2018年1月14日日曜日

9.無限とは、わたしたちがまだ理解し得ていないもの、数え得ていないものに対して、暫定的に与えられた属性にすぎないように思われる。光速度 c、プランク定数 h、プランク長Lp、そして果てはないが有限な大きさを持つ宇宙。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

無限とは何か?

【無限とは、わたしたちがまだ理解し得ていないもの、数え得ていないものに対して、暫定的に与えられた属性にすぎないように思われる。光速度 c、プランク定数 h、プランク長Lp、そして果てはないが有限な大きさを持つ宇宙。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))】
 「無限」とは何か? 無限とは、わたしたちがまだ理解し得ていないもの、数え得ていないものに対して、わたしたちが与えた名前にすぎない。自然界に存在すると思われていたさまざまな「無限」に、限界があることが分かってきた。自然について多くを学べば学ぶほど、自然はわたしたちに、本当に無限なものなど存在しないと語りかけてくるようである。クオーク、陽子、原子、さまざまな構造をもつ化学物質、山、星、太陽、銀河、銀河の一群、宇宙そのもの。これらは複雑でとてつもなく巨大ではある、しかし「有限」である。例をあげる。
 最大の速さ、光速度 c :特殊相対性理論は「あらゆる物理的な系が共有する最大速度」を発見した。
 プランク定数 h :量子力学は「あらゆる物理的な系が共有する情報の最小単位」を発見した。
 最小の長さ プランク長Lp :量子重力理論は、これよりも小さい長さ(空間)が存在しないことを予測する。
 また、宇宙空間は、一般相対性理論により「果てはないが有限」であることが分かった。現在の計測によれば、宇宙の全長は千億光年を超えるとのことである。これは、プランク長のおよそ1060倍に相当する。
 参考: 検索(光速度)検索(プランク定数)検索(プランク長)検索(宇宙の大きさ)

 「無限に限界を設定することは、現代物理学に繰り返し登場するテーマである。

特殊相対性理論の内容を一言に圧縮するなら、「あらゆる物理的な系が共有する最大速度(つまり光速)の発見」ということになる。

同じように、量子力学は、「あらゆる物理的な系が共有する情報の最小単位の発見」と要約できる(情報は次章のテーマである)。

最小の長さはプランク長Lpであり、最大の速さは光速cであり、情報の最小単位はプランク定数hによって規定される。」
(中略)

「三つの定数をもとに自然を描写することは、たんなる形式上の変化に留まらない深遠な意味をもっている。

これら三つの定数が特定されることによって、それまで自然界に存在すると思われていたさまざまな「無限」に、限界が設定されたからである。

無限であるように見えるものは、実際には、わたしたちがまだ理解していなかった(または数えられていなかった)ものでしかないことを、これらの定数は繰り返し示してきた。

わたしが思うに、これは普遍的な真実である。「無限」とは、つまるところ、未知の事物にわたしたちが与えた名前にすぎない。自然について多くを学べば学ぶほど、自然はわたしたちに、本当に無限なものなど存在しないと語りかけてくるようである。

 もうひとつ、人間の思索をつねに惑乱させてきた「無限」がある。それは、宇宙空間の無限の広がりである。

しかし、第3章で解説したとおり、アインシュタインの理論のおかげで、「果てはないが有限な宇宙」について考えるための方法が明らかになった。

現在の計測によれば、宇宙の全長は千億光年を超えるとのことである。これが、わたしたちの住まう宇宙に存在する最大の長さである。これは、プランク長のおよそ1060倍に相当する。1060とは、1のあとに0が六十個つづく数値である。

プランクのスケールと宇宙のスケールのあいだには、数字にして六十桁もの莫大な開きがある。大変な違いである。それでも、プランク長と宇宙の大きさを比較するのに、「無限」をもち出す必要はない。

 クオークも、陽子も、原子も、さまざまな構造をもつ化学物質も、山も、星も、太陽のような天体が千億個も集まってできる銀河も、銀河の一群も……いまだにわたしたちはその一側面しか理解できていない、目もくらむほどに複雑な宇宙全体が、この大きさのなかに収まっている。

