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2018年5月28日月曜日

不可分の実体は、人間の精神のみではない。精神以外にも数々の形相が存在し、想念によらない他の数々の表出があり、いろいろな差異、程度が見られるにちがいない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

さまざまな表出

【不可分の実体は、人間の精神のみではない。精神以外にも数々の形相が存在し、想念によらない他の数々の表出があり、いろいろな差異、程度が見られるにちがいない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
 「不可分の実体」は、みな精神であって思惟するものでなければならないというのは、誤りである。可分的な現象ないしは多くの存在中に拡がっている現象も、ただ一個の不可分の存在において表出ないし表現される。したがって、思惟をむねとする形相以外にも、数々の形相が存在し、想念をもたない他の数々の表出があるはずであり、いろいろな差異、程度が見られるにちがいない。もし、これらが解明されれば、単純な物体的実体、生命体、動物の区別も、可能になるのではないか。
 「およそ分割不可能な実体(つまり私にいわせれば、おしなべて実体一般)は、みな精神であって、思惟するものでなければならないと、大見得をお切りになる。が、さあてこれは、なんともかんともきついばかりか、根も葉もないことに思われますね。形相の保持云々のほうが、ずっとましです。われわれの知っている感官といえば、五つしかない。たとえばそれから、若干の金属です。それなのに、世界にはもう他に、金属がないと結論してよろしいものか。自然がヴァラエティを好むものなら、思惟をむねとする形相以外にも、形相を数々つくりだしたとするほうが、よっぽどもっともらしいでしょう。なるほど私は、円錐曲線を除いては、二次の図形は存在しないと証明することはできましょう。がそれは私が、これらの線について判明な認識を具えているからで、判明なるがゆえに、厳密な分類にまで至ることを可能にしてくれるのです。しかし想念については、われわれは判明な観念をもたない。加うるに、不可分の実体の概念が、考える実体の概念と同一であるむねを示すことはできないのですから、この点についてきっぱりと断言するわけには、どうにもまいらないのです。想念についての観念は明晰である。そりゃあ、おっしゃるとおりです。しかし明晰なるもの、かならずしも判明ならず。われわれが想念を知るのは、もっぱら内部の感覚によるしかない(これはつとにマルブランシュ師が指摘したところ)。しかし感覚によって知ることができるのは、自分が経験した事柄だけでしょう。しかもわれわれは、他の形相のはたらきについて、身をもって経験したわけではない。ですから、これについて明晰な観念をもっていないからといって、なにもショックを受ける必要はない。実際、たとえ仮にそういった形相の類が認められたとしても、われわれはこれについて明晰な観念をもてるわけがないからでしょう。あるものが存在し得ないことを証明するのに、いくら明晰だからといって、明晰でない観念をダシにして、やろうというのは無茶というもの。逆に、判明な観念だけを相手にするなら、こう申せるのではありませんか。すなわち、可分的な現象ないしは多くの存在中に拡がっている現象も、ただ一個の不可分の存在において表出ないし表現される。そしてこれだけで十分であって、実体的形相なるものを考えるのに、なにもその表現に、想念だの反省だのをひっつけるにはおよばないと、こんなふうに考えることができる、と。いやまったくできようものなら、非物質的ではあるが想念をもたない他の数々の表出に関しても、その差異やら、程度やらを解き明かしてみたいものです。そうすれば、単純な物体的実体、生命体、動物の区別が、可能なかぎりはつくのではないか。でも私はまだ、この点について十分思いをめぐらせておりません。また十分に、自然を吟味いたしてもおりませんので、前記のものの器官やはたらきやらを比較して、形相のさまざまを判断することもいたしかねます。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『アルノーとの往復書簡』ハノーファーから、一六八七年一〇月九日、四、ライプニッツ著作集8、pp.375-376、[竹田篤司・1990])
(索引:表出)

前期哲学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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