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2020年5月8日金曜日

諸個人が価値の源泉であり、自身に起因する結果を所有する。他者もまた、私と同じ価値の源泉である。他者との自由な、合意に基づく交換は、その結果のすべてを正当化する。正しいか? 何が足りないのか?(立岩真也(1960-))

個人主義と自由主義

【諸個人が価値の源泉であり、自身に起因する結果を所有する。他者もまた、私と同じ価値の源泉である。他者との自由な、合意に基づく交換は、その結果のすべてを正当化する。正しいか? 何が足りないのか?(立岩真也(1960-))】

(2)根拠づけられない信念としての原理
 「私は川から水を汲んできた。だから、この水は私のものである」。先占の原理、因果の起点の原理、制御の原理。いずれも説得的ではない。しかしそもそも、これらは根拠づけを欠いた単なる信念なのである。(立岩真也(1960-))
 「自分が制御するものは自分のものである」という原理は、それ以上遡れない信念としてある。それ自体を根拠づけられない原理なのである。

 (a)諸個人が価値の源泉であり、自身に起因する結果を所有する
  自身に内属するものを基点とし、それに起因する結果が自らのものとして取得され、その取得したものが自らの価値を示す。「私」という主体に因果の開始点、判断・決定の基点を認める。私が第一のものであり、それ以外のものは、その外側にあって私に制御されるものである。
 (b)他者もまた、私と同じ価値の源泉である
  他者とは、選択意思を持ち、その意思のままに外界を動かせる存在である。私と同じ存在を同格の存在として認める。私と同格な存在としての他者を尊重する。
 (c)他者との自由な、合意に基づく交換
  他者に対して行う行為は、その者の同意がなければ許容されない。脅迫や強制ではなく、契約、契約に基づいた交換が関係の基本となる。
 (d)結果はすべて許容される
  自己決定なら、また合意があれば、全てが許容される。

「だがともかく、こういう図式が示される。自身に内属するものを基点とし、それに起因する結果が自らのものとして取得され、その取得したものが自ら(の価値)を示す。「私」という主体に因果の開始点、判断・決定の基点を認める。私が第一のものであり、それ以外のものは、その外側にあって私に制御されるものである。そしてこれは単に哲学者の著作の中にあるだけではない。これは、現実に近代の社会の中で作動するメカニ▽084 ズムなのであり、人の意識を捉える教えである。このことについては第6章2節で述べる。
 この図式の中で他者はどんな位置を占めることになるのか。もちろん、「私」を基点に置く論にしても、私の欲望を貫き通すこと、外界を制御し尽くすことが多くの場合に困難であることは知っている。事物、他者の抵抗に会うからである。まず、どんなに高度な技術を持っていても私達は自然界の法則を破ることはできない。私達は法則に従うしかなく、私達ができることはそれを利用することである。そして相手は私の言うことを聞いてくれない。しかし、それは外在的な制約条件、利害の対立として捉えられる。完全に自己を実現するのが不可能なのは偶然的、外在的な条件によるのであり、その障害が除去されれば、私の欲望はどこまでも進んでいくことになるだろう。
 といって、こういう考え方が、ただ他者を自分に対立する相手と見ているだけであるわけではない。私について言えることは他の者についても当てはまる。まず、主張の普遍性を求めればそうなる。また、自分についての権利を認めさせるためには、私と同じ他者に対しても権利を認めることである。その私、そして他者とは、選択意思を持ち、その意思のままに外界を動かせる存在である。私と同じ存在を同格の存在として認める。私と同格な存在としての他者を尊重する。他者に対して行う行為は、その者の同意がなければ許容されない。脅迫や強制ではなく、契約、契約に基づいた交換が関係の基本となる。▽085
 そしてこの「論理」は、第1章にあげた問題を「解決」してしまう。というより、問題の前を通り過ぎてしまう。自己決定能力を持つことが「人格」であることの要件とされる。能力に応じた配分が正当とされる。自己決定なら、合意があれば、全てが許容されることになる◆12。しかし、こうした帰結を受け入れられないという感覚がある。とすれば別の価値があるはずである。ではそれは何なのか。これが最初に立てた問題だった。だからこの「論理」は、問いを消去してしまうと同時に問いを誘発するものである。そしてその「論理」の底が抜けていることを以上で確認した。」
(立岩真也(1960-),『私的所有論 第2版』,第2章 私的所有の無根拠と根拠,2 自己制御→自己所有の論理,[2]批判,<Kyoto Books生存学
(索引:個人主義,自由主義,所有権,自己制御,私的所有)
立岩真也(1960-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)

