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2018年8月20日月曜日

6.意識的思考が、世界1の諸法則に従いつつも、なぜ能動的に働き世界1に影響を与え得るように見えるのかを理解するのに、世界2が世界3を把握して新たな世界3を生成するという事実が、重要なヒントを与える。(カール・ポパー(1902-1994))

世界3と心身問題

【意識的思考が、世界1の諸法則に従いつつも、なぜ能動的に働き世界1に影響を与え得るように見えるのかを理解するのに、世界2が世界3を把握して新たな世界3を生成するという事実が、重要なヒントを与える。(カール・ポパー(1902-1994))】

(a)世界2と世界3の相互作用
 世界2は、世界3を把握し、批判的な選択作用により、新たな世界3を作り出す。

 時間1 世界3・C1⇔世界2・M1
  │    │┌───┘
  ↓    ↓↓
 時間2 世界3・C2⇒世界2・M2

(b)世界3と世界1の相互作用
 世界3は、確かに世界1の対象としても存在してはいるが、世界1を支配する諸法則によって、その生成と変化を理解することができるだろうか。世界3は、世界2との相互作用によって、新たな世界3を生成する。これは、すなわち新たに生成された世界1でもある。

(b1)世界1を支配する諸法則によって、その生成と変化を理解することができるだろうか。

 時間1 世界1・P1⇒世界3・C1
  ↓    ↓
 時間2 世界1・P2⇒世界3・C2

(b2)世界3は、世界2との相互作用によって、新たな世界3を生成する。

 時間1 世界1・P1(世界3・C1⇔世界2・M1)
  │    │   │┌───┘
  ↓    ↓   ↓↓
 時間2 世界1・P2(世界3・C2⇒世界2・M2)

(c)世界2と世界1の相互作用(心身問題)
(c1)精神状態は脳内のプロセスから生じるとすると?

 時間1 世界1・P1⇒世界2・M1
  ↓   ↓
 時間2 世界1・P2⇒世界2・M2

 しかし、世界2は、世界1の対象を視覚により知覚する場合であっても、能動的で生産的な方法により知覚を作り出す。これは、無意識的な神経生理学的過程に支えられている。

(c2)意識的な思考過程は、どのように理解すればよいのだろうか。

 時間1 世界1・P1 世界2・M1
  ↓   ↓    ↓意識的な思考過程
 時間2 世界1・P2 世界2・M2

 もし物理的世界の諸法則が全てを支配しており(c1)が正しいとすると、(c2)のような意識的な思考過程が、どのように生じて、どのように物理的世界に影響を及ぼし得るのか、というのが心身問題である。(b2)が、それを「理解するのを少しは容易にしてくれる」。

 「第二の論証は第一のものに部分的に依存している。もしわれわれが三つの世界の相互作用を認め、したがって、それらの実在性をも認めるならば、いくぶんかはわれわれが理解できる世界2と世界3の相互作用は、心身問題の一部である、世界1と世界2の相互作用の問題をよりよく理解するためにわずかとはいえ、おそらく助けとなるであろう。

 なぜなら、われわれは、世界2と世界3の相互作用の一つ(《把握作用》)は、世界3の対象を作り出す働きとして、そして批判的な選択によってそれら対象を照合する働きとして解釈できるということをみてきた。

同じようなことは世界1の対象の視覚による知覚についても正しいように思われる。このことは世界2を能動的――生産的で批判的(製作的と調合的)――とみるべきであることを示唆している。

だが、ある無意識的な神経生理学的過程がまさにそれを行っているのだ、と考えるべき理由をわれわれはもっている。このことはおそらく、意識過程も同じ仕方で行なわれていることを《理解する》のを少しは容易にしてくれる。すなわち、神経過程によって意識的過程が行なわれていることは、行なわれているのと同じような仕方である程度まで《理解できる》。」
(カール・ポパー(1902-1994)『自我と脳』第1部、P2章 世界1・2・3、15――世界3と心身問題(上)p.80、思索社(1986)、西脇与作・沢田允茂(訳))
(索引:心身問題,世界3)

