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2019年4月13日土曜日

3.人間は全知全能ではあり得ず、必ず間違いや事故の可能性がある。従って、試行錯誤や、やり直しが許されないような技術は、廃棄すべきである。宇宙開発、化学物質の製造、遺伝子組換えも、同様の観点での検証が必要だ。(高木仁三郎(1938-2000))

やり直し可能性

【人間は全知全能ではあり得ず、必ず間違いや事故の可能性がある。従って、試行錯誤や、やり直しが許されないような技術は、廃棄すべきである。宇宙開発、化学物質の製造、遺伝子組換えも、同様の観点での検証が必要だ。(高木仁三郎(1938-2000))】

民主的な社会が、巨大事故を考慮して技術システムの選択を行なう場合、最低限どんなことを考えなくてはならないか。
(1)人間はそんなに全知全能ではあり得ない。すなわち、間違いや事故の可能性は、常に存在する。
(2)したがって、試行錯誤的に進んでいくしかない。すなわち、結果が不都合と出た場合は、修正をしていく。そのためには、
 (2.1)プロセスが公開されていること。
 (2.2)試行錯誤(やり直し)が常に十分に保障されることが、科学的に検証できること。
(3)したがって、試行錯誤が許されないような、壊滅的な事故の起こる可能性のある技術は、放棄する必要がある。
 (3.1)たとえば、ひとつの事故が、地上の生命と環境に長期的に修復不可能な全面的な損失をもたらすような可能性を否定できないような技術は、放棄する必要がある。
 (3.2)核技術以外にも、宇宙開発、化学物質の製造、遺伝子組換えでも、やり直し可能性の検証が必要な技術があり得るだろう。
 (3.3)仮にその技術が、我々の日常生活にさまざまな利便を与え、大きな産業につながるとしても、ある一部の国の人々に、そのような技術を維持する権利は存在しない。

 「民主的な社会が、巨大事故を考慮して技術システムの選択を行なう場合、最低限どんなことを考えなくてはならないだろうか。

私は人間はそんなに全知全能ではあり得ないから、試行錯誤的に進んでいくしかないと思う。

技術の選択はいつも絶対的であり得ず、ひとつの試行(トライアル)にすぎない。そして、その結果が不都合と出た場合は、常に修正が可能であるような、しかもそのようなプロセスが公開のもとに進行していけるような、そんなやり方が最も望ましいと思う。

 このやり方は、間違いや事故の可能性を封じるものではなく、むしろ我々は誤った選択の結果、被害を受けたり困難に直面したりするかもしれない。

そういう可能性は小さいに越したことはないが、ゼロにはできない。しかし、民主的な社会は結局、そういう試行錯誤で軌道修正しながら進んでいくしかないし、その選択の結果はお互いに耐えていくしかない。

 しかし、この時に、どうしても必要な条件がある。それは、他でもない、このような試行錯誤(やり直し)が常に十分に保障されるということである。

 そして、そのためには、破滅的な事故の起こる可能性のある技術は、放棄することが、どうしても必要な前提である。そのような技術では、試行錯誤が許されないからである。

 仮にその技術が我々の日常生活にさまざまな利便を与え、大きな産業につながるとしても、ひとつの事故が、地上の生命と環境に長期的に修復不可能な全面的な損失をもたらすような可能性を否定できないのであれば、やり直しができないわけだから、その技術は放棄すべきである。

そんな技術を維持する権利は、ある一国の人々、あるいは人類全体(そのある世代)にもないというべきであろう。」(中略)

 「核(核兵器・原発)については、その放棄は、ペロウと同じで私には当然のことと思えるが、その他の事柄については、最大限想定についての材料が私の手元に十分でない。

しかし、宇宙開発でも化学物質の製造遺伝子組換えでも、今後の技術の進展次第では、破滅を導く事故の可能性も考えられるのではないだろうか。

たとえば、地上の生物の遺伝的条件をすっかり変えてしまって、元に戻れないような遺伝物質の浸透が起こりうるとしたら、それは私の条件では放棄の対象となる。

 最低限、この「やり直し可能性」を条件とすることが、私の提案である。そして、この条件が十分に確かな科学的やり方で検証できることもどうしても必要である。」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第九巻 市民科学者として生きるⅢ』巨大事故の時代 第九章 巨大事故をどうするか、pp.149-151)

