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2018年5月24日木曜日

16.悪のすべての種類と本性を心得ていなければ、ヘビの賢さとハトの素直さを兼ねそなえることはできない。なぜなら、悪を見破ることなくしては悪に勝つことはできず、邪悪な人たちを改悛させることもできないから。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

ヘビの賢さとハトの素直さ

【悪のすべての種類と本性を心得ていなければ、ヘビの賢さとハトの素直さを兼ねそなえることはできない。なぜなら、悪を見破ることなくしては悪に勝つことはできず、邪悪な人たちを改悛させることもできないから。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 悪に対して、どう対処するか。
(1)無防備にも、ぺてんと邪悪な手管に先手を取られれば、あなたの生命が危うくされるが、逆に、あなたが先に悪を見破れば、悪はその効力を失う。
(2)あなたが悪を知っているということを認めさせることができなくては、卑劣で精神の腐敗した人たちは、一切の道徳を軽蔑することになる。また、正直な人も、悪の知識の助け無くしては、邪な人たちを改悛させることができない。
(3)従って、人間は何をなすべきかとは別に、人間は実際に何をなしているか、すなわち悪のすべての種類と本性を心得ていなければ、ヘビの賢さとハトの素直さを兼ねそなえることはできない。

 「パシリスクス〔ひとをにらんで殺すという伝説のヘビ〕について伝えられる寓話では、これがあなたをさきに見つければあなたはそのために死ぬが、あなたがそれをさきに見つければそれは死ぬといわれているように、ぺてんとよこしまな手管についても同様だからである。

すなわち、それらは、見破られたら生命を失うが、先手をとれば相手の生命を危くする。

それゆえに、われわれはマキアヴェルリやその他の、人間はどんなことをするかをしるして、どんなことをすべきかはしるさなかった人びとに負うところが大きいのである。

というのは、ヘビの性情を残らず正確に知っていなければ、その卑劣さとはらばい、そのうねり歩きとすべっこさ、その嫉妬と毒牙など、すなわち、悪のすべての種類と本性を心得ていなければ、ヘビの賢さとハトの素直さ〔『マタイによる福音書』一〇の一六〕を兼ねそなえることはできないからである。

それというのも、この心得がなければ、徳はあけっぱなしで、無防備になるからである。

それどころか、正直なひとも、悪の知識の助けなくしては、よこしまな人たちを改悛させるのに役だつことができないからである。

というのは、精神の腐敗した人たちは、正直は品性の単純さから生まれ、説教者や学校教師や人びとのうわべだけのことばを信ずることから生まれるのだときめてかかっているからである。

それゆえ、かれら自身の腐った考えのぎりぎりいっぱいのところをも知っているのだということをかれらに認めさせることができなければ、かれらはいっさいの道徳を軽蔑するのである。

―――「愚かな者は、かれが心に考えていることを告げられなければ、知恵のことばをうけいれない」〔『箴言』一八の二〕。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、二一・九、pp.282-283、[服部英次郎、多田英次・1974])

(索引:ぺてんと邪な手管の研究、ヘビの賢さ、ハトの素直さ)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


フランシス・ベーコン(1561-1626)
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