自我と脳


(出典:wikipedia
カール・ポパー(1902-1994)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あらゆる合理的討論、つまり、真理探究に奉仕するあらゆる討論の基礎にある原則は、本来、《倫理的な》原則です。そのような原則を3つ述べておきましょう。
 1.可謬性の原則。おそらくわたくしが間違っているのであって、おそらくあなたが正しいのであろう。しかし、われわれ両方がともに間違っているのかもしれない。
 2.合理的討論の原則。われわれは、ある特定の批判可能な理論に対する賛否それぞれの理由を、可能なかぎり非個人的に比較検討しようと欲する。
 3.真理への接近の原則。ことがらに即した討論を通じて、われわれはほとんどいつでも真理に接近しようとする。そして、合意に達することができないときでも、よりよい理解には達する。
 これら3つの原則は、認識論的な、そして同時に倫理的な原則であるという点に気づくことが大切です。というのも、それらは、なんと言っても寛容を合意しているからです。わたくしがあなたから学ぶことができ、そして真理探究のために学ぼうとしているとき、わたくしはあなたに対して寛容であるだけでなく、あなたを潜在的に同等なものとして承認しなければなりません。あらゆる人間が潜在的には統一をもちうるのであり同等の権利をもちうるということが、合理的に討論しようとするわれわれの心構えの前提です。われわれは、討論が合意を導かないときでさえ、討論から多くを学ぶことができるという原則もまた重要です。なぜなら討論は、われわれの立場が抱えている弱点のいくつかを理解させてくれるからです。」
 「わたくしはこの点をさらに、知識人にとっての倫理という例に即して、とりわけ、知的職業の倫理、つまり、科学者、医者、法律家、技術者、建築家、公務員、そして非常に重要なこととしては、政治家にとっての倫理という例に即して、示してみたいと思います。」(中略)「わたくしは、その倫理を以下の12の原則に基礎をおくように提案します。そしてそれらを述べて〔この講演を〕終えたいと思います。
 1.われわれの客観的な推論知は、いつでも《ひとりの》人間が修得できるところをはるかに超えている。それゆえ《いかなる権威も存在しない》。このことは専門領域の内部においてもあてはまる。
 2.《すべての誤りを避けること》は、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けることは、《不可能である》。」(中略)「
 3.《もちろん、可能なかぎり誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である》。しかしながら、まさに誤りを避けるためには、誤りを避けることがいかに難しいことであるか、そして何ぴとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。」(中略)「
 4.もっともよく確証された理論のうちにさえ、誤りは潜んでいるかもしれない。」(中略)「
 5.《それゆえ、われわれは誤りに対する態度を変更しなければならない》。われわれの実際上の倫理改革が始まるのは《ここにおいて》である。」(中略)「
 6.新しい原則は、学ぶためには、また可能なかぎり誤りを避けるためには、われわれは《まさに自らの誤りから学ば》ねばならないということである。それゆえ、誤りをもみ消すことは最大の知的犯罪である。
 7.それゆえ、われわれはたえずわれわれの誤りを見張っていなければならない。われわれは、誤りを見出したなら、それを心に刻まねばならない。誤りの根本に達するために、誤りをあらゆる角度から分析しなければならない。
 8.それゆえ、自己批判的な態度と誠実さが義務となる
 9.われわれは、誤りから学ばねばならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせてくれたときには、それを受け入れること、実際、《感謝の念をもって》受け入れることを学ばねばならない。われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと同じような誤りを犯したことがあることをいつでも思い出すべきである。」(中略)「
 10.《誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とする(また彼らはわれわれを必要とする)ということ》、とりわけ、異なった環境のもとで異なった理念のもとで育った他の人間を必要とすることが自覚されねばならない。これはまた寛容に通じる。
 11.われわれは、自己批判が最良の批判であること、しかし《他者による批判が必要な》ことを学ばねばならない。それは自己批判と同じくらい良いものである。
 12.合理的な批判は、いつでも特定されたものでなければならない。それは、なぜ特定の言明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の論証が妥当でないのかについての特定された理由を述べるものでなければならない。それは客観的真理に接近するという理念によって導かれていなければならない。このような意味において、合理的な批判は非個人的なものでなければならない。」
(カール・ポパー(1902-1994),『よりよき世界を求めて』,第3部 最近のものから,第14章 寛容と知的責任,VI~VIII,pp.316-317,319-321,未来社(1995),小河原誠,蔭山泰之,(訳))

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