(索引:試行錯誤,やり直し可能性,宇宙開発,化学物質の製造,遺伝子組換え)

市民科学者として生きる〈3〉 (高木仁三郎著作集)

(出典:高木仁三郎の部屋
友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ
 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

高木仁三郎(1938-2000、物理学、核化学)
原子力資料情報室(CNIC)
Citizens' Nuclear Information Center
認定NPO法人 高木仁三郎市民科学基金|THE TAKAGI FUND for CITIZEN SCIENCE
高木仁三郎の部屋
高木仁三郎の本(amazon)
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ニュース(高木仁三郎)
高木仁三郎 略歴・業績Who's Whoarsvi.com立命館大学生存学研究センター
原子力市民委員会(2013-)
原子力市民委員会
Citizens' Commission on Nuclear Energy
原子力市民委員会 (@ccnejp) | Twitter
検索(原子力市民委員会)
ニュース(原子力市民委員会)

第1次世界大戦までオスマン帝国内のクルディスタンにいたクルド人は、大戦後、トルコやイラン、イラク、シリアなどに分断され、各国の中では少数民族となった。彼らは、祖国を持たない世界最大の民族と呼ばれ、推定3000万人である。(池上彰(1950-))

クルド人

【第1次世界大戦までオスマン帝国内のクルディスタンにいたクルド人は、大戦後、トルコやイラン、イラク、シリアなどに分断され、各国の中では少数民族となった。彼らは、祖国を持たない世界最大の民族と呼ばれ、推定3000万人である。(池上彰(1950-))】

 「クルド人は、祖国を持たない世界最大の民族と呼ばれます。クルド語を話す民族で、推定で3000万人がいると見られています。
 第一次世界大戦までは、オスマン帝国内のクルディスタン(クルド人の土地)と呼ばれる地域にまとまって住んでいましたが、戦争でオスマン帝国が敗れると、トルコやイラン、イラク、シリアなどに分断されます。3000万人いても、それぞれの国の中では少数民族となり、差別されたり、抑圧されたりする状況が続き、各国で分離独立運動が活発になります。それがまた弾圧の引き金になるという悪循環でした。
 「クルドの友は山ばかり」という表現があります。独立を支援してくれる国はなく、山岳地帯で孤立感を深める民族を、こう呼んだのです。
 このうちイラクでは、フセイン政権時代、厳しい弾圧を受けていましたが、アメリカがイラクを攻撃する際には、米軍に協力。フセイン政権追い落としに力を発揮して、新政権の下では「クルド人自治区」を確立しました。現在では、イラクの中央政権の統治が及ばない、事実上の独立国の地位を確保しました。
 一方、トルコでは、人口の2割近くを占めますが、歴代のトルコ政府はクルド人の存在を認めず、クルド語の使用も禁止。「山岳トルコ人」と呼んできました。トルコ南東部の山岳地帯に住んでいるからです。
 こうした状況下で、クルド人は、武装闘争で独立を勝ち取ろうという過激派と、トルコ国内での平和的な活動で政治的地位を獲得しようという勢力に分裂しました。過激組織の「クルド労働者党」(PKK)は、1984年からトルコ政府に対して武装闘争を展開。2013年に和平交渉が始まるまでに4万人以上が犠牲になりました。
 トルコは長年、EU(欧州連合)への加盟を目指してきましたが、EU側は、トルコ政府がクルド人の存在を認めない方針を取っていることを批判。これを受けて、トルコ政府は、クルド語の使用を認めました。クルド人の存在が認められるようになり、クルド系の「人民民主党」(HDP)が、政界で一定の影響力を確保するようになっていました。
 それでも、トルコのクルド人たちの中には、現在のトルコの与党である「公正発展党」(AKP)を支持する人も多かったのです。」(後略)
(池上彰(1950-),『これが「世界を動かすパワー」だ!』POWER3 中東,トルコ内での対立が日本にまで,pp.121-125,文藝春秋(2016))
(索引:クルド人,クルディスタン)

