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2018年7月7日土曜日

全宇宙とその可能的世界を表出し現実存在へ向おうとする無数の存在者を含む全宇宙の、無数の可能的系列から一意の現実的宇宙が決まってくるような、この宇宙を支配する法則が存在する。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

無数の可能的世界から現実的事象へ

【全宇宙とその可能的世界を表出し現実存在へ向おうとする無数の存在者を含む全宇宙の、無数の可能的系列から一意の現実的宇宙が決まってくるような、この宇宙を支配する法則が存在する。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
 この宇宙を支配している法則に基づく無数の可能的世界から、いかにして現実的事象が決まってくるかということが、問題である。

(a)全宇宙とその可能的世界を自らの本質によりそれぞれ表出している無数の存在者を、「精査し、比較し、相互に考量して、完全性もしくは不完全性の程度、強弱、善悪を見積もる」。
(b)(a)からは現実的事象は、決まらない。さらに、(a)のように無数の存在者を含む宇宙の可能的系列を無数に作り、それぞれを比較する。
(c)このようにして、(a)においては「個々別々に検討していた可能的なものを、無限の宇宙体系の内に分配し、それぞれを比較する」ことができる。「これらをすべて比較し反省したところからの結果が、すべての可能な体系の中で最善なるものの選択」となり、現実的事象となる。
(d)それでも、これら全ては「可能なものを超えることがない」。すなわち、この宇宙を支配している法則に基づいている。また、「相互の秩序と本性上の先行性とがあるが、それらは常に一緒に生じているのであり、時間的な先行性はそこにはない」。

 「可能なるものが有する無限性は、それがどれほど大きなものであっても、神の知恵の無限性には及ばない。神は可能なものをすべて知っているからである。神の知性の対象は可能なものを超えることがない―――としか考えられない―――のだから神の知恵が可能なものを外延的に凌駕することはないとしても、神の知恵は無限に無限な結び付きをもたらし、それについて同じだけ反省を加えているのだから、内包的には可能なものを凌駕すると言える。神の知恵は、すべての可能的なものを包含しそれを精査し、比較し、相互に考量して、完全性もしくは不完全性の程度、強弱、善悪を見積もるが、それだけでは満足しない。それは有限なる結び付きを上回り、無限の結び付きを無限に作る。つまり、各々が無数の被造物を含むような宇宙の可能的系列を無限に作るのである。こうすることによって神の知恵は、それまで個々別々に検討していた可能的なものを、無限の宇宙体系の内に分配し、それぞれを比較する。これらをすべて比較し反省したところからの結果が、すべての可能な体系の中で最善なるものの選択となり、こうして神の知恵は自らの善意を余すところなく満足させる。以上がまさしく、現実的宇宙を作る計画なのである。彼の知恵のこうした働きのすべては、そこに働き相互の秩序と本性上の先行性とがあるが、それらは常に一緒に生じているのであり、時間的な先行性はそこにはない。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『弁神論』本論[第二部]二二五、ライプニッツ著作集6、pp.329-330、[佐々木能章・1990])
(索引:無数の可能的世界)

ライプニッツ著作集 (6) 宗教哲学『弁神論』 上


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)
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2018年6月29日金曜日

無数の可能的世界から、いかにして現実的事象が決まってくるか。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

無数の可能的世界

【無数の可能的世界から、いかにして現実的事象が決まってくるか。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
(再掲)無数の可能的世界と現実的事象
(a) この宇宙を支配している法則に則り、可能的なものとして存在している事象。神の「単純叡智の知」、人間はその一端を理性によりうかがい知る。
(a')可能的なものとして存在している事象は、条件的なものも含めて、無数のすべての可能的な世界が含まれている。
(b) 可能的なもののうち、宇宙の展開において現実に生じる現実的事象。神の「直視の知」、人間も現実的事象として知る。

 この宇宙を支配している法則に基づく無数の可能的世界から、いかにして現実的事象が決まってくるかということが、問題である。

(再掲)全宇宙の構造
(1) 真の完全なモナド(一般的な至高の原因)は、無数の存在者の集まりである。
(2) 各存在者は、一つの全たき世界、神をうつす鏡、全宇宙をうつす鏡であり、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出している。
(3) 表出は、以下の二つのものからなる。
 (3.1) その各々の存在者を真の「一」にさせる能動的原理、非物質的なもの、魂。
 (3.2) 受動的で有機的身体、物質的なもの。
(4) それら個々の魂が表出するものはすべて、ただ自己の本性から引き出されるものであり、他の個々の存在者から直接には影響されない。
(5) 個々の存在者が独立しているにもかかわらず、自然のうちに認められる秩序、調和、美がもたらされるのは、各々の魂が、その本性を、一般的な至高の原因から受け取り、それに依存しているからに他ならない。これが、予定調和である。
(6) 個々の存在者の表出が、その存在者の物質的な身体と自発的に一致する理由も、この予定調和による。

