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2018年5月8日火曜日

「人間の自然の性」を獲得するには、まず自然の理解が必要であり、多くの人々が安全にそこに到達できるような社会が必要であり、道徳哲学、教育学、医学、諸々の技術が必要である。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))

人間の自然の性

【「人間の自然の性」を獲得するには、まず自然の理解が必要であり、多くの人々が安全にそこに到達できるような社会が必要であり、道徳哲学、教育学、医学、諸々の技術が必要である。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))】
(5) 「人間の自然の性」を獲得し、他の諸個人とともにそのような自然の性を享受することができるためには、まず、そのような自然の性を獲得するのに足りるだけ自然について解ることが必要である。
(6) それから、できるだけ多くの人ができるかぎり簡単に、かつ安全にそこに辿り着くために、望まれるような世の結びつきをつくることが必要である。
(7) そして、道徳哲学、子どもたちのための教育学、完備した医学、諸々の技術が必要となる。
 「そこで次のことがわたしのめざす目的である。すなわち、そのような自然の性を獲得し、かつ、たくさんの人がわたしとともにそれを獲得するように力めることである。つまり、ほかのたくさんの人が、わたしが解るのと同じものを解って、その人たちの知性と慾望がわたしの知性、慾望とすっかり一致するように尽くすことがわたしの幸福である。そしてこれがなされるためには、そのような自然の性を獲得するのに足りるだけ自然について解ることが必要である。それから、できるだけ多くの人ができるかぎり簡単に、かつ安全にそこに辿り着くために、望まれるような世の結びつきをつくることが必要である。」
 「さらに進んで、道徳哲学に力を尽くすべきである。たとえば成年に達しない子の訓育についての教えに向けられるように。そして、健康はこの目的に達するための手だてとして瑣末ではないので、完備した医学が用意されるべきである。また困難な多くのことが技術によってたやすくされ、それによってわれわれは暮らしの中でたくさんの時間と便宜を得することができるから、機械技術はけっして蔑ろにされるべきではない。」
(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)『知性改善論』(14)(15)(書名『スピノザ 知性改善論、神、人間とそのさいわいについての短論文』)、pp.14-15、みすず書房(2018)、佐藤一郎(訳))
(索引:)

知性改善論/神、人間とそのさいわいについての短論文



(出典:wikipedia
バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「どんなものも、その本性において見れば、完全だとも不完全だとも言われないであろう。特に、生起する一切のものは永遠の秩序に従い、一定の自然法則に由って生起することを我々が知るであろう後は。」(中略)「人間はしかし無力のためその思惟によってこの秩序を把握できない。だが一方人間は、自分の本性よりはるかに力強い或る人間本性を考え、同時にそうした本性を獲得することを全然不可能とは認めないから、この完全性[本性]へ自らを導く手段を求めるように駆られる。そしてそれに到達する手段となり得るものがすべて真の善と呼ばれるのである。最高の善とはしかし、出来る限り、他の人々と共にこうした本性を享受するようになることである。ところで、この本性がどんな種類のものであるかは、適当な場所で示すであろうが、言うまでもなくそれは、精神と全自然との合一性の認識(cognitio unionis quam mens cum tota Natura habet)である。」
 「だから私の志す目的は、このような本性を獲得すること、並びに、私と共々多くの人々にこれを獲得させるように努めることにある。」(中略)「次に、出来るだけ多くの人々が、出来るだけ容易に且つ確実にこの目的へ到達するのに都合よいような社会を形成しなければならない。なお、道徳哲学並びに児童教育学のために努力しなければならない。また健康はこの目的に至るのに大切な手段だから、全医学が整備されなければならない。また技術は多くの難しい事柄を簡単なものにして、我々に、生活における多くの時間と便宜を得させてくれるから、機械学を決してなおざりにしてはならない。」(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)『知性改善論』(12)(13)(14)(15)、pp.17-19、岩波文庫(1968)、畠中尚志(訳))

バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)
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9.不死への欲求が、名声を求めさせ、建築物と記念碑を作らせてきたが、学問こそ永続するだろう。それは、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、人々の精神に種をまき、意見と行動を通じて、知恵と知識と発明の分け前を取らせる。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

学問の船の喩え

【不死への欲求が、名声を求めさせ、建築物と記念碑を作らせてきたが、学問こそ永続するだろう。それは、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、人々の精神に種をまき、意見と行動を通じて、知恵と知識と発明の分け前を取らせる。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 人間には、不死への欲求がある。この不死への欲求によって、多くのことが成し遂げられてきた。
・子をうみ、家名をあげ、不死を得る。
・遺名と名声と令名を求め、不死を得る。
・建築物と記念の施設と記念碑をたて、不死を得る。
・知力と学問の記念碑により、不死を得る。
 人びとの知力と知識の似姿は、書物の中にいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができる。それはつねに子を産み、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、果てしなく行動を引き起こし意見を生む。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。

 「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。

そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。

というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)

「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。

これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。

それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。

学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。」

(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:学問の船の喩え、不死のへ欲求)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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8.推論式による通常の論理学がすべての学問に適用できるように、帰納法も、自然哲学だけでなく、残りの諸学、論理学・倫理学・政治学についても、適用される。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

帰納法の適用範囲

【推論式による通常の論理学がすべての学問に適用できるように、帰納法も、自然哲学だけでなく、残りの諸学、論理学・倫理学・政治学についても、適用される。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】

 「また人は次のように反対する、というよりむしろ疑いもするであろ、果して我々は自然哲学だけについて言うのか、それとも残りの諸学、論理学・倫理学・政治学についても、我々の方法で行なわるべきだと語っているのかと。

ところでたしかに我々は、言われたことはすべてについてであると解しており、そして事物を推論式で支配する通常の論理学が、単に自然的のみならずすべての学に及ぶごとく、「帰納法」によって進行する我々の論理学も、一切を包括するわけである。

というのは我々は怒り・恐れ・恥じらいその他同様のものについて、また政治的事例についても、〔自然〕誌および発見表を作り上げるし、また、寒熱や光や植物の生育等について劣らず、記憶・合成および分割・判断その他の精神的働きについても同様である。

とは言え我々のいう「解明」の仕方は、誌が用意され整序された後には、(通常の論理学のように)単に精神の働きおよび運びを見るだけではなく、事物の本性をも考察するのであるから、我々は精神をばあらゆる点で適切な仕方で、事物の本性に適用されるように指導する。」

(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、一二七、p.191、[桂寿一・1978])
(索引:論理学、倫理学、政治学、帰納法)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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7.学問や技術そのものが、諸悪の原因であるという非難には、注意すること。なぜなら、知能・勇気・力・容姿・富などと同様に、それは正しい理性と健全な宗教の導き次第だからだ。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

学問への非難について

【学問や技術そのものが、諸悪の原因であるという非難には、注意すること。なぜなら、知能・勇気・力・容姿・富などと同様に、それは正しい理性と健全な宗教の導き次第だからだ。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「最後にもし人が、諸学および技術が諸悪および奢侈等へ堕落することを、非難するとしても、これには何ぴとも心動かされないよう望む。  

というのは、それはこの世の一切の善なることについて、知能・勇気・力・容姿・富・光そのもの、その他についても言われうることだから。

ただ人類が、神の恵与によって、彼のものである自然への自分の権利を回復せんことを、そして彼にその力が与えられんことを〔祈るのみ〕。実行は正しい理性と健全な宗教とが舵をとるであろう。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、一二九、p.197、[桂寿一・1978])
(索引:学問、技術)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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