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2020年6月2日火曜日

規範性とは何かについては,(a)期待や憤慨の感情説,(b)集合的合意,共同意図説,(c)合理的正当化説など種々あり合意がないが,規範性とは切り離して制度の機能の記述が必要だ. その一例が,均衡したルール理論である.(フランチェスコ・グァラ(1970-))

均衡したルール理論

【規範性とは何かについては,(a)期待や憤慨の感情説,(b)集合的合意,共同意図説,(c)合理的正当化説など種々あり合意がないが,規範性とは切り離して制度の機能の記述が必要だ. その一例が,均衡したルール理論である.(フランチェスコ・グァラ(1970-))】

(1)規範性とは何かに関する諸仮説
 (a)期待や憤慨の感情説
  規範性は、相互の期待や、私たちの期待が裏切られたときに経験する憤慨の感情の観点から分析できる。
 (b)集合的合意、共同意図説
  規範性は、集合的合意あるいは共同意図というような、より強い概念を必要とする。
 (c)合理的正当化説
  規範性は、合理的論証によって行為を正当化する可能性にかかわる。
(2)均衡したルール理論
 (a)制度の理論を、特定の規範性の理論に依存させないで記述すること。
 (b)規範性を機能によって特徴づける。
 (c)このアプローチは、いかなる実質的かつ規範的な制度評価も可能にしない。たとえば、独裁制と民主制、資本主義と社会主義、単婚制と複婚制といったように、悪い制度から良い制度を見わけることを可能にしない。
 (d)上記のような判断は、社会的存在論よりもむしろ倫理の領域に属するものであり、これら二つの研究を分けたままにするのに好都合である。

 「ここで次のことに注意してもらいたい。この戦略に従うことで、統一理論は、規範性を表現するフォーマルな道具しか提供しないことになるが、規範性の性質についてや、規範性はどこから生じるかということについては中立的な立場にとどまるということだ。そして、私はまさにそうあるべきと考える。規範性は現代哲学における至極厄介な問題の一つであり、制度の理論をそれに関する特定の説明に依存させることは馬鹿げているだろう。哲学者と社会科学者のなかには、規範性は、相互の期待や、私たちの期待が裏切られたときに経験する憤慨の感情の観点から分析できると信じる学者がいる。他の学者たちは、規範性は集合的合意あるいは共同意図というような、より強い概念を必要とすると考えている。また、規範性は情動に依存すると主張する哲学者と社会科学者もいるし、さらには、規範性は合理的論証によって行為を正当化する可能性にかかわると信じている学者もいる。
 これらの説明のどれが満足できる仕方で規範性を説明することができるか否かは、明確な回答のない論点であり、私はここでそれを解決しようとは思っていない。実際、色々な説明の中から一つを選択することは、あまり賢明ではないかもしれない。もし規範性が制度にとって重要ならば、規範性が異なる形態をとることはありうる話だ。アナロジーとして、生命体が生存にとって重要な目標を実現しようと試みるさまざまな仕方のことを考えてみよう。獲物の存在を知覚することが捕食者にとって重要であれば、捕食者はその課題を達成するのに二つ以上のやり方を持っている可能性が高い(たとえば、視覚・聴覚・嗅覚だ)。同様に、規範性にはおそらく、さまざまな源泉があり、かつ多面性があるのだろう。このことは、二つ以上の説明が正しい可能性が高いということを意味している。
 だから、規範性とは何かを問う代わりに、規範性がなすことは何か、すなわち規範性の機能は何かを問うことにしたい。これは、本書の底流にある、広い意味での機能主義的な制度の概念化と軌を一にするけれども、この戦略を採ることで、一部の読者は否応なく不満を抱くことになるだろう。理由の一つは、このアプローチが、いかなる実質的かつ規範的な制度評価も可能にしないからである。たとえば、独裁制と民主制、資本主義と社会主義、単婚制と複婚制といったように、悪い制度から良い制度を見わけることを可能にしない。私自身の見解は、この類の判断は社会的存在論よりもむしろ倫理の領域に属するもので、これら二つの研究を分けたままにするのに好都合であるというものだ。これに同意してくれない哲学者がいて、より頑健な制度の理論を構築しようと努めているが、私の見解では結果は入り混じっている。」
(フランチェスコ・グァラ(1970-),『制度とは何か』,第1部 統一,第6章 規範性,pp.120-121,慶應義塾大学出版会(2018),瀧澤弘和,水野孝之(訳))
(索引:均衡したルール理論)

