2018年5月9日水曜日

11.発見の技術は、発見とともに成長しうるものである。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

発見の技術

【発見の技術は、発見とともに成長しうるものである。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「ところで今や、自然解明の技術そのものを提示する時である。その中で我々は最も有用で最も真正な法式を説いたと信ずるけれども、しかしそれに絶対的必然性(あたかもそれなくしては、何も行なわれ得ないということ)、もしくは完全無欠を認めたわけではない。」(中略)
 「精神をば単にそれ自らの能力においてだけではなく、事物との結合されている限りで考察する我々は、発見の技術が、発見とともに成長しうるものであることを、主張せざるを得ないのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、一三〇、pp.197-198、[桂寿一・1978])
(索引:発見の技術)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


フランシス・ベーコン(1561-1626)
フランシス・ベーコンの本(amazon)
検索(フランシス・ベーコン)


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

心理学ランキング

10.最大の希望:過ぎたことに関して最悪のことは、未来に対しては最善と見られねばならない。なぜなら、私たちの課題や問題が、過去の誤りによるのなら、それを除き訂正することで、大きく好転させ得る希望がある。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

最大の希望

【最大の希望:過ぎたことに関して最悪のことは、未来に対しては最善と見られねばならない。なぜなら、私たちの課題や問題が、過去の誤りによるのなら、それを除き訂正することで、大きく好転させ得る希望がある。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】

 もし私たちが、私たちの義務に係わる一切を遂行したが、にも拘わらず私たちの事態が好転しないとしたら、それらをよりよい方に進めるという、いかなる希望さえ残らないであろう。

しかし、現在の私たちの抱える課題や問題が、事がらそのもののためにではなく、過去の時代の誤り、今まで試みられた方法の誤りによるものならば、それらの誤りを除き、もしくは訂正することによって、事がらを大きく好転させうるよう希望することができる。

「過ぎたことに関して最悪のことは、未来に対しては最善と見られねばならない。」
───
 「希望を与えるのにあらゆる理由のうち最大のものがある。すなわち過去の時代の誤り、ならびに今まで試みられた道の誤りからの理由である。

というのも、余り巧みでなく治められた政治的状態について、或る人が次の言葉で表明した非難は、最も優れたものであろう。すなわち、「過ぎたことに関して最悪のことは、未来に対しては最善と見られねばならない。

というのは、もしも諸君が諸君の義務に係わる一切を遂行したが、にも拘わらず諸君の事態が好転しないとしたら、それらをよりよい方に進めるという、いかなる希望さえ残らないであろう。

しかしながら諸君の事がらの状態が、事がらそのものの為にではなく、諸君の誤りによってうまく行かないときには、それらの誤りを除き、もしくは訂正することによって、事がらを大きく好転させうるよう希望することができる」と。」

(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、九四、p.153、[桂寿一・1978])
(索引:最大の希望)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


フランシス・ベーコン(1561-1626)
フランシス・ベーコンの本(amazon)
検索(フランシス・ベーコン)


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

心理学ランキング

権力者に取り入るには、彼の信任の厚い人物を味方にすること。対象:才気がある取り巻き、そば仕えの役人、大臣、お気に入りの音楽家や歌姫、方法:贈り物、包み金、秘密の年金、注意事項:相手が気持よく、安心して、受け取れるようにすること。(フランソワ・ド・カリエール(1645-1717))