池上彰のこれが「世界を動かすパワー」だ! (文春e-book)


(出典:wikipedia
池上彰(1950-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あなたが同じ立場だったらどうするか?
 もし、あなた方があのときにそのチッソの水俣工場で働いている社員だったら、どうしますか、ということです。つまり熊本県でも有数の企業です。水俣にとってはいちばん大手の企業です。水俣で生まれ育って、学校を出て、チッソに就職するというのは地元の人にとってはいちばんのエリートコースですよね。それこそ、みなさんがもしチッソに就職が決まったと報告をすれば、家族はもちろん親戚もみんな、「いやあいいところに就職したね、よかったね」と祝福してくれるはずです。もちろん、プラスチックの可塑剤という、日本という国が豊かになるときに必要なものをつくっているわけですから、みんな誇りを持って働いていたはずです。ところがやがて、そこから出てくる廃水が原因で、地元の住民に健康被害が出る、という話が聞こえるようになってきた。さあ、みなさんは果たしてどんな行動をとりますか、ということです。当時のチッソの社員たち。たとえば病院の医師が、原因究明のために猫を使って実験をしていた。でも会社から、そんな実験はやめろ、と言われたからやめてしまった。あるいは多くの社員は気がついていたからこそ、排水口の場所を変えたわけです。それによってさらに被害を広めてしまった。労働組合が分裂をして、そこで初めて、企業の仕打ちに気がついた社員たちが声を上げるようになった。さあ、もしそういうことになったら、みなさんはどういう態度をとりますか。
 いまの日本は廃水の基準に厳しいですから、何かあればすぐわかるでしょう。でもいま、実は、まったく同じようなことが中国のあちこちで起きています。開発途上国で同じようなことが起きているのですね。みなさんが就職をしました。そこの会社が実は、東南アジアあるいはアフリカに、現地の工場を持っている。現地の工場に、要員として派遣されました。そこで働いていた。そうしたらその周辺で、健康被害が出ている住民たちがいることに気がついた。あなたはどういう態度をとるのか。まさにそれが問われている、ということなのですね。決して他人事ではないのだということがわかっていただけるのではないでしょうか。」
(池上彰(1950-),『「経済学」講義 歴史編』lecture5 高度経済成長の歪み,pp.228-229,KADOKAWA(2015))
(索引:)

池上彰(1950-)
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8.所得分配の平等性は、経済成長と強い関連性があり、政府の適切な政策が必要である。(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-))

所得分配の平等性と経済成長

【所得分配の平等性は、経済成長と強い関連性があり、政府の適切な政策が必要である。(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-))】

(3.2)追記。

(3)政府の役割
 全体の社会的利益を最大化させ、経済を繁栄させるには、政府の適切な矯正作業が必要である。
 (3.1)市場の失敗の矯正
  (a)市場における公正な競争を維持する。
  (b)市場における透明性を高める。
  (c)そのために政府は、税金と規制にかんする制度設計を通じて、個人のインセンティブと、社会的利益を同調させる必要がある。
 (3.2)所得分配の平等性は、経済成長と強い関連性があり、政府の適切な政策が必要である。
  (a)所得分配の不平等の拡大は、総需要の不足を招く。
  (b)総需要の不足に対して、規制緩和とバブルで対応する政策は、経済の不安定性を増大する。
  (c)経済の不安定性の増大は、企業に投資を控えさせ、結果として経済成長は鈍化する。
  (e)安定性の欠如は、不平等を拡大させる。(悪循環)

