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2020年5月25日月曜日

23.時間の2つの起源:(a)量子的な相互作用(測定)の結果が測定の順序に依存し(変数の非可換性),部分的に自然な順序づけを持つ.(b)私たちには識別できないマクロ状態に含まれるミクロ状態の数の増加という順序.(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

時間の2つの起源

【時間の2つの起源:(a)量子的な相互作用(測定)の結果が測定の順序に依存し(変数の非可換性),部分的に自然な順序づけを持つ.(b)私たちには識別できないマクロ状態に含まれるミクロ状態の数の増加という順序.(カルロ・ロヴェッリ(1956-))】

 「フランスの偉大な数学者アラン・コンヌは、時間の源において量子の相互作用が果たす深い役割を指摘した。

 ある相互作用によって粒子の位置が具体化すると、粒子の状態が変わる。また、速度が具体化する場合も、粒子の状態が変わる。しかも、速度が具体化してから位置が具体化したときの状態の変化は、その逆の順序で具体化したときの状態の変化とは異なる。つまり順序が問題で、電子の位置を測ってから速度を測ると、速度を測ってから位置を測ったときとは違う状態に変化するのだ。

 これを、量子変数の「非可換性」という。なぜなら位置と速度の順序は「交換できない」からで、順序を換えると、ただではすまなくなる。

この非可換性は、量子力学の特徴となる現象の一つであり、それによって二つの物理変数が確定する際の順序が決まり、その結果、時間の芽が生まれる。

物理的な変数の確定は孤立した行為ではなく相互作用であって、これらの相互作用の結果はその順序によって定まる。そしてその順序が、時間的な順序の原始形態なのである。

 おそらく相互作用の結果がその順序に左右されるという事実こそが、この世界における時間の順序の一つの根っこなのだろう。コンヌが提唱するこの魅力的な着想によると、基本的な量子遷移における時間の最初の萌芽は、これらの相互作用が(部分的に)自然に順序づけられているという事実のなかに潜んでいる。

 コンヌはこの着想を、優美な数学として提示した。物理的な変数の非可換性によって、暗黙のうちにある種の時間的な流れが定義されることを示したのだ。

この非可換性のゆえに、系に含まれる物理変数全体が「非可換フォン・ノイマン環」という数学的な構造を定義する。そしてコンヌは、これらの構造自体のなかに内在的に定義された流れが存在することを示した。

 驚いたことに、コンヌが定義した量子系に付随する流れとわたしが論じてきた熱時間には、きわめて密接な関係がある。

というのもコンヌが示したのは、ある量子系において異なるマクロ状態によって定まる熱流が、いくつかの内部対称性の自由度を別にして等価であり、まさしくコンヌ・フローを形成するという事実だったからだ。

もっと簡単な言葉でいうと、マクロな状態によって定められる時間と、量子の非可換性によって定められる時間は、同じ現象の別の側面なのだ。

 思うにこの熱的にして量子的な時間こそが、この現実の宇宙――根本的なレベルでは時間変数が存在しない宇宙――でわたしたちが「時間」と呼ぶ変数なのだ。

 量子の世界に固有の事物の不確定性は、ぼやけを生む。そしてボルツマンのぼやけゆえに、この世界は古典力学が指し示していそうなこととはまったく逆に、たとえ測定可能なものをすべて測定できたとしても、予測不能になる。

 時間の核には、この二つのぼやけの起源――物理系がおびただしい数の粒子からなっているという事実と、量子的な不確定性――がある。時間の存在は、ぼやけと深く結びついているのだ。

そしてそのようなぼやけが生じるのは、わたしたちがこの世界のミクロな詳細を知らないからだ。物理学における「時間」はけっきょくのところ、わたしたちがこの世界について無知であることの表われなのである。時とは無知なり。」

(カルロ・ロヴェッリ(1956-),『時間の順序』,日本語書籍名『時間は存在しない』,第3部 時間の源へ,第9章 時とは無知なり,pp.137-139,NHK出版(2019),冨永星(訳))
(索引:)

時間は存在しない


カルロ・ロヴェッリ(1956-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
カルロ・ロヴェッリ(1956-)
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22.「Aから見て本当に存在するB、Bから見て本当に存在するCは、Aから見ても本当に存在する」という命題は、存在するものに関する素朴な直感にすぎず、正しいとは限らない。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

4次元時空で本当に存在するものとは?

