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2018年9月2日日曜日

12.世界2は、世界3と直接的に相互作用し、新たな世界3を生成し、世界1の対象、または世界2の対象へ働きかけることで、新たな世界3を世界1と世界2へ具現化する。(カール・ポパー(1902-1994))

世界2と世界3との相互作用

【世界2は、世界3と直接的に相互作用し、新たな世界3を生成し、世界1の対象、または世界2の対象へ働きかけることで、新たな世界3を世界1と世界2へ具現化する。(カール・ポパー(1902-1994))】

(b2.4)追加記載。

 (b2.3)世界2は、直接的に世界3への関係を持つのではなく、世界1を経由しているのではないか。世界2は、世界3の符号である世界1の対象、または世界2の対象へ働きかけることで、新たな世界3を生成する。(ジョン・エックルス(1903-1997))
 (b2.3.1)世界3の対象は、世界1の物質的対象の上に符号化されている。
 (b2.3.2)世界2は、世界1の符号から意識経験を引き出している。

   (符号)⇔(符号の意識経験)⇔(世界3)
    世界1・S1⇔世界2・S1⇔世界3・C1
    世界1・S2⇔世界2・S2⇔世界3・C2

 (b2.3.3)世界2は、世界3の符号である世界1の対象へ働きかけることで、新たな世界3を生成する。
 時間1 世界1・P1⊃世界1・S1⇔世界2・S1⊂世界2・M1
  │    │   │    ↓↑    │
  │    │   │   世界3・C1   │
  │    │   │┌─────────┘
  ↓    ↓   ↓↓
 時間2 世界1・P2⊃世界1・S2⇔世界2・S2⊂世界2・M2
                ↓↑
               世界3・C2

 (b2.3.4)世界2は、世界3の符号である世界2の対象へ働きかけることで、新たな世界3を生成する。
 時間1 世界1・P1 世界2・S1⊂世界2・M1
  │    │   │↓↑   │
  │    │   │世界3・C1 │
  │    │   │┌────┘
  ↓    ↓   ↓↓
 時間2 世界1・P2 世界2・S2⊂世界2・M2
            ↓↑
            世界3・C2

 (b2.4)世界2は、世界3と直接的に相互作用し、新たな世界3を生成し、世界1の対象、または世界2の対象へ働きかけることで、新たな世界3を世界1と世界2へ具現化する。
 (b2.4.1)世界3の符号である世界1の対象は、いかに世界2により働きかけられるにしても、それ自体は世界1の対象であるから、世界1の諸法則に従って生成・変化する。また世界2は、いかにそれが自ら固有の法則に従って働きかけるかのように見えようが、世界1の諸法則に支えられている。世界2は、最初に直接的に、世界1の諸法則には服さない世界3との関係を持つことなしには、世界1の因果関係から逃れることはできない。
 (b2.4.2)世界2が、未だ世界3のなかに表現されておらず、したがって当然、世界1には存在しない新しい問題を発見したり、問題への新しい解決を発見するときのような創造的行為を考えると、世界2が必ず世界1を経由するということは、誤りではないかと思われる。

 (b2.4.3)世界2は、世界3と直接的に相互作用し、新たな世界3を生成し、世界1の対象へ働きかけることで、新たな世界3を世界1へ具現化する。

 時間1 世界1・P1           (世界3・C1⇔世界2・M1)
  │    │             │┌───┘
  ↓    ↓             ↓↓
 時間2 世界1・P2⊃世界1・S2⇔世界2・S2(世界3・C2⇒世界2・M2)
  │    │   │┌──────────────┘
  ↓    ↓   ↓↓
 時間3 世界1・P3⊃世界1・S3⇔世界2・S3(世界3・C3⇒世界2・M3)

 (b2.4.4)世界2は、世界3と直接的に相互作用し、新たな世界3を生成し、世界2の対象へ働きかけることで、新たな世界3を世界2へ具現化する。

 時間1 世界1・P1     (世界3・C1⇔世界2・M1)
  │    │         │┌───┘
  ↓    ↓         ↓↓
 時間2 世界1・P2 世界2・S2(世界3・C2⇒世界2・M2)
  │    │   │┌─────────┘
  ↓    ↓   ↓↓
 時間3 世界1・P3 世界2・S3(世界3・C3⇒世界2・M3)

 「P――あなたがその点を強調するのは非常に重要なことです。でも、私はあなたの批判に完全に同意するわけではありません。 

世界2と世界3の相互作用の多くにおいては、大脳が含まれ、それとともに世界1も含まれることは完全に正しい。  

 しかし、世界2と世界3を含む多くの創造的行為では特に、世界1が必然的に含まれるわけでは《なく》、含まれたとしても世界2の随伴現象として含まれる、と私は考えます。 
 
すなわち、何かが世界1の中で進行しているが、それは部分的に世界2に依存しているのです。(これが相互作用の考えです。)

創造的行為》によって、私が意味しているのは、新しい問題の発見や、われわれの問題への新しい解決の発見です。この発見の過程は、それと平行して進行する世界1の過程をもっているらしい、というのはまったく正しい。

でも、私が強調したいのは、それに平行していたのではない、ということです。なぜなら、何か新しいものの発見はユニークな過程であり、標準的な基本過程に分析できない二つのユニークな過程の間の平行関係については語ることができない、と考えるからです。(右で言及されたのは、世界1の過程が世界2で進行しているものに関して随伴的な現象である場合の一つです。)

