レントシーキングに都合の悪い規制の廃止、緩和方法
【レントシーキングに都合の悪い規制の廃止、緩和方法:(a)規制の取り込み(規制対象セクターへの天下り)、(b)認知の取り込み(ロビー活動、規制当局の人事への影響力の行使)。(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-))】(4.3)(a)追記
(4.3)都合の悪い規制の廃止、緩和
レントシーキングに都合の悪い法律が作られないようにする。政府の規制は少ない方がいい。
(a)ロビー活動と選挙支援に巨額の資金を投資することで、政策決定に影響力を行使する。
(a.1)規制の取り込み
(i)政治的影響力を使って、自分の意見に近い人々を規制当局へ送り込む。
(ii)規制当局者が退任した後、規制対象のセクターへ天下りさせ、太っ腹な報酬で迎える。
(a.2)認知の取り込み
(i)大量のロビイストを送り込む。
(ii)何らかの方法で“取り込み済み”の人々が規制当局者に任命されるよう、政府に対して働きかける。
(iii)逆に「市場には自らを規制する能力があり、銀行には自らのリスクを管理する能力がある」という業界の綱領を踏みはずす候補者が現れれば、途方もなく大きな抗議の声によって、人事案を葬り去る。
(b)反競争的行為が法律で禁止されないようにする。
(c)仮に法律が存在する場合は、実効的な取り締まりが行なわれないようする。
(d)法律家たちのインセンティブ。
法律は複雑な方が、都合がよい。顧客に法律の回避方法を指南し、また法律の抜け穴を利用した複雑な取引を組み立て、合法的に見える契約をお膳立てし、レントシーキングと独占力を維持することが可能となる。
「認知の取り込み
“公正な”ゲームに勝利する能力と、ゲームのルールを設定する能力は、まったく別のものだ。
特定の人々の勝率が上がるようルールを設定する能力も別物であり、参加者が審判を選べれば、状況はもっと悪くなる。
現在、多くのセクターで規制当局が監督の任(ルールと規制の設定および執行)に就いている。たとえば、電気通信セクターでは連邦通信委員会(FCC)、証券セクターでは証券取引委員会(SEC)、銀行セクターのさまざまな分野では連邦準備銀行。
ここで問題となるのは、各セクターの有力者たちが政治的影響力を使って、自分の意見に近い人々を規制当局へ送り込んでしまうことだ。
経済学者はこれを“規制の取り込み”と呼ぶ。
規制当局者が取り込まれる背景には、金銭的インセンティブが存在する場合もある。
なぜなら、彼らは規制対象のセクターから選ばれ、やがては規制対象のセクターへ戻っていくからだ。彼らのインセンティブは、残りの社会のインセンティブより、古巣のインセンティブのほうと一致している。規制当局者がセクターのために尽力すれば、退任後には太っ腹な報酬が待ち受けているのだ。
しかし、取り込まれる動機が金だけとは限らない。規制当局者の思考様式が、規制対象者の思考様式に取り込まれてしまう場合もある。これは社会学的な現象で、“認知の取り込み”と呼ばれる。
アラン・グリーンスパンもティム・ガイトナーも大銀行で働いた経験はないが、連銀に来て以降、銀行業界に対して自然な親近感を抱いていった。ひょっとすると、同じ考え方を共有していたかもしれない。
銀行家たちはみずから大混乱を招いておきながら、政府救済のひきかえとして銀行にきびしい条件を課すべきでないと考えていた。
規制に何らかの役割を果たしている人々全員に、銀行を規制するべきではないという主張を受け入れさせるため、これまで銀行業界は大量のロビイストを送り込んできた(推定では連邦議員1人あたり2.5人)。
しかし、ターゲットが初めから業界寄りの意見を持っていれば、説得の作業はたやすくなる。だからこそ銀行業界とそのロビイストたちは、何らかの方法で“取り込み済み”の人々が規制当局者に任命されるよう、政府に対して猛烈な働きかけを行なっているのだ。
逆に、考えのちがう人々が任命されそうになると、候補者が同じ業界の出身者であろうと、銀行家たちは拒否権を発動しようとする。
FRBの人事案が漏れるたびに繰り返されるこの動きを、わたしが初めて目の当たりにしたのはクリントン政権時代だった。