 「規制とは、システムをより良く機能させるために設計されたルールであり、具体的には、競争を担保したり、影響力の濫用を防いだり、自分で身を守れない人々を保護したりする。

何らかの抑えがなければ、前章で説明したような市場の欠陥は、手に負えないほどの猛威をふるうこととなる。

たとえば、金融セクターでは将来、利害の衝突や、過剰な信用や、過剰なレバレッジや、過剰なリスクテークや、バブルなどが問題となるだろう。

しかし、実業界の人々は別の視点を持っており、規制がなければもっと利益を稼ぎ出せると考える。彼らの念頭にあるのは、社会と経済に対する幅広い長期的な影響ではなく、いますぐ手に入る限定的かつ短期的な自己利益なのだ。
 
 同じような“過剰”によって引き起こされた1929年の世界大恐慌のあと、アメリカは1933年のグラス・スティーガル法に代表される強力な金融規制を導入した。これらの法律の実効的な運用は、国家に大きな恩恵をもたらした。大恐慌以前のアメリカ(と、ほかの国々)を何度も苦しめた破滅的な金融危機は、規制の導入後、数十年間にわたって鳴りをひそめてきたのだ。

しかし、1999年に規制の解体が始まると、過去をしのぐ勢いで“過剰”がよみがえった。銀行はすぐさま最新の技術と金融論と経済論をとり入れた。彼らはイノベーションを駆使して、略奪的貸付を行なう新しい方法や、無知なクレジットカード利用者をあざむく新しい方法を編み出した。レバレッジを高める方法については、まだ残っている規制をかいくぐる場合もあれば、規制当局が理解できないほど仕組みを複雑化させる場合もあった。」(中略)

 「前述したとおり、不平等の拡大は、規制を緩和する政策と、総需要の不足にバブルで対応する政策を導入しやすくするため、結果として経済の安定性を低下させる。

しかし、不平等が“必ず”二つの政策に結びつくわけではない。民主主義がもっとうまく機能していれば、政府は規制緩和の政治圧力を退けるかもしれないし、総需要の不足に取り組む際も、バブルをつくり出すことではなく、持続可能な経済成長を強化することを選ぶかもしれないのだ。


 こうやって生み出された経済の不安定性は、さらにリスクの増大という悪影響をもたらす。企業はリスクを嫌う傾向があり、リスクテークに際しては見返りを要求する。だから、思ったような見返りが得られなければ、企業は投資を控え、結果として経済成長は鈍化するだろう。


 平等性の欠如が安定性を低下させる一方で、安定性の欠如は不平等を拡大させる。これも本章が指摘する悪循環のひとつだ。

1章で指摘したとおり、世界大不況はとりわけ下層の人々に大打撃を与え、打撃は中層にも及んだ。一般の労働者はおおむね、失業率の上昇と、賃金の下落と、住宅価格の低下と、富の大幅な縮小に見舞われている。他方、リスク許容度の高い富裕層の人々は、大きなリスクをとった見返りを社会全体から収穫している。

いつもどおり、金持ちによって支持される政策は、支持してくれる人々に勝利を与え、残りの人々に高いコストを押しつけているように見える。
 2008年の世界金融危機の余波が続く現在、不平等が不安定をもたらして不安定が不平等をうながす、という世界的なコンセンサスが広がっている。

国際通貨基金(IMF)は世界経済の安定維持に責任を負う国際機関だが、みずからの政策が貧困層にどう影響するかを熟慮しておらず、この点をわたしはきびしく批判してきた。しかし、不平等を無視していては使命が達成できないことを、IMFは遅ればせながら認識し、2011年の研究報告では次のように結論づけた。

 『成長期間の長さと、所得分配の平等性のあいだに、強い関連性があることをわれわれは発見した。長い目で見た場合、不平等是正と成長持続は、コインの表と裏の関係になるだろう』