 でも、これとはまったく別に、世界3の中でまだ十分には表現されていない、発見され、表現されるべき問題がある、と感じる時、そのような場合にはわれわれ、より正確にはわれわれの世界2は、すべての段階で世界1をひきずり込むことなしに、本来的に世界3を扱うということを認識するのは、非常に重要だと思われます。

世界1が一般的背景を与えるというのは疑いもなく真です。世界1の記憶がなくては、われわれは自分のしていることができなかったでしょう。

でも、われわれが取り出したい特別の新しい問題は、世界3の中で直接に世界2によって知られるのです。」
(カール・ポパー(1902-1994)『自我と脳』第3部、DX章、(下)pp.764-765、思索社(1986)、西脇与作(訳))
(索引:世界2と世界3との相互作用)

自我と脳〈下〉


(出典:wikipedia
カール・ポパー(1902-1994)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あらゆる合理的討論、つまり、真理探究に奉仕するあらゆる討論の基礎にある原則は、本来、《倫理的な》原則です。そのような原則を3つ述べておきましょう。
 1.可謬性の原則。おそらくわたくしが間違っているのであって、おそらくあなたが正しいのであろう。しかし、われわれ両方がともに間違っているのかもしれない。
 2.合理的討論の原則。われわれは、ある特定の批判可能な理論に対する賛否それぞれの理由を、可能なかぎり非個人的に比較検討しようと欲する。
 3.真理への接近の原則。ことがらに即した討論を通じて、われわれはほとんどいつでも真理に接近しようとする。そして、合意に達することができないときでも、よりよい理解には達する。
 これら3つの原則は、認識論的な、そして同時に倫理的な原則であるという点に気づくことが大切です。というのも、それらは、なんと言っても寛容を合意しているからです。わたくしがあなたから学ぶことができ、そして真理探究のために学ぼうとしているとき、わたくしはあなたに対して寛容であるだけでなく、あなたを潜在的に同等なものとして承認しなければなりません。あらゆる人間が潜在的には統一をもちうるのであり同等の権利をもちうるということが、合理的に討論しようとするわれわれの心構えの前提です。われわれは、討論が合意を導かないときでさえ、討論から多くを学ぶことができるという原則もまた重要です。なぜなら討論は、われわれの立場が抱えている弱点のいくつかを理解させてくれるからです。」
 「わたくしはこの点をさらに、知識人にとっての倫理という例に即して、とりわけ、知的職業の倫理、つまり、科学者、医者、法律家、技術者、建築家、公務員、そして非常に重要なこととしては、政治家にとっての倫理という例に即して、示してみたいと思います。」(中略)「わたくしは、その倫理を以下の12の原則に基礎をおくように提案します。そしてそれらを述べて〔この講演を〕終えたいと思います。
 1.われわれの客観的な推論知は、いつでも《ひとりの》人間が修得できるところをはるかに超えている。それゆえ《いかなる権威も存在しない》。このことは専門領域の内部においてもあてはまる。
 2.《すべての誤りを避けること》は、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けることは、《不可能である》。」(中略)「
 3.《もちろん、可能なかぎり誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である》。しかしながら、まさに誤りを避けるためには、誤りを避けることがいかに難しいことであるか、そして何ぴとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。」(中略)「
 4.もっともよく確証された理論のうちにさえ、誤りは潜んでいるかもしれない。」(中略)「
 5.《それゆえ、われわれは誤りに対する態度を変更しなければならない》。われわれの実際上の倫理改革が始まるのは《ここにおいて》である。」(中略)「
 6.新しい原則は、学ぶためには、また可能なかぎり誤りを避けるためには、われわれは《まさに自らの誤りから学ば》ねばならないということである。それゆえ、誤りをもみ消すことは最大の知的犯罪である。
 7.それゆえ、われわれはたえずわれわれの誤りを見張っていなければならない。われわれは、誤りを見出したなら、それを心に刻まねばならない。誤りの根本に達するために、誤りをあらゆる角度から分析しなければならない。
 8.それゆえ、自己批判的な態度と誠実さが義務となる
 9.われわれは、誤りから学ばねばならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせてくれたときには、それを受け入れること、実際、《感謝の念をもって》受け入れることを学ばねばならない。われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと同じような誤りを犯したことがあることをいつでも思い出すべきである。」(中略)「
 10.《誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とする(また彼らはわれわれを必要とする)ということ》、とりわけ、異なった環境のもとで異なった理念のもとで育った他の人間を必要とすることが自覚されねばならない。これはまた寛容に通じる。
 11.われわれは、自己批判が最良の批判であること、しかし《他者による批判が必要な》ことを学ばねばならない。それは自己批判と同じくらい良いものである。
 12.合理的な批判は、いつでも特定されたものでなければならない。それは、なぜ特定の言明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の論証が妥当でないのかについての特定された理由を述べるものでなければならない。それは客観的真理に接近するという理念によって導かれていなければならない。このような意味において、合理的な批判は非個人的なものでなければならない。」
(カール・ポパー(1902-1994),『よりよき世界を求めて』,第3部 最近のものから,第14章 寛容と知的責任,VI~VIII,pp.316-317,319-321,未来社(1995),小河原誠,蔭山泰之,(訳))

カール・ポパー(1902-1994)
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