制度とは何か──社会科学のための制度論


(出典:Google Scholar
フランチェスコ・グァラ(1970-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「第11章 依存性
 多くの哲学者たちは、社会的な種類は存在論的に私たちの表象に依存すると主張してきた。この存在論的依存性テーゼが真であるならば、このテーゼで社会科学と自然科学の区分が設けられるだろう。しかもそれは、社会的な種類についての反実在論と不可謬主義をも含意するだろう。つまり、社会的な種類は機能的推論を支えるものとはならず、この種類は、関連する共同体のメンバーたちによって、直接的かつ無謬的に知られることになるだろう。
 第12章 実在論
 しかし、存在論的依存性のテーゼは誤りである。どんな社会的な種類にしても、人々がその種類の正しい理論を持っていることと独立に存在するかもしれないのだ。」(中略)「制度の本性はその機能によって決まるのであって、人々が抱く考えによって決まるのではない。結果として、私たちは社会的な種類に関して実在論者であり可謬主義者であるはずだ。
 第13章 意味
 制度的用語の意味は、人々が従うルールによって決まる。しかし、そのルールが満足いくものでなかったらどうだろう。私たちは、制度の本性を変えずにルールを変えることができるだろうか。」(中略)「サリー・ハスランガーは、制度の同一化に関する規範的考察を導入することで、この立場に挑んでいる。
 第14章 改革
 残念ながら、ハスランガーのアプローチは実在論と不整合的である。私が主張するのは、タイプとトークンを区別することで、実在論と改革主義を救うことができるということだ。制度トークンはコーディネーション問題の特殊的な解である一方で、制度タイプは制度の機能によって、すなわちそれが解決する戦略的問題の種類によって同定される。」(後略)
(フランチェスコ・グァラ(1970-),『制度とは何か』,要旨付き目次,慶應義塾大学出版会(2018),瀧澤弘和,水野孝之(訳))

フランチェスコ・グァラ(1970-)
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均衡が存在しないタカ-ハト・ゲームは,外的ルールの導入によって効率的な状態に遷移する. これを相関均衡というが,このルールを含むより大きなゲームの均衡状態として記述可能である(制度の均衡したルール理論).(フランチェスコ・グァラ(1970-))

均衡したルールの理論

【均衡が存在しないタカ-ハト・ゲームは,外的ルールの導入によって効率的な状態に遷移する. これを相関均衡というが,このルールを含むより大きなゲームの均衡状態として記述可能である(制度の均衡したルール理論).(フランチェスコ・グァラ(1970-))】

(1)制度に対する均衡アプローチ
 (1.1)走行ゲーム
  走行ゲームでは、協力しさえすれば利益を得る。異なる選択をすると利益が失われるため、協力は均衡状態である。選択によって利益は変わらない。(規律の役割)
 (1.2)両性の闘い
  両性の闘いでは、協力しさえすれば利益を得る。異なる選択をすると利益が失われるため、協力は均衡状態である。しかし、異なる選択は両者に異なる利益を与え、利害対立がある。(全体的視点の役割)
 (1.3)ハイ&ロウ
  ハイ&ロウでは、協力しさえすれば利益を得る。異なる選択をすると利益が失われるため、協力は均衡状態である。異なる選択で協力が維持できれば、利益を増やせる可能性があるが、劣位の均衡に閉じ込められる場合もある。(より良い均衡の認知)
 (1.4)鹿狩り
  鹿狩りでは、相手に優位で必ず利益がある選択肢と、相手に劣位でリスクのある選択肢とが天秤にかけられる。各選択肢の期待値は等しい。優位な均衡は、両者がリスクを取る選択であるが、劣位の均衡に閉じ込められやすい。より良い均衡に遷移するためには、非協力リスクと相対的劣位の負担を乗りこえる相手への信頼が必要となる。(信頼の役割、非協力のリスクの許容度、相対的優位性の観点)
 (1.5)囚人のジレンマ
  囚人のジレンマでは、相手に優位で期待値も大きい裏切りと、相手に劣位で期待値も小さい協力とが天秤にかけられる。それでもなお、全体にとって優位な均衡は、両者が協力する選択である。協力のためには、非協力リスクと相手に対する劣位の負担を乗りこえる相手への信頼が必要となる。(信頼の役割、非協力のリスクの許容度、相対的優位性の観点)

(2)制度に対するルール・アプローチ
 (2.1)タカ-ハト・ゲーム
  タカ-ハト・ゲームでは、相手に劣位ではあるが必ず利益があるハトの選択肢と、相手に優位でリスクのあるタカの選択肢とが天秤にかけられる。各選択肢の期待値は等しい。両者がタカの選択をすると、全体にとって最も不利な結果を招くため躊躇される。しかし、両者がハトの選択をしている状態は、タカの選択を魅力的にするため、均衡状態は存在しない。
  (a)顕著な解が存在していない。
  (b)彼らの唯一の選択肢は、ランダムに選択することである。
  (c)彼らの期待利得は、争いの的になっている土地に放牧しないことで得られる利得の(1,1)よりも大きくならない。
 (2.2)相関均衡
  (a)振付師はコインを投げ、公に告知する。表がでたら「ヌアー族が放牧する」、裏がでたら「ディンカ族が放牧する」。コイン投げの結果を、両者の共通知識とする。両プレーヤーが、相手プレーヤーがこの戦略に従うことに自信をもっているならば、コインを公的に投げることで双方の利得が上がる。儀式の結果を有効活用して、彼らは常に効率的な結果にコーディネートするだろう。
  (b)外的ルール
   条件付き戦略(ルール)は、このゲームの部分ではない。それが、外部から与えられたルールである。
(3)社会的制度の均衡したルール(rules-in-equilibrium)の理論
 ゲームGの相関均衡とは、新しい戦略の追加でGを拡張して得られる、より大きなゲームG*のナッシュ均衡である。新しい戦略は元々のゲームにはない外的事象の生起に条件付けて、行為を指示する。つまり、それは「XならばYをする」という言明のかたちをとる。ここでXは相関装置の性質である。

