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2018年5月4日金曜日

2.生物的準備性の例:ヘビ、クモ、血、嵐、高所、暗闇、見知らぬ人への恐怖、言語の獲得、数学的な技能、音楽の観賞、空間知覚。(スティーブン・ピンカー(1954-))

生物的準備性

【生物的準備性の例:ヘビ、クモ、血、嵐、高所、暗闇、見知らぬ人への恐怖、言語の獲得、数学的な技能、音楽の観賞、空間知覚。(スティーブン・ピンカー(1954-))】
 何の条件づけも行われないうちから存在するしているような恐怖の対象がある。ヘビ、クモ、血、嵐、高所、暗闇、そして見知らぬ人に対する恐怖症はその典型的なものだ。これらは、進化過程において人類の生存の脅威であったようなものである。恐怖だけではなく、言語の獲得、数学的な技能、音楽の観賞、空間知覚などの高次精神活動においても、ある事柄は容易であるけれども他のことはそれほどでもないというように、生物的準備性をもたらしている(Pinker,1997)。

(出典:wikipedia
検索(スティーブン・ピンカー)
 「進化的アプローチはまた、人々が生物的に、進化過程において人類の生存の脅威であったようなものを恐れる傾向にあると主張している(Buss,1997; Seligman,1971)。あまり多くはないが、多くの人に共通した恐怖症は、実質的に普遍的なものと考えられる。ヘビ、クモ、血、嵐、高所、暗闇、そして見知らぬ人に対する恐怖症はその典型的なもので、それらには同一のテーマがある。進化過程の祖先を危険にさらしたものであり、それらを怖がるよう、私たちはあらかじめプログラムされているようである。ピンカー(Pinker,1997,p.387)は次のように述べている。「子どもはラットを恐がり、ラットは明るい部屋を恐がる。これらの恐怖は何の条件づけも行われないうちから存在し、子どももラットも、危険とそれらを容易に連合させる」。

このような知見は、進化の過程で形成され、脳内にあるとされる、あらかじめプログラムされている傾向として、近年になって議論されることが増えた広範なデータの一部にすぎない。

そして、これらの性質は、あるものに対してはそれほどでもないが他のものを強く恐れるというように、恐怖に関して人々を独特の形に準備しているだけでなく、言語の獲得から数学的な技能、音楽の観賞から空間知覚まで、すべての種類の高次精神活動においても、ある事柄は容易であるけれども他のことはそれほどでもないというように、生物的準備性をもたらしている(Pinker,1997)というのである。」

(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅱ部 生物学・生理レベル、第6章 脳、進化、パーソナリティ、pp.185-186、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:生物的準備性)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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