2018年5月16日水曜日

24.道徳論:精神の健康を回復し良好な状態を保持するため、意志と欲望に影響を及ぼし性格を変える方法は、習慣、鍛錬、習性、教育、模範、模倣、競争、交わり、友人、賞賛、非難、勧告、名声、おきて、書物、学問である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

道徳論

【道徳論:精神の健康を回復し良好な状態を保持するため、意志と欲望に影響を及ぼし性格を変える方法は、習慣、鍛錬、習性、教育、模範、模倣、競争、交わり、友人、賞賛、非難、勧告、名声、おきて、書物、学問である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「さて、次の論題は、われわれがそれを自由に支配することができ、しかもそれは意志と欲望に影響を及ぼして性格をかえるような力と作用を精神に対してもつものについてであるが、それらのもののうち、哲学者たちは、習慣、鍛錬、習性、教育、模範、模倣、競争、交わり、友人、賞賛、非難、勧告、名声、おきて、書物、学問をとり扱うべきであった。

というのは、これらは道徳論においてはっきりした効用のあるものであり、これらによって精神は影響と感化をうけるのであり、また、これらから、精神の健康と良好な状態を、人間の手でなおしうるかぎり、回復しあるいは保持するのに役だつような処方が調剤され書かれるからである。」

(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、二二・七、pp.294-295、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:道徳論)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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23.性質、欲望と目的、習慣、生活様式、長所と強み、弱点と短所、無防備なところ、友人と一味徒党と子分たち、反対者とそねむ者と競争者、機嫌と潮時、主義、しきたり、習性、行動特性・評価・重要性。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

洞窟のイドラ

【性質、欲望と目的、習慣、生活様式、長所と強み、弱点と短所、無防備なところ、友人と一味徒党と子分たち、反対者とそねむ者と競争者、機嫌と潮時、主義、しきたり、習性、行動特性・評価・重要性。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「その性質、その欲望と目的、その習慣と生活様式、その助けとなっている長所とその強みのおもなもの、それからまた、その弱点と短所、そのもっともあけっぱなしで無防備なところ、その友人と一味徒党と子分たち、それからまた、その反対者とそねむ者と競争者、「あなただけがかれにそっと近づく潮時を知っている」〔『アイネイス』四の四二三〕といわれる、その機嫌と潮時、その主義としきたりと習性など、

しかも人物についてだけでなく行動についても、どういうことがときおり行なわれているか、その行動がどのようになされ、好意をもたれ、反対されているか、どれほど重要であるかなど、一つ一つの点について正しい情報をつかむことである。

というのは、相手の現在の行動について知ることは、それ自身たいせつであるばかりでなく、それを知らなければ、人物についての認識もひどくまちがったものとなるからである。

それというのも、人間は行動とともに変わるものであって、あることを追求しているときと、本性にもどったときとでは人がらが変わることもあるからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、二三・一四、p.323、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:洞窟のイドラ)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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22.洞窟のイドラ:各個人は、受けた教育、談話した人々、読んだ書物、尊敬し嘆賞する人々の権威などに応じて、多様で全く不安定な、いわば偶然的で特殊な性質を、それぞれ持っている。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

洞窟のイドラ

【洞窟のイドラ:各個人は、受けた教育、談話した人々、読んだ書物、尊敬し嘆賞する人々の権威などに応じて、多様で全く不安定な、いわば偶然的で特殊な性質を、それぞれ持っている。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】

 「「洞窟のイドラ」とは人間個人のイドラである。

というのも、各人は(一般的な人間本性の誤りのほかに)洞窟、すなわち自然の光を遮り損う或る個人的なあなを持っているから。すなわち、或は各人に固有の特殊な性質により、或は教育および他人との談話により、或は書物を読むことおよび各人が尊敬し嘆賞する人々の権威により、或はまた、偏見的先入的な心に生ずるか、不偏不動の心に生ずるかに応じての、印象の差異により、或はその他の仕方によってであるが。

したがってたしかに人間の精神とは、(個々の人の素質の差に応じて)多様でそして全く不安定な、いわば偶然的なものなのである。

それゆえにヘラクレイトスが、人々は知識をば〔彼らの〕より小さな世界のうちに求めて、より大きな共通の世界の中に求めない、と言ったのは正しい。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四二、pp.84-85、[桂寿一・1978])
(索引:洞窟のイドラ)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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21.種族のイドラの一例:宇宙の果ての向こう側とか、永遠の時間とか、無限に可分的な線分とか、限りなく原因を考えること。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