 「相関均衡
 コンヴェンションはどのような種類の均衡になるのだろうか。二つのナッシュ均衡が存在するにもかかわらず、どちらも放牧ゲームのコンヴェンションではない。結果として、コンヴェンションはコーディネーション・ゲームの単なるナッシュ均衡ではありえないことになる。ピーター・ヴァンダーシュラアフ(vanderschraaf 1995)は、ルイスのいうコンヴェンションが相関均衡であることを示している。この解概念は、1970年代にロバート・オーマンによって始めて研究されたものである。相関均衡は本章で提示する統一理論において重要な役割を果たすことになるので、その特徴を直感的に理解しておくことが重要である。数学的なフォーマル・モデルは少し複雑になるから、ここでは数学的でない説明をする。興味のある読者は、テクニカルな文献で詳細を追っていただきたい。
 相関均衡のアイデアを掴むためには、仮説的なコンヴェンション以前のシナリオから出発することが有用である。ディンカ族とヌアー族は放牧ゲームをプレーしようとしているが、(仮説により)顕著な解が存在していないと仮定しよう。そのような状況においては、彼らの唯一の選択肢はランダムに選択することである。ヌアー族はコインを投げて、表がでたら彼らはGを選択し、裏がでたらNGを選択する。ディンカ族も同じことをすることに決め、自分たちのコインを投げる。彼らが異なる結果を得る確率を合わせれば、効率的な解の一つに収束する確率は50%となる。残念なことに、彼らの期待利得は、争いの的になっている土地に放牧しないことで得られる利得の(1,1)よりも大きくならない。
 この例におけるコインは《別々に、私的に》投げられている。その代わりに、コイン投げが《単一》かつ《公的な》事象であったとしたら、何らかの違いが生じるだろうか。ここで新しい人物を導入しよう。ハーバート・ギンタスに従って、私は彼を「振付師」と呼ぶことにする(Gintis 2009)。振付師はコインを投げ、公に告知する。表がでたら「ヌアー族が放牧する」、裏がでたら「ディンカ族が放牧する」。二人のプレーヤーはコイン投げの儀式を見ていて、相手もまたそれを見ることができることを知っている。さらに、彼らは、両者ともに同じ儀式を見ている、ということを相手が知っていることを知っている(等々)。つまり、コイン投げの結果は共通知識である。
 このような環境においては、振付師のアドバイスに従うことが妥当であるように思われる。言い換えると、各プレーヤーはコイン投げの結果に基づいて行動を条件づけ、以下のような明確な戦略に従うのである。「振付師がGというのであればGを選択し、そうでなければNGを選択する」。両プレーヤーが、相手プレーヤーがこの戦略に従うことに自信をもっているならば、コインを公的に投げることで双方の利得が上がる。儀式の結果を有効活用して、彼らは常に効率的な結果にコーディネートするだろう。
 このような種類の解が相関均衡である。ゲームGの相関均衡とは、新しい戦略の追加でGを拡張して得られる、より大きなゲームG*のナッシュ均衡である。新しい戦略は元々のゲームにはない外的事象の生起に条件付けて、行為を指示する。つまり、それは「XならばYをする」という言明のかたちをとる。ここでXは相関装置の性質である。ヴァンダーシュラアフが示したように、ルイスのコンヴェンションは、コーディネーション・ゲームにおける以前の選択を活用した相関均衡である。言い換えると、コイン投げがプレーの歴史に置き換えられている。」
 「もう一度強調しておく価値があることは、もとの行列(図4・2)のナッシュ均衡に注目していたならば、これら二つの見解を取り持つことが不可能だったであろうということである。条件付き戦略(ルール)はこのゲームの部分ですらないし、そうなりえないのである。もとのゲームのなかには、北/南という相関装置が存在しないからである。したがって、相関戦略を、ダグラス・ノースの精神に従って、もとのゲームでのコーディネーションの達成に役立つ外的ルールとみなすことは正しい。しかしコンヴェンションは、もとのゲームのナッシュ均衡ではない。それはもとのゲームの相関均衡、つまり拡張されたゲームのナッシュ均衡である。制度に対するルール・アプローチと均衡アプローチとの間にある対照は、おそらく、異なる均衡概念のこうした区別を正しく理解しそこなっていることによるものであろう。しかし、相関均衡を導入すれば、どちらのアプローチも支持されるのである。つまり、私たちは社会的存在論の統合的見方を達成したのである。私たちはそれを、社会的制度の均衡したルール(rules-in-equilibrium)の理論と呼ぶことにしたい。」
(フランチェスコ・グァラ(1970-),『制度とは何か』,第1部 統一,第4章 相関,pp.79-81,85,慶應義塾大学出版会(2018),瀧澤弘和,水野孝之(訳))
(索引:均衡したルール理論,均衡理論,ルール理論)

