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2020年6月28日日曜日

(仮説)他者の行動の意図や感情を感知する能力が、自己認識の基礎にある。従って、この能力に問題があると、自己と他者の同定が困難となり、対人的相互交流の不全、人称表現の不全、自他の状態概念の理解不能などが生じる。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

自閉症についてのミラーニューロン機能不全仮説

【(仮説)他者の行動の意図や感情を感知する能力が、自己認識の基礎にある。従って、この能力に問題があると、自己と他者の同定が困難となり、対人的相互交流の不全、人称表現の不全、自他の状態概念の理解不能などが生じる。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】

(1)自己認識の誕生の仮説
 (1.1)他者の行動の意図や感情を知る能力(心の理論)
  (a)他者の行動の意図や感情の内部モデルをつくるための能力が、最初に獲得される。
  (b)神経的な基盤が、ミラーニューロン・システムである。
 (1.2)自己認識の誕生
  次に、進化して内面に向い、自分自身の心を自分の心に再表象するようになったのかもしれない。それはおそらく、私たち人間が、ほんの何十万年か前に経験した心の相転移の時期に起き、それが本格的な自己認識のはじまりとなったのだろう。
(2)自閉症についてのミラーニューロン機能不全仮説
 (2.1)仮説
  (a)十分に成熟した心の自己表象が欠けている。
  (b)確固とした自己同定ができない。
  (c)自他の区別を理解するのがむずかしい。
 (2.2)予測される症状
  (a)会話のなかで一人称「私」や二人称「あなた」を正しく使えない自閉症児が多数いる。
  (b)対人的相互交流を苦手とする。
  (c)予測:自分の状態なのか、他者の状態なのかを概念的に区別するのに、困難が伴う。例として、「自己評価」、「憐憫」、「情け」、「寛容」、「きまり悪さ」。

 「ミラーニューロン・システムはそもそも、他者の行動や意図の内部モデルをつくるために進化したのであるが、人間においては、そこからさらに進化して内面に向い、自分自身の心を自分の心に表象(もしくは再表象)するようになったのかもしれない。心の理論は、友人やあかの他人や敵対者の心のなかを直感でとらえるのに有用であるが、それだけでなく、ホモ・サピエンスにかぎっては、心の理論によって、自分自身の心の動きをとらえる洞察力も飛躍的に向上したのではないだろうか。それはおそらく、私たち人間がほんの何十万年か前に経験した心の相転移の時期に起き、それが本格的な自己認識のはじまりとなったのだろう。もしミラーニューロン・システムが心の理論の基盤であり、正常な人間の心の理論が、内面の自己に向けて応用されるというかたちでパワーアップされているのだとしたら、自閉症の人たちが対人的相互交流や確固とした自己同定をひどく苦手とする理由は、会話のなかで一人称(「私」)や二人称(「あなた」)を正しく使えない自閉症児が多数いる理由の説明がつきそうである。人称代名詞を正しく使えない子どもたちは、十分に成熟した心の自己表象が欠けているために、自他の区別を理解するのがむずかしいのかもしれない。 この仮説からは、普通に話すことができる高機能の自閉症者(言語能力の高い自閉症者は、自閉症スペクトラムのサブタイプの一つであるアスペルガー症候群とみなされる)でも、「自己評価」、「憐憫」、「情け」、「寛容」、「きまり悪さ」といった言葉の概念的な区別には困難がともなうであろう――本格的な自己感がないと意味をなさない「自己憐憫」についてはなおさらであろう――という予測が導かれる。このような予測はまだ系統的に検証されていないが、私の学生のローラ・ケイスが現在それをおこなって。いる自己表象と自己認識にかかわる問題や障害については、最終章でまたとりあげる。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第5章 スティーヴンはどこに? 自閉症の謎,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.207-208,山下篤子(訳))
(索引:自閉症,ミラーニューロン機能不全仮説,ミラーニューロン)

脳のなかの天使



(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)
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2020年5月15日金曜日

鉛筆を口にくわえてほほ笑みの顔にすると、他者のほほ笑みの検知が困難になる。他者の顔が自己の運動表象等を生じ、その知覚が他者の情動を了解させるが、先行する同じ運動が知覚を妨げ、この現象が生じる。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

ミラーニューロンの働き

【鉛筆を口にくわえてほほ笑みの顔にすると、他者のほほ笑みの検知が困難になる。他者の顔が自己の運動表象等を生じ、その知覚が他者の情動を了解させるが、先行する同じ運動が知覚を妨げ、この現象が生じる。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】

