2018年6月15日金曜日

12.中核自己とは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)

中核自己

【中核自己とは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)】
(1)生命体が、ある対象に遭遇する。
(2)ある対象が、感覚的に処理される。
(3)対象からの関与が、原自己を変化させる。
(4)原初的感情が変化し、「その対象を知っているという感情」が発生する。
(5)知っているという感情が、対象に対する「重要性」を生み出し、原自己を変化させた対象へ関心/注意を向けるため、処理リソースを注ぎ込むようになる。
(6)「ある対象が、ある特定の視点から見られ、触られ、聞かれた。それは、身体に変化を引き起こし、その対象の存在が感じられた。その対象が重要とされた。」こうしたことが、起こり続けるとき、対象によって変化させられたもの、視点を持っているもの、対象を知っているもの、対象を重要だとし関心と注意を向けているもの、これらを担い所有する主人公が浮かび上がってくる。これが「中核自己」である。

 「私の見たところ、原自己の決定的な変化は知覚される各種の対象との瞬間ごとの関与から来るのだ。

その関与は、その対象の感覚的な処理と時間的にきわめて近い範囲で生じる。生命体が対象に遭遇すると、それがどんな対象であれ、原自己はその遭遇で変化を被る。

なぜなら物体をマッピングするためには、脳は身体を適切な形で調整しなくてはならないからで、さらにそうした調整の結果とマッピングされたイメージのコンテンツも原自己に信号として送られるからだ。


 原自己への変化は、瞬間的に中核自己の創出を開始させ、一連の出来事を引き起こす。

その一連の中で最初の出来事は、原初的感情の変化であり、それが「その対象を知っているという感情」をもたらす。これは、その対象をその瞬間の間は他の対象と区別する感情だ。

第二の出来事は、知っているという感情の結果となる。それは接触している対象に対する「重要性」を生み出す。この場合の関心/注意のためには、ある特定の対象に対して他の対象よりも処理リソースを注ぎ込まねばならない。

つまり中核自己は、変化した原自己を、その変化の原因となった対象と結びつけることで生み出される。その対象は、いまや感情によって重要なものとされ、関心/注意によって拡張されることになる。

 このサイクルの終わりで、心は単純でとてもありがちな出来事のシーケンスに関するイメージを含む。

その対象は、ある特定の視点から見られたり触られたり聞かれたりしたときに身体を関与させた。その関与は身体に変化を引き起こした。その対象の存在が感じられた。その対象が重要とされた。この一連のシーケンスだ。 

 こうしたいつまでも起こり続ける出来事の非言語的な物語は、心の中でそうした出来事が起こっている主人公がいるのだという事実を描き出す。

その主人公とは物質的な自分だ。

この非言語的な物語での描き方は、主人公を造って明らかにすると共に、その生命体により造り出された行動をその主人公に結びつけ、そしてその対象と関与することで生み出された感情とともに、所有の感覚を生み出すのだ。

 単純な心的プロセスに追加され、意識ある心を生み出しているのは、一連のイメージ、つまり生命体のイメージ(これは変更された原自己という代理物が提供している)、対象に関連した情動反応(つまりは感情)のイメージ、瞬間的に強調されたその原因たる対象のイメージだ。

《自己が心にやってくるのは、イメージという形を取ってのことだ。そのイメージは、絶え間なくこうした関与の物語を語り続けている》。

変化を受けた原自己と、知っているという感情は、ことさら強いものである必要さえない。どんな微妙な形であれ単に心の中にあって、ほのめかしより多少は強く、対象と生命体との間のつながりを提供すればいい。

結局のところ、プロセスが適応性を持つためには、最も重要なのはその対象なのだから。」

 「中核自己メカニズムの模式図。中核自己状態は複合体だ。主要コンポーネントは、知っているという感情と対象の重要度となる。他の重要なコンポーネントは、視点と所有の感覚と発動力(agency)だ。」

対象→原自己→変調された原初的感情
↑      変調されたマスター生命体
│       │    ↓
│       │   視点
│       ↓
│     知っているという感情
│       ↓     │
└─────対象の重要性  ↓
             所有の感覚
             発動力


(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第3部 意識を持つ、第8章 意識ある心を作る、pp.242-243,251、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))
(索引:中核自己)

自己が心にやってくる


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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11.外的に向けられた感覚ポータルマップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)