制度とは何か──社会科学のための制度論


(出典:Google Scholar
フランチェスコ・グァラ(1970-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「第11章 依存性
 多くの哲学者たちは、社会的な種類は存在論的に私たちの表象に依存すると主張してきた。この存在論的依存性テーゼが真であるならば、このテーゼで社会科学と自然科学の区分が設けられるだろう。しかもそれは、社会的な種類についての反実在論と不可謬主義をも含意するだろう。つまり、社会的な種類は機能的推論を支えるものとはならず、この種類は、関連する共同体のメンバーたちによって、直接的かつ無謬的に知られることになるだろう。
 第12章 実在論
 しかし、存在論的依存性のテーゼは誤りである。どんな社会的な種類にしても、人々がその種類の正しい理論を持っていることと独立に存在するかもしれないのだ。」(中略)「制度の本性はその機能によって決まるのであって、人々が抱く考えによって決まるのではない。結果として、私たちは社会的な種類に関して実在論者であり可謬主義者であるはずだ。
 第13章 意味
 制度的用語の意味は、人々が従うルールによって決まる。しかし、そのルールが満足いくものでなかったらどうだろう。私たちは、制度の本性を変えずにルールを変えることができるだろうか。」(中略)「サリー・ハスランガーは、制度の同一化に関する規範的考察を導入することで、この立場に挑んでいる。
 第14章 改革
 残念ながら、ハスランガーのアプローチは実在論と不整合的である。私が主張するのは、タイプとトークンを区別することで、実在論と改革主義を救うことができるということだ。制度トークンはコーディネーション問題の特殊的な解である一方で、制度タイプは制度の機能によって、すなわちそれが解決する戦略的問題の種類によって同定される。」(後略)
(フランチェスコ・グァラ(1970-),『制度とは何か』,要旨付き目次,慶應義塾大学出版会(2018),瀧澤弘和,水野孝之(訳))

フランチェスコ・グァラ(1970-)
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2020年5月8日金曜日

タカ-ハト・ゲームでは、取りにいく方が相対的優位性が大きい。しかし、両者が取りにいくと最も非効率な結果を招く。全体利益の最大化観点からは、譲歩の必要性が分かるが、どちらが譲歩するかで対立する。(フランチェスコ・グァラ(1970-))

タカ-ハト・ゲーム

【タカ-ハト・ゲームでは、取りにいく方が相対的優位性が大きい。しかし、両者が取りにいくと最も非効率な結果を招く。全体利益の最大化観点からは、譲歩の必要性が分かるが、どちらが譲歩するかで対立する。(フランチェスコ・グァラ(1970-))】
(f)タカ-ハト・ゲーム
 (f.1)各プレーヤーは、積極的に取りにいく方に、選好を持つ。
  (i)利益の期待値は、同じである。(期待値)
  (ii)積極的に取りにいく方は、相手に依存するリスクにさらされている。(リスク)
  (iii)積極的に取りにいく方が、相手に対する相対的優位性が大きい。(期待値の相対的優位性)
 (f.2)両者が積極的に取りにいけば、最も非効率な結果となる。この結果は、自制することへの選好を強める。逆に、両者が自制すると考えれば、積極的に取りにいくことへの選好を強める。すなわち、これらいずれも均衡状態ではない。
 (f.3)両者は、両者の利益の合計値を最大化する観点から見た場合、一方が譲歩することがより良いと知ることはできるが、どちらが譲歩するかで利害対立が存在する。
    プレーヤー1
プ   放牧  しない
レ  ┌───┬───┐
|放牧│0、0│2,1│
ヤ  ├───┼───┤
|しな│1、2│1、1│
2 い└───┴───┘

 「ソバト渓谷の放牧ゲームは、行列を用いて戦略型ゲームで表現することができるが、これは生物学において「タカ-ハト・ゲーム」、経済学においては「チキン・ゲーム」として知られているものである。ヌアー族とディンカ族は、新たな土地を見つけるたびに、意思決定をしなければならないが。図4・2において、戦略Gは「放牧(graze)」を表し、NGは「放牧しない(not graze)」を表している。彼らが同じ領域で放牧することに決めるならば、二つの部族のメンバーは争うことになり、それが全員にとって最悪の結果である(0,0)をもたらす。どちらの部族も自制するならば、彼らは衝突しないけれど畜牛を養育する機会を失い、(1,1)になる。最善解は、右上と左下にある二つの均衡のうちの一つに収束することである。そこでは、片方の部族が放牧し、もう片方がそれを認めるのである。しかし誰が譲歩するのだろうか。
 放牧ゲームは、非対称な均衡を持ったコーディネーション問題であり、どちらの均衡になるのかは誰が譲歩するかに依存する。しかし、プレーヤーたちは同一なので、なぜ彼らのうちの一方がより低い利得を受け入れるべきなのか。ここでの唯一の対称的な解決策は非効率的であるだけでなく、ゲームの均衡ですらないことに注目すべきである。その結果、どちらかのプレーヤーが遅かれ早かれ、一方的に逸脱すると期待できる。
 私たちの架空の物語は、ある解を「自明」なものとして際立たせるように設計されていた。物語の続きはこうである。
 “相手部族の領域に侵入することは簡単であったが、ヌアー族とディンカ族は紛争を避けることを望んだ。ヌアー族はかつての河床の北側で放牧し、ディンカ族は南側で放牧し続けた(図4・1b)。細かい砂の線は侵略者を物理的に妨げることができなかったが、各部族は喜んで、それを領土を分つ境界線として扱った。”
 境界線や領土は制度的存在物である。ヌアー族とディンカ族は、原初的な私有財産の制度を発展させたのである。しかし、この制度はゲーム理論的形式ではどのようにモデル化できるだろうか。境界線や領土は放牧ゲームに表現されてすらいないことに注意されたい(図4・2)。境界線や領土は、コーディネーション問題の解の発見に役立つ理論の外部にある特徴なのである。」
    プレーヤー1
プ   放牧  しない
レ  ┌───┬───┐
|放牧│0、0│2,1│
ヤ  ├───┼───┤
|しな│1、2│1、1│
2 い└───┴───┘


