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2020年5月15日金曜日

感情や意図の共感能力と、現実に発生する残虐行為との矛盾の解決には、意識的、顕在的な問題を意識以前の潜在的な観点から理解し、局地的に作用しがちな共感が、他文化理解の基盤でもあることを解明する必要がある。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

意識と無意識、局地的と普遍的

【感情や意図の共感能力と、現実に発生する残虐行為との矛盾の解決には、意識的、顕在的な問題を意識以前の潜在的な観点から理解し、局地的に作用しがちな共感が、他文化理解の基盤でもあることを解明する必要がある。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

(2.3)(2.4)追加。

(1)問題:人は感情や意図を共有し合える能力を持っているにもかかわらず、なぜ残虐にもなれるのか。
  人は感情や意図を共有し合える能力を持っているにもかかわらず、現実に発生する残虐行為を解決するには、科学的な事実と制度・政策との関係、人間の生物学的組成と社会性、自由意志の問題の解明が必要である。(マルコ・イアコボーニ(1960-))
 (1.1)感情や意図の共有
  感情や意図を共有し合えるという能力は、人と人とを意識以前の基本的なレベルで互いに深く結びつけ、人間の社会的行動の根本的な出発点でもある。
 (1.2)残虐行為が存在するという事実
(2)仮説
 (2.1)科学的な事実と、制度・政策との関係の問題、人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題
  共感を促進するのと同じ神経生物学的メカニズムが、特定の環境や背景のものでは共感的行動と正反対の行動を生じさせている可能性があるが、科学的な事実と制度・政策との関係の問題と、人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題が絡み、解決を難しくしている。
  (2.1.1)暴力的な映像による模倣暴力の事例
    暴力的な映像による模倣暴力の存在は、実験で検証されている。攻撃的な行動は、未就学児でも青年期でも、性別、生来の性格、人種によらず一貫して観察される。実際の社会においても、因果関係が実証されている。(マルコ・イアコボーニ(1960-))
  (2.1.2)科学的な事実と、制度・政策との関係の問題
   (a)これを解明するためには、科学的な事実を、社会全般の幸福を促進するための政策策定に反映させる制度的な仕組みが必要だが、そのような体制にはなっていない。
   (b)規制すべきかどうかの問題。言論の自由との絡みがある。
   (c)規制すべきかどうかの問題。市場と金銭的利害との絡みがある。
  (2.1.3)人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題
   (a)社会性と人間の自由意志の関係
    人間の最大の成功ではないかとも思える私たちの社会性が、一方では私たちの個としての自主性を制限する要因でもあることを示唆している。これは長きにわたって信じられてきた概念に対する重大な修正である。
   (b)人間の生物学的組成と自由意志の関係
    一方、人間はその生物学的組成を乗り越えて、自らの考えを社会の掟を通じて自らを定義できるとする見方がある。

 (2.2)顕在的、計画的、意識的レベルと潜在的、反射的、意識以前のレベルの問題
  社会を形成する計画的で意識的な対話を、潜在的レベルの共感で基礎づけて理解することが、問題解決の鍵である。
  (2.2.1)顕在的、計画的、意識的レベル
    社会は明らかに、顕在的で、計画的で、意識的な対話の上に築かれる。
  (2.2.2)潜在的、反射的、意識以前のレベル
   (a)ミラーニューロンは前運動ニューロンであり、したがって私たちが意識して行う行動とはほとんど関係がない。潜在的で、反射的な、意識以前の現象である。
   (b)道徳の基盤は、人から「動かされる」こと、すなわち共感である。

 (2.3)局地的に作用する共感が、同時に他文化を理解する基盤でもある
  (2.3.1)共感の局地性
   (a)ミラーリングと模倣の強力な効果は、きわめて局地的である。
   (b)そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。
   (c)地域伝統の模倣が、個人の強力な形成要因として強く強調されている。そして、人々は集団の伝統を引き継ぐ者になる。
  (2.3.2)普遍的な共感性の可能性
   (a)私たちをつなぎあわせる神経生物学的機構が存在する。
   (b)神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。
   (c)ただし、宗教的または政治的な信念体系は、大きな影響力を持ち、真の異文化間の出会いを難しくしている。

 「理解と共感を促す神経生物学上の根本的な原動力が、その有益な効果を損なわれている第二の要因は、この神経生物学上の原動力が最もよく働く「レベル」にある。前にも述べたようにミラーニューロンは前運動ニューロンであり、したがって私たちが意識して行う行動とはほとんど関係がない。実際、カメレオン効果のようなミラーリング行動は、潜在的で、反射的な、意識以前の行動と思われる。一方、社会は明らかに、顕在的で、計画的で、意識的な対話の上に築かれる。潜在的な心理過程と顕在的な心理過程はめったに相互作用しない。むしろ分離するぐらいだ。しかし神経科学によるミラーニューロンの発見は、意識的なレベルでの他人の理解に対し、意識以前の神経生物学的なミラーリングのメカニズムがあることを明らかにしてしまった。この本が論争に巻き込まれるなら本望である。人はミラーリングの神経機構がどう働いているかを直感的に理解しているように見える。この研究のことを話すと、相手はみな――少なくも私の経験では――わかってくれる。自分がすでに意識以前のレベルで「知って」いることを、ようやく明確に言葉にできたのだ。」(中略)「誰か別の人を見ているときに心の中で動きを調整しようとすれば、その心の中で身体接触のようなものが起こる。人は「動かされる」ことが共感の基盤であり、ひいては道徳の基盤でもあると《直感的に》知っているらしい。この人間の共感的な性質をもっと顕在的なレベルで理解することが、いずれ社会を形成する計画的で意識的な対話の要因になってくれることを祈るばかりだ。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.329-330,塩原通緒(訳))
(索引:)
 「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:意識,無意識,共感能力,残虐行為,他文化理解)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