宇宙は巨大であり、しかし同時に、有限である。」
(カルロ・ロヴェッリ(1956)『現実は私たちに現われているようなものではない』(日本語名『すごい物理学講義』)第4部 空間と時間を超えて、第11章 無限の終わり、pp.229-231、河出書房新社(2017)、竹内薫(監訳)、栗原俊秀(訳))

8.技術的な工夫で回避されている場の量子論における無限発散の困難は、ループ量子重力理論によれば合理的に解決できる。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

ループ量子重力理論

【技術的な工夫で回避されている場の量子論における無限発散の困難は、ループ量子重力理論によれば合理的に解決できる。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))】
 場の量子論を使って物理的な過程を計算すると、多くの場合、何の意味も持たない「無限」という解が得られてしまう。こうした解のことを、専門用語では「発散」と呼ぶ。これは、技術的な工夫を導入することで、回避されている。なぜ無限が現われるのか? それはこの理論が、時空が際限なく分割できるという仮定に基づいているからである。例えば、ファインマンの経路積分において、ある過程が生じる確率を計算するには、この過程がたどることのできるあらゆる道筋を足し合わせた。しかし、この「道筋」は無限に存在する。その結果、無限発散の困難が現われることになる。
 量子重力理論によれば、空間は無限に分割することはできず、無限に小さな点は存在しない。その結果、取りうる「道筋」は有限個となり、無限発散の困難は解消する。粒的であり離散的である時空の構造が、場の量子論を苦しめている無限を除去し、この理論が抱えている難題を解決するのだ。
 考えてみれば、一方では、量子力学を考慮に入れることで、アインシュタインの重力理論にもとづく特異点における無限の問題が解消され、他方では、重力を考慮に入れることで、場の量子論から生じる無限の問題が解消されることになる。


 「まったく別の文脈で、量子重力理論が無限に限界を設定した事例がある。それは、電磁力をはじめとする「力」にかかわっている。

ディラックによって創始され、五〇年代にファインマンやその同僚たちが完成させた場の量子論は、これらの力を適切に描写することを可能にした。

ただしこの理論は、数学的に見て不合理としか言いようのない問題を抱えていた。場の量子論を使って物理的な過程を計算すると、多くの場合、何の意味も持たない「無限」という解が得られてしまうのである。こうした解のことを、専門用語では「発散」と呼ぶ。

有限な解が得られるように、技術的な工夫を導入することで、この種の無限は姿を消した。場の量子論はうまく機能するようになり、計算から求められる値と実験による計測値は一致するようになった。

しかし、場の量子論はどういうわけで、適切な数値にたどり着く前に、無限という不合理な解を通過しなければならなかったのか?

 晩年のディラックは、理論にたびたび顔を出す無限という要素に不満を抱いていた。事物の働きを完全に理解するという自身の目的は、結局のところ達成されなかったと感じていた。ディラックは明晰な概念を好む人物だった(もっとも、彼にとって明晰な概念が、ほかの人びとにとっても明晰であったことは少ないが……)。「無限」はけっして、明晰な要素とはいえなかった。

 ところが、場の量子論に登場する無限は、この理論の基礎を成すある前提に由来するものだった。その前提とは、空間の際限のない分割性である。

かつてファインマンが教えてくれたように、ある過程が生じる確率を計算するには、この過程がたどることのできるあらゆる道筋を足し合わせればよい。

しかし、この「道筋」は無限に存在する。なぜなら、計算の対象となっている過程は、連続的な空間に存在する無限個の点のすべてをたどることができるからである。このために、多くの場合、無限という計算結果が導き出される。

 量子重力理論を考慮に入れれば、このような無限もまた姿を消す。理由は明快である。空間を無限に分割することはできず、無限に小さな点は存在しない。したがって、足し合わせるべき「道筋」が無限に存在することもない。

粒的であり離散的である空間の構造が、場の量子論を苦しめている無限を除去し、この理論が抱えている難題を解決する。

 これは目覚ましい成果である。一方では、量子力学を考慮に入れることで、アインシュタインの重力理論にもとづく無限の問題が解消され、他方では、重力を考慮に入れることで、場の量子論から生じる無限の問題(つまり「発散」をめぐる問題)が解消された。