外的に向けられた感覚ポータルマップ

【外的に向けられた感覚ポータルマップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)】
外的に向けられた感覚ポータルマップ
《知覚の種類》視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚の〈特殊感覚〉と、マスター生命体マップの一部である目、耳、鼻、舌を収めている身体領域とその動きの知覚。
《例》視覚であれば、目を動かす眼筋、レンズや瞳孔の直径を調節する仕組み、目のまわりの筋肉、まばたきしたり、笑いを表現したりするための筋肉など。
《特徴》
(a)〈特殊感覚〉が、心の「質的」な側面を構築する。
(b)〈特殊感覚〉が、マスター生命体マップのどの身体領域から受け取っているのかを知り、身体領域を調節して視点を構築する。

 「感覚ポータルについては第4章で、感覚プローブ――ダイヤモンド――がはめこまれている補強枠の話をすることで間接的に触れた。ここではそれを自己に奉仕するものとして描こう。身体内の各種感覚ポータル――たとえば目、耳、舌、鼻を収めている身体領域――の表現は、マスター生命体マップの別個で特殊な事例だ。感覚ポータルマップがマスター生命体マップの枠組みにおさまるのは、マスター感情システムがそこにおさまるのと同じで、実際のマップの移転よりはむしろ時間的な調整によって起こるのだと思う。こうしたマップの一部がずばりどこにあるのか、というのが、いま検討したいことだ。
 感覚ポータルマップは二重の役目を果たす。まずは視点を構築すること(意識においては大きな側面となる)および心の質的な側面の構築だ。物体の認識について興味深い側面の一つは、その物体を記述する心的なコンテンツと、その知覚を行っている身体部分に対応する心的コンテンツとの間に構築される、見事な関係性だ。見るのは目で行うことは知っているが、《自分が自分の目で見ていることも感じられる》。」(中略)

「視覚の場合、感覚ポータルに含まれるのは目を動かす眼筋だけでなく、レンズの大きさを調整することでモノに焦点をあわせる仕組みのすべて、瞳孔の直径を増減することで、光量を変える装置(目のカメラシャッター)、そして目のまわりの筋肉、顔をしかめたりまばたきしたり、笑いを表現したりするための筋肉などもある。目の動きやまばたきは、自分の視覚イメージの操作に重要な役割を果たすし、驚異的なことだがフィルムイメージの有効で現実味ある編集にも一役買っている。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第3部 意識を持つ、第8章 意識ある心を作る、pp.234-236、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))
(索引:感覚ポータルマップ)

自己が心にやってくる


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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2018年6月14日木曜日

10マスター生命体マップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)

マスター生命体マップ

【マスター生命体マップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)】
マスター生命体マップ
《知覚の種類》身体の形、身体の動き。
《特徴》発達の途中で変わってゆく。
《マスター内知覚マップとマスター生命体マップの関係》
 マスター内知覚マップは、マスター生命体マップの中に収まる。ある特定の内部知覚は、マスター生命体マップの中の解剖学的図式に当てはまる領域の部分で知覚される。例として、吐き気が胃のあたりで体験される等。

 「マスター生命体マップは、全身の模式図を主要コンポーネントつき――頭、体幹、四肢――で、落ち着いた状態で記述する。身体の動きは、このマスターマップとの比較でマッピングされる。

内知覚マップとはちがって、マスター生命体マップは発達の途中で劇的に変わる。というのもこのマップは骨格筋システムとその動きを描くからだ。必然的に、こうしたマップは身体の大きさが増大したり、動きの幅や質が変わったりすれば、それに応じて変わる。赤ん坊、思春期の若者、成人の各段階でそれが同じなどということは考えられない。

もちろん、何らかの一時的な安定性にはやがて到達するのだが、結果としてマスター生命体マップは、原自己を構成するのに必要となる単一性の源としては理想的とは言えない。

 マスター内知覚システムは、マスター生命体模式図で作られた全般的な枠組みの中におさまらなければならない。ざっとした素描が、マスター生命体枠組みの外周部の中に、マスター内知覚システムを描き出す。

片方がもう片方におさまるからといって、実際にマップが移転されるわけではないが、両方のマップが動員できるような協調は可能になる。

たとえば、身体のある特定内部領域のマッピングは、マスター生命体枠組みの中で、全体的な解剖学的図式に最もあてはまる領域の部分に信号が送られる。

人が吐き気を感じるとき、それが身体のある部分との関連で体験される――たとえば胃、などだ。漠然としてはいても、内知覚マップは全体としての生命体マップにおさまるように作られる。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第3部 意識を持つ、第8章 意識ある心を作る、pp.233-234、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))
(索引:マスター生命体マップ)