(フランチェスコ・グァラ(1970-),『制度とは何か』,第1部 統一,第4章 相関,pp.77-78,慶應義塾大学出版会(2018),瀧澤弘和,水野孝之(訳))
(索引:タカ-ハト・ゲーム)

制度とは何か──社会科学のための制度論


(出典:Google Scholar
フランチェスコ・グァラ(1970-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「第11章 依存性
 多くの哲学者たちは、社会的な種類は存在論的に私たちの表象に依存すると主張してきた。この存在論的依存性テーゼが真であるならば、このテーゼで社会科学と自然科学の区分が設けられるだろう。しかもそれは、社会的な種類についての反実在論と不可謬主義をも含意するだろう。つまり、社会的な種類は機能的推論を支えるものとはならず、この種類は、関連する共同体のメンバーたちによって、直接的かつ無謬的に知られることになるだろう。
 第12章 実在論
 しかし、存在論的依存性のテーゼは誤りである。どんな社会的な種類にしても、人々がその種類の正しい理論を持っていることと独立に存在するかもしれないのだ。」(中略)「制度の本性はその機能によって決まるのであって、人々が抱く考えによって決まるのではない。結果として、私たちは社会的な種類に関して実在論者であり可謬主義者であるはずだ。
 第13章 意味
 制度的用語の意味は、人々が従うルールによって決まる。しかし、そのルールが満足いくものでなかったらどうだろう。私たちは、制度の本性を変えずにルールを変えることができるだろうか。」(中略)「サリー・ハスランガーは、制度の同一化に関する規範的考察を導入することで、この立場に挑んでいる。
 第14章 改革
 残念ながら、ハスランガーのアプローチは実在論と不整合的である。私が主張するのは、タイプとトークンを区別することで、実在論と改革主義を救うことができるということだ。制度トークンはコーディネーション問題の特殊的な解である一方で、制度タイプは制度の機能によって、すなわちそれが解決する戦略的問題の種類によって同定される。」(後略)
(フランチェスコ・グァラ(1970-),『制度とは何か』,要旨付き目次,慶應義塾大学出版会(2018),瀧澤弘和,水野孝之(訳))

フランチェスコ・グァラ(1970-)
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2019年4月17日水曜日

克服条件:全体利益の合計値最大化のための同じ行動を、相手も取るという信頼が存在し、その信頼は、自己利益の犠牲、非協力リスクの負担、相対的劣位性の受入、一時的な不平等の許容を、克服し得る程度のものであること。(フランチェスコ・グァラ(1970-))

囚人のジレンマ

【克服条件:全体利益の合計値最大化のための同じ行動を、相手も取るという信頼が存在し、その信頼は、自己利益の犠牲、非協力リスクの負担、相対的劣位性の受入、一時的な不平等の許容を、克服し得る程度のものであること。(フランチェスコ・グァラ(1970-))】
(e)囚人のジレンマ
 (e.1)以下の視点に従う限り、各プレーヤーは非協力に対して選好を持つ。
  (i)非協力の利益の期待値は、協力より大きい。(期待値)
  (ii)協力は、相手に依存するリスクにさらされている。(リスク)
  (iii)相手に対する相対的優位性も、非協力の方が圧倒的に大きい。(期待値の相対的優位性)
  (iv)協力と非協力の戦略が混在すると、不平等が生じる。(平等性)
 (e.2)それにもかかわらず、協力を選択する条件は何だろうか。
  (i)両プレーヤーが共に協力する選択は、均衡状態ではない。この状態を識別できるのは、両者の利益の合計値を最大化できるという観点である。
  (ii)両プレーヤーがお互いに、全体の利益の合計値最大化のための同じ行動を、相手も取るという信頼が存在すること。
  (iii)自己の利益を犠牲にし、相手の非協力のリスクを負担し、自己の相対的劣位性を受け入れ、非協力に伴う不平等を許容してもなお、全体の利益の合計値最大化のための行動を、相手も取るだろうという程度の信頼が必要である。
    プレーヤー1
プ   協力  裏切り
レ  ┌───┬───┐
|協力│2、2│0,3│
ヤ  ├───┼───┤
|裏切│3,0│1、1│
2 り└───┴───┘

