未来のための哲学講座 命題集 Propositions of great philosophers
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命題集(記事一覧)
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2018年1月21日日曜日
言葉から物を、結果から原因を、原因から結果を、似たものから似たものを、部分から部分または全体そのものを、引き出す。(ルネ・デカルト(1596-1650))
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引き出すこと 【言葉から物を、結果から原因を、原因から結果を、似たものから似たものを、部分から部分または全体そのものを、引き出す。(ルネ・デカルト(1596-1650))】 認識するわれわれ 認識さるべき物自身 おのずからしてわれらに明らかであるもの 2.私は存...
単純本質は、必然的にか偶然的にか結合される。単純本質と、これらの混合または複合のほかに、われらは何ものをも理解できない。複合的と呼ばれる本質は、経験することによってか、または、われわれ自身が複合することによって認識される。この複合は、衝動によるか、推測によるか、または演繹による。(ルネ・デカルト(1596-1650))
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複合的本質 【単純本質は、必然的にか偶然的にか結合される。単純本質と、これらの混合または複合のほかに、われらは何ものをも理解できない。複合的と呼ばれる本質は、経験することによってか、または、われわれ自身が複合することによって認識される。この複合は、衝動によるか、推測によるか...
悟性が直感し、真と認識するところの単純本質は、すべてそれ自身によって真である。(ルネ・デカルト(1596-1650))
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単純本質 【悟性が直感し、真と認識するところの単純本質は、すべてそれ自身によって真である。(ルネ・デカルト(1596-1650))】 認識するわれわれ 認識さるべき物自身 おのずからしてわれらに明らかであるもの 2.私は存在する 人間精神が何であるか。 ...
悟性にとって単純なる事物には、純粋に悟性的なもの、純粋に物質的なもの、共通的なものがある。(ルネ・デカルト(1596-1650))
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単純本質 【悟性にとって単純なる事物には、純粋に悟性的なもの、純粋に物質的なもの、共通的なものがある。(ルネ・デカルト(1596-1650))】 認識するわれわれ 認識さるべき物自身 おのずからしてわれらに明らかであるもの 2.私は存在する 人間精神が...
認識に関係させて考察するのは、事実上存在するものとしてのそれらについて語るとは、異なった仕方でなすべきである。(ルネ・デカルト(1596-1650))
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事実上存在するもの 【認識に関係させて考察するのは、事実上存在するものとしてのそれらについて語るとは、異なった仕方でなすべきである。(ルネ・デカルト(1596-1650))】 「そこで第一に、われわれはいう、一々の事物をわれらの認識に関係させて考察するのは、事実上存...
いかにしてあるものが他のものから認識せられるか(ルネ・デカルト(1596-1650))
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認識 【いかにしてあるものが他のものから認識せられるか(ルネ・デカルト(1596-1650))】 認識するわれわれ 認識さるべき物自身 おのずからしてわれらに明らかであるもの 2.私は存在する 人間精神が何であるか。 3.私でないものが、存在する ...
おのずからしてわれらに明らかであるもの(ルネ・デカルト(1596-1650))
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自ずからして明らかなもの 【おのずからしてわれらに明らかであるもの(ルネ・デカルト(1596-1650))】 認識するわれわれ 認識さるべき物自身 おのずからしてわれらに明らかであるもの 2.私は存在する 人間精神が何であるか。 3.私でないもの...
認識するわれわれ、認識さるべき物自身(ルネ・デカルト(1596-1650))
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認識するもの、されるもの 【認識するわれわれ、認識さるべき物自身(ルネ・デカルト(1596-1650))】 認識するわれわれ 5.1 意志のすべてが精神の能動である。 5.1.1 精神そのもののうちに終結する精神の能動 5.1.1.1 「見る」とか「触れる」等の...
2018年1月20日土曜日
人間は自然の一部分であって他の諸部分と密接に結合している。だから、もしこの自然がいまとは異なった仕方で創造されていたとしたら、我々の本性もまた、それら創造された事物を理解し得るようなものに創られていたことであろう。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))
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自然との合一 【人間は自然の一部分であって他の諸部分と密接に結合している。だから、もしこの自然がいまとは異なった仕方で創造されていたとしたら、我々の本性もまた、それら創造された事物を理解し得るようなものに創られていたことであろう。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-167...
「我々がどんなものの認識にも到達し得ない」ということを否定する限り、我々が、我々の本性の創造者によって欺かれているかもしれないということは、否定される。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))
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欺瞞者である神 【「我々がどんなものの認識にも到達し得ない」ということを否定する限り、我々が、我々の本性の創造者によって欺かれているかもしれないということは、否定される。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))】 「我々がどんなものの認識にも到達し得ない」とい...
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