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2018年6月11日月曜日

14.コンストラクトの代替性:(1)被験者自身のコンストラクトを理解する、(2)出来事を「科学的」にではなく、その人のコンストラクトで解釈する、(3)この解釈から、その人の予期と行動が理解される。(ジョージ・ケリー(1905-1967))

コンストラクトの代替性

【コンストラクトの代替性:(1)被験者自身のコンストラクトを理解する、(2)出来事を「科学的」にではなく、その人のコンストラクトで解釈する、(3)この解釈から、その人の予期と行動が理解される。(ジョージ・ケリー(1905-1967))】
(1)《例》
 ある少年が、母親のお気に入りの花瓶を落としてしまう。
(a) その子ども担当の精神分析家に聞けば、少年の無意識の敵意を指摘するかもしれない。
(b) 母親に尋ねれば、少年がどんなに「意地が悪い」か話すかもしれない。
(c) 父親は「甘やかされている」と言うかもしれない。
(d) 先生は、少年が「怠け者」で、ずっと「不器用」であったことの証明だと言うかもしれない。
(e) 祖母は、それを単に「うっかり」起こしたと弁護するかもしれない。
(f) 本人は、その出来事を自分の「愚かさ」を示す出来事と解釈するかもしれない。
(2)《コンストラクトの代替性》
 生活や人生における出来事には、無数の解釈が可能である。人は、事象を変化させることはできないかもしれないが、異なるように解釈することはいつでも可能である。そして、解釈が異なれば、その後の行動も違ったものになってくる。このように、人は出来事を予期するのに用いるコンストラクトよって、方向づけられている。
(3) 心理学においては、その人たちがしたことを、我々の意味づけで、すなわち最も科学的に簡潔な方法で理解するのではなく、その人たちのスキーマが理論的に簡潔であるか否かにかかわらず、その人たち自身が理解するように理解することが必要である。
ジョージ・ケリー(1905-1967)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
検索(George Kelly)
検索(ジョージ・ケリー)

 「人々を理解するため、ケリー(ジョージ・ケリー)のアプローチを採用するなら、以下のようになる。
 『その人たちがしたことを我々の意味づけで理解するのではなく、その人たち自身が理解するように理解することを試みるだろう。その人たちの生活や人生における出来事を最も科学的に簡潔な方法でまとめる代わりに、その人たちのスキーマが理論的に簡潔であるか否かにかかわらず、その人たちがどのように出来事をまとめるかを私たちは尋ねるだろう。』(Maher,1979,p.203に引用されたKelly,1962)

 同じ事象は他のやり方でも分類されうる。人は常に事象を変化させることはできないかもしれないが、異なるように解釈することはいつでも可能である(Fransella,1995)。

ケリーはこれを、コンストラクトの代替性とよんでいる。

一つの例として、以下のような出来事について考えてみよう。ある少年が母親のお気に入りの花瓶を落としてしまう。これは何を意味しているか。

単純には、花瓶が割れたということである。しかしその子ども担当の精神分析家に聞けば、少年の無意識の敵意を指摘するかもしれない。

母親に尋ねれば、少年がどんなに「意地が悪い」か話し、父親は「甘やかされている」と言い、その子どもの先生は「怠け者」で、ずっと「不器用」であったことの証明として、その出来事をみるかもしれないし、祖母はそれを単に「うっかり」起こしたと弁護し、本人はその出来事を自分の「愚かさ」を示す出来事と解釈するかもしれない。

花瓶は壊れていて、その出来事は取り消すことはできない。しかしそのことには、無数の解釈が可能である。そして解釈が異なれば、その後の行動も違ったものになってくる。

 ケリーの理論は以下のような基本的な仮定から始まっている。「人の心理過程は、その人が出来事をどのように予期するかによって、方向づけられている。
(Kelly,1955,p.46)

これは人の活動は、出来事を予期するのに用いるコンストラクトによって方向づけられることを意味している。

他の現象学的理論と同様に、この考え方でも、その人の主観的な見方を強調するが、特にその人がどのように出来事を予測し予期するかに注目している。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第12章 現象学的・人間性レベルの諸概念、pp.395-396、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

(索引:パーソナル・コンストラクト心理学,コンストラクトの代替性)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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