 「囚人のジレンマはとりわけ特殊な種類のゲームであって、これまで分析してきたゲームと混同してはならない。走行ゲーム、ハイ&ロウ、鹿狩りゲームには複数均衡がある。これらはコーディネーション問題である。囚人のジレンマは異なる。なぜなら、左上の結果(CC)は均衡では《ない》からだ。それぞれのプレーヤーは、一方的にDをプレーすることで利得が大きくなる。これはいくつかの点で謎である。鹿狩りゲームにおいては、各プレーヤーが他のプレーヤーの手番を推測するという問題を抱えていたことを思い出そう。囚人のジレンマでは、その問題はそもそも存在しない。ある意味、裏切りの誘惑は非常に強力なものとなって、他のプレーヤーの行為について考える必要がないほどである。他のプレーヤーが何をしようと、自分はDをプレーする方がより良い。これが意味するのは、囚人のジレンマにおいては、ただ1つだけ均衡(DD)が存在していて、しかもしれが非効率的であるということだ。区別するために、コーディネーションに対して、この種類のゲームが協力の問題(もしくはジレンマ)を表現していると言うことにしよう。普段使う「協力」の意味が少しばかり拡大解釈されるのだが、それぞれのケースに対して、異なる用語を持つことは有用だ。
 上で説明した分析にもかかわらず、多くの人々は囚人のジレンマゲームにおいて協力が正しい選択であると考える。それはどうしてだろうか。これには、多くの人々にとっては戦略的に考えることが難しいのだということを含めて、おそらく二つ以上の理由が存在する。しかし、人々がこのような直感を持つのは、何よりもまず、人々が現実生活において、囚人のジレンマに似た状況で協力を支持するようなルールに従うことに慣れているからである。」
    プレーヤー1
プ   協力  裏切り
レ  ┌───┬───┐
|協力│2、2│0,3│
ヤ  ├───┼───┤
|裏切│3,0│1、1│
2 り└───┴───┘

(フランチェスコ・グァラ(1970-),『制度とは何か』,第1部 統一,第2章 ゲーム,pp.55-56,慶應義塾大学出版会(2018),瀧澤弘和,水野孝之(訳))
(索引:囚人のジレンマ)

制度とは何か──社会科学のための制度論


(出典:Google Scholar
フランチェスコ・グァラ(1970-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「第11章 依存性
 多くの哲学者たちは、社会的な種類は存在論的に私たちの表象に依存すると主張してきた。この存在論的依存性テーゼが真であるならば、このテーゼで社会科学と自然科学の区分が設けられるだろう。しかもそれは、社会的な種類についての反実在論と不可謬主義をも含意するだろう。つまり、社会的な種類は機能的推論を支えるものとはならず、この種類は、関連する共同体のメンバーたちによって、直接的かつ無謬的に知られることになるだろう。
 第12章 実在論
 しかし、存在論的依存性のテーゼは誤りである。どんな社会的な種類にしても、人々がその種類の正しい理論を持っていることと独立に存在するかもしれないのだ。」(中略)「制度の本性はその機能によって決まるのであって、人々が抱く考えによって決まるのではない。結果として、私たちは社会的な種類に関して実在論者であり可謬主義者であるはずだ。
 第13章 意味
 制度的用語の意味は、人々が従うルールによって決まる。しかし、そのルールが満足いくものでなかったらどうだろう。私たちは、制度の本性を変えずにルールを変えることができるだろうか。」(中略)「サリー・ハスランガーは、制度の同一化に関する規範的考察を導入することで、この立場に挑んでいる。
 第14章 改革
 残念ながら、ハスランガーのアプローチは実在論と不整合的である。私が主張するのは、タイプとトークンを区別することで、実在論と改革主義を救うことができるということだ。制度トークンはコーディネーション問題の特殊的な解である一方で、制度タイプは制度の機能によって、すなわちそれが解決する戦略的問題の種類によって同定される。」(後略)
(フランチェスコ・グァラ(1970-),『制度とは何か』,要旨付き目次,慶應義塾大学出版会(2018),瀧澤弘和,水野孝之(訳))

フランチェスコ・グァラ(1970-)
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2019年4月16日火曜日

ゲーム理論は、制度の諸特性を教える。例として、(a)何らかの規律の役割,(b)全体的視点の役割,(c)より良い均衡の認知,(d)信頼の役割,(e)非協力のリスクの許容度,(f)相対的優位性の観点,(g)結果の平等性。(フランチェスコ・グァラ(1970-))

ゲーム理論と制度

【ゲーム理論は、制度の諸特性を教える。例として、(a)何らかの規律の役割,(b)全体的視点の役割,(c)より良い均衡の認知,(d)信頼の役割,(e)非協力のリスクの許容度,(f)相対的優位性の観点,(g)結果の平等性。(フランチェスコ・グァラ(1970-))】

(a)走行ゲーム
 (a.1)プレーヤーは協力すれば利益を得て、協力しなければ何も得ない。
 (a.2)プレーヤーは解決方法への選好を持っていない。従って、利害の対立はない。
 (a.3)どの解決方法を選んでも利益は等しい。。

