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2018年6月29日金曜日

無数の可能的世界から、いかにして現実的事象が決まってくるか。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

無数の可能的世界

【無数の可能的世界から、いかにして現実的事象が決まってくるか。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
(再掲)無数の可能的世界と現実的事象
(a) この宇宙を支配している法則に則り、可能的なものとして存在している事象。神の「単純叡智の知」、人間はその一端を理性によりうかがい知る。
(a')可能的なものとして存在している事象は、条件的なものも含めて、無数のすべての可能的な世界が含まれている。
(b) 可能的なもののうち、宇宙の展開において現実に生じる現実的事象。神の「直視の知」、人間も現実的事象として知る。

 この宇宙を支配している法則に基づく無数の可能的世界から、いかにして現実的事象が決まってくるかということが、問題である。

(再掲)全宇宙の構造
(1) 真の完全なモナド(一般的な至高の原因)は、無数の存在者の集まりである。
(2) 各存在者は、一つの全たき世界、神をうつす鏡、全宇宙をうつす鏡であり、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出している。
(3) 表出は、以下の二つのものからなる。
 (3.1) その各々の存在者を真の「一」にさせる能動的原理、非物質的なもの、魂。
 (3.2) 受動的で有機的身体、物質的なもの。
(4) それら個々の魂が表出するものはすべて、ただ自己の本性から引き出されるものであり、他の個々の存在者から直接には影響されない。
(5) 個々の存在者が独立しているにもかかわらず、自然のうちに認められる秩序、調和、美がもたらされるのは、各々の魂が、その本性を、一般的な至高の原因から受け取り、それに依存しているからに他ならない。これが、予定調和である。
(6) 個々の存在者の表出が、その存在者の物質的な身体と自発的に一致する理由も、この予定調和による。

 無ではなく、むしろ何かあるものが現実存在している。
(i)各存在者は、全宇宙を表出しているが、無数の可能的世界も表出している。
(ii)各存在者の表出は、ただその本性、本質から引き出されており、「本質がそれ自身で現実存在へ向か」おうとする要求、あるいは主張をもっている。
(iii)各存在者は、「同等の権利をもって、本質ないし実在性の量に応じて、あるいはそれらが含んでいる完全性の度に応じて、現実存在へ向かう」。なぜなら、「完全性とは本質の量に他ならないからである」。

 「しかし、どのようにして永遠的即ち本質的あるいは形而上学的真理から時間的、偶然的即ち自然学的真理が出てくるかをもう少しはっきりと説明するには、無ではなくてむしろ何か或るものが現実存在しているという正にそのことから、まず次のことを承認しなければならない。即ち、可能的事物の内に、ないし可能性あるいは本質そのものの内に、何か或る現実存在の要求(exigentia existentiae)、あるいは(言うなら)現実存在することへの主張(praetensio ad existendum)があること、そして一言で言えば本質がそれ自身で現実存在へ向かうということ、を承認しなければならない。そこからさらに次のことが帰結する。即ち、すべての可能なもの、ないし本質あるいは可能的実在性を表出しているものは、同等の権利をもって、本質ないし実在性の量に応じて、あるいはそれらが含んでいる完全性の度に応じて、現実存在へ向かうことがである。というのも、完全性とは本質の量に他ならないからである。
 しかしここから明白に知解されるのは、可能的なものの無限に多くの可能な集成(combinationes)と系列の内、それによって最も多くの本質即ち可能性が現実存在することへ導かれるもの、が現実存在するということである。言うなら、事物の内には常に、最大あるいは最小によって要求されるべき決定の原理がある。つまり、言わば最小の費用で最大の効果があげられるのである。だからここで時間、場所、一言で言えば世界の受容能力あるいは容量を費用即ちその内に最も快適に建物が作られるべき土地と見做して良いならば、それに対して形相の多様性は建物の快適性とか部屋の数と優美さに対応している。そして或る種の遊びにおいて、盤上のすべての場所を一定の規則に従って埋めなければならないといった場合もそれである。そこでは何らかの技巧を用いなければ、最後には、[その規則に]合わない空間[を埋める訳にはいかないので、そこ]から排除されてしまって、できると思っていたり、あるいはそうしてみたかったよりも多くの空所を残さざるを得なくなる。しかし最も多くの充填が最も容易に手に入れられるような確実なやり方(ratio)はある。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『事物の根本的起源について』ライプニッツ著作集8、pp.94-95、[米山優・1990])
(索引:無数の可能的世界)

前期哲学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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