自己が心にやってくる


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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9.マスター内知覚マップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)

マスター内知覚マップ

【マスター内知覚マップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)】
マスター内知覚マップ
《知覚の種類》器官、組織、内臓、その他内部環境の状態に由来する知覚。
《情動》原初的な感情(最適、平常、問題あり)、痛覚、温冷、飢え、喉の渇き、快楽。
《特徴》内部状態は、ホメオスタシス機構により、変化は極めて狭い範囲でしか生じない。従って、この知覚は他の知覚と比較し、生涯を通じて安定しており、不変性の基礎を提供する。

(再掲)
(g)代謝のプロセス
《定義》
・内部の化学的作用のバランスを維持するための、化学的要素(内分泌、ホルモン分泌)と機械的要素(消化と関係する筋肉の収縮など)
《機能》
・体内に適正な血液を分配するための、心拍数や血圧の調整。
・血液中や細胞と細胞の間にある液の酸度とアルカリ度の調整。
・運動、化学酵素の生成、有機体組織の維持と再生に必要なエネルギーを供給するための、タンパク質、脂質、炭水化物の貯蔵と配備の調整。

 「これらは内部状態と内臓から出てくる内知覚信号からコンテンツを組み立てられるマップやイメージとなる。

内知覚信号は中枢神経系に、生命体の状態を継続的に伝える。その状態には最適状態から平常、問題あり、といったバリエーションがあり、器官や組織の総合性が損なわれて体内で損傷が起こった場合などを告げる(ここで言っているのは侵害受容信号であり、これは痛覚感情の基盤となる)。

内知覚信号は、生理的補正の必要性を報せる。これが心の中で具体化すると、飢えやのどの渇きといった感情となる。温度を伝えるあらゆる信号や、内部状態の働きについての無数のパラメータもこの分類に入る。最後に、内知覚信号は快楽状態とそれに対応する快感感情の構築に貢献する。」(中略)

 「原初的な感情は、その他のあらゆる感情に先立つものだ。それは、脳幹と相互接続されている、生きた身体だけを独自に参照している。

あらゆる情動の感情は進行中の原初的感情の変種だ。物体と生命体との相互作用により生じるあらゆる感情は、継続中の原初的感情の変種だ。原初的感情とその情動的な変種は、心の中で起こる他のあらゆるイメージに伴う忠実なコーラスを生み出す。」(中略)

「内知覚はいずれ自己を構成することになるもののための、一種の安定した足場を作るのに必要となる、相対的な《不変性》の源としておあつらえ向きなのだ。

 この相対的不変性の問題はきわめて重要だ。というのも自己は単一のプロセスであり、その単一性を基礎づける生物学的な可能性を突き止める必要があるからだ。」(中略)

「内部状態とそれに関連する多くの内臓パラメータは、生命体の中でどんな年齢でも生涯を通じて最も不変の部分を提供するが、それはこれらが変わらないからではなく、その働きのために、その変化がきわめて狭い範囲でしか起こってはならないせいだ。

骨は発達期を通じて成長するし、それを動かす筋肉も成長するが、生命が生じる化学溶液の本質――そのパラメータの平均的な範囲――は、その人が3歳だろうと、50だろうと80だろうとほぼ同じだ。また身長が60センチのときも180センチのときも、恐怖の状態や幸せの状態の生物学的な本質は、おそらくそうした状態が内部状態の化学としてどう構築されるか、そして内臓における平滑筋の収縮や延伸の度合いから見れば、ほぼまちがいなく同じままだろう。

恐怖や幸福といった状態の原因――そうした状態を引き起こす考え――は生涯でかなり変わるが、そうした原因に対するその人の情動的な反応は変わらないということは指摘しておこう。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第3部 意識を持つ、第8章 意識ある心を作る、pp.229-231、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))
(索引:マスター内知覚マップ)

自己が心にやってくる


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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8.原自己とは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)

原自己

【原自己とは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)】
 原自己:生命体の物理構造の最も安定した側面を、一瞬ごとにマッピングする別個の神経パターンを統合して集めたもの。以下の構造からなる。
(a)マスター内知覚マップ
(b)マスター生命体マップ
(c)外的に向けられた感覚ポータルのマップ