(1)鉛筆を口にくわえる実験
 (1.1)実験事実
  (a)鉛筆をくわえて口を横に広げ、ほほ笑んでいるような格好にすると、他の人のほほ笑みを検知するのが困難になる。
  (b)しかし、しかめ面の検知には影響しない。
 (1.2)解釈(仮説)
  (a)鉛筆を口にくわえることによって、ほほ笑みに使われるのと同じ筋肉の多くが活性化される。
  (b)活性化された筋肉の情報が、ミラーニューロン・システムに流れ込む。
  (c)他者のほほ笑みの検知は、他者のほほ笑みという視覚情報に対して、自分のほほ笑みに使う筋肉を動かそうという表象が現れ、この表象の知覚が相手の感情の知覚となる。ところが、既に同じ筋肉が使われてしまっているので、相手のほほ笑みを検知することが困難となる。
  (d)参照: 他者の情動の表出を見るとき、その情動の基盤となっている内臓運動の表象が現れ、他者の情動が直ちに感知される。これは潜在的な場合もあれば実行されることもあり、複雑な対人関係の基盤の必要条件となっている。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

(2)左の縁上回に病変のある失行の患者の事例
 (2.1)症状
  (a)熟練を要する動作のまねが困難
   お茶をかきまぜる、ハンマーで釘を打つといった熟練を要する動作のまねをすることができない。
  (b)行動のメタファーが理解困難
   失行の患者は、たとえば「夢を追う」などの行動にもとづいたメタファーの解釈も苦手とするという事実がある。
 (2.2)解釈(仮説)
  (a)他者の対象物への働きかけという視覚情報の知覚が、その同じ働きかけの運動感覚の表象を生じさせ、他者の運動の意図を理解させる。これがミラーニューロンである。とするならば、熟練を要する動作の解釈が困難になることがわかる。
  (b)同様に、言葉により視覚情報が喚起されても、その視覚情報から、どんな運動なのかを理解させる自己の運動感覚の表象が生じなければ、理解が生じない。このことから、行動のメタファーの理解が困難になることがわかる。
  (c)対象物を見ると、それを操作する運動感覚の表象が伴う。これはカノニカルニューロンが実現している。また、他者の対象物への働きかけを見ると、その運動感覚の表象が伴う。これはミラーニューロンが実現している。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

 「このミラーニューロン仮説で、ほかにもいくつか自閉症の奇異な症状が説明できる。たとえば、以前から知られているように、自閉症の子どもはことわざやメタファーの解釈が苦手な場合が多く、「落ち着いて(get a grip on yourself)(字義どおりに解釈すると、「自分をしっかりつかめ」という意味になる)」と言われると、自分の体をつかみはじめたりする。私たちは、「輝くものがみな金とは限らない(見かけはあてにならない)」ということわざの意味を説明するように求められた何人かの高機能自閉症患者が、「それは単に黄色い金属で、必ずしも金だとは限らないという意味です」と答える場面を経験した。このようなメタファーの解釈に対する困難は、自閉症児の一部に見られるだけだが、説明を必要とする。」(中略)「一つの具体的な例として、私がリンゼイ・オーバーマン、ピョトル・ウィンキールマンと共同でおこなった実験を紹介したい。私たちはその実験で、鉛筆を(くつわのように)くわえて口を横に広げ、ほほ笑んでいるような格好にすると、ほかの人のほほ笑みを検知するのが困難になる(しかめ面の検知には影響しない)という事実を示した。それは、鉛筆を口にくわえることによって、ほほ笑みに使われるのと同じ筋肉の多くが活性化され、その情報がミラーニューロン・システムに流れこんで、行動と知覚との混同を起こすためである(ある種のミラーニューロンは、あなたがある表情をしているときと、ほかの人のそれと同じ表情を観察しているときに発火する)。この実験結果は、行動と知覚が脳のなかで、一般に想定されているよりもはるかに密接にからみあっていることを示している。
 それが、自閉症やメタファーとどんな関係があるのだろうか? 私たちは最近、左の縁上回に病変のある失行の患者(お茶をかきまぜる、ハンマーで釘を打つといった熟練を要する動作のまねをすることができない患者)は、行動にもとづいたメタファー(たとえば「夢を追う」など)の解釈も苦手とするということに気づいた。縁上回にもミラーニューロンが存在するので、この所見は、人間のミラーニューロン・システムが熟練を要する動作の解釈に関与しているだけでなく、行動のメタファーの理解や、さらには身体性認知のほかの側面にも関与していることを示唆している。ミラーニューロンはサルにもあるが、彼らのミラーニューロンがメタファーに関与するためには、サルがさらに高度な複雑化のレベルに、すなわち人間だけにみられるようなたぐいのレベルに到達する必要があるのかもしれない。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第5章 スティーヴンはどこに? 自閉症の謎,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.205-206,山下篤子(訳))
(索引:ミラーニューロン,情動の検知,失行,行動のメタファー)

脳のなかの天使



(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)
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2020年5月3日日曜日