 無ではなく、むしろ何かあるものが現実存在している。
(i)各存在者は、全宇宙を表出しているが、無数の可能的世界も表出している。
(ii)各存在者の表出は、ただその本性、本質から引き出されており、「本質がそれ自身で現実存在へ向か」おうとする要求、あるいは主張をもっている。
(iii)各存在者は、「同等の権利をもって、本質ないし実在性の量に応じて、あるいはそれらが含んでいる完全性の度に応じて、現実存在へ向かう」。なぜなら、「完全性とは本質の量に他ならないからである」。

 「しかし、どのようにして永遠的即ち本質的あるいは形而上学的真理から時間的、偶然的即ち自然学的真理が出てくるかをもう少しはっきりと説明するには、無ではなくてむしろ何か或るものが現実存在しているという正にそのことから、まず次のことを承認しなければならない。即ち、可能的事物の内に、ないし可能性あるいは本質そのものの内に、何か或る現実存在の要求(exigentia existentiae)、あるいは(言うなら)現実存在することへの主張(praetensio ad existendum)があること、そして一言で言えば本質がそれ自身で現実存在へ向かうということ、を承認しなければならない。そこからさらに次のことが帰結する。即ち、すべての可能なもの、ないし本質あるいは可能的実在性を表出しているものは、同等の権利をもって、本質ないし実在性の量に応じて、あるいはそれらが含んでいる完全性の度に応じて、現実存在へ向かうことがである。というのも、完全性とは本質の量に他ならないからである。
 しかしここから明白に知解されるのは、可能的なものの無限に多くの可能な集成(combinationes)と系列の内、それによって最も多くの本質即ち可能性が現実存在することへ導かれるもの、が現実存在するということである。言うなら、事物の内には常に、最大あるいは最小によって要求されるべき決定の原理がある。つまり、言わば最小の費用で最大の効果があげられるのである。だからここで時間、場所、一言で言えば世界の受容能力あるいは容量を費用即ちその内に最も快適に建物が作られるべき土地と見做して良いならば、それに対して形相の多様性は建物の快適性とか部屋の数と優美さに対応している。そして或る種の遊びにおいて、盤上のすべての場所を一定の規則に従って埋めなければならないといった場合もそれである。そこでは何らかの技巧を用いなければ、最後には、[その規則に]合わない空間[を埋める訳にはいかないので、そこ]から排除されてしまって、できると思っていたり、あるいはそうしてみたかったよりも多くの空所を残さざるを得なくなる。しかし最も多くの充填が最も容易に手に入れられるような確実なやり方(ratio)はある。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『事物の根本的起源について』ライプニッツ著作集8、pp.94-95、[米山優・1990])
(索引:無数の可能的世界)

前期哲学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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2018年6月23日土曜日

無数の可能的世界とは?(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

無数の可能的世界

【無数の可能的世界とは?(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
 モリナ主義は、以下の(a)(b)(c)を主張する。その困難と考えられるのは、(d)(e)である。私は、(a')と考える。このことによって、(d)(e)の困難は、(d')(e')のように解消される。しかしなお(e'')かも知れない。
(a) この宇宙を支配している法則に則り、可能的なものとして存在している事象。神の「単純叡智の知」、人間はその一端を理性によりうかがい知る。
(a')可能的なものとして存在している事象は、条件的なものも含めて、無数のすべての可能的な世界が含まれている。
(b) 可能的なもののうち、宇宙の展開において現実に生じる現実的事象。神の「直視の知」、人間も現実的事象として知る。
(c) モリナ主義の「中知」
 この宇宙において、ある一定の条件が現実化すればそこから生起する条件的事象。神にとっては、直視の知と叡智の知との間の「中知」、人間は自由意志の行使により、これを知る。すなわち、ある一定の条件が現実化すると、人間はその状況では「自由」に為し、しかもその自由意志には「誤用」もあり得る。