買収

【権力者に取り入るには、彼の信任の厚い人物を味方にすること。対象:才気がある取り巻き、そば仕えの役人、大臣、お気に入りの音楽家や歌姫、方法:贈り物、包み金、秘密の年金、注意事項:相手が気持よく、安心して、受け取れるようにすること。(フランソワ・ド・カリエール(1645-1717))】
 任国の君主に好かれる最も確かな方法は、その信任の厚い人物を味方にすることである。そのためには、包み金や秘密の年金、うまい時機をねらった贈り物など、その目的を達成するために役立つような出費が必要となる。その際、注意すべきは、贈り物をしようと思う相手が気持よく、安心して、受け取れるようにしなければならないということだ。また、国によっては、きまった慣習があって、ちょっとした贈り物をする機会が、しばしばある。
(a) とくに君主の信任の厚い人物。
  これ以外にも、次のような人たちが対象となる。
(b) 財産はないが才気があり、お偉方に取り入るすべを心得ているという人間。
(c) 機密事項をしばしば扱わせるために用いている地位の低い役人。
(d) 大臣でさえも、気持ちよくさらりとした態度で贈り物をもってゆけば、愛想よく受けとってくれる。
(e) 君主や大臣の許に出入りを許されている音楽家や歌姫。
 「任国の君主に好かれる最も確かな方法は、その信任の厚い人物を味方にすることであるから、すぐれた交渉家は丁重で礼儀正しく、かつ、愛想よく振舞うばかりでなく、道を通じさせるために大いに役立つような出費を何がしかする必要がある。しかし、それは、上手にやる必要がある。そして、贈り物をしようと思う相手が気持よく、安心して、受け取れるようにしなければならない。贈り物を受けとらせるのにむずかしい技巧がいらないような国も、ないではないが、やはり、贈る仕方によってその効果を増大させることは、贈り物をする人、もしくは、贈り物が手に入るように他人のためにはからう人にとって、賢明なことであり、礼儀にもかなったことである。
 国によっては、きまった慣習があって、ちょっとした贈り物をする機会が、しばしばある。この種の出費は、大使が任地の宮廷で尊敬され好かれるようになるのに大いに助けになるし、彼の任務を成功させるためにも、しばしば、すこぶる役立つことになる。
 どこの宮廷にも、財産はないが才気があり、お偉方に取り入るすべを心得ているという人間がいる。敏腕な交渉家ならば、この連中を、包み金や秘密の年金を与えて、味方にすることも怠ってはならない。上手にその人をえらぶことができれば、こうした連中を大いに役立たせることが可能である。君主や大臣の許に出入りを許されている音楽家や歌姫が、きわめて重要な謀を見破ったことも何度かある。こうした主権者たちは、機密事項をしばしば扱わせるために、地位の低い役人を、身辺に用いざるをえない。こうした役人どもや、うまい時機をねらって贈り物をすると、秘密を洩らさないとは限らない。大臣でさえも、気持ちよくさらりとした態度で贈り物をもってゆけば、愛想よく受けとってくれる。」
(フランソワ・ド・カリエール(1645-1717)『外交談判法』第3章 交渉家の資質と行状について、pp.24-25、岩波文庫(1978)、坂野正高(訳))
(索引:買収、贈賄)

外交談判法 (岩波文庫 白 19-1)



(出典:wikipedia
「こうしたいろいろな交渉の仕方のいずれの場合にも、彼は、とりわけ、公明正大で礼儀にかなったやり方で成功を収めるようにするべきである。もし、細かい駆け引きを用い、相手よりもすぐれているつもりのおのれの才智にたよって、成功しようなどと思うならば、それはまず思い違いというものである。みずからの本当の利益を知る能力をそなえた顧問会議をもたないような君主や国家はない。いちばん粗野なようにみえる国民こそが、実は、自分の利益を最もよく理解して、ひとよりも一層粘り強くこれを追求する国民であることがしばしばある。であるから、どんなに有能な交渉家でも、そうした国民を、この点で欺こうなどと思ってはいけない。むしろ、彼が役目柄提案している事柄の中には、彼らにとって本当に有利な点がいろいろあることを分かってもらえるように、おのが知識と知力の限りを尽くして努力すべきである。人と人の間の友情とは、各人が自分の利益を追求する取引にほかならない、と昔のある哲人が言ったが、主権者相互の間に結ばれる関係や条約については、なおさら同じことが言える。相互的な利益を基礎においていない関係や条約は、存在しない。各主権者が相互に利益を見出さない場合には、条約は効力をほとんど持ち続けないで、自壊する。従って、交渉のいちばんの秘訣はかかる共通の諸利益を共存させ、できれば変わらぬ足どりで、前進させるための方法を見つけることである。」
(フランソワ・ド・カリエール(1645-1717)『外交談判法』第8章 交渉家の職務について、pp.58-59、岩波文庫(1978)、坂野正高(訳))