種族のイドラ

【種族のイドラの一例:宇宙の果ての向こう側とか、永遠の時間とか、無限に可分的な線分とか、限りなく原因を考えること。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 種族のイドラの例:人間の知性は静止することができず、常により先に何かがあると考える。このため、世界の究極や極限とか、永遠に関すること、線がどこまでも可分的であるなどと考えるようになる。また、本来は原因を求め得ずそのまま肯定的なものにまで、原因を求めるようになるのも、知性のこの働きによる。

 「人間の知性は絶えずいらいらして、静止もしくは休止することができず、常に先へ進もうとするが、しかし無駄働きなのである。

それゆえに〔知性にとっては〕世界の究極もしくは極限なるものは思惟され得ず、常により先に何かがあるということが、いわば必然的に生ずる。

さらにまた永遠がどのような仕方で、今日まで流れてきたかということも思惟され得ない。」(中略)

「線がどこまでも可分的であるという細かしい理屈も同様であって、思惟の〔止まることの〕不能からくる。

ところが精神のこの不能は、原因を見出してゆく場合に、より大きな災いを伴って障害を与える。

というのは、自然における最も普遍的なものは、それらが見出されるごとく、また実際原因を求め得ないように、本来〔そのままの〕肯定的なものであるべきなのに、人間の知性は止まることを知らずして、なお〔自然に関して〕よりもとのものを求める。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四八、pp.89-90、[桂寿一・1978])
(索引:種族のイドラ、無限、永遠、原因)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



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フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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2018年5月15日火曜日

20.種族のイドラ:人間の知性は、いわば事物の光線に対して平らでない鏡、事物の本性に自分の性質を混じて、これを歪め着色する鏡のごときものである。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

種族のイドラ

【種族のイドラ:人間の知性は、いわば事物の光線に対して平らでない鏡、事物の本性に自分の性質を混じて、これを歪め着色する鏡のごときものである。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】

 「「種族のイドラ」は人間の本性そのもののうちに、そして人間の種族すなわち人類のうちに根ざしている。というのも、人間の感覚が事物の尺度であるという主張は誤っている、それどころか反対に、感官のそれも精神のそれも一切の知覚は、人間に引き合せてのことであって、宇宙〔事物〕から見てのことではない。そして人間の知性は、いわば事物の光線に対して平らでない鏡、事物の本性に自分の性質を混じて、これを歪め着色する鏡のごときものである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四一、p.84、[桂寿一・1978])
(索引:種族のイドラ)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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19.人間の知性を捕えてしまって、そこに深く根を下ろしている「イドラ」および偽りの概念を前もって知り自分を守らなければ、真理への道を開くのは困難になろう。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

イドラ

【人間の知性を捕えてしまって、そこに深く根を下ろしている「イドラ」および偽りの概念を前もって知り自分を守らなければ、真理への道を開くのは困難になろう。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「すでに人間の知性を捕えてしまって、そこに深く根を下ろしている「イドラ」および偽りの概念は、真理への道を開くのが困難なほど、人々の精神を占有するのみならず、たとい通路が開かれ許されたとしても、それらはまたもや諸学の建て直し〔革新〕のときに出現し、妨げをするであろう、もしも人々がそれらに対し、前もって警告されていて、できるだけ自分を守るのでないかぎり。」(中略)
 「人間の精神を占有する「イドラ」には四つの種類がある。それらに(説明の便宜のために)次の名称を付けた、すなわち、第一の類は「種族のイドラ」、第二は「洞窟のイドラ」、第三は「市場のイドラ」、第四は「劇場のイドラ」と呼ぶことにする。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、三八、三九、pp.82-83、[桂寿一・1978])
(索引:イドラ、種族のイドラ、洞窟のイドラ、市場のイドラ、劇場のイドラ)

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(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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18.フランシス・ベーコンの夢:理想と考える一つの法体系、あるいは国家の最良の様態、型を記述すること。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

フランシス・ベーコンの夢

【フランシス・ベーコンの夢:理想と考える一つの法体系、あるいは国家の最良の様態、型を記述すること。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】

 「この寓話はわがベーコン卿が、人々の益となるよう、自然の解明と、数々の驚嘆すべき大規模な装置の製造のために設立される学院―――「サロモンの家」または「六日創造学院」と呼ばれる―――の雛型あるいは概要を示そうとされたものであります。

卿はそこまでは書き終えておられました。

誠にその雛型は壮大かつ高尚、すべてを模倣することは到底不可能でありますが、その中の多くは人間の力で実現可能なものであります。

卿はまたこの寓話において、一つの法体系、あるいは国家の最良の様態、ないしは型を記述する意図をお持ちでした。

しかしながらそれは長くなることを予知され、その前にぜひとも「博物誌」の編纂をしたいという願いに従われることになりました。

 ご覧のように『ニュー・アトランティス』を(英語版に関する限り)、「博物誌」のあとに置くのは、わが卿が意図されたことであります。この著述は(その一部が)「博物誌」と密接な関連があるとお考えになっておられたのです。」
(ウィリアム・ローリー(1588頃-1667)『ニュー・アトランティス』読者に、p.6、[川西進・2003])
(索引:フランシス・ベーコンの夢)

