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2018年5月27日日曜日

表出とは、表出される事物の内にある諸関係に対応する諸関係を、自分のうちに持つことである。機械の模型が機械を表出する、代数方程式が図形を表出する等。そして、すべての実体は全宇宙を表出する。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

表出

【表出とは、表出される事物の内にある諸関係に対応する諸関係を、自分のうちに持つことである。機械の模型が機械を表出する、代数方程式が図形を表出する等。そして、すべての実体は全宇宙を表出する。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
 表出とは、表出される事物の内にある諸関係に対応する諸関係を、自分のうちに持つことである。そして、表出するものが表出される事物と類似していることは必要でなく、ただ関係の或る種の類比が維持されるだけでよい。また、ある表出はその基礎を本性の内に持っているし、また或るものは、音声や文字から成る表出のように、少なくとも部分的には自由裁量によって基礎づけられている。さらにまた、同じ原因に由来するものが相互に表出しあうこともあり得る。以下、表出の例である。機械の模型が機械を、平面上の射影図が立体を、発言が思惟と真理を、数字が数を、代数の方程式が円や他の図形を,結果の全体が十全な原因を、行為が人の心を、世界が神を、表出する。

(補足説明)
 表出される事物:A ⇒ 表出する事物:B
 機械        ⇒ 機械の模型
 立体        ⇒ 平面上の事物の射影図
 思惟や真理     ⇒ 発言
 数         ⇒ 数字
 円、その他の図形  ⇒ 代数方程式
 十全な原因     ⇒ 結果の全体
 その人の心     ⇒ 各々の行為
 全宇宙       ⇒ 実体
 神         ⇒ 世界そのもの

 表出される事物:A  表出する事物:B
 最も広義な(一般的な)〈表出〉の定義
  集合Aから集合Bの上への写像(全射)が存在するとき、BをAの〈表出〉と定義する。
  すなわち、ある写像fを定義することができて、いかなるBの要素bを選んだとしても、f(a) = b となるようなAの要素aが存在する。(ただし、要素aは一つに決まるとは限らない。)
 基本的な性質
  ・何らかの表出される事物の表出でないような事物は、表出する事物の要素には存在しない。
  ・Aの表出がBであるとき、Bの任意の要素bに対して、その表出がbになるようなAの要素aを対応させるBからAへの写像gが必ず存在することは、証明できない。(選択公理)
  ・表出される事物の濃度は、表出する事物の濃度以上である。
 「何か或るものを表出するとは、表出されるべき事物の内にある諸関係(habitudines)に対応する諸関係を自分のうちに持っているものについて言われることである。だが表出は様々である。例えば機械の模型は機械そのものを表出しているし、平面上の事物の射影図は立体を、発言は思惟や真理を、数字は数を、代数の方程式は円や他の図形を、表出している。そして、これら諸表出に共通なのは、表出しつつあるものの持つ諸関係を観察するだけで、表出されるべき事物の持つ対応する固有性の認識へ到達できるということである。したがって、表出するものが表出される事物と類似していることは必要でなく、ただ関係の或る種の類比が維持されるだけでよいことは明らかである。
 さらに、ある表出はその基礎を[事物の]本性の内に持っているし、また或るものは、音声や文字から成る表出のように、少なくとも部分的には自由裁量によって基礎づけられていることも明白である。」(中略)「同様にして、結果の全体は十全な原因(causa plena)を表現する。というのも、このような結果の認識から常にわれわれはその原因の認識へと到達することができるからである。このように、各々の行為はその人の心(animus)を表現しているのであり、そして世界そのものも或る仕方で神を表現している。さらにまた、同じ原因に由来するものが相互に表出しあうこともあり得る。例えば身振りと言葉(sermo)のように。そのような訳で、耳の聞こえない或る人々は、声ではなく口の動きから、話していることを理解するのである。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『観念とは何か』ライプニッツ著作集8、pp.20-21、[米山優・1990])
(索引:表出)

前期哲学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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説得方法:(a)否定的な発言はしない、(b)相手の恥はもみ消す、(c)直接評価は控える、(d)全てを相手の手柄にする、(e)私的な欲望を暴かない、(f)進言は立派な大義名分を立て、利害は軽く添える。(韓非(B.C.280頃-B.C.233))