    プレーヤー2
プ   左へ  右へ
レ  ┌───┬───┐
|左へ│1、1│0,0│
ヤ  ├───┼───┤
|右へ│0,0│1、1│
1  └───┴───┘

(b)両性の闘い
 (b.1)プレーヤーは協力すれば利益を得て、協力しなければ何も得ない。
 (b.2)プレーヤーは解決方法への選好を持っている。従って、利害の対立がある。
 (b.3)解決方法によって、どちらのプレーヤーの利益が大きいかが異なる。しかし、両者の合計の利益は同じであり、この点が強調されれば協力が促されるかもしれない。
    プレーヤー2
プ   バスケ オペラ
レバス┌───┬───┐
| ケ│2、1│0,0│
ヤ  ├───┼───┤
|オペ│0,0│1、2│
1 ラ└───┴───┘

(c)ハイ&ロウ
 (c.1)プレーヤーは協力すれば利益を得て、協力しなければ何も得ない。
 (c.2)プレーヤーは解決方法への選好を持っている。
 (c.3)いずれの解決方法によっても、両プレーヤーの利益は等しい。従って、利害の対立はない。
 (c.4)しかし、劣位の安定状態に閉じ込められてしまう場合がある。
  優位の均衡に遷移する条件は、
  (i)両プレーヤーが、より良い均衡があることを知っていること。
  (ii)両プレーヤーがお互いに、相手も同じ行動を取るという信頼が存在すること。
    プレーヤー2
プ    H   L
レ  ┌───┬───┐
| H│2、2│0,0│
ヤ  ├───┼───┤
| L│0,0│1、1│
1  └───┴───┘

(d)鹿狩り
 (d.1)各プレーヤーは次の状況におかれ、それぞれ異なる選好を持つ。
  (i)協力と非協力とは、利益の期待値は同じである。(期待値)
  (ii)協力は、相手に依存するリスクを負う必要がありハイリスク・ハイリターンである。(リスク)
  (iii)利益の期待値は、協力では相手に劣位、非協力では優位である。(期待値の相対的優位性)
  (iv)協力と非協力の戦略が混在すると、不平等が生じる。(平等性)
 (d.2)優位の均衡に遷移する条件
  (i)両プレーヤーが、より良い均衡があることを知っていること。
  (ii)両プレーヤーがお互いに、相手も同じ行動を取るという信頼が存在すること。
  (iii)その信頼の程度は、相手の非協力のリスクを負える程度であること。
  (iv)その信頼の程度は、期待値において相対的に劣位であることを許容できる程度であること。
  (v)その信頼の程度は、戦略の混在による不平等を、一時的にせよ許容できる程度であること。
    プレーヤー2
プ    鹿   兎
レ  ┌───┬───┐
| 鹿│2、2│0,1│
ヤ  ├───┼───┤
| 兎│1,0│1、1│
1  └───┴───┘

 「走行ゲーム:二人のドライバーが二車線の道路で互いに接近している。彼らにできることは、左に寄るか右に寄るかである。二人ともが同じ側を選択すれば、彼らはともに利益を得る。そうでないと、彼らは停車して大事な時間を浪費しなければならなかったり、衝突してしまったりするだろう。この行列を使って記述できるのは以下のような状況である。問題解決のためにプレーヤーたちが力を合わせなければならないが、問題解決の仕方が多数ある。さらに、どのような問題解決の仕方についても、プレーヤーたちはどちらの方がいいという選好を持っていない状況である。とりわけ注意するべきは、ここには利害対立がないことである。というのは、どちらの均衡が選択されても、両プレーヤーは等しく便益を享受することになるからである。」
    プレーヤー1
プ   左へ  右へ
レ  ┌───┬───┐
|左へ│1、1│0,0│
ヤ  ├───┼───┤
|右へ│0,0│1、1│
2  └───┴───┘

 「両性の闘い:この物語の登場人物は二人の婚約者だ。彼らは一緒に夜を過ごすことを選好する。しかし、可能な選択肢に関しては、彼らは異なる選好を持っている。プレーヤー1はバスケットボールの試合観戦を選好しているのに対して、プレーヤー2はオペラに行くことを選好している。これは交渉ゲームである。というのは、コーディネーションの便益の配分の仕方には違いがあり、ある配分はプレーヤーたちの一方にとってより好ましいものになっているからだ。両性の闘いは、コーディネーションの利益だけでなく、利害対立も存在する状況を表現するのに役立つ。軍事作戦の文脈で解釈すれば、私がリードしてあなたが従う、あるいは、あなたがリードして私が従うのが望ましいが、私たちが両方ともリードするとか従うとかしたら、惨憺たる結末を迎えるという状況である。」(中略)「私たちは、均衡に収束することが望ましいということについては合意しているものの、どちらの均衡が実現してほしいかについては無関心ではいられない。」
    プレーヤー1
プ   バスケ オペラ
レバス┌───┬───┐
| ケ│2、1│0,0│
ヤ  ├───┼───┤
|オペ│0,0│1、2│
2 ラ└───┴───┘