他者を自分と同じ知的精神的存在としてとらえる能力(心の理論の能力)は、事実と論理による推論的な合理的知識なのではなく、人間の社会的なつながりの基礎にある別のメカニズムに依拠しているらしい。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

心の理論

【他者を自分と同じ知的精神的存在としてとらえる能力(心の理論の能力)は、事実と論理による推論的な合理的知識なのではなく、人間の社会的なつながりの基礎にある別のメカニズムに依拠しているらしい。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】

 「「心の理論」という言葉は、前章でも類人猿とのからみで出てきたが、ここではもっとくわしく説明したい。「心の理論」は、哲学から霊長類学、臨床心理学にいたるまで、認知科学の分野で広く用いられている専門用語で、他者を知的精神的存在としてとらえる能力――すなわち、自分自身がもっているのと同じようなたぐいの思考、情緒、観念、動機などをもっているという前提にもとづいて他の人たちのふるまいを理解する能力――を指す。言いかえれば、あなたは自分がほかの人になったらどんな感じがするかを実際に感じることはできないが、心の理論を使って、意図や知覚や信念を他者の心に自動的に投影する。そうすることによって、人の感情や意図を推測し、行動を予測して、それに影響をおよぼすことができる。これを「理論」と呼ぶのはいささか誤解を招きやすい。理論という言葉は通常、諸説や予測からなる知的体系を指し、この場合のように生得的、本能的な心的能力に対しては用いないからだ。しかし私が属する分野では「心の理論」が用語として使われているので、ここでもそのまま使うことにする。ほとんどの人は、心の理論をもつことが、どれほど込みいった、率直に言って奇跡的なことであるかをよく理解していない。それは「見ること」と同じように、ごく自然で、即時に起きる、簡単なことに思える。しかし第2章で見たように、見るという能力は、実際には、広範囲な脳領域のネットワークが関与する非常に複雑なプロセスである。私たち人間の高度に発達した心の理論は、人間の脳がもつもっともユニークで強力な能力の一つなのである。
 私たちの心の理論の能力は、一般的知能――論理的に考えたり、推断をしたり、事実を組み合わせたりするときなどに使う合理的知能――に依拠しているのではなく、それと同等に重要な《社会的》知能のために進化した専門のメカニズムに依拠しているらしい。社会的認知のために特化した専門の回路があるのではないかという考えは、1970年代に、心理学者のニック・ハンフリーと霊長類学者のデイヴィッド・プレマックによって最初に提言され、現在では実験にもとづく支持が多数ある。したがって、自閉症の子どもが対人的相互交流に深刻な欠陥があるのは、心の理論に何らかの障害があるためではないかというフリスの直感には説得力があった。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第5章 スティーヴンはどこに? 自閉症の謎,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.199-200,山下篤子(訳))
(索引:)

脳のなかの天使



(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

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2018年9月23日日曜日

種類の異なる感覚の間の相互作用(クロスモーダルな相互作用)の一例として、特定の形(視覚情報)と特定の名前(聴覚情報)が結び付けられる傾向のあることが、ブーバ・キキ効果として知られている。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

ブーバ・キキ効果

【種類の異なる感覚の間の相互作用(クロスモーダルな相互作用)の一例として、特定の形(視覚情報)と特定の名前(聴覚情報)が結び付けられる傾向のあることが、ブーバ・キキ効果として知られている。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】

種類の異なる感覚の間の相互作用(クロスモーダルの相互作用)の一例。
実験
 (a)こぼれたペンキのように見える図形
 (b)ギザギザに割れたガラスの破片のように見える図形
 (a)と(b)のどちらが、「ブーバ」で、どちらが「キキ」か?
結果
 (a)が「ブーバ」で(b)が「キキ」と答える人が多い。
 「最近、大きな講義室でこれを試したところ、98パーセントの学生はそちらを選んだ」。
 「書記体系がまったく異なるインドや中国の英語を話さない人たちにおこなっても、結果はまったく同じとなる」。