 「原自己は、中核自己の構築に必要な踏み石だ。それは《生命体の物理構造の最も安定した側面を、一瞬ごとにマッピングする別個の神経パターンを統合して集めたもの》だ。

原自己マップは、それが身体イメージだけでなく《感じられた》身体イメージも生み出すという点に特色がある。こうした身体の原初的感情は、通常の目を覚ました脳には自発的に存在している。

 原自己に貢献するものとしては、《マスター内知覚マップ》、《マスター生命体マップ》、《外的に向けられた感覚ポータルのマップ》がある。

解剖学的観点からすると、こうしたマップは脳幹と皮質領域の両方から生じる。

原自己の基本的状態は、その内知覚コンポーネントと感覚ポータルコンポーネントの平均だ。

こうした多様で空間的に分布したマップの統合は、同じ時間の窓の中での相互信号により実行される。多様なコンポーネントをマッピングしなおすための、単一の脳サイトは必要としない。

では原自己に貢献しているものをそれぞれ別個に検討しよう。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第3部 意識を持つ、第8章 意識ある心を作る、p.228、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))
(索引:原自己)

自己が心にやってくる


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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7.意識に関する諸事実:(a)特定脳部位との関係付け。(b)意識、低いレベルの注意、覚醒。(c)意識と情動の非分離性。(d)中核意識、延長意識の区別。(e)中核意識の成立条件。(f)統合的な心的風景について。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

意識に関する諸事実

【意識に関する諸事実:(a)特定脳部位との関係付け。(b)意識、低いレベルの注意、覚醒。(c)意識と情動の非分離性。(d)中核意識、延長意識の区別。(e)中核意識の成立条件。(f)統合的な心的風景について。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】
 神経学的観察や神経心理学的実験によって明らかに諸事実。
(a)意識のプロセスのいくつかの側面を、脳の特定の部位やシステムの作用と関係づけることができる。
(b)意識、低いレベルの注意、覚醒は、それぞれ区別できる異なる現象である。
 ・生得的な低いレベルの注意は、意識に先行して存在する。
 ・注意は、意識にとって必要なものだが、十分なものではない。注意と意識とは異なる。
 ・集中的な注意は、意識が生まれてから生じる。
(c)意識と情動は、分離できない。
(d)意識には、いくつかの段階がある。例として、
 ・中核意識(core consciousness):「いま」と「ここ」についての自己感を授けている。
 ・延長意識(extended consciousness):「わたし」という自己感を授け、過去と未来を自覚させる。
(e)中核意識は、言語、記憶、理性、注意、ワーキング・メモリがなくても成立する。
(f)統合的、統一的な心的風景を生み出すことそのものが、意識ではない。統合的、統一的なのは、有機体の単一性の結果である。

 「本書で紹介する考え方の出発点になったものは、神経学的観察や神経心理学的実験によって明らかにされた多くの事実である。

 第一の事実は、意識のプロセスのいくつかの側面を脳の特定の部位やシステムの作用と関係づけることができること。それにより、意識を支える神経構造の発見への扉がいま開かれつつある。」(中略)

「第二の事実は、意識と低いレベルの注意、意識と覚醒は、どちらも分離できるということ。この事実は、例の円形の部屋で男の患者が例証したように、正常な意識がなくても、人は覚醒と注意を維持できるという証拠にもとづいている。」(中略)

「第三の、そしてたぶんもっとも意味深い事実は、意識と情動は分離「できない」ということ。第2章、第3章、第4章で論じるように、通常、意識に障害が起こると情動にも障害が起こる。基本的に、情動と意識の結びつき、そしてそれらと身体との結びつきが、本書の中心テーマである。

 第四の事実は、少なくとも人間において意識は一枚岩的ではないということ。意識は単純なものと複雑なものに分けることが可能であり、神経学的証拠からその分離は明白だ。

私が「中核意識」(core consciousness)と呼ぶもっとも単純な種類の意識は、有機体に一つの瞬間「いま」と一つの場所「ここ」についての自己感を授けている。」(中略)