フランソワ・ド・カリエール(1645-1717)
フランソワ・ド・カリエールの関連書籍(amazon)
検索(Francois de Callieres)
検索(フランソワ・ド・カリエール)

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

政治ランキング

外交においては、ものごとの道理と正義に殉ずる覚悟の精神がなければ、十分な成果を収めることなどできない。相手への畏縮、道理と正義を曲げた従順は、軽侮を招き、真の友好も得られない。(西郷隆盛(1828-1877))

正道

【外交においては、ものごとの道理と正義に殉ずる覚悟の精神がなければ、十分な成果を収めることなどできない。相手への畏縮、道理と正義を曲げた従順は、軽侮を招き、真の友好も得られない。(西郷隆盛(1828-1877))】
 外交においては、ものごとの道理と正義に則り、仮にそのために国が倒れても後悔はないというほどの覚悟の精神〈正道を踏み國を以て斃るゝの精神〉がなければ、十分な成果を収めることなどできない。相手の強大に畏縮し、円滑を主として、道理と正義を曲げて相手に従順になるときは、相手から軽侮を招き、かえって真の友好も得られずに、相手の思うままになってしまうだろう。
 「正道を踏み國を以て斃るゝの精神無くば、外國交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、圓滑を主として、曲げて彼の意に順從する時は、輕侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん。」
(西郷隆盛(1828-1877)『遺訓』17(集録本『西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文』)p.11、岩波文庫 (1939)、山田済斎(編))
(索引:外交、正道)
『遺訓』西郷隆盛(1828-1877)青空文庫

西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文 (岩波文庫)


(出典:wikipedia
西郷隆盛(1828-1877)  「事大小と無く、正道を蹈み至誠を推し、一事の詐謀(さぼう)を用ふ可からず。人多くは事の指支(さしつか)ゆる時に臨み、作略(さりやく)を用て一旦其の指支を通せば、跡は時宜(じぎ)次第工夫の出來る樣に思へ共、作略の煩ひ屹度生じ、事必ず敗るゝものぞ。正道を以て之を行へば、目前には迂遠なる樣なれ共、先きに行けば成功は早きもの也。」
(西郷隆盛(1828-1877)『遺訓』7(集録本『西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文』)p.7、岩波文庫 (1939)、山田済斎(編))
『遺訓』西郷隆盛(1828-1877)青空文庫

西郷隆盛(1828-1877)
テキスト:西郷隆盛(1828-1877)青空文庫
西郷隆盛の関連書籍(amazon)
検索(西郷隆盛)
検索(西郷どん)
検索(西郷隆盛 遺訓)
検索(山田済斎)

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
心理学ランキング

自然界だけでなく、人の富貴貧賤、長寿・夭逝、利害栄辱なども、あやつり人形の芝居のからくりのように、すべて条理が前から定まっている。これを知らずに、自分の知恵力量を十分だと思い、栄誉・功名にいそしむのは、勘違いも甚だしい。(佐藤一斎(1772-1859))