 「先に、解剖学的構造にもとづいて検討したように、脳領域間のクロス活性化の促進につながる遺伝子は、種としての私たち人間を創造的にすることによって、きわめて有利なはたらきをしてきた可能性がある。そうした遺伝子のまれな変異型、もしくは一定の組み合わせが、共感覚の出現という良性の副次的影響を引き起こすのかもしれない。ここで、良性という点を取り急ぎ強調しておきたい。共感覚は鎌状赤血球症や精神疾患のように有害ではないし、また実際に、ほとんどの共感覚者は、彼らの能力を楽しんでいる様子で、たとえ「治す」ことができるとしても、それを選びはしないだろう。ここでしているのは、全般的なメカニズムが同じかもしれないという話だ。この考えが重要なのは、共感覚とメタファーは、同義ではないが、奥深いつながりを共有しているということを明らかにするからであり、そのつながりが、私たち人間の驚くべき独特さについて深い洞察をもたらしてくれるかもしれないからである。
 したがって共感覚は、創造性のサインもしくは指標となる可能性のある、やや異常なクロスモーダルの相互作用の一例と考えるのが最良であろう(モダリティとは嗅覚、触覚、聴覚などの感覚能力のことで、「クロスモーダル」は、異種の感覚情報の共有――たとえば、視覚と聴覚が一緒になって、いま観ている外国映画は吹き替えに難があるとあなたに告げるときのような情報の共有――を指す)。しかし、科学ではよくあることだが、私はそこから、非共感覚者の私たちでも、頭のなかで進行していることのかなりの部分は、まったく正常な、無原則的ではないクロスモーダルの相互作用に依拠しているという事実に考えがおよんだ。したがって私たちはみな、ある程度ではあるが「共感覚者」だという考えには一応の道理がある。たとえば、図3-7に示した二つの図形を見てほしい。左側の図はこぼれたペンキのように見え、右側の図はギザギザに割れたガラスの破片のように見える。さて、どちらが「ブーバ」でどちらが「キキ」かを当てなくてはならないとしたら、あなたはどう答えるだろうか? 正解はないが、たぶんあなたは、こぼれたペンキが「ブーバ」、ガラスが「キキ」という選択をするだろう。最近、大きな講義室でこれを試したところ、98パーセントの学生はそちらを選んだ。それは、丸みを帯びたほうの図は物理的な形が(boubaに使われている)Bという文字に似ていて、ギザギザのほうの形は(kikiに使われている)Kに似ていることと何か関係があるのではないかとあなたは思うかもしれない。だが、この実験を、書記体系がまったく異なるインドや中国の英語を話さない人たちにおこなっても、結果はまったく同じとなる。
 なぜそうなるのだろうか? アメーバに似た図形の輪郭のゆるやかなカーブやうねりが、脳の聴覚中枢に表象されるブーバという音のゆるやかなうねりや、「boo-baa」と発音するときの唇のなめらかな丸みや弛緩のぐあいとよく似ているというのがその理由である。一方、「kee-kee」という音の鋭い波形や、口蓋にあたる舌の鋭い屈曲は、ギザギザの視覚的形状とよく似ている。この話は第6章でまたとりあげて、これが、メタファー、言語、抽象的思考の進化といった、私たちの心のもっとも謎めいた側面の多くを理解するための鍵を握っているかもしれないという可能性を検討する。」
(出典:wikipedia
ブーバ・キキ効果
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第3章 うるさい色とホットな娘――共感覚,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.159-160,山下篤子(訳))
(索引:ブーバ・キキ効果)

脳のなかの天使



(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

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2018年9月9日日曜日

共感覚が、実在の感覚現象であることを示す疑いの余地のない明白な証拠。この方法によれば、にせものと本物の共感覚を弁別するために使えるだけでなく、共感覚の能力を持っている人も探し出せる。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

共感覚

【共感覚が、実在の感覚現象であることを示す疑いの余地のない明白な証拠。この方法によれば、にせものと本物の共感覚を弁別するために使えるだけでなく、共感覚の能力を持っている人も探し出せる。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】

 「この実験をするにあたって、私たちはまず、図3-4によく似た図を正常な学生20名に見せて、(小さな2からなる)広域的な形を探すように指示した。一部の図は広域的な形を三角形にし、そのほかのものは円にした。私たちはそれらの図をランダムな順序で、コンピュータ画面に約0.5秒間ずつ表示した。くわしく見るには短すぎる時間である。被験者の学生たちはそれぞれの図を見たあとに、2つのボタンのいずれかを押して、いま見せられたものが三角形だったか円だったかを答える。学生の正答率は50パーセントで、言いかえれば彼らは、自然に形を識別できるわけではないので、当て推量をしていただけだった。」
図3-4(ラマチャンドラの当書籍p.136の図を参考に作成した)
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 「しかし色をつけて5を緑に2を赤にすると(図3-5)、正当率は80ないしは90パーセントにあがった。ためらったり考えたりすることなく、即座に形が見えるようになったからだ。
 驚いたのは、白黒の画面をミラベルに見せたときだった。彼女は、非共感覚者とはちがって、80から90パーセントの試行において、形を識別することができた――あたかも数字が実際に色分けしてあるかのように! 共感覚で誘発された色は、広域的な形を発見し報告することを可能にするという点で、実在の色と同じく有効だったのである。この実験結果は、ミラベルの誘発された色が本物の色の感覚であることを示す確たる証拠である。彼女がでっちあげようとすることは絶対に不可能だし、子ども時代の記憶のせいだということもありえないし、これまでに提起されたそのほかのどんな説もあてはまらない。
 エドと私は、フランシス・ゴールトン以来初めて、共感覚が実在の感覚現象であることを示す疑いの余地のない明白な証拠――一世紀あまりも科学者の手からのがれていた証拠――が、私たちの(グループ化とポップアップの)実験から得られたことを実感した。しかも私たちの画像は、にせものと本物の共感覚を弁別するために使えるだけでなく、隠れ共感覚者(共感覚の能力をもっているかもしれないのにそれを自覚していない人たちや、それを進んで認める気のない人たち)を探しだすのにも使える。」
図3-5(ラマチャンドラの当書籍p.136の図を参考に作成した)
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(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第3章 うるさい色とホットな娘――共感覚,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.136-138,山下篤子(訳))
(索引:共感覚)

