、すべて条理が前から定まっている。これを知らずに、自分の知恵力量を十分だと思い、栄誉・功名にいそしむのは、勘違いも甚だしい。(佐藤一斎(1772-1859))】
 自然界に起こることは、すべて条理がすべて前から定まっている〈其の数皆な前に定れり〉。これと同じように、人の富貴貧賤、死生、長寿・夭逝、利害栄辱も、これらは皆、定まった運命でないものはない〈一定の数に非ざるは莫し〉。ただ、これを前もって知らないだけなのだ〈殊に未だ之れを前知せざるのみ〉。たとえば、あやつり人形の芝居のからくりはちゃんと具わっているのに、これを見る人が知らないようなものだ〈譬えば猶お傀儡の戯の機関已に具れども、而も観る者知らざるがごときなり〉。このことを知らないで、自分の知恵力量は十分たのむに足りるものだとして、栄誉・功名を探し求め、疲れ倒れてしまうのは、惑えるも甚だしい。
 「天地間に起こる事がらは、昔から今まで、陰あり、陽あり、昼あり、夜あり、また太陽と月とが交互に世を照らし、四季が互いにめぐるなど、条理がすべて前から定まっている〈其の数皆な前に定れり〉。また人が富み栄えたり、貧乏したり、死んだり、生まれたり、長生きしたり、早死にしたり、もうけたり、損したり、栄誉をうけたり、はずかしめられたり、集まったり、ばらばらになったり、これらは皆、定まった運命でないものはない〈一定の数に非ざるは莫し〉。ただ、これを前もって知らないだけなのだ〈殊に未だ之れを前知せざるのみ〉。たとえば、あやつり人形の芝居のからくりはちゃんと具わっているのに、これを見る人が知らないようなものだ〈譬えば猶お傀儡の戯の機関已に具れども、而も観る者知らざるがごときなり〉。世間の人々はこのようなことを知らないで、自分の知恵力量は十分たのむに足りるものだとして、一生涯せっせと、きのうは東、今日は西と、栄誉・功名を探し求め、ついにやつれつかれて倒れてしまう。これはなんと、まどえるもはなはだしいといわざるを得ないのではないか。」
(佐藤一斎(1772-1859)『言志録』1(集録本『言志四録(1)言志録』)p.24、講談社学術文庫(1979)、川上正光(訳注))
(索引:条理(数)、運命(一定の数)、傀儡の戯の機関の喩え)

言志四録(1) 言志録 (講談社学術文庫)


(出典:wikipedia
佐藤一斎(1772-1859)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「天地間に起こる事がらは、昔から今まで、陰あり、陽あり、昼あり、夜あり、また太陽と月とが交互に世を照らし、四季が互いにめぐるなど、条理がすべて前から定まっている〈其の数皆な前に定れり〉。また人が富み栄えたり、貧乏したり、死んだり、生まれたり、長生きしたり、早死にしたり、もうけたり、損したり、栄誉をうけたり、はずかしめられたり、集まったり、ばらばらになったり、これらは皆、定まった運命でないものはない〈一定の数に非ざるは莫し〉。ただ、これを前もって知らないだけなのだ〈殊に未だ之れを前知せざるのみ〉。たとえば、あやつり人形の芝居のからくりはちゃんと具わっているのに、これを見る人が知らないようなものだ〈譬えば猶お傀儡の戯の機関已に具れども、而も観る者知らざるがごときなり〉。世間の人々はこのようなことを知らないで、自分の知恵力量は十分たのむに足りるものだとして、一生涯せっせと、きのうは東、今日は西と、栄誉・功名を探し求め、ついにやつれつかれて倒れてしまう。これはなんと、まどえるもはなはだしいといわざるを得ないのではないか。」
(佐藤一斎(1772-1859)『言志録』1(集録本『言志四録(1)言志録』)p.24、講談社学術文庫(1979)、川上正光(訳注))

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