一見したところ矛盾しているように見えた二つの理論が、じつのところは、それぞれが抱えている問題の解決策になっていたのである! このことは、理論の信頼性を大いに補強している。」

(カルロ・ロヴェッリ(1956)『現実は私たちに現われているようなものではない』(日本語名『すごい物理学講義』)第4部 空間と時間を超えて、第11章 無限の終わり、pp.227-229、河出書房新社(2017)、竹内薫(監訳)、栗原俊秀(訳))
(索引:場の量子論における無限発散)


すごい物理学講義


カルロ・ロヴェッリ(1956-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
カルロ・ロヴェッリ(1956-)
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2018年1月13日土曜日

外部感覚だけでなく、それがより広い範囲の身体に影響を与えて生じた共通感覚もまた、記憶され、想像力の対象となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))

共通感覚の記憶

【外部感覚だけでなく、それがより広い範囲の身体に影響を与えて生じた共通感覚もまた、記憶され、想像力の対象となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 ある特定の外部感覚の原因となった身体の能動が、より広い範囲の身体に影響を与えて生じた共通感覚もまた、外部感覚と同じように、身体に印象づけられ、これらの印象は外部感覚がなくても、それら自体だけでも形や観念を生じさせる(想像力)ようなものとして、身体に把持されている(記憶)。
 「第三に、共通感覚もまた、外部感覚からして物体の助けを借らずにただ自体だけで到来するところのこれら形または観念をば、あたかも印章が蝋に印するごとくに、想像または想像力(phantasia vel imaginatio)の中へ印象づける働きをする、と考うべきである。そして、この想像は、現実の身体部分であって、それのさまざまな部分は、互いに区別された多くの形を受け容れるだけの大きさをもっており、通常それらの形を長く把持する――この時それは記憶と呼ばれる――と考うべきである。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、p.75、[野田又夫・1974])
(索引:共通感覚、想像力、記憶)

精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

ルネ・デカルト(1596-1650)
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ある特定の外部感覚は、その原因となる身体の能動が、より広い範囲の身体に影響を与え、これら身体の能動を精神において受動する共通感覚を生じる。(ルネ・デカルト(1596-1650))

共通感覚

【ある特定の外部感覚は、その原因となる身体の能動が、より広い範囲の身体に影響を与え、これら身体の能動を精神において受動する共通感覚を生じる。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 「第二に、外部感覚が対象によって動かされる時、それが受け取る形は、身体の或る他の部分すなわち共通感覚(sensus communis)と呼ばれる部分へ、同一瞬間に、かつその際何か実在的なものが一方から他方へ移り行くことなしに、移される、と考うべきである。あたかも、今私が字を書いている時、各々の文字が紙上に記されると同じ瞬間に、ペンの下部が動かされるのみならず、この部分のいかに小さな運動でも必ず同時にペンの全体にも及び、しかして、一端から他端へ何か実在的なものが移り行くのでないことが分かっているにも拘わらず、その運動のすべての差異はペンの上部によってもまた空中に描かれる、ということを私が理解するようなものである。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、p.74、[野田又夫・1974])
(索引:共通感覚、外部感覚)



精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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対象に注意を向けるのは能動であるにしても、外部感覚は精神の受動である。(ルネ・デカルト(1596-1650))

外部感覚

【対象に注意を向けるのは能動であるにしても、外部感覚は精神の受動である。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 「そこで第一にこう考うべきである、あらゆる外部感覚は、それらが身体の部分である限りにおいては、たとえそれらを対象に向けるのは能動(actio)すなわち場所的運動によるにしても、それらが本来の意味で「感覚する」(sentire)のはただ受動(passio)による、しかも蝋が印章から形(figura)を受け取るごとくする、と。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、p.73、[野田又夫・1974])
(索引:外部感覚)


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ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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想像が、多数のさまざまな運動の原因となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))

想像と運動

【想像が、多数のさまざまな運動の原因となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 「第四に、運動力或いは神経そのものも、みずからの源を脳髄に有し、ここに宿れる想像によってさまざまに動かされる――あたかも共通感覚が外部感覚によって動かされまたはペンの全体が下部によって動かされるように――と考うべきである。しかしてこの例はまた、いかようにして想像が、神経における多数の運動の原因たりうるか――この時想像の中にはこれらの運動の像が印せられているのでなく、何か他の像があってさような運動を起こすのである――をも、明らかにする。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、p.75、[野田又夫・1974])
(索引:行動、想像)