脳のなかの天使



(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

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2018年8月20日月曜日

眼を閉じて手に書かれた7や、聴覚からの情報も、数字を想起して視覚化すると色が見える。7の数字そのものに赤色があり、黒地に白の数字だと赤がはっきりする。また、緑の数字だと緑と赤が同時に見える。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

共感覚

【眼を閉じて手に書かれた7や、聴覚からの情報も、数字を想起して視覚化すると色が見える。7の数字そのものに赤色があり、黒地に白の数字だと赤がはっきりする。また、緑の数字だと緑と赤が同時に見える。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】

 『「だいじょうぶ」と私は言った。「じゃあ今度は眼を閉じて手を出してください」
 彼女はちょっと驚いた様子だったが、指示にしたがってくれた。私は彼女の手のひらに数字の7を書いた。
 「私は何と書きましたか? いいですか、もう一度書きますよ」
 「7です!」
 「色はついていますか?」
 「いいえ、全然。えーっと、言いかたを変えます。最初は、7だと〈感じている〉のに赤が見えません。でもその7を視覚化すると、それはちょっと赤みを帯びています」
 「オーケイ、スーザン、では私が〈七〉と言ったらどうだろう? やってみましょう。セブン、セブン、セブン」
 「最初は赤くなかったのですが、赤が見えてきました……その形を視覚化しはじめると、赤が見えるんです。視覚化する前は見えません」
 私はふと思いついて言った。「七、五、三、二、八。今度は何が見えましたか?」
 「なにこれ……おもしろいです。虹が見えます!」
 「どういうことですか?」
 「それぞれの色が、目の前に虹のように広がって見えるんです。数字と結びついた色が先生の言った順番にならんで。とてもきれいな虹です」
 「もう一つ質問をしていいですか、スーザン。これはさっきの7ですが、色は数字の上にありますか、それともまわりに広がっていますか」
 「数字の上にあります」
 「黒い紙に白い字だったらどうでしょう。これです。どんなふうに見えますか?
 「黒い字のときより、もっと赤がはっきりしています。なぜだかわかりませんが」
 「二桁の数字だったらどうでしょう」。私はメモ用紙に太く75と書いて彼女に見せた。彼女の脳は色を混ぜるだろうか? それともまったく新しい色が見えるのだろうか?
 「それぞれの数字にそれぞれいつもの色がついて見えます。そうなるのは自分でも気づいていました。数字と数字があまりにも近すぎなければですが」
 「ではやってみましょう。これは7と5をもっと近づけてあります。どんなふうに見えますか?」
 「まだ、いつもの色が見えます。でも色どうしが争っているというか、打ち消しあっているというか、そんな感じです。ぼんやりして見えるんです」
 「7を違う色で書いてみたらどうなるでしょうね」
 私はメモ用紙に緑色で7と書いて彼女に見せた。
 「うわ。すごく嫌な感じです。どこかがおかしいという不快感があります。実際の色と心の色が混ざっているわけではなくて、両方の色が同時に見えるのですが、その見えかたが嫌な感じなのです」
 私はスーザンの言葉で、色の体験にはしばしば情動が付帯しており、不適切な色は強い嫌悪感を生じさせる場合があると共感覚の文献に書いてあったのを思い出した。』
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第3章 うるさい色とホットな娘――共感覚,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.124-126,山下篤子(訳))
(索引:共感覚)

脳のなかの天使



(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

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2018年8月14日火曜日

(事例)数字の共感覚は、視覚的外形によって引き起こされる。ローマ数字では、色は誘発されない。白黒の人参は、何色としても想起できるが「7の場合はそれが無理なんです。7が私に向って赤だと叫びつづけるので。」(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

共感覚

【(事例)数字の共感覚は、視覚的外形によって引き起こされる。ローマ数字では、色は誘発されない。白黒の人参は、何色としても想起できるが「7の場合はそれが無理なんです。7が私に向って赤だと叫びつづけるので。」(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】