「他方、私が「延長意識」(extended consciousness)と呼んでいる多くのレベルと段階からなる複雑な種類の意識は、有機体に精巧な自己感――まさに「あなた」、「私」というアイデンティティと人格――を授け、また、生きてきた過去と予期される未来を十分に自覚し、また外界を強く意識しながら、その人格を個人史的な時間の一点に据えている。」(中略)
「第五の事実。意識は言語、記憶、理性、注意、ワーキング・メモリといった他の認知機能で単純に説明されることがよくある。そうした機能は延長意識の最上層が正常に作用するには必要だが、中核意識にはそれらが必要でないことが神経疾患の患者の研究からわかっている。

したがって意識の理論は、単に、言語、記憶、理性が、脳と心の中で進行していることに対する解釈を情報から、どう構築しているのか、というような理論であっては「ならない」。」(中略)

「さらに、意識の理論は単に、脳はどのように対象のイメージに目を向けるか、というような理論であっては「ならない」。

私が見るところ、生得的な低いレベルの注意は意識に先行して存在し、一方、集中的な注意は意識が生まれてから生じる。意識にとって、注意はイメージをもつのと同じぐらい必要なものである。しかし、注意は意識にとって十分なものではないし、意識と同じものでもない。

 最後に、意識の理論は単に、脳はどのようにして統合的、統一的な心的風景を生み出すか、というような理論であっては「ならない」。

もちろん統合的、統一的な心的風景は意識の重要な側面であり、とくに意識の最終レベルではそうである。しかし、そうした風景は孤立して存在するわけではない。それが統合的、統一的であるのはその有機体の単一性「ゆえに」であり、またその単一の有機体の「ために」である。」


(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第1部 脳と意識の謎、第1章「脳の中の映画」とは何か、pp.35-38、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:意識、注意、覚醒、情動、中核意識、延長意識)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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2018年6月13日水曜日

18.(a)本人だけが選択できる。(b)人は無条件の受容的な雰囲気の中で成長する。(c)人間の自由、自己決定と自己実現を守り育てる社会が必要である。(カール・ロジャーズ(1902-1987))

カール・ロジャーズの哲学

【(a)本人だけが選択できる。(b)人は無条件の受容的な雰囲気の中で成長する。(c)人間の自由、自己決定と自己実現を守り育てる社会が必要である。(カール・ロジャーズ(1902-1987))】
(a)人は自分自身の中に、自己理解のための大きな資源を持っている。それにより自己概念、態度、自発的な行動を変えることができる。「本人だけが選択できる」。これは極めて重要であり、真実である。
(b)人が自らを大切に思い、成長できるためには、感情が十分かつ自由に取り上げられ、表現され、受け入れられるような、無条件の受容的の雰囲気を必要とする。
(c)実際、他者の行動に影響を及ぼそうとする考えをやめ、自分自身を傷つきやすい一人の人間として、ありのまま出すとき、他者からの反応も深く、受容的で、温かいものになる。
(d)「自然の征服と人間による支配をますます重要な基礎と考える我々の文化は衰退していくだろう。その破滅を通り抜ければ、高度に気づかいがあり、向う方向を自分で決められ、おそらく外界より内界の探索者であり、制度の画一性や権威の教条性を軽蔑するような、新しい人間が生まれてくる。他者に行動形成されることも、他者の行動を形成することも考えない。技術的でなく明確に人間的でなければならない。私の判断では、そういった人が生き延びる確率が高い。」
(出典:wikipedia
カール・ロジャーズ(1902-1987)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
検索(カール・ロジャーズ))
検索(Carl Ransom Rogers))

 「心理学へのほぼ50年にわたる貢献を振り返り、ロジャーズ(Rogers,1974)は自分のアプローチの本質を正確に示そうとした。最も基本的な考えは以下のようなものであると彼は考えている。

 『人は自分の中に自己理解のための大きな資源をもっている。それにより自己概念、態度、自発的な行動を変えることができ、促進的な心理的態度と定義される雰囲気さえ提供されれば、その資源をうまく活用することが可能である。』(Rogers,1974,p.116)

 成長を促進する環境は、感情が十分かつ自由にとりあげられ、表現され、受け入れられるような雰囲気を必要とする。彼の自伝の中で、ロジェーズは彼自身の成長と他者との関係について率直に論じ、以下のように記述する。

 『もし私が自分の防衛をいくらか取り去り、傷つきやすい一人の人間として自分を出し、最も個人的で、私的で、あやふやで、不確かに感じる態度を表現することができるなら、そのときの他者からの反応は深く、受容的で、温かいものであるということがわかった。』(Rogers,1967,p.381)