ニュー・アトランティス (岩波文庫)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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2018年5月10日木曜日

17.事物の本性が人間の精神に満足を与えない場合に、想像力が自由に、より豊かな偉大さ、厳格な善、完全な多様性とを表現する、極度に無拘束な学問の部門がある。詩である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

想像力と詩

【事物の本性が人間の精神に満足を与えない場合に、想像力が自由に、より豊かな偉大さ、厳格な善、完全な多様性とを表現する、極度に無拘束な学問の部門がある。詩である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 事物の本性が人間の精神に満足を与えないような場合に、想像力が自由に、人間の霊の要求に応じて、より豊かな偉大さと、厳格な善と、完全な多様性とを表現する極度に無拘束な学問の部門がある。詩である。詩は、歴史上の行為とか事件とかを、より偉大で、かつ英雄的なものとして、仮作してきた。

 「詩は、韻律の点では大いに制約されているが、しかし他のすべての点では、極度に無拘束な学問の部門であって、ほんとうに想像力に関係するものである。

想像力は、物質の法則にしばられることなく、好き勝手に、自然がひきはなしているものを結びつけ、自然が結びつけているものをひきはなし、こうして、自然の法則に反する結婚や離婚をさせるのであって、「画家や詩人には、創作の自由がある」〔ホラティウス『詩篇』九〕といわれているとおりである。」

 「この仮作の歴史の効用は、世界のほうが人間の魂よりもその品位がおとっているので、事物の本性が人間の精神に満足を与えないような場合に、ある満足の影のようなものを与えることであった。

そうしたわけで、詩には、人間の霊の要求に応じて、事物の本性に見出されうるよりも豊かな偉大さと、厳格な善と、完全な多様性とがあるのである。

こういう次第で、ほんとうの歴史上の行為とか事件とかは、人間の精神を満足させるほどの偉大さをもたないから、詩はそれよりも偉大で、かつ英雄的な行為と事件を仮作するのである。

ほんとうの歴史は、行動の結末と成行きを、因果応報の理に応じて述べないから、それゆえに、詩は、それらがもっと正しく応報をうけ、神の示された摂理にもっと一致するように仮作する。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、四・一、四・二、pp.146-147、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:想像力、詩、仮作された歴史)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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14.ある感情を、他の感情によってどう制御し変化させるかについての研究は、道徳と政治に関することがらに特別に役だつ。想像力により感情が静められ、あるいは燃え立たされ、行動が抑制され、あるいは発動する。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

想像力と感情

【ある感情を、他の感情によってどう制御し変化させるかについての研究は、道徳と政治に関することがらに特別に役だつ。想像力により感情が静められ、あるいは燃え立たされ、行動が抑制され、あるいは発動する。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
想像力と感情、感情どおしの相互作用の研究は、道徳と政治に関することがらに特別役だつものである。
(a) 想像力により、どのように感情が燃え立たされ、かき立てられるか。抑えられていた感情が、どのようにして外に出るか、それがどう活動するか。
(b) 想像力により、感情がどのように静められ、抑えられるか。感情が行動に発展するのをどう抑制されるか。
(c) それらの感情がどのように重なりあうか、どのようにたがいに戦い対立し合うか。ある感情が、他の感情によってどのように制されるか。どう変化するか。

 「詩人と歴史の著述家がこの認識の最上の教師であって、われわれは、そこにつぎのようなことがいきいきと描かれているのを見る。

すなわち、どのように感情がもえたたされ、かきたてられるか、それがどのようにしずめられ、抑えられるか、そしてまた、それが行動に発展するのをどう抑制されるか、抑えられたものがどのようにして外に出るか、それがどう活動するか、どう変化するか、それがどうつのってはげしくなるか、それらの感情がどのように重なりあうか、それらがどのようにたがいに戦い角つきあうかなどといったことが一つ一つ描かれている。

それらのうち、最後にあげたことが、道徳と政治に関することがらには特別に役だつものである。

くりかえしていえば、それは、どのようにして感情をたがいに対立させあい、他方によって一方を制するかということである。」 

(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、二二・六、pp.293-294、[服部英次郎、多田英次・1974]) 

(索引:感情、情念、道徳、政治、想像力)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


フランシス・ベーコン(1561-1626)
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