 「私たちが医学生にまず教えることの一つに、患者の話によく耳を傾け、綿密に病歴をとるということがある。細心の注意を払い、それから、勘があたっていることを確認するため(そして保険請求の額を多くするため)に、身体の検診や高度なラボ検査をおこなうと、9割がたは薄気味悪いほど正確な診断に到達できる。私は、それが患者だけでなく共感覚者にもあてはまるかもしれないと思いはじめた。
 そこでスーザンに簡単なテストと質問をすることにした。たとえば、色を誘発するのは数字の視覚的外形なのだろうか? それとも数の概念――順序性や量の概念――なのだろうか? もし後者であれば、ローマ数字でも色は誘発されるだろうか? それともアラビア数字だけにかぎられるのだろうか? (アラビア数字は、紀元前にインドで発明され、それからアラビアを経由してヨーロッパに伝わったものなので、ほんとうはインド数字と呼ぶべきであるが)。
 私はメモ用紙に大きくVIIと書いて彼女に見せた。
 「どんなふうに見えますか?」
 「七だということはわかりますが、黒に見えます――赤はまったく見えません。いつもそうなんです。ローマ数字ではだめなんです。あ、先生。これは、記憶ではないという証明にはなりませんか? 私はこの字が七だと知っているのに、赤が生じないんですよ!」
 エドと私は、自分たちが相手にしているのが頭脳明晰な学生であることを知った。どうやら共感覚は本物の感覚現象であり、数字の視覚的外形によって引き起こされる(数の概念によって引き起こされるのではない)らしかった。しかしまだ立証というにはほど遠い。彼女が幼稚園の頃に、冷蔵庫の扉にとめてあった赤い7のマグネットをくり返し見たことが原因で起きているのではないと、絶対的な確信をもって言うことはできるだろうか? 記憶によって特定の色と強く結びついていることの多い果物や野菜の白黒写真を見せたらどうなるだろうかと私は考えた。そこで人参、トマト、かぼちゃ、バナナの絵を描いて彼女に見せてみた。
 「どんなふうに見えますか?」
 「えーっと、色はまったく見えません――そのことを聞いていらっしゃるのでしたら。人参はオレンジ色だと知っているし、この人参をオレンジ色として想像するというか、オレンジ色として視覚的に思い描くこともできます。でも、さっき数字の7を見て赤が見えたのと同じように、実際にオレンジ色が見えるかというと、それはないです。説明するのがむずかしいのですが、こんな感じです。白黒の人参を見ているときは、それがオレンジ色だと知っているけれど、その気になればどんな変な色にでも視覚化できます。青い人参とか。7の場合はそれが無理なんです。7が私に向って赤だと叫びつづけるので。こういう言いかたでわかりますか?」」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第3章 うるさい色とホットな娘――共感覚,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.123-124,山下篤子(訳))
(索引:共感覚)

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(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

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2018年8月12日日曜日

共感覚という現象が存在する:「数字を見るといつも特定の色が見えます。数字の5はいつも特定の色合いの鈍い赤で、3は青、7は鮮やかな濃い赤、8は黄色、9は黄緑色です」(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

共感覚

【共感覚という現象が存在する:「数字を見るといつも特定の色が見えます。数字の5はいつも特定の色合いの鈍い赤で、3は青、7は鮮やかな濃い赤、8は黄色、9は黄緑色です」(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】

『「いつからそういうことがありましたか?」と私は聞いた。
 「小さいときからです。でもその頃はあまり気にしていなかったように思います。それからだんだん、とても変なことなのだと気がつきだしたのですが、だれにも話しませんでした。頭がどうかしているとか、そんなふうに思われたくなかったからです。さっき先生の話を聞くまで、これに名前がついているなんて知りませんでした。なんとおっしゃいましたっけ。シネ……ス……麻酔(アネスシージア)と韻を踏んでいるような感じの」
 「共感覚(シネスシージア)といいます」と私は言った。「スーザン、あなたの体験をくわしく話してもらえますか。うちの研究室は共感覚に特別な関心をもっているので。具体的にどんなことを体験しますか」
 「数字を見るといつも特定の色が見えます。数字の5はいつも特定の色合いの鈍い赤で、3は青、7は鮮やかな濃い赤、8は黄色、9は黄緑色です」
 私はテーブルの上にあったサインペンとメモ用紙をつかみ、大きな7を書いた。
 「どんなふうに見えますか?」
 「あまりきれいな7じゃないですね。でも赤に見えますよ……さっき言ったように」
 「ではちょっと質問しますので、よく考えてから返事をしてください。実際に赤が見えるのですか? それとも、その7を見ると赤のことが頭に浮ぶとか、赤い色が思い浮ぶとか、そういうことでしょうか……記憶心象のように。たとえば私は〈シンデレラ〉と言う言葉を聞くと、若い女性や、かぼちゃや、馬車が頭に浮かびますが、そういう感じですか? それとも文字どおりに色が見えるのですか?」
 「それはむずかしい質問ですね。私もよくそれを自問するのですが、おそらく実際に見えているのだと思います。先生が書かれたこの数字はあきらかに赤に見えます。でも実際は黒だということもわかります――というか、黒だということを承知しています。だからある意味では、一種の記憶心象だと言えます――心の眼とかそういうもので見ているにちがいありません。でも、けっしてそういうふうには感じられないのです。実際に見えているような感じがします。表現するのがとてもむずかしいです、先生」
 「とてもうまく表現していますよ、スーザン。あなたはすぐれた観察者です。だからあなたの言葉は価値がある」
 「一つ確実に言えるのは、シンデレラの絵を見たり、〈シンデレラ〉という言葉を聞いたりしたときに、かぼちゃを想像するのとはちがうということです。色は実際に見えます。」』
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第3章 うるさい色とホットな娘――共感覚,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.121-122,山下篤子(訳))
(索引:共感覚)

