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2018年5月29日火曜日

必然的命題と偶然的命題の違いは? 可能な命題とは? 真なる偶然的命題、偽なる偶然的命題とは? (ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

必然的命題と偶然的命題

【必然的命題と偶然的命題の違いは? 可能な命題とは? 真なる偶然的命題、偽なる偶然的命題とは? (ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
真なる必然的命題:自同命題に還元される命題、あるいはその対立命題が矛盾命題に還元される命題。
不可能な命題:矛盾命題に還元される命題、あるいはその対立命題が自同命題に還元されるような命題。
 以上は、数学の命題についての真偽である。この世界についての命題については、以下のとおり。

可能な命題:それから決して分解において矛盾が生じないであろうことが証明され得る命題。
 しかし、分解を継続して、いかなる矛盾も生じないであろうことが確実であるだけで、真理性を証明するのに十分であるか疑問であると思われる。何故ならばそこから、すべての可能なものは真であることが帰結するからである。したがって、私たちはこの命題を真なる必然的命題と呼ぶことはできない。

真なる偶然的命題:無限に継続される分解を必要とする命題。
 しかし、真なる偶然的命題は、経験によって、この命題が真であることがあり得ないと証明される可能性がつねに存在する。これが「偶然的」の意味である。

偽なる偶然的命題:偽なることが証明されるのは、その真である証明があり得ないということによってのみであるような命題。
 「六〇――またここから必然的真理と他の真理の区分を論ずることができると考えられる。即ち必然的な真なる命題は自同命題に還元される命題、あるいはその対立命題が矛盾命題に還元される命題である。不可能な命題は矛盾命題に還元される命題、あるいはその対立命題が自同命題に還元されるような命題である。
 六一――可能な命題は、それから決して分解において矛盾が生じないであろうことが証明され得る命題である。真なる偶然的命題は無限に継続される分解を必要とする命題である。偽なる偶然的命題は、その偽なることが証明されるのはその真である証明があり得ないということによってのみであるような命題である。真理性を証明するのに、分解を継続して、いかなる矛盾も生じないであろうことが確実であるだけで十分であるか疑問であると思われる。何故ならばそこから、すべての可能なものは真であることが帰結するからである。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『概念と真理の解析についての一般的研究』六〇~六一、ライプニッツ著作集1、pp.171-172、[澤口昭聿・1988])
(索引:必然的命題、偶然的命題、可能な命題、不可能な命題)

論理学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)
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実在的定義と名目的定義の違いは? 因果的定義とは? ア・プリオリな真なる観念とは? ア・ポステリオリな真なる観念とは?(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

実在的定義と名目的定義

【実在的定義と名目的定義の違いは? 因果的定義とは? ア・プリオリな真なる観念とは? ア・ポステリオリな真なる観念とは?(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
(1)ア・ポステリオリな真なる観念
 事物が現実に存在することを経験によって知るとき、その現実存在するもの、現実存在したものは、確かに可能的なのだから、真なる観念と言ってよい。
(2)ア・プリオリな真なる観念
 ある概念を分析して、可能性の既に知られている他の諸概念に分解し、その内に非両立的なものが何も無いとき、この定義が「実在的定義」であり、観念は「真なる観念」である。矛盾を含む定義は「偽なる観念」である。また特に、事物が生産され得る仕方をわれわれが知解できるような定義の場合、それを「因果的定義」と呼び、特に有益である。
 十全な認識を持っているとき、すなわち、分析が第一原因、事物の究極理由、これ以上分解できない第一の可能なものへと還元できたときは、可能性のア・プリオリな認識を持っていると言ってよい。なぜなら、分析が究極にまで行き着いて、いかなる矛盾も現われないなら、その概念は確かに可能だからである。
(3)実在的定義
 以上のように、当の事物が可能的であることがそこから確知される定義。
(4)名目的定義
 ある事物を他の諸事物から識別するためだけの徴を含む定義。この場合、定義されている事物が可能的であることを、他の所で確定しておく必要がある。

(補足説明)

これ以上分解できない第一の可能なもの
(第一原因、事物の究極理由)
  │
  ↓
可能性の既に知られている他の諸概念
  │
  ↓
「ア・プリオリな真なる観念」の実在的定義、因果的定義