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ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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意志のひとつとして、身体において終結する能動がある。(ルネ・デカルト(1596-1650))

行動

【意志のひとつとして、身体において終結する能動がある。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
「第二は、身体において終結する能動で、たとえば、散歩をする意志を持つことだけで脚が動き歩行がなされる場合。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『情念論』第一部 一八、p.21、[谷川多佳子・2008])
(索引:行動)

情念論 (岩波文庫)




ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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問題となっている対象を表わす抽象化された記号を、紙の上の諸項として表現する。次に紙の上で、記号をもって解決を見出すことで、当初の問題の解を得る。(ルネ・デカルト(1596-1650))

紙の上の能動

【問題となっている対象を表わす抽象化された記号を、紙の上の諸項として表現する。次に紙の上で、記号をもって解決を見出すことで、当初の問題の解を得る。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 いまや、紙に書き留めておくことのできるものは、記憶に委ねない。われわれは、問題の諸項を、最初に示された通りに書き込む。次いで、それらの項がいかなる仕方で抽象されたか、いかなる記号によって表示されているか、を書く。かくしてこの記号を以って解決を見出した後、われわれはその解決を、容易に、記憶の助力を少しも借らずして、始め問題となっていた特殊な主体に適用しうるであろう。
 「今や一般的に、絶えざる注意を必要とせずかつ紙に書きとめておくことのできる事物は、決して記憶に委ねないように、注意すべきである。すなわち、不必要な記憶の努力が、われらの精神の一部を、現前の対象の認識からはずれさせることのないようにすべきなのである。そして一覧表を作るべきである。――これへわれわれは、問題の諸項を、最初に示された通りに書き込む。次いで、それらの項がいかなる仕方で抽象されたか、いかなる記号によって表示されているか、を書く。かくしてこの記号を以って解決を見出した後、われわれはその解決を、容易に、記憶の助力を少しも借らずして、始め問題となっていた特殊な主体に適用しうるであろう。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一六、pp.127-128、[野田又夫・1974])
(索引:紙の上の諸項、記憶、抽象、記号)

精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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未だ、量子論が提示した新たな世界像は、正しく理解されているとは言い難い。新しい人文科学のための枠組み作りのために、自然科学と人文科学、両方の要素を学ぶことが必要である。(ロバート・P・クリース(1953-))

ソーカル事件

【未だ、量子論が提示した新たな世界像は、正しく理解されているとは言い難い。新しい人文科学のための枠組み作りのために、自然科学と人文科学、両方の要素を学ぶことが必要である。(ロバート・P・クリース(1953-))】
 かつて、ニュートン物理学の成功が、いわゆる「近代性」と呼ぶのがふさわしいような、科学的で工業的な文化の基礎的な考え方を醸成した。しかし、量子論が提示した新たな世界像は、未だ一般の人々には、正確に理解されるに至っていないように思われる。むしろ、ソーカル事件において露呈したように、科学を理解していない者や、反科学的な立場の者が、恣意的にその言葉を使用し、状況を混乱させている。これからの私たちには、新しい人文科学のための枠組み作りのために、自然科学と人文科学、両方の要素を学ぶことが必要である。
 「量子論の用語とイメージを理解し、その面白さを味わう――ことは、今日において教養人である条件のひとつだ。そのためには、自然科学と人文科学、両方の要素を学ぶことが必要である。そのような教育を可能にするためには、伝統的な学問分野の境界をいくつも越えることが必然的に伴うが、現代世界の教育はじつにもつれた状態にある。量子のモーメントと正面から向き合うには、二一世紀の人文科学のための新しい枠組み作りが不可欠なのだ。
 第1章で、歴史家のベティー・ダブスとマーガレット・ジェイコブの「ニュートン的モーメント」は「現在、ほとんどの西洋人と、一部の非西洋人が暮らしている、物質的かつ精神的で、工業的で科学的な宇宙、すなわち、『近代性』と呼ぶのがふさわしいもの」を提供したという言葉を引用した。だがこの宇宙は、少しずつ変化しつつある。そのあとにやってくるものを記述する正しい方法はどこにあるのか? よく使われる「ポストモダン」という言葉は、種々雑多な人々がいろいろな意味であまりに無造作に使っているので、私たちは好きではない。それにこの言葉は、第8章でも見たが、あの名高いソーカル事件が露呈したように、科学を理解していない者や反科学的な立場の者も好んで使っているのにも辟易する。今の科学が、このポスト・ニュートン的文化の宇宙の枠組みに密に織り込まれていることは明らかで、これと取り組みたいと望むものはみな、この事実を直視しなければならない。ニュートン的モーメントの次にやってくるものを記述する正しい言葉は「量子のモーメント」なのだろうか? 私たちは学生たちにこう問いかける。」
(ロバート・P・クリース(1953-)&アルフレッド・シャーフ・ゴールドハーバー『量子モーメント』(日本語書籍名『世界でもっとも美しい量子物理の物語』)結び 新しいモーメント、pp.431-432、日経BP(2017)、吉田三知世(訳))
(索引:フルーツルーパリー、ソーカル事件)