 人間性的志向性の大きな特徴である、人間の潜在的な自由の強調は、ずっと変わらないまま、維持されている。ロジャーズは以下のように述べている。

 『治療やグループでの経験から、本人だけが選択できるという現実やその重要性を否定することは、私にはできない。ある程度は人が自分自身の設計者であることは幻想ではない。……私にとって、人間性的アプローチは唯一可能なアプローチである。しかし、それが行動主義的であっても人間主義的であっても、自分の性質に最も合っていると考える道を、それぞれが歩むべきであろう。』(Rogers,1974,p.119)

 人間性的な立場から、彼はまた、現代の科学技術のあり方を残念に思い、自律と自己探索を求めるようよびかけたのである。

 『自然の征服と人間による支配をますます重要な基礎と考える我々の文化は衰退していくだろう。その破滅を通り抜ければ、高度に気づかいがあり、向う方向を自分で決められ、おそらく外界より内界の探索者であり、制度の画一性や権威の教条性を軽蔑するような、新しい人間が生まれてくる。他者に行動形成されることも、他者の行動を形成することも考えない。技術的でなく明確に人間的でなければならない。私の判断では、そういった人が生き延びる確率が高い。』(Rogers,1974,p.119)

 まとめると、ロジャーズの理論と彼が開発した治療法は、パーソナリティへの現象学的で人間学的なアプローチがもつ主要な点の多くを強調している。その人によって知覚された現実、主観的経験、自己実現のための主体的努力、成長と自由と自己決定のための潜在能力などの強調である(Rowen,1992; Ryan & Deci,2001)。

特定の生物的動因は拒絶するか強調しない。歴史的な原因あるいは安定した特性構造というよりは、経験される自己に注目する。これらの共通点に加え、ロジャーズの立場の独自性は、自尊のための必要条件として、無条件の受容を強調したことにある。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第12章 現象学的・人間性レベルの諸概念、pp.386-387、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:クライエント中心療法)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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17.クライエント中心療法(カール・ロジャーズ(1902-1987))

クライエント中心療法

【クライエント中心療法(カール・ロジャーズ(1902-1987))】
(1)臨床家の寛大さと無条件の受容が、クライエントとの間に誠実さの雰囲気を醸成し、共感的な関係を樹立する。
(2)クライエントがどのように考え、理解し、感じているかを、クライエントから学ぼうとする。「行動を理解するために最も有効な視点は、その人自身の内的参照枠からのものである」。
(3)クライエントが面接のあり方を決めることが目標であり、臨床家はそこに生じる感情を正確に反映し明確化しようとすることで、クライエントの「成長」すなわち自己実現を促進する環境を提供しようとする。
(出典:wikipedia
カール・ロジャーズ(1902-1987)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
検索(カール・ロジャーズ))
検索(Carl Ransom Rogers))

 「ロジャーズ(カール・ロジャーズ)は、共感的な面接をもとにした関係性重視の治療を追求した。

フロイト派のように、精神力動や転移を重視することは徹底して放棄した。その代わりに、クライエントに無条件の受容的な関係と、「成長」すなわち自己実現を促進する環境を提供しようとした。

この関係は、解釈よりも、共感的理解と感情の受容を中心に組み立てられたが、解釈そのものは必ずしも排除されていない。

この学派の臨床家は相対的に「非指示的」である。クライエントが面接のあり方を決めることが目標であり、臨床家はそこに生じる感情を正確に反映し明確化しようとする。

 現在ではパーソンセンタード・セラピーともよばれているクライエント中心療法では、治療者の側の寛大さと無条件の受容が、個人的な誠実さの雰囲気を醸成する。

心理学者は「客観的」測定への志向と、テストを用いることをやめるよう要請される。その代わりに、クライエントがどのように考え、理解し、感じているかを、クライエントから学ぼうとする。「行動を理解するために最も有効な視点は、その人自身の内的参照枠からのものである。(Rogers,1951,p.494)。

中心的関心は共感性にあるが、この章の最初に記述された面接研究ということを考えると、ロジャーズ派は対人関係についての客観的な研究を軽視することは決してなかった。

その結果、ロジャーズ派はクライエント中心療法の場で生じるプロセスのいくつかを明らかにし、その効果性についても、重要な証拠を提供している(Truax & Mitchell,1971)。」

(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第12章 現象学的・人間性レベルの諸概念、p.385、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:クライエント中心療法)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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