事物が現実に存在することを経験によって知る
「ア・ポステリオリな真なる観念」の実在的定義

 「このようにしてまたわれわれは名目的定義と実在的定義の相違、即ち、ただ或る事物を他の諸事物から識別するためだけの徴を含む定義と、当の事物が可能的であることがそこから確知される定義との相違が分かる。そしてこの理由を聞けばホッブズも満足するだろう。彼は真理というものは任意なものだと言いたがっていた。真理は名目的定義に基づくからという訳だ。その際、彼は、定義の実在性が任意でないということも、どんな諸概念もが互いに結合され得るのではないことも、考察していないのである。名目的定義は、定義されている事物が可能的であると他の所で確定しておくのでなければ、完全な学知のためには十分ではない。さらに、一体、真なる観念とは何であり、偽なる観念とは何であるかも明らかである。言うなら、概念が可能的な時に真であり、矛盾を含む時に偽なのだ。ところで、われわれは事物の可能性をア・プリオリにか、ア・ポステリオリに知る。ア・プリオリにというのは、概念をその要件に、あるいは可能性の知られている他の諸概念にわれわれが分解し、その内に非両立的なものが何も無いと知っている時である。とりわけそういう事が起こっているのは、事物が生産され得る仕方をわれわれが知解している場合であり、だからこそ特に因果的定義が有益なのである。他方、ア・ポステリオリにというのは、事物が現実に存在することを経験によって知る時のことである。というのも、現実存在するか、現実存在したものは、確かに可能なのだから。そして十全な認識を持っている時はいつでも可能性のア・プリオリな認識も持っている。なぜなら、分析が究極にまで行き着いて、いかなる矛盾も現われないなら、その概念は確かに可能だからである。しかし、概念の完全な分析がいつか人間にできるかどうか、第一の可能なもの即ち分解できない概念へ、あるいは(結局同じことだが)神の絶対的属性そのもの、つまり第一原因とか事物の究極理由へと自分の思惟を還元できるかどうか、今のところはあえて決定しないでおく。大抵の場合、若干の概念の実在性を経験から学ぶことでわれわれは満足し、さらにそこから他の諸概念を自然を手本にして構成している。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『認識、真理、観念についての省察』ライプニッツ著作集8、pp.30-31、[米山優・1990])
(索引:実在的定義、名目的定義、因果的定義、ア・ポステリオリな真なる観念、ア・プリオリな真なる観念、偽の観念)

前期哲学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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論理的な項を数で表現することにより、推論の代わりに計算によって、証明されるべき命題を発見したり、証明したりすることができる。数の有用さは絶大である。確実で扱い易い。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

記号数

【論理的な項を数で表現することにより、推論の代わりに計算によって、証明されるべき命題を発見したり、証明したりすることができる。数の有用さは絶大である。確実で扱い易い。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
 世界の構成要素を項で表現し、推論規則によって論理的な項を操作する代わりに、項を数で表現することにより、推論の代わりに計算によって、証明されるべき命題を発見したり、証明したりすることができる。数の有用さは絶大である。確実で扱い易い。
(1)任意の項に、その「記号数」を指定する。
(2)合成された項の記号数は、その項の概念を合成する項の記号数をかけ合わせることにより作られる。
 例えば、”動物”の数aが2、”理性的”の数rが3のとき、人間の数hはar、この例では6となる。
(3)構成部分をあげることが困難な場合には、暫定的にその事物にある素数を指定する。
「三――任意の項にその記号数(numerus characteristicus)を指定することにする。それは、項自身が推論において働くのと同じように、計算において働く。私は記述において数を選ぶ。他の記号は時に応じて数と言葉のために用いよう。しかし数の有用さは絶大である。確実で扱い易い。そして概念におけるすべては数の形で確実となり、決定されることが明らかである。
 四――適切な記号数を発見するための規則は次の規則だけである:与えられた項の概念が直格において(in casu recto)二つあるいはより多くの他の項の概念から合成されている時は、与えられた項の記号数はその項の概念を合成する項の記号数をかけ合わせることにより作られる。例えば人間は理性的動物である故(金は最も重い金属である故)”動物”の数aが2(”金属”の数mが3)、”理性的”の数rが3(”最も重い”の数pが5)とすれば、人間の数hはar、この例では2、3即ち6にほかならないであろう(金即ち太陽の数sはmp、この例では3、5即ち15にほかならない)。」(中略)
「六――のみならず4で述べられた規則は、われわれの計算によって全世界のすべての事物を捉えるのに十分である。ただしそれらについてわれわれが判明な概念を持つ、即ち、それらの構成部分を認識し、その構成部分を一つずつ検査することによって、概念を他の概念から区別することができるか、あるいはそれらの概念の定義を与えることができる限りにおいてである。実際、これらの構成部分は項にほかならず、その概念が、事物についてわれわれの所有する概念を構成するのである。さらにわれわれは多くの事物を他の事物から構成部分によって区別することができる。そして、構成部分をあげることが困難な場合には、暫定的にその事物にある素数を指定することにする、われわれはその事物によって他の事物を表示するために素数を使用するのである。このようにして少なくとも差当り原初的なものと考えられた事物の分解なしで証明されるすべての命題を計算によって発見したり、証明したりすることができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『計算の原理(一六七九)』三、四、六、ライプニッツ著作集1、pp.63-65、[澤口昭聿・1988])
(索引:記号数)

論理学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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