 同年4月、IMFの前専務理事ドミニク・ストロス=カーンは、次のように強調した。

 『結局のところ、雇用と平等というレンガがなければ、経済の安定と繁栄、政治の安定と平和という建物を築き上げることはできない。IMFの使命の中核にかかわるこの考え方を、政策課題の中核に据える必要がある』」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『不平等の代価』(日本語書籍名『世界の99%を貧困にする経済』),第4章 アメリカ経済は長期低迷する,pp.150-153,徳間書店(2012),楡井浩一,峯村利哉(訳))
(索引:所得分配の平等性,経済成長)

世界の99%を貧困にする経済


(出典:wikipedia
ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「改革のターゲットは経済ルール
 21世紀のアメリカ経済は、低い賃金と高いレントを特徴として発展してきた。しかし、現在の経済に組み込まれたルールと力学は、常にあきらかなわけではない。所得の伸び悩みと不平等の拡大を氷山と考えてみよう。
 ◎海面上に見える氷山の頂点は、人々が日々経験している不平等だ。少ない給料、不充分な利益、不安な未来。
 ◎海面のすぐ下にあるのは、こういう人々の経験をつくり出す原動力だ。目には見えにくいが、きわめて重要だ。経済を構築し、不平等をつくる法と政策。そこには、不充分な税収しか得られず、長期投資を妨げ、投機と短期的な利益に報いる税制や、企業に説明責任をもたせるための規制や規則施行の手ぬるさや、子どもと労働者を支える法や政策の崩壊などがふくまれる。
 ◎氷山の基部は、現代のあらゆる経済の根底にある世界規模の大きな力だ。たとえばナノテクノロジーやグローバル化、人口動態など。これらは侮れない力だが、たとえ最大級の世界的な動向で、あきらかに経済を形づくっているものであっても、よりよい結果へ向けてつくり替えることはできる。」(中略)「多くの場合、政策立案者や運動家や世論は、氷山の目に見える頂点に対する介入ばかりに注目する。アメリカの政治システムでは、最も脆弱な層に所得を再分配し、最も強大な層の影響力を抑えようという立派な提案は、勤労所得控除の制限や経営幹部の給与の透明化などの控えめな政策に縮小されてしまう。
 さらに政策立案者のなかには、氷山の基部にある力があまりにも圧倒的で制御できないため、あらゆる介入に価値はないと断言する者もいる。グローバル化と人種的偏見、気候変動とテクノロジーは、政策では対処できない外生的な力だというわけだ。」(中略)「こうした敗北主義的な考えが出した結論では、アメリカ経済の基部にある力と闘うことはできない。
 わたしたちの意見はちがう。もし法律やルールや世界的な力に正面から立ち向かわないのなら、できることはほとんどない。本書の前提は、氷山の中央――世界的な力がどのように現われるかを決める中間的な構造――をつくり直せるということだ。
 つまり、労働法コーポレートガバナンス金融規制貿易協定体系化された差別金融政策課税などの専門知識の王国と闘うことで、わたしたちは経済の安定性と機会を最大限に増すことができる。」

  氷山の頂点
  日常的な不平等の経験
  ┌─────────────┐
  │⇒生活していくだけの給料が│
  │ 得られない仕事     │
  │⇒生活費の増大      │
  │⇒深まる不安       │
  └─────────────┘
 経済を構築するルール
 ┌─────────────────┐
 │⇒金融規制とコーポレートガバナンス│
 │⇒税制              │
 │⇒国際貿易および金融協定     │
 │⇒マクロ経済政策         │
 │⇒労働法と労働市場へのアクセス  │
 │⇒体系的な差別          │
 └─────────────────┘
世界規模の大きな力
┌───────────────────┐
│⇒テクノロジー            │
│⇒グローバル化            │
└───────────────────┘

(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『アメリカ経済のルールを書き換える』(日本語書籍名『これから始まる「新しい世界経済」の教科書』),序章 不平等な経済システムをくつがえす,pp.46-49,徳間書店(2016),桐谷知未(訳))
(索引:)

ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
スティグリッツの関連書籍(amazon)
検索(スティグリッツ)