傀儡の戯の機関の喩え

【自然界だけでなく、人の富貴貧賤、長寿・夭逝、利害栄辱なども、あやつり人形の芝居のからくりのように、すべて条理が前から定まっている。これを知らずに、自分の知恵力量を十分だと思い、栄誉・功名にいそしむのは、勘違いも甚だしい。(佐藤一斎(1772-1859))】
 自然界に起こることは、すべて条理がすべて前から定まっている〈其の数皆な前に定れり〉。これと同じように、人の富貴貧賤、死生、長寿・夭逝、利害栄辱も、これらは皆、定まった運命でないものはない〈一定の数に非ざるは莫し〉。ただ、これを前もって知らないだけなのだ〈殊に未だ之れを前知せざるのみ〉。たとえば、あやつり人形の芝居のからくりはちゃんと具わっているのに、これを見る人が知らないようなものだ〈譬えば猶お傀儡の戯の機関已に具れども、而も観る者知らざるがごときなり〉。このことを知らないで、自分の知恵力量は十分たのむに足りるものだとして、栄誉・功名を探し求め、疲れ倒れてしまうのは、惑えるも甚だしい。
 「天地間に起こる事がらは、昔から今まで、陰あり、陽あり、昼あり、夜あり、また太陽と月とが交互に世を照らし、四季が互いにめぐるなど、条理がすべて前から定まっている〈其の数皆な前に定れり〉。また人が富み栄えたり、貧乏したり、死んだり、生まれたり、長生きしたり、早死にしたり、もうけたり、損したり、栄誉をうけたり、はずかしめられたり、集まったり、ばらばらになったり、これらは皆、定まった運命でないものはない〈一定の数に非ざるは莫し〉。ただ、これを前もって知らないだけなのだ〈殊に未だ之れを前知せざるのみ〉。たとえば、あやつり人形の芝居のからくりはちゃんと具わっているのに、これを見る人が知らないようなものだ〈譬えば猶お傀儡の戯の機関已に具れども、而も観る者知らざるがごときなり〉。世間の人々はこのようなことを知らないで、自分の知恵力量は十分たのむに足りるものだとして、一生涯せっせと、きのうは東、今日は西と、栄誉・功名を探し求め、ついにやつれつかれて倒れてしまう。これはなんと、まどえるもはなはだしいといわざるを得ないのではないか。」
(佐藤一斎(1772-1859)『言志録』1(集録本『言志四録(1)言志録』)p.24、講談社学術文庫(1979)、川上正光(訳注))
(索引:条理(数)、運命(一定の数)、傀儡の戯の機関の喩え)

言志四録(1) 言志録 (講談社学術文庫)


(出典:wikipedia
佐藤一斎(1772-1859)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「天地間に起こる事がらは、昔から今まで、陰あり、陽あり、昼あり、夜あり、また太陽と月とが交互に世を照らし、四季が互いにめぐるなど、条理がすべて前から定まっている〈其の数皆な前に定れり〉。また人が富み栄えたり、貧乏したり、死んだり、生まれたり、長生きしたり、早死にしたり、もうけたり、損したり、栄誉をうけたり、はずかしめられたり、集まったり、ばらばらになったり、これらは皆、定まった運命でないものはない〈一定の数に非ざるは莫し〉。ただ、これを前もって知らないだけなのだ〈殊に未だ之れを前知せざるのみ〉。たとえば、あやつり人形の芝居のからくりはちゃんと具わっているのに、これを見る人が知らないようなものだ〈譬えば猶お傀儡の戯の機関已に具れども、而も観る者知らざるがごときなり〉。世間の人々はこのようなことを知らないで、自分の知恵力量は十分たのむに足りるものだとして、一生涯せっせと、きのうは東、今日は西と、栄誉・功名を探し求め、ついにやつれつかれて倒れてしまう。これはなんと、まどえるもはなはだしいといわざるを得ないのではないか。」
(佐藤一斎(1772-1859)『言志録』1(集録本『言志四録(1)言志録』)p.24、講談社学術文庫(1979)、川上正光(訳注))

佐藤一斎(1772-1859)
佐藤一斎の関連書籍(amazon)
検索(佐藤一斎)
検索(佐藤一斎 言志四録)
検索(山田済斎)

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
心理学ランキング

2018年5月8日火曜日

「人間の自然の性」を獲得するには、まず自然の理解が必要であり、多くの人々が安全にそこに到達できるような社会が必要であり、道徳哲学、教育学、医学、諸々の技術が必要である。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))