(d) 人間の自由意志がそこで発現するという、ある一定の条件が現実化するにしても、この条件の成就自体がやはり、この宇宙の法則によって支配されているだけでなく、この条件において人間の自由意志がいかにして発現するかについても、法則に支配されているはずであり、「行為を条件から切り離そうとしても、それはできないことであろう。」
(d')ある一定の条件が現実化して自由意志が発現するとき、その意志の決定に影響を与える一連の諸原因は、意志をある選択肢に一層強く傾けるが、意志は「決して強いられてその選択肢をとるのではない」。
(e) モリナ主義者は、条件から切り離された純粋な自由意志、すなわち「人間の良き資質」そのものが、この宇宙の原理・法則でもあり得ると考えたが、これは全宇宙を支配する統一的な法則という点から、満足できるものではない。
(e')ある一定の条件が現実化して自由意志が発現し、意志がある選択肢を現実化するとき、これら全ては、全宇宙を支配する原理・法則に従っており、無数の可能的な世界のうちの一つが現実化しているのである。すなわち、「神は、その偶然的未来に存在を与えようと決する前に、それを可能的なものの領域において然るべく見ている」。
(e'')無数の可能的世界そのものは、人間の意志による決定によって変わるか変わらないには、一切関わらない。しかし、人間の意志による決定は、宇宙の展開における現実に生じる現実的事象を変えているので、もし、現実化する可能的世界が一意に決まるような場合には、意志による決定にもかかわらず、すべては決まっていたと言える。
(f) ある人は、中知は単純叡智の知に包含されるべきだと考えた。

 「四二―――この問題での両陣営の議論の応酬に入り込むのは手間もかかるしうんざりしてくる。むしろ、私が両陣営の主張の中に真実があることをどのようにして把握したかを説明しさえすれば十分であろう。これをうまく果たすため私は、永遠真理の領域つまり神の叡智の対象において表わされた無数の可能的世界についての私の原理に依拠する。この領域には未来の条件的なものがすべて含まれているはずである。なぜなら、ケイラの攻囲戦の事態も一つの可能的世界の部分となっているからである。この可能的世界がわれわれの世界と異なるのはひとえにこの[可能的世界についての]仮説との関連においてのみである。この可能的世界の観念はかかる事態において生起するはずのことを表現する。それゆえわれわれは、現実に起きることであれ一定の事態において起きるべきことであれ、未来の偶然事についての確実な知の原理を有していることになる。というのも、可能的なものの領域においては偶然事は然るべきものとして、つまり自由なる偶然事として表現されているからである。したがって、われわれを困惑させ自由を損ないもし得るのは、偶然的未来の予知なのでもなければ、この予知の確実性の基礎なのでもない。また、たとえ理性的被造物の自由な行為の内に存する偶然的未来が神の決意からも外的原因からもまったく独立しているということは真実であり可能であるとしても、[神が]その未来を予見する方法はあるといえる。というのも、神は、その偶然的未来に存在を与えようと決する前に、それを可能的なものの領域において然るべく見ているからである。
四三―――しかし、神の予見がわれわれの自由な行為に依存しているか独立しているかに一切関わらないとしても、神の事前の命令や決意や、意志の決定に常に与ると思われる一連の原因などについてもそうだというわけではない。私は第一の点においてはモリナ主義者の立場に立つが、第二の点においては先定説論者の立場に立つ。ただし先定がいつも必要だとは考えない。一言で言うなら、私の考えは、意志は自ら選びとった選択肢に一層強く傾くが決して強いられてその選択肢をとるのではない、というものである。これは、〈星々は傾かせるが強いない〉という有名な諺をもじったものである。もっともここでは事情はまったく似ても似つかぬものではあるが。というのも、(通俗的な言い方をしてあたかも占星術に何らかの基礎があるかのように言うなら)星の動きがもたらす出来事は必ず起きるとは限らないが、一方意志は最も強く傾いた選択肢をとらざるを得ないからである。さらにまた、星はその出来事を起こすために協働するさまざまな傾向性の内の一つとなっているにすぎないが、人が意志にとって最も大きな傾向性について語るときには、すべての傾向性からの結果について語っているのである。これは、本書で前に神の帰結的意志について述べたことと幾分似ている。この意志はすべての先行的意志からの結果だからである。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『弁神論』本論[第一部]四二・四三、ライプニッツ著作集6、pp.153-154、[佐々木能章・1990])
(索引:自由意志、無数の可能的世界)

ライプニッツ著作集 (6) 宗教哲学『弁神論』 上


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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