説得方法

【説得方法:(a)否定的な発言はしない、(b)相手の恥はもみ消す、(c)直接評価は控える、(d)全てを相手の手柄にする、(e)私的な欲望を暴かない、(f)進言は立派な大義名分を立て、利害は軽く添える。(韓非(B.C.280頃-B.C.233))】
 君主の意向に逆らうところがなく、説く者の言葉づかいも相手の心に抵抗するところがなくなって始めて、知恵と弁舌を思いのままにふるうことができる。これこそ、君主と親しい関係になって、もはや疑われることがなく、言いたいことを存分に言えるための方法である。
(a)相手が自らを肯定的に評価しているとき、否定的な発言はしてはならない。
 ・相手が自分の力を自慢にしているとき、その困難なところを取りあげて水を差さない。
 ・自分の決断を自分で勇敢だと思っているとき、その過失を言いたてて怒らせたりしない。
 ・自分の計画を自分で賢明だと思っているとき、その欠点をあげて窮地に追いこんだりしない。
(b)相手が恥ずかしいと思っていることは、もみ消してやる。
 ・相手が心のなかで卑下しながら、それをやめられないという場合、そのまま美点を飾りたて、それをやめたところで別に大したことでもないとする。
 ・相手が心のなかであこがれながら、実際にはそれを行えないでいる場合、その欠点をあげてだめなことを明らかにし、それを行わないのを誉めあげる。
(c)君主の行為に対して、直接発言することは控えること。
 ・君主の行動を誉めたいときは、君主と同じ行動をした別人を誉める。
 ・君主の事業を正したいときは、君主と同じ計画の別の事業を正す。
 ・君主と同じ欠点を持つ者に関して、それが別に害にならないとして、大いに飾りたてる。
 ・君主と同じ失敗をした者に関して、それが別に落ち度にはならないとして、はっきり飾りたてる。
(d)仮に、自分の意見を採用させる場合にも、それを君主に気づかれてはならない。
 ・相手が事を起こして自分の知恵を自慢したいと思っている場合、別の類似した事を取り上げて十分な下地を作ってやり、自分の説を採らせながら、知らぬふりをして相手の知識を助けてやる。
(e)仮に、君主に私的な強い欲望があるような場合にも、それを暴いてはならない。
 ・公けの正義にかなっているとしてその実行を勧める。
(f)君主に、自分の意見を進言するには、立派な大義名分を掲げ、君主の個人的な利害を暗示する。
 ・外国との共存の意見を進めたいと思うとき、立派な大義名分をかかげて説明したうえで、それが君主自身の個人的な利益にもかなっていることを、それとなく示す。
 ・国家に危害が及ぶ事件を陳述したいと思うとき、それが当然の非難を受けることを明らかにしたうえで、また君主自身の個人的な害にもなることを、それとなく示す。
 「およそ君主に説くうえで心がけるべきことは、説得しようとする相手が誇りとしていることを飾りたて、恥ずかしいと思っていることをもみ消してやるのを、わきまえることである。相手に私的な強い欲望があれば、必ず公けの正義にかなっているとしてその実行を勧めるのがよい。相手が心のなかで卑下しながら、それをやめられないという場合には、説く者はそのまま美点を飾りたて、それをやめたところで別に大したことでもないとすることだ。相手が心のなかであこがれながら、実際にはそれを行えないでいる場合には、説く者はそのためにその欠点をあげてだめなことを明らかにし、それを行わないのを誉めあげることだ。相手が〔事を起こして〕自分の知恵を自慢したいと思っている場合には、そのために別の類似した事をとりあげてじゅうぶんな下地を作ってやり、こちらの説を採らせながら、知らぬふりをして相手の知識を助けてやることだ。
 説く者が外国との共存の意見を進めたいと思うときは、必ず立派な大義名分をかかげて説明したうえで、それが君主自身の個人的な利益にもかなっていることを、それとなく示すのがよい。また国家に危害が及ぶ事件を陳述したいと思うときは、それが当然の非難を受けることを明らかにしたうえで、また君主自身の個人的な害にもなることを、それとなく示すのがよい。〔君主の行動を誉めたいときは、〕君主と同じ行動をした別人を誉めることだ。〔君主の事業を正したいときは、〕君主と同じ計画の別の事業を正すことだ。君主と同じ欠点を持つものがいたなら、必ずそれが別に害にならないということを大いに飾りたててやることだ。君主と同じ失敗をしたものがいたなら、必ずそれが別に落ち度にはならないということをはっきり飾りたててやることだ。説得しようとする相手が自分の力を自慢にしているときは、その困難なところを取りあげて水をさしたりしてはならない。自分の決断を自分で勇敢だと思っているときは、その過失を言いたてて怒らせたりしてはならない。自分の計画を自分で賢明だと思っているときは、その欠点をあげて窮地に追いこんだりしてはならない。説くことの大意は相手の君主の意向に逆らうところがなく、説く者の言葉づかいも相手の心に抵抗するところがなくなって、そうして始めて知恵と弁舌を思いのままにふるうのだ。これこそ、君主と親しい関係になってもはや疑われることがなく、言いたいことを存分に言えるための方法である。」
(韓非(B.C.280頃-B.C.233)『韓非子』説難 第十二、(第1冊)pp.236-238、岩波文庫(1994)、金谷治(訳))
(索引:説得方法)
(原文:12.説難韓非子法家先秦兩漢中國哲學書電子化計劃