マルコ・イアコボーニ(1960-)
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鉛筆を口にくわえてほほ笑みの顔にすると、他者のほほ笑みの検知が困難になる。他者の顔が自己の運動表象等を生じ、その知覚が他者の情動を了解させるが、先行する同じ運動が知覚を妨げ、この現象が生じる。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

ミラーニューロンの働き

【鉛筆を口にくわえてほほ笑みの顔にすると、他者のほほ笑みの検知が困難になる。他者の顔が自己の運動表象等を生じ、その知覚が他者の情動を了解させるが、先行する同じ運動が知覚を妨げ、この現象が生じる。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】

(1)鉛筆を口にくわえる実験
 (1.1)実験事実
  (a)鉛筆をくわえて口を横に広げ、ほほ笑んでいるような格好にすると、他の人のほほ笑みを検知するのが困難になる。
  (b)しかし、しかめ面の検知には影響しない。
 (1.2)解釈(仮説)
  (a)鉛筆を口にくわえることによって、ほほ笑みに使われるのと同じ筋肉の多くが活性化される。
  (b)活性化された筋肉の情報が、ミラーニューロン・システムに流れ込む。
  (c)他者のほほ笑みの検知は、他者のほほ笑みという視覚情報に対して、自分のほほ笑みに使う筋肉を動かそうという表象が現れ、この表象の知覚が相手の感情の知覚となる。ところが、既に同じ筋肉が使われてしまっているので、相手のほほ笑みを検知することが困難となる。
  (d)参照: 他者の情動の表出を見るとき、その情動の基盤となっている内臓運動の表象が現れ、他者の情動が直ちに感知される。これは潜在的な場合もあれば実行されることもあり、複雑な対人関係の基盤の必要条件となっている。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

(2)左の縁上回に病変のある失行の患者の事例
 (2.1)症状
  (a)熟練を要する動作のまねが困難
   お茶をかきまぜる、ハンマーで釘を打つといった熟練を要する動作のまねをすることができない。
  (b)行動のメタファーが理解困難
   失行の患者は、たとえば「夢を追う」などの行動にもとづいたメタファーの解釈も苦手とするという事実がある。
 (2.2)解釈(仮説)
  (a)他者の対象物への働きかけという視覚情報の知覚が、その同じ働きかけの運動感覚の表象を生じさせ、他者の運動の意図を理解させる。これがミラーニューロンである。とするならば、熟練を要する動作の解釈が困難になることがわかる。
  (b)同様に、言葉により視覚情報が喚起されても、その視覚情報から、どんな運動なのかを理解させる自己の運動感覚の表象が生じなければ、理解が生じない。このことから、行動のメタファーの理解が困難になることがわかる。
  (c)対象物を見ると、それを操作する運動感覚の表象が伴う。これはカノニカルニューロンが実現している。また、他者の対象物への働きかけを見ると、その運動感覚の表象が伴う。これはミラーニューロンが実現している。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

 「このミラーニューロン仮説で、ほかにもいくつか自閉症の奇異な症状が説明できる。たとえば、以前から知られているように、自閉症の子どもはことわざやメタファーの解釈が苦手な場合が多く、「落ち着いて(get a grip on yourself)(字義どおりに解釈すると、「自分をしっかりつかめ」という意味になる)」と言われると、自分の体をつかみはじめたりする。私たちは、「輝くものがみな金とは限らない(見かけはあてにならない)」ということわざの意味を説明するように求められた何人かの高機能自閉症患者が、「それは単に黄色い金属で、必ずしも金だとは限らないという意味です」と答える場面を経験した。このようなメタファーの解釈に対する困難は、自閉症児の一部に見られるだけだが、説明を必要とする。」(中略)「一つの具体的な例として、私がリンゼイ・オーバーマン、ピョトル・ウィンキールマンと共同でおこなった実験を紹介したい。私たちはその実験で、鉛筆を(くつわのように)くわえて口を横に広げ、ほほ笑んでいるような格好にすると、ほかの人のほほ笑みを検知するのが困難になる(しかめ面の検知には影響しない)という事実を示した。それは、鉛筆を口にくわえることによって、ほほ笑みに使われるのと同じ筋肉の多くが活性化され、その情報がミラーニューロン・システムに流れこんで、行動と知覚との混同を起こすためである(ある種のミラーニューロンは、あなたがある表情をしているときと、ほかの人のそれと同じ表情を観察しているときに発火する)。この実験結果は、行動と知覚が脳のなかで、一般に想定されているよりもはるかに密接にからみあっていることを示している。
 それが、自閉症やメタファーとどんな関係があるのだろうか? 私たちは最近、左の縁上回に病変のある失行の患者(お茶をかきまぜる、ハンマーで釘を打つといった熟練を要する動作のまねをすることができない患者)は、行動にもとづいたメタファー(たとえば「夢を追う」など)の解釈も苦手とするということに気づいた。縁上回にもミラーニューロンが存在するので、この所見は、人間のミラーニューロン・システムが熟練を要する動作の解釈に関与しているだけでなく、行動のメタファーの理解や、さらには身体性認知のほかの側面にも関与していることを示唆している。ミラーニューロンはサルにもあるが、彼らのミラーニューロンがメタファーに関与するためには、サルがさらに高度な複雑化のレベルに、すなわち人間だけにみられるようなたぐいのレベルに到達する必要があるのかもしれない。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第5章 スティーヴンはどこに? 自閉症の謎,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.205-206,山下篤子(訳))
(索引:ミラーニューロン,情動の検知,失行,行動のメタファー)

脳のなかの天使



(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)
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