情報は見えない
器官、細胞、細胞小器官、染色体、分子と細かく見ても、情報は見えない。知覚できるのは、情報を具現化している物質的構造と、情報が流れるネットワークと化学回路である。(ポール・デイヴィス(1946-))
「哲学者と科学者のあいだでは、「原理的に」 すべての生物現象を原子の振る舞いに還元できる のかどうかをめぐって論争が続いているが、実際問題としてはもっと高いレベルでの 説明を探すほう がずっと理にかなっているという点では、意見が一致している。 電子工学では、標準部品(トラ ンジスターやコンデンサー、トランスや電線など)から完璧なデバイスを設計して組立てる上で、 それぞれの部品の中で起こっている原子レベルの正確なプロセスを気にする必要はな い。部品がどの ようにして動作するかを知る必要はなく、どんな動作をするかさえ分かっていればいい。 この現実的 な方法論がとくに威力を発揮するのは、その電子回路が、信号の変換や訂正や増幅、 あるいはコンピュータの部品のように、何らかの形で情報を処理する場合である。こうすることで、 ハードウェアやモジュール自体、さらには分子レベルにさかのぼることなしに、情報の流れとソフト ウェアに基づく完全な説明を与えることができる。 それと同じように、可能な場面であれば、細胞内や細胞間のプロセスを、高いレベルのユニットが持つ情報的性質に基づいて説明してみるべきだと、 ナースは訴えている。
生物を見ると、その物質的な身体が目に入る。体内を探ると、器官や細胞、 細胞小器官や染色体、 さらには途方もない装置を使えば) 分子自体が見えてくる。しかし情報は見えない。脳の回路の中 を渦巻く情報のパターンも見えない。 細胞の中にある悪魔のような情報エンジンの大集団や、シグナル分子の組織立った一連の絶え間ないダンスも見えない。 DNAにぎっしり詰め込て保存され ている情報も見えない。 見えるのは物質であってビットではない。これでは生命のストーリーは半分 しか語れない。「情報の目」で世界を見ることができれば、生命を特徴づける、 荒れながらきら めく情報のパターンが、奇妙なものとして突然はっきり見えてくる。 将来、情報に特化したAIが、 顔でなく頭の中の情報構造に基づいて人物を識別するというのも想像できる。まるで疑似科学のよう だが、一人一人がそれぞれ独自の識別パターンを持っているかもしれない。 重要な点として、生体内 の情報のパターンはランダムではない。 解剖学的構造や生理機能と同じく、進化によって 最適な状態に仕立てられているのだ。
もちろん人間が情報を直接知覚することはできない。知覚できるのは、情報を具現化している物質 的構造と、情報が流れるネットワーク、そしてすべての情報をつなぐ化学回路だけだ。しかし、だか らといって情報の重要性が損なわれるわけではない。 コンピュータがどのように動作しているかを、 内部の電子回路だけを見て理解しようとしているとイメージしてみてほしい。 顕微鏡でマイクロチップを観察し、配線図に詳細に当たり、電源について調べる。だがそれだけでは、たとえば Windowsが魔法のような機能を発揮するしくみは見当もつかない。コンピュータ画面上に何 が現れるかを完全に理解するには、ソフトウエアエンジニアから話を聞くしかない。回路を駆けめぐ る情報のビットを統制してその機能性を生み出す、コンピュータコードを書いている人物だ。それと 同じように、生命のことを完全に説明するには、ハードウェアとソフトウエアの両方、つまり分子の 組織構成と情報の組織構成の両方を理解する必要がある。」
(ポール・デイヴィス(1946-),『機械の中の悪魔』(日本語書籍名『生物の中の悪魔』),第3章 生命のロジック,pp.112-114,SBクリエイティブ,2019,水谷淳)