現在でも、市場にはみずからを規制する能力があり、銀行にはみずからのリスクを管理する能力がある、という業界の綱領を踏みはずす候補者が現れれば、途方もなく大きな抗議の声によって、人事案の提出は見送られるだろう。たとえ提出されても、議会の承認は決して得られないだろう。」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『不平等の代価』(日本語書籍名『世界の99%を貧困にする経済』),第2章 レントシーキング経済と不平等な社会のつくり方,pp.96-98,徳間書店(2012),楡井浩一,峯村利哉(訳))
(索引:レントシーキング,規制の取り込み,認知の取り込み)
(出典:wikipedia)
「改革のターゲットは経済ルール
21世紀のアメリカ経済は、低い賃金と高いレントを特徴として発展してきた。しかし、現在の経済に組み込まれたルールと力学は、常にあきらかなわけではない。所得の伸び悩みと不平等の拡大を氷山と考えてみよう。
◎海面上に見える氷山の頂点は、人々が日々経験している不平等だ。少ない給料、不充分な利益、不安な未来。
◎海面のすぐ下にあるのは、こういう人々の経験をつくり出す原動力だ。目には見えにくいが、きわめて重要だ。経済を構築し、不平等をつくる法と政策。そこには、不充分な税収しか得られず、長期投資を妨げ、投機と短期的な利益に報いる税制や、企業に説明責任をもたせるための規制や規則施行の手ぬるさや、子どもと労働者を支える法や政策の崩壊などがふくまれる。
◎氷山の基部は、現代のあらゆる経済の根底にある世界規模の大きな力だ。たとえばナノテクノロジーやグローバル化、人口動態など。これらは侮れない力だが、たとえ最大級の世界的な動向で、あきらかに経済を形づくっているものであっても、よりよい結果へ向けてつくり替えることはできる。」(中略)「多くの場合、政策立案者や運動家や世論は、氷山の目に見える頂点に対する介入ばかりに注目する。アメリカの政治システムでは、最も脆弱な層に所得を再分配し、最も強大な層の影響力を抑えようという立派な提案は、勤労所得控除の制限や経営幹部の給与の透明化などの控えめな政策に縮小されてしまう。
さらに政策立案者のなかには、氷山の基部にある力があまりにも圧倒的で制御できないため、あらゆる介入に価値はないと断言する者もいる。グローバル化と人種的偏見、気候変動とテクノロジーは、政策では対処できない外生的な力だというわけだ。」(中略)「こうした敗北主義的な考えが出した結論では、アメリカ経済の基部にある力と闘うことはできない。
わたしたちの意見はちがう。もし法律やルールや世界的な力に正面から立ち向かわないのなら、できることはほとんどない。本書の前提は、氷山の中央――世界的な力がどのように現われるかを決める中間的な構造――をつくり直せるということだ。
つまり、労働法やコーポレートガバナンス、金融規制、貿易協定、体系化された差別、金融政策、課税などの専門知識の王国と闘うことで、わたしたちは経済の安定性と機会を最大限に増すことができる。」
氷山の頂点
日常的な不平等の経験
┌─────────────┐
│⇒生活していくだけの給料が│
│ 得られない仕事 │
│⇒生活費の増大 │
│⇒深まる不安 │
└─────────────┘
経済を構築するルール
┌─────────────────┐
│⇒金融規制とコーポレートガバナンス│
│⇒税制 │
│⇒国際貿易および金融協定 │
│⇒マクロ経済政策 │
│⇒労働法と労働市場へのアクセス │
│⇒体系的な差別 │
└─────────────────┘
世界規模の大きな力
┌───────────────────┐
│⇒テクノロジー │
│⇒グローバル化 │
└───────────────────┘
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『アメリカ経済のルールを書き換える』(日本語書籍名『これから始まる「新しい世界経済」の教科書』),序章 不平等な経済システムをくつがえす,pp.46-49,徳間書店(2016),桐谷知未(訳))
(索引:)
ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
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