脳のなかの天使



(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

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2018年8月9日木曜日

側頭葉のV4野は、色の処理に特化しており、損なわれると、世界全体から色が消えてしまう。視覚野のうち、MT野とV4野以外の大部分の領域は、その機能があまり明瞭にあらわれてこない。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

色覚中枢のV4野

【側頭葉のV4野は、色の処理に特化しており、損なわれると、世界全体から色が消えてしまう。視覚野のうち、MT野とV4野以外の大部分の領域は、その機能があまり明瞭にあらわれてこない。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】
(再掲) 視覚は、多数の視覚野で実現されており、各視覚野はそれぞれ視覚の異なる諸面に特化しているらしい。一例として、側頭葉のMT野は、運動視に関与しており、MT野が損なわれると運動盲が発生する。  他の例として、側頭葉のV4野は、色の処理に特化しており、損なわれると、世界全体から色が消えてしまう。
 ほかの大部分の視覚野は、損傷を受けた場合にも、画像や電気刺激などを用いた研究でも、その機能があまり明瞭にあらわれてこない。理由としては、
(a)それらの領野が、それほど狭く特化していないためかもしれない。
(b)その機能が、ほかの領域で容易に補われるためかもしれない。
(c)一つの機能を構成する要素について、まだ私たちの定義が未だ曖昧だからなのかもしれない。

 「同様に、側頭葉にあるV4と呼ばれる領野は、色の処理に特化していると思われる。この領野が両側とも損傷されると、世界全体から色が消えて白黒映画のようになってしまうが、そのほかの視覚機能はまったくそこなわれないらしく、動きの知覚、顔の認知、文字を読むことなどには、なんの問題もみられない。そしてMT野の場合と同じように、単一ニューロンの研究や脳機能画像や直接的な電極刺激など、多方面から、V4野が「色覚中枢」であることを示す所見が得られる。
 残念ながらMT野やV4野とはちがって、霊長類のほかの大部分の視覚野は、損傷を受けた場合にも、画像や電気刺激などを用いた研究でも、その機能があまり明瞭にあらわれてこない。これは、それらの領野がそれほど狭く特化していないためかもしれないし、その機能が(障害物を回避して流れる水のように)ほかの領域で容易におぎなわれるためかもしれない。あるいは、一つの機能を構成する要素についての私たちの定義があいまいだからなのかもしれない(コンピュータ科学者の言う「不良設定」問題なのかもしれない)。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第2章 見ることと知ること,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),p.96,山下篤子(訳))
(索引:色覚中枢,V4野)

脳のなかの天使



(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

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2018年7月29日日曜日

視覚は、多数の視覚野で実現されており、各視覚野はそれぞれ視覚の異なる諸面に特化しているらしい。一例として、側頭葉のMT野は、運動視に関与しており、MT野が損なわれると運動盲が発生する。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

側頭葉のMT野と運動視

【視覚は、多数の視覚野で実現されており、各視覚野はそれぞれ視覚の異なる諸面に特化しているらしい。一例として、側頭葉のMT野は、運動視に関与しており、MT野が損なわれると運動盲が発生する。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】