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)



(出典:twwiki
韓非(B.C.280頃-B.C.233)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「国を安泰にする方策として七つのことがあり、国を危険にするやり方として六つのことがある。
安泰にする方策。第一は、賞罰は必ず事の是非に従って行うこと、第二は、禍福は必ず事の善悪に従ってくだすこと、第三は、殺すも生かすも法のきまりどおりに行うこと、第四は、優秀か否かの判別はするが、愛憎による差別はしないこと、第五は、愚か者と知恵者との判別はするが、謗ったり誉めたりはしないこと、第六は、客観的な規準で事を考え、かってな推量はしないこと、第七は、信義が行われて、だましあいのないこと、以上である。
 危険にするやり方。第一は、規則があるのにそのなかでかってな裁量をすること、第二は、法規をはみ出してその外でかってな裁断をくだすこと、第三は、人が受けた損害を自分の利益とすること、第四は、人が受けた禍いを自分の楽しみとすること、第五は、人が安楽にしているのを怯かして危うくすること、第六は、愛すべき者に親しまず、憎むべき者を遠ざけないこと、以上である。こんなことをしていると、人々には人生の楽しさがわからなくなり、死ぬことがなぜいやなのかもわからなくなってしまう。人々が人生を楽しいと思わなくなれば、君主は尊重されないし、死ぬことをいやがらなくなれば、お上の命令は行われない。」
(韓非(B.C.280頃-B.C.233)『韓非子』安危 第二十五、(第2冊)pp.184-185、岩波文庫(1994)、金谷治(訳))
(原文:25.安危韓非子法家先秦兩漢中國哲學書電子化計劃

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ものごとの道理と正義に従い行動するということ自体には、上手も下手もなく失敗もないので、いかなる困難にあったとしても、この道に進むことを楽しむことができ、ことの成否や自分の死生も気にならなくなる。(西郷隆盛(1828-1877))

道を行う

【ものごとの道理と正義に従い行動するということ自体には、上手も下手もなく失敗もないので、いかなる困難にあったとしても、この道に進むことを楽しむことができ、ことの成否や自分の死生も気にならなくなる。(西郷隆盛(1828-1877))】
 普通は、行動の仕方の上手や下手、事の成り行きの成功と失敗を心配して、動揺してしまうものだ。しかし、ものごとの道理と正義に従い行動するということ自体には、上手も下手もなく、また失敗ということもない。このように行動する者は、ただひたすら、ものごとの道理と正義の道を楽しみ、また、このような道は、もとより困難にあうことが多いことも知っているので、いかなる困難にあったとしても、益々その道に進むことを楽しむことができ、ことの成否や自分の死生など、少しも気にすることはないのである。
 「二九 道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生抔に、少しも關係せぬもの也。事には上手下手有り、物には出來る人出來ざる人有るより、自然心を動す人も有れ共、人は道を行ふものゆゑ、道を蹈むには上手下手も無く、出來ざる人も無し。故に只管(ひたす)ら道を行ひ道を樂み、若し艱難に逢うて之を凌んとならば、彌々(いよ/\)道を行ひ道を樂む可し。予壯年より艱難と云ふ艱難に罹りしゆゑ、今はどんな事に出會ふ共、動搖は致すまじ、夫れだけは仕合せなり。」
(西郷隆盛(1828-1877)『遺訓』29(集録本『西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文』)pp.14-15、岩波文庫 (1939)、山田済斎(編))
(索引:道)
『遺訓』西郷隆盛(1828-1877)青空文庫

