取るに足らぬこと
【試みに、物事から一切の虚飾を剥ぎ取って、物自体として判然と認識してみよ。日常の信頼すべきもの、賞賛すべきもの、価値あるものが、いかに「取るに足らぬこと」であるかが分かるであろう。(マルクス・アウレーリウス(121-180))】(1) ある物事が、あまりにも信頼すべきもの、賞賛すべきものに見えるときは、試みに、その事物から賞賛されるゆえんのものを剥ぎ取って、それがいったい何であるかを、目に見えるような赤裸々の姿、物自体として判然とさせてみよ。
(2) 例えば「肉の料理やそのほかの食物については、これは魚の死体であるとか、これは鳥または豚の死体であるとか」と。
(3) すると、それが「取るに足らぬこと」であることが、見極められるであろう。「ちょうどそのように君も一生を通じて行動すべきである」。なぜなら、自負は恐るべき詭弁者であって、君が価値ある仕事に従事しているつもりになりきっているときこそ、これに最も誑かされているのである。
「肉の料理やそのほかの食物については、これは魚の死体であるとか、これは鳥または豚の死体であるとか、ファレルヌムは葡萄の房の汁であるとか、紫のふちどりをした衣は貝の血に浸した羊の毛であるとか、また交合については、これは内部の摩擦といくらかの痙攣を伴う粘液の分泌であるなどという観念を我々はいだく。このような観念は物自体に到達し、その中核を貫き、それがいったい何であるかを目に見えるように判然とさせるが、ちょうどそのように君も一生を通じて行動すべきである。すなわち物事があまりにも信頼すべく見えるときにはこれを赤裸々の姿にしてその取るに足らぬことを見きわめ、その〔賞賛させる所以のもの〕を剥ぎ取ってしまうべきである。なぜならば自負は恐るべき詭弁者であって、君が価値ある仕事に従事しているつもりになりきっているときこそこれにもっともたぶらかされているのである。」
(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第六巻、一三、p.96、[神谷美恵子・2007])
(索引:認識,物自体,取るに足らぬこと)
(出典:wikipedia)
「波の絶えず砕ける岩頭のごとくあれ。岩は立っている、その周囲に水のうねりはしずかにやすらう。『なんて私は運が悪いんだろう、こんな目にあうとは!』否、その反対だ、むしろ『なんて私は運がいいのだろう。なぜならばこんなことに出会っても、私はなお悲しみもせず、現在におしつぶされもせず、未来を恐れもしていない』である。なぜなら同じようなことは万人に起りうるが、それでもなお悲しまずに誰でもいられるわけではない。それならなぜあのことが不運で、このことが幸運なのであろうか。いずれにしても人間の本性の失敗でないものを人間の不幸と君は呼ぶのか。そして君は人間の本性の意志に反することでないことを人間の本性の失敗であると思うのか。いやその意志というのは君も学んだはずだ。君に起ったことが君の正しくあるのを妨げるだろうか。またひろやかな心を持ち、自制心を持ち、賢く、考え深く、率直であり、謙虚であり、自由であること、その他同様のことを妨げるか。これらの徳が備わると人間の本性は自己の分を全うすることができるのだ。今後なんなりと君を悲しみに誘うことがあったら、つぎの信条をよりどころとするのを忘れるな。曰く『これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である。』」
(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第四巻、四九、p.69、[神谷美恵子・2007])
(索引:波の絶えず砕ける岩頭の喩え)
マルクス・アウレーリウス(121-180)
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