【「Aから見て本当に存在するB、Bから見て本当に存在するCは、Aから見ても本当に存在する」という命題は、存在するものに関する素朴な直感にすぎず、正しいとは限らない。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))】

(a)「現在」と同時刻の時空領域
 出来事Aから見て同時刻の出来事Bについて(これをA->Bと表す)、Bから見てAは同時刻とは限らない。従って、 A->B でも、B->A とは限らない。時刻によって共通の「現在」を定めることはできない。
(b)因果的な影響が及び得ない時空領域
 (i)出来事Aから見て因果的な影響が及び得ない出来事Bについて(これをA~Bと表す)、Bから見てAは因果的な影響が及び得ない。従って、A~B ならば B~A も成り立つ。
 (ii)互いに因果的な影響が及び得ない出来事A、B(A~B)、Bと互いに因果的な影響が及び得ない出来事C(B~C)を考える。A~B かつ B~C から、必ずしも A~C が結論できない。従って、仮に、因果的な影響が及び得ない領域を「現在」と定めても、ある出来事の「現在」が、別の出来事の過去や未来の領域でもあり得る。
(c)「本当に存在する」ものは何か
 「現在」に影響を与え得た領域を過去、「現在」が影響を与え得る領域を未来とする。過去と未来は、「本当には存在しない」とする。世界に何かが「本当に存在する」のなら、残りは、互いに因果的な影響が及び得ない領域である。そこで、これが「本当に存在する」としてみる。
 互いに因果的な影響が及び得ない出来事A、B(A~B)、Bと互いに因果的な影響が及び得ない出来事C(B~C)を考える。「現在」Aにおいて、「本当に存在する」Bから見て「本当に存在する」Cは、Aにとっても「本当に存在する」。これは、どこが間違っているだろうか。
(d)「Aから見て本当に存在するB、Bから見て本当に存在するCは、Aから見ても本当に存在する」という命題は、存在するものに関する素朴な直感にすぎず、正しいとは限らない。実際、存在するということを、時空内において互いに因果的な影響を与え得ない関係と定義しており、この関係には推移律は成立しない。

 「ブロック宇宙を擁護する古典的な議論は、1967年にヒラリー・パトナムの有名な論文で示された。H.Putnam,'Time and Physical Geometry(時間と物理的幾何学)',Journal of Philosophy 64,pp.240-47,

パトナムが用いたのはアインシュタインの同時性の定義である。第3章の注7で見たように、もしも地球とプロキシマ・ケンタウリbが遠ざかっているとすると、地球における出来事Aは(地球の人にとっては)プロキシマ上の出来事Bと同時になるが、その出来事は(プロキシマの上にいる人にとって)地球上の出来事Cと同時になり、しかもこの出来事CはAの未来に存在する。

パトナムは「同時である」ということが「本物の今である」と仮定して、演繹により(Cのような)未来の出来事が本物の「今」であるという結論に達した。

この論の間違いは、アインシュタインの同時性の定義に存在論的な価値があると仮定したところにある。

アインシュタインの定義は、じつは便宜上の定義でしかない。近似によって相対論的でないものに還元されるであろう相対論的な概念を確認するためのものなのだ。

ところが、相対論的でない同時性が再帰的推移的な概念であるのに対して、アインシュタインの概念は再帰的推移的ではない。したがって、この二つが近似以外の場合にも存在論的に同じ意味を持つと考えるのはナンセンスなのだ。」

(カルロ・ロヴェッリ(1956-),『時間の順序』,日本語書籍名『時間は存在しない』,第2部 時間のない世界,第7章 語法がうまく合っていない,註4,pp.228-229,NHK出版(2019),冨永星(訳))