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2018年6月1日金曜日

経験的事実を表すどの命題も、理性によっては完全には証明され得ない。理性が把握できる経験的事実とは、真なる偶然的命題である。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

経験的事実

【経験的事実を表すどの命題も、理性によっては完全には証明され得ない。理性が把握できる経験的事実とは、真なる偶然的命題である。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
(a) 公理:それ自身で認識される経験的事実。
(b) それ自身で把握される項。
(c) 経験的事実を、他の事実から基礎づけるという考え方をするならば、経験的事実は、公理、それ自身で把握される項と経験的事実に分解され、これらから証明される必要がある。
(d) そうすると経験的事実は、他の経験的事実へ無限に分解されることになるのではないか?

(限りがない?)
   ↓
 経験的事実、公理、それ自身で把握される項
   ↓
 経験的事実

あるいは、
 他の命題(公理でも定義でもない)
(これ自身、証明を必要とする)
   ↓
 経験的事実
(e) 経験的事実を、他の事実から基礎づけるという考え方をする限り、到達された知識の状態は、事実とわかったものへの分解が完了した状態ということになる。

 公理、それ自身で把握される項
(潜勢的一致が形相的または表現的となる)
   ↓
 経験的事実

(f) しかし、それ自身で把握されまた判明に捉えられるような概念が、全くないか、もしくはただ一つ、すなわち、存在の概念だけだとしたら、どうだろう。どの命題も、理性によっては完全には証明され得ないことが、結論する。

    それ自身で把握される項
     または
    経験において発見された項
     ↓
 公理、仮定された定義
   │(項の定義は可能性を前提とする)
   ↓
 経験的事実

(g) 理性が把握できる経験的事実とは、真なる偶然的命題である。

(再掲)
可能な命題:それから決して分解において矛盾が生じないであろうことが証明され得る命題。

真なる偶然的命題:無限に継続される分解を必要とする命題。
 しかし、真なる偶然的命題は、経験によって、この命題が真であることがあり得ないと証明される可能性がつねに存在する。これが「偶然的」の意味である。

偽なる偶然的命題:偽なることが証明されるのは、その真である証明があり得ないということによってのみであるような命題。

 「六二――しかしすべての真なる命題は証明される。従って経験的事実もまた真なる命題である故に、いま述べた証明法と別のものが存在しないならば、それも再び公理、それ自身で把握される項と経験的事実に分解されることが帰結する。しかしそれ自身で認識されるもの即ち公理以外第一の経験的事実はない。
 六三――経験的事実が他の経験的事実へ無限に分解されるかどうか問題となる。経験に言及しなくとも、ある証明があって、そこでは命題の証明が常にほかの命題の証明を前提としており、これは公理でも、定義でもなくて、さらに自身証明を必要とすることが分かるというようなことが可能であるかどうか問題となる。この場合には必ずある非複合項は連続的に分解され、決してそれ自身で把握される項に到達しないのである。しからざれば分解の完了により潜勢的一致が形相的または表現的となるか、即ちすべてが自同命題に帰するか明らかとなるであろう。
 六四――従って、非複合項の分解がある場合には無限に継続して、それ自身で把握される項に決して達しないことが可能であるか問題である。われわれにはそれ自身で把握されまた判明に捉えられるような概念が全くないか、またはただ一つである(例えば存在の概念)ならば、確かにどの命題も理性によっては完全には証明され得ないことが帰結する。何故ならば、仮定された定義と公理からは完全に経験なしで証明されるとしても、定義は項の可能性を前提し、従ってそれ自身で把握される項への分解か、または経験において発見された項への分解を前提する、よって経験的命題、その他の命題に戻ることになるからである。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『概念と真理の解析についての一般的研究』六二~六四、ライプニッツ著作集1、pp.173-174、[澤口昭聿・1988])
(索引:経験的事実)

論理学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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