 「ハイ&ロウ:二つの選択肢の一方がプレーヤー双方にとって明らかに良いことを除けば、戦略設定は同じである。ハイ&ロウは自明なゲームに見えるかもしれないが、実際には制度研究にとって極めて重要なものだ。制度は、コーディネーションが欠落した結果よりも良い結果へと収束することを促すものである。しかし、制度は時として、人々を劣位の安定的状態(LL)に閉じ込めてしまい、負の影響を持ちうる。読者は、(LL)が愚かな結果だということを、どうしてプレーヤーたちが理解できないのかを不思議に思われるかもしれない。ありうる回答の一つは単純なもので、彼らがより良い均衡があることを知っていないだけだというものである。他の場合では、プレーヤーたちは皆、より良い均衡の存在は知っているけれども、そこに収束していく際に、プレーヤーたちが他のプレーヤーたちがしかるべき自分の行為を選択しないだろうと信じないせいで、収束するのに失敗してしまう。こうしたことが起こるかもしれないのは、たとえば「鷹狩り」ゲーム(図2・2(d))のように、劣位の均衡戦略が安全で、かつ優位の戦略がリスクを伴うときである。」
    プレーヤー1
プ    H   L
レ  ┌───┬───┐
| H│2、2│0,0│
ヤ  ├───┼───┤
| L│0,0│1、1│
2  └───┴───┘

 「鹿狩り:『人間不平等起源論』(Rousseau 1755)でジャン=ジャック・ルソーは、森林でシカを待ち伏せする狩人の集団について語っている。狩りにはコーディネーション、規律、信頼が求められる。森のなかでは、プレーヤーたちはお互いの姿を確認できず、注意を逸らすものが沢山あるからだ。ルソーの見解は悲観的だ。「鹿を捕えようという場合、各人は確かにそのためには忠実にその持ち場を守らなければならないと感じた。しかし、もし一匹の兎が彼らのなかのだれかの手の届くところをたまたま通りすぎるようなことでもあれば、彼は必ずなんのためらいもなく、それを追いかけ、そしてその獲物を捕らえてしまうと、そのために自分の仲間が獲物を取り逃すことになろうとも、いささかも気にかけなかった」[邦訳89頁]。ウサギを追跡することは魅力的だ。他のプレーヤーが何をしようとも、そうすることが夕食を保証することになるからだ。もちろんシカを狩る方がより多くの食事にありつけるかもしれないが、それはより大きな危険を伴う。他の狩人がウサギを追いかけたら、シカを狙う狩人は飢えたままでいることになる。形式的には、鹿狩りゲームは、均衡外の利得がウサギを追跡する(H)プレーヤーにとってより大きいことを除けば、ハイ&ロウと同一である。他のプレーヤーが協働するときに限り、シカを追跡することが価値あるものとなる。
    プレーヤー1
プ    鹿   兎
レ  ┌───┬───┐
| 鹿│2、2│0,1│
ヤ  ├───┼───┤
| 兎│1,0│1、1│
2  └───┴───┘


(フランチェスコ・グァラ(1970-),『制度とは何か』,第1部 統一,第2章 ゲーム,pp.51-53,慶應義塾大学出版会(2018),瀧澤弘和,水野孝之(訳))
(索引:ゲーム理論,走行ゲーム,両性の闘い,ハイ&ロウ,鹿狩り)

制度とは何か──社会科学のための制度論


(出典:Google Scholar
フランチェスコ・グァラ(1970-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「第11章 依存性
 多くの哲学者たちは、社会的な種類は存在論的に私たちの表象に依存すると主張してきた。この存在論的依存性テーゼが真であるならば、このテーゼで社会科学と自然科学の区分が設けられるだろう。しかもそれは、社会的な種類についての反実在論と不可謬主義をも含意するだろう。つまり、社会的な種類は機能的推論を支えるものとはならず、この種類は、関連する共同体のメンバーたちによって、直接的かつ無謬的に知られることになるだろう。
 第12章 実在論
 しかし、存在論的依存性のテーゼは誤りである。どんな社会的な種類にしても、人々がその種類の正しい理論を持っていることと独立に存在するかもしれないのだ。」(中略)「制度の本性はその機能によって決まるのであって、人々が抱く考えによって決まるのではない。結果として、私たちは社会的な種類に関して実在論者であり可謬主義者であるはずだ。
 第13章 意味
 制度的用語の意味は、人々が従うルールによって決まる。しかし、そのルールが満足いくものでなかったらどうだろう。私たちは、制度の本性を変えずにルールを変えることができるだろうか。」(中略)「サリー・ハスランガーは、制度の同一化に関する規範的考察を導入することで、この立場に挑んでいる。
 第14章 改革
 残念ながら、ハスランガーのアプローチは実在論と不整合的である。私が主張するのは、タイプとトークンを区別することで、実在論と改革主義を救うことができるということだ。制度トークンはコーディネーション問題の特殊的な解である一方で、制度タイプは制度の機能によって、すなわちそれが解決する戦略的問題の種類によって同定される。」(後略)
(フランチェスコ・グァラ(1970-),『制度とは何か』,要旨付き目次,慶應義塾大学出版会(2018),瀧澤弘和,水野孝之(訳))

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