世界でもっとも美しい量子物理の物語――量子のモーメント



(出典:wikimedia
ロバート・P・クリース(1953)
Robert P. Crease
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フルーツルーパリー(fruitloopery)とは、意味もわからず偉ぶって科学用語を持ち出して、間違った使い方をしているのを指す。広告、自己啓発本、アマチュア哲学、似非科学に現われる。(ロバート・P・クリース(1953-))

フルーツルーパリー

【フルーツルーパリー(fruitloopery)とは、意味もわからず偉ぶって科学用語を持ち出して、間違った使い方をしているのを指す。広告、自己啓発本、アマチュア哲学、似非科学に現われる。(ロバート・P・クリース(1953-))】
 フルーツルーパリー(fruitloopery)とは、意味もわからず偉ぶって科学用語を持ち出して、間違った使い方をしているのを指す。広告、自己啓発本、アマチュア哲学、似非科学に現われ、「量子(クォンタ)」、「タキオン」、「振動(波動)エネルギー」、「再構成水」などの言葉が、しばしば使われる。
 「イギリスの科学雑誌、《ニュー・サイエンティスト》は、意味もわからず偉ぶって科学用語を持ち出して、間違った使い方をしているのを指して「フルーツルーパリー(fruitloopery)」と呼ぶ。そもそもこの言葉は、妙な比喩として使われ始めた。「フルーツループ」とは、一九六六年にケロッグ社が販売を始めた朝食用シリアルで、フルーツのような香りがする色とりどりの小さなリング状のシリアルだ。」(中略)「「フルーツルーパリー」は、広告のなかで科学が、検証不可能なかたちで使われたり、前後関係から完全に外れた使われたりする様子を指して、《ニュー・サイエンティスト》が独自に使う用語となった。フルーツルーパリーの可能性を見わける指標としては、「量子(クォンタ)」、「タキオン」、「振動(波動)エネルギー」、あるいは、「再構成水」などの言葉があり、これらが組み合わされている場合は特にあやしい。私たちの講義では、意味をさらに拡張し、広告のみならず、自己啓発本、アマチュア哲学、似非科学に現われる、偉ぶっているくせに間違っている科学用語を指すのに、この「フルーツルーパリー」という用語を使う。
 物理学は、文化のなかで高い地位を占めているため、ほかの分野よりも「フルーツルーパリー」を刺激することが多い。あなたがペテン師で、何かを売り込もうとしているとき、それを物理学に結びつければ、それは深遠で信頼性が高いと思わせることができる。」
(ロバート・P・クリース(1953-)&アルフレッド・シャーフ・ゴールドハーバー『量子モーメント』(日本語書籍名『世界でもっとも美しい量子物理の物語』)第8章 ずたずたになったリアリティ、pp.261-262、日経BP(2017)、吉田三知世(訳))
(索引:フルーツルーパリー)


世界でもっとも美しい量子物理の物語――量子のモーメント



(出典:wikimedia
ロバート・P・クリース(1953)
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