(出典:立命館大学大学院・先端総合学術研究科
立岩真也(1960-)の命題集(Propositions of great philosophers) 「人は有限の身体・生命に区切られ、他者と隔てられる。そこに連帯や支配も生じる。人々は、とくにその身体障害と呼ばれるもの、性的差異、…に関わり、とくにこの国の約100年、何を与えられ、何から遠ざけられたか。何を求めたか。この時代を生きてきた人たちの生・身体に関わる記録を集め、整理し、接近可能にする。そこからこの時代・社会に何があったのか、この私たちの時代・社会は何であったのかを総覧・総括し、この先、何を避けて何をどう求めていったらよいかを探る。
 既にあるものも散逸しつつある。そして生きている間にしか人には聞けない。であるのに、研究者が各々集め記録したその一部を論文や著書にするだけではまったく間に合わないし、もったいない。文章・文書、画像、写真、録音データ等、「もと」を集め、残し、公開する。その仕組みを作る。各種数値の変遷などの量的データについても同様である。それは解釈の妥当性を他の人たちが確かめるため、別の解釈の可能性を開くためにも有効である。
 だから本研究は、研究を可能にするための研究でもある。残されている時間を考慮するから基盤形成に重点を置く。そして継続性が決定的に重要である。仕組みを確立し一定のまとまりを作るのに10年はかかると考えるが、本研究はその前半の5年間行われる。私たちはそれを可能にする恒常的な場所・組織・人を有している。著作権等を尊重しつつ公開を進めていける仕組みを見出す。本研究では生命・生存から発し、各地にある企てと分業・連携し、この国での調査データ全般のアーカイブの拠点形成に繋げ、その試みを近隣諸地域に伝える。」
生を辿り途を探す 身体×社会アーカイブの構築生存学

立岩真也(1960-)
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立岩真也(1960-)生存学
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2019年11月19日火曜日

所有権は、抽象的で絶対的な権利ではなく、慣習や法律に基づいて賦与される特定の時代・社会の制度であり、人間事象の発展改善と公共の福祉のために、廃止や変更がされてきた。なおまた、改善の余地がある。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

所有権

【所有権は、抽象的で絶対的な権利ではなく、慣習や法律に基づいて賦与される特定の時代・社会の制度であり、人間事象の発展改善と公共の福祉のために、廃止や変更がされてきた。なおまた、改善の余地がある。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】
 「かくてわれわれは、所有権は時と処との異なるに従って解釈も異なり、範囲も異なるということ、それに含まれる概念は変化する概念であり、頻繁に改訂されてきたし、また尚一層の改定の余地があることを、知るのである。更に又、それが社会の進歩の中でこれまで受けてきた改訂は、一般に改善であったということも、注意されねばならない。従って、或る物に対し其の物の所有者と法律上認められている人々によって行使される権力における或る変化或いは修正が、公衆に対し有益であり且つ一般的改善に寄与するであろう、と、正否はともかく、主張される時には、この想像上の変化が財産の観念と衝突すると単に言うだけでは、これに対する良い答えとはならない。財産の観念は歴史の通じて同一にして且つ変更することのできない一つの物ではなくて、人間精神の他のあらゆる創造物と同様に変化するものである。いかなる時でも、それは、その当時の或る社会の法律又は慣習によって賦与された、物を支配する権利を示す簡潔な表現である。併しこの点においても、又その他いかなる点においても、或る時と処との法律と慣習は永久に固定されることを要求する権利はない。法律又は慣習上の提案された改革は、その採用があらゆる人間事象の現在の財産観念への適応ではなくて、現在の観念の人間事象の発展改善への適応を意味するから、という理由を以て、常に反対すべきではない。こう言ったからとて、所有権者たちの正当な要求――つまり、彼らが公益のために奪われるかもしれないような所有権的性質を帯びた法律的権利に対して、国家の補償を得たいという要求を妨げることにはならない。この正当な要求、その根拠と正しい限界とは、それ自体として一つの問題であり、かかるものとして今後論じられるであろう。しかし、かかる条件のもとで、社会は、充分の考慮をつくしたうえで公共福祉の妨げとなると判断されるところの、いかなる特殊の所有権をも廃止したり変更したりする充分の権利を有する。そして勿論、われわれが前章で見たように社会主義者が現在の社会の経済的秩序に対して持ち出すことのできる凄まじい反対論は、現制度が、いかなる手段を用いたならば、現在のところその直接的利益の最小の分け前しか享受していない社会の大部分の人々に対しもっと有利になるように運営せしめられうる可能性があるか、それらあらゆる手段についての充分な考慮を要求するのである。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『社会主義論』,第4章 社会主義の難点,pp.150-153,社会思想研究会出版部(1950),石上良平(訳))
(索引:所有権)
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)

(出典:wikipedia
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)

ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
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近代社会思想コレクション京都大学学術出版会

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