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2018年6月19日火曜日

1.記号言語が、世界の像を描出しているとき、言語から像への写像が存在している。この写像は、言語の内的な構成から、像の内的な構成への射影の法則、翻訳の規則である。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))

世界の像、写像

【記号言語が、世界の像を描出しているとき、言語から像への写像が存在している。この写像は、言語の内的な構成から、像の内的な構成への射影の法則、翻訳の規則である。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))】
 記号言語が、世界の像を描出しているとき、言語から像への写像が存在している。この写像は、言語の内的な構成から、像の内的な構成への射影の法則、翻訳の規則である。
 同様の例として、
 紙上に印刷されているような命題 ⇔ 現実の像
 レコード盤   ⇔  楽譜   ⇔ 音楽の像
 音声記号の表記やアルファベット ⇔ 音声言語の像

 「四・〇一一 一見したところ、例えば紙上に印刷されているような命題は、それが関わる現実の像であるとは思われない。

しかし楽譜も一見したところでは音楽の像であるとは思われず、我々の音声記号の表記やアルファベットも我々の音声言語の像であるとは思われない。

 しかしながらこれらの記号言語は日常の意味でも、それが描出することの像であることが、明らかとされるのである。」

 「四・〇一四 レコード盤、音楽の思想、楽譜、音波、これら全ては相互に、言語と世界との間に存する写像の内的な関係をなしている。

 これら全てに論理的構成が共通である。
 (童話の中の二人の若者、彼らの二頭の馬、彼らの百合のように。それらは全て、或る意味で一つなのである。)」

 「四・〇一四一 それによって音楽家が総譜から交響曲を読み取ることができ、又人がレコード盤上の条から交響曲を導出でき、更には最初のようにして総譜を導出できる、といったような一般的規則が存在する。

まさにこの点にこれらの見かけ上はかくも全く異なった諸形象の内的な類似が存しているのである。

そしてこの規則が交響曲を楽譜の言語に射影する射影の法則である。それは楽譜の言語からレコード盤の言語への翻訳の規則である。」
(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『論理哲学論考』四・〇一一、四・〇一四、四・〇一四一、全集1、pp.46-47、奥雅博)
(索引:世界の像、写像)

ウィトゲンシュタイン全集 1 論理哲学論考


(出典:wikipedia
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「文句なしに、幸福な生は善であり、不幸な生は悪なのだ、という点に再三私は立ち返ってくる。そして《今》私が、《何故》私はほかでもなく幸福に生きるべきなのか、と自問するならば、この問は自ら同語反復的な問題提起だ、と思われるのである。即ち、幸福な生は、それが唯一の正しい生《である》ことを、自ら正当化する、と思われるのである。
 実はこれら全てが或る意味で深い秘密に満ちているのだ! 倫理学が表明《され》えない《ことは明らかである》。
 ところで、幸福な生は不幸な生よりも何らかの意味で《より調和的》と思われる、と語ることができよう。しかしどんな意味でなのか。
 幸福で調和的な生の客観的なメルクマールは何か。《記述》可能なメルクマールなど存在しえないことも、また明らかである。
 このメルクマールは物理的ではなく、形而上学的、超越的なものでしかありえない。
 倫理学は超越的である。」
(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『草稿一九一四~一九一六』一九一六年七月三〇日、全集1、pp.264-265、奥雅博)

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)
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