(1)高等霊長類は、多数の視覚野をもっている。
(1.1)それぞれ異なる視覚の諸面に特化しているらしい。
  色覚、運動視、形態視、顔認知など。
(1.2)それぞれの計算戦略がかなり異なっているために、進化の過程で神経ハードウェアが別々に発達したのかもしれない。
(2)一例として、側頭葉のMT野は、運動視に関与している。
(2.1)脳卒中を起こし、MT野だけが両側とも損なわれた人が経験する世界(運動盲)
  ・視覚はほぼ正常で、新聞も読めるし、物や人の認知もできるが、動きを見るのが非常に困難となる。
  ・走っている車を見ると、静止画像が連続しているように見え、まるでストロボがあたっているかのようだった。ナンバープレートは読めるし、車の色もわかるのに、動いている感じがまったくしない。その結果、車が近づいてくるスピードがわからないので、通りを渡るのがこわい。
  ・グラスに水を注ぐと、水の流れがつららのように固まって見える。その結果、グラスの水面があがってくる速さがわからないので、注ぐのをやめるタイミングがわからず、いつも水があふれてしまう。
  ・人と話していても、相手の唇の動きが見えないので、「電話で話している」ようだ。
(2.2)その他の証拠。
 (a)サルのMT野で個々のニューロンの活動を記録すると、ニューロンは、動いている物体の方向を信号で伝えるが、色や形態にはそれほど関心がないように見える。
 (b)電極を用いてサルのMT野のニューロンの小さな集団を刺激して、ニューロン群を発火させると、電流が作用しているあいだ、サルの眼が動きだし、視野のなかで動いている実在しない物体を眼で追うからである(幻覚が発生している)。
 (c)ボランティアの人間にfMRIなどの脳機能画像を用いて、MT野の活動性を観察すると、MT野は、被験者が動いている物体を見ているときに活性化されて明るく光るが、静止画や色や印刷された文字を見ているときには光らない。
 (d)経頭蓋磁気刺激装置と呼ばれる機器を用いて、ボランティア被験者のMT野のニューロンを一時的にノックアウトし、実質的に一時的な脳障害の状態を作り出すと、被験者はしばらくのあいだ、運動盲の状態になるが、その他の視覚能力はまったく損なわれない。

 「私たち高等霊長類がこれほど多数の視覚野をもっている理由も実際にはわかっていないが、視覚野はみな色覚、運動視、形態視、顔認知など、それぞれ異なる視覚の諸面に特化しているらしい。ひっとすると、それぞれの計算戦略がかなり異なっているために、進化の過程で神経ハードウェアが別々に発達したのかもしれない。
 好例の一つは側頭葉のMT野で、左右の半球に一つずつあるこの小さな皮質領域は、主として運動視(動きを見ること)に関与していると考えられている。1970年代後半にチューリッヒ在住のある女性(ここではイングリッドと呼ぶことにする)が、脳卒中を起こし、MT野だけが両側とも損なわれた。視覚はほぼ正常で、新聞も読めるし、物や人の認知もできたが、動きを見るのが非常に困難だった。走っている車を見ると、静止画像が連続しているように見え、まるでストロボがあたっているかのようだった。ナンバープレートは読めるし、車の色もわかるのに、動いている感じがまったくしなかった。車が近づいてくるスピードがわからないので、通りを渡るのがこわかった。グラスに水を注ぐと、水の流れがつららのように固まって見えた。水面があがってくる速さがわからないので、注ぐのをやめるタイミングがわからず、いつも水があふれてしまう。人と話していても、相手の唇の動きが見えないので、「電話で話している」ようだった。生活が奇妙な難事になってしまったのである。したがってMT野は、おもに運動視に関与していて、視覚のほかの諸面には関与していないらしいと考えられる。この見解を支持するちょっとした所見がほかに4つある。
 第一に、サルのMT野で個々のニューロンの活動を記録すると、ニューロンは、動いている物体の方向を信号で伝えるが、色や形態にはそれほど関心がないように見える。第二に、電極を用いてサルのMT野のニューロンの小さな集団を刺激して、ニューロン群を発火させると、電流が作用しているあいだ、サルは動きの幻覚を起こす。なぜそれがわかるかと言うと、サルの眼が動きだし、視野のなかで動いている実在しない物体を眼で追うからである。第三は、ボランティアの人間にfMRIなどの脳機能画像を用いて、MT野の活動性を観察したときに得られる所見である。fMRIでは、被験者が何かをしているときや、何かを見ているときに、脳の血流量の変化によって生じる磁場を測定する。そのfMRIで観察すると、MT野は、被験者が動いている物体を見ているときに活性化されて明るく光るが、静止画や色や印刷された文字を見ているときには光らない。第四は、経頭蓋磁気刺激装置と呼ばれる機器を用いて、ボランティア被験者のMT野のニューロンを一時的にノックアウトし、実質的に一時的な脳障害の状態をつくりだすという方法で得られる所見である。被験者はしばらくのあいだ、イングリッドと同じような運動盲の状態になるが、そのほかの視覚能力はまったくそこなわれない。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第2章 見ることと知ること,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.94-96,山下篤子(訳))
(索引:側頭葉のMT野,運動視,運動盲)

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(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

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