西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文 (岩波文庫)


(出典:wikipedia
西郷隆盛(1828-1877)(Collection of propositions of great philosophers)  「事大小と無く、正道を蹈み至誠を推し、一事の詐謀(さぼう)を用ふ可からず。人多くは事の指支(さしつか)ゆる時に臨み、作略(さりやく)を用て一旦其の指支を通せば、跡は時宜(じぎ)次第工夫の出來る樣に思へ共、作略の煩ひ屹度生じ、事必ず敗るゝものぞ。正道を以て之を行へば、目前には迂遠なる樣なれ共、先きに行けば成功は早きもの也。」
(西郷隆盛(1828-1877)『遺訓』7(集録本『西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文』)p.7、岩波文庫 (1939)、山田済斎(編))
『遺訓』西郷隆盛(1828-1877)青空文庫

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次のことを、よく考えよ。〈天何の故にか我が身を生み出だし、我をして果して何の用にか供せしむる〉。自分の天職もわからず、ただうかうかと生きていているだけで良いのか。(佐藤一斎(1772-1859))

天職

【次のことを、よく考えよ。〈天何の故にか我が身を生み出だし、我をして果して何の用にか供せしむる〉。自分の天職もわからず、ただうかうかと生きていているだけで良いのか。(佐藤一斎(1772-1859))】
 「人間にはだれでも、次の事を反省し考察してみる必要がある。「天はなぜ自分をこの世に生み出し、何の用をさせようとするのか〈天何の故にか我が身を生み出だし、我をして果して何の用にか供せしむる〉。自分は天(神)の物であるから、必ず天職がある。この天職を果たさなければ、天罰を必ずうける」と。ここまで反省、考察してくると、自分はただうかうかとこの世に生きているだけではすまされないことがわかる。」
(佐藤一斎(1772-1859)『言志録』10(集録本『言志四録(1)言志録』)pp.35-36、講談社学術文庫(1979)、川上正光(訳注))
(索引:天、天職)

言志四録(1) 言志録 (講談社学術文庫)


(出典:wikipedia
佐藤一斎(1772-1859)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「天地間に起こる事がらは、昔から今まで、陰あり、陽あり、昼あり、夜あり、また太陽と月とが交互に世を照らし、四季が互いにめぐるなど、条理がすべて前から定まっている〈其の数皆な前に定れり〉。また人が富み栄えたり、貧乏したり、死んだり、生まれたり、長生きしたり、早死にしたり、もうけたり、損したり、栄誉をうけたり、はずかしめられたり、集まったり、ばらばらになったり、これらは皆、定まった運命でないものはない〈一定の数に非ざるは莫し〉。ただ、これを前もって知らないだけなのだ〈殊に未だ之れを前知せざるのみ〉。たとえば、あやつり人形の芝居のからくりはちゃんと具わっているのに、これを見る人が知らないようなものだ〈譬えば猶お傀儡の戯の機関已に具れども、而も観る者知らざるがごときなり〉。世間の人々はこのようなことを知らないで、自分の知恵力量は十分たのむに足りるものだとして、一生涯せっせと、きのうは東、今日は西と、栄誉・功名を探し求め、ついにやつれつかれて倒れてしまう。これはなんと、まどえるもはなはだしいといわざるを得ないのではないか。」
(佐藤一斎(1772-1859)『言志録』1(集録本『言志四録(1)言志録』)p.24、講談社学術文庫(1979)、川上正光(訳注))

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