人間の自然の性

【「人間の自然の性」を獲得するには、まず自然の理解が必要であり、多くの人々が安全にそこに到達できるような社会が必要であり、道徳哲学、教育学、医学、諸々の技術が必要である。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))】
(5) 「人間の自然の性」を獲得し、他の諸個人とともにそのような自然の性を享受することができるためには、まず、そのような自然の性を獲得するのに足りるだけ自然について解ることが必要である。
(6) それから、できるだけ多くの人ができるかぎり簡単に、かつ安全にそこに辿り着くために、望まれるような世の結びつきをつくることが必要である。
(7) そして、道徳哲学、子どもたちのための教育学、完備した医学、諸々の技術が必要となる。
 「そこで次のことがわたしのめざす目的である。すなわち、そのような自然の性を獲得し、かつ、たくさんの人がわたしとともにそれを獲得するように力めることである。つまり、ほかのたくさんの人が、わたしが解るのと同じものを解って、その人たちの知性と慾望がわたしの知性、慾望とすっかり一致するように尽くすことがわたしの幸福である。そしてこれがなされるためには、そのような自然の性を獲得するのに足りるだけ自然について解ることが必要である。それから、できるだけ多くの人ができるかぎり簡単に、かつ安全にそこに辿り着くために、望まれるような世の結びつきをつくることが必要である。」
 「さらに進んで、道徳哲学に力を尽くすべきである。たとえば成年に達しない子の訓育についての教えに向けられるように。そして、健康はこの目的に達するための手だてとして瑣末ではないので、完備した医学が用意されるべきである。また困難な多くのことが技術によってたやすくされ、それによってわれわれは暮らしの中でたくさんの時間と便宜を得することができるから、機械技術はけっして蔑ろにされるべきではない。」
(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)『知性改善論』(14)(15)(書名『スピノザ 知性改善論、神、人間とそのさいわいについての短論文』)、pp.14-15、みすず書房(2018)、佐藤一郎(訳))
(索引:)

知性改善論/神、人間とそのさいわいについての短論文



(出典:wikipedia
バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「どんなものも、その本性において見れば、完全だとも不完全だとも言われないであろう。特に、生起する一切のものは永遠の秩序に従い、一定の自然法則に由って生起することを我々が知るであろう後は。」(中略)「人間はしかし無力のためその思惟によってこの秩序を把握できない。だが一方人間は、自分の本性よりはるかに力強い或る人間本性を考え、同時にそうした本性を獲得することを全然不可能とは認めないから、この完全性[本性]へ自らを導く手段を求めるように駆られる。そしてそれに到達する手段となり得るものがすべて真の善と呼ばれるのである。最高の善とはしかし、出来る限り、他の人々と共にこうした本性を享受するようになることである。ところで、この本性がどんな種類のものであるかは、適当な場所で示すであろうが、言うまでもなくそれは、精神と全自然との合一性の認識(cognitio unionis quam mens cum tota Natura habet)である。」
 「だから私の志す目的は、このような本性を獲得すること、並びに、私と共々多くの人々にこれを獲得させるように努めることにある。」(中略)「次に、出来るだけ多くの人々が、出来るだけ容易に且つ確実にこの目的へ到達するのに都合よいような社会を形成しなければならない。なお、道徳哲学並びに児童教育学のために努力しなければならない。また健康はこの目的に至るのに大切な手段だから、全医学が整備されなければならない。また技術は多くの難しい事柄を簡単なものにして、我々に、生活における多くの時間と便宜を得させてくれるから、機械学を決してなおざりにしてはならない。」(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)『知性改善論』(12)(13)(14)(15)、pp.17-19、岩波文庫(1968)、畠中尚志(訳))

バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)
スピノザの関連書籍(amazon)
検索(スピノザ)

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

心理学ランキング

9.不死への欲求が、名声を求めさせ、建築物と記念碑を作らせてきたが、学問こそ永続するだろう。それは、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、人々の精神に種をまき、意見と行動を通じて、知恵と知識と発明の分け前を取らせる。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

学問の船の喩え

【不死への欲求が、名声を求めさせ、建築物と記念碑を作らせてきたが、学問こそ永続するだろう。それは、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、人々の精神に種をまき、意見と行動を通じて、知恵と知識と発明の分け前を取らせる。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 人間には、不死への欲求がある。この不死への欲求によって、多くのことが成し遂げられてきた。
・子をうみ、家名をあげ、不死を得る。
・遺名と名声と令名を求め、不死を得る。
・建築物と記念の施設と記念碑をたて、不死を得る。
・知力と学問の記念碑により、不死を得る。
 人びとの知力と知識の似姿は、書物の中にいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができる。それはつねに子を産み、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、果てしなく行動を引き起こし意見を生む。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。

 「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。

そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。

というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)

「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。

これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。

それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。

学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。」

(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:学問の船の喩え、不死のへ欲求)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


フランシス・ベーコン(1561-1626)
フランシス・ベーコンの本(amazon)
検索(フランシス・ベーコン)


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

心理学ランキング

8.推論式による通常の論理学がすべての学問に適用できるように、帰納法も、自然哲学だけでなく、残りの諸学、論理学・倫理学・政治学についても、適用される。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

帰納法の適用範囲

【推論式による通常の論理学がすべての学問に適用できるように、帰納法も、自然哲学だけでなく、残りの諸学、論理学・倫理学・政治学についても、適用される。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】

 「また人は次のように反対する、というよりむしろ疑いもするであろ、果して我々は自然哲学だけについて言うのか、それとも残りの諸学、論理学・倫理学・政治学についても、我々の方法で行なわるべきだと語っているのかと。

ところでたしかに我々は、言われたことはすべてについてであると解しており、そして事物を推論式で支配する通常の論理学が、単に自然的のみならずすべての学に及ぶごとく、「帰納法」によって進行する我々の論理学も、一切を包括するわけである。

というのは我々は怒り・恐れ・恥じらいその他同様のものについて、また政治的事例についても、〔自然〕誌および発見表を作り上げるし、また、寒熱や光や植物の生育等について劣らず、記憶・合成および分割・判断その他の精神的働きについても同様である。

とは言え我々のいう「解明」の仕方は、誌が用意され整序された後には、(通常の論理学のように)単に精神の働きおよび運びを見るだけではなく、事物の本性をも考察するのであるから、我々は精神をばあらゆる点で適切な仕方で、事物の本性に適用されるように指導する。」

(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、一二七、p.191、[桂寿一・1978])
(索引:論理学、倫理学、政治学、帰納法)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


フランシス・ベーコン(1561-1626)
フランシス・ベーコンの本(amazon)
検索(フランシス・ベーコン)


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

心理学ランキング

7.学問や技術そのものが、諸悪の原因であるという非難には、注意すること。なぜなら、知能・勇気・力・容姿・富などと同様に、それは正しい理性と健全な宗教の導き次第だからだ。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

学問への非難について

【学問や技術そのものが、諸悪の原因であるという非難には、注意すること。なぜなら、知能・勇気・力・容姿・富などと同様に、それは正しい理性と健全な宗教の導き次第だからだ。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「最後にもし人が、諸学および技術が諸悪および奢侈等へ堕落することを、非難するとしても、これには何ぴとも心動かされないよう望む。  

というのは、それはこの世の一切の善なることについて、知能・勇気・力・容姿・富・光そのもの、その他についても言われうることだから。

ただ人類が、神の恵与によって、彼のものである自然への自分の権利を回復せんことを、そして彼にその力が与えられんことを〔祈るのみ〕。実行は正しい理性と健全な宗教とが舵をとるであろう。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、一二九、p.197、[桂寿一・1978])
(索引:学問、技術)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


フランシス・ベーコン(1561-1626)
フランシス・ベーコンの本(amazon)
検索(フランシス・ベーコン)


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

心理学ランキング

人気の記事(週間)

人気の記事(月間)

人気の記事(年間)

人気の記事(全期間)

ランキング

ランキング


哲学・思想ランキング



FC2