ページ

2018年8月28日火曜日

27.文化的環境、社会的環境は、情動の誘発に大きな影響を与える。逆に情動が、文化的構築物や人間集団の命の状態を評価し、それらの新たな生成、発展、改善において重要な役割を担っている。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

文化的環境、社会的環境と情動

【文化的環境、社会的環境は、情動の誘発に大きな影響を与える。逆に情動が、文化的構築物や人間集団の命の状態を評価し、それらの新たな生成、発展、改善において重要な役割を担っている。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

《情動の定義》感覚で与えられた対象や事象、あるいは想起された対象や事象を感知したとき、自動的に引き起こされる身体的パターンであり、喜び、悲しみ、恐れ、怒りなどの語彙で表現される。それは、対象や事象の評価を含み、脳や身体の状態を一時的に変更することで、思考や行動に影響を与える。
参照: 狭義の情動とは?(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(補足説明)
 (a)「想起された対象や事象」:その対象と他の対象との関係や、その対象と過去との結びつきなど、意識的な思考が行う評価であることもある。むしろ、原因的対象と自動的な情動反応との間に、特定の文化の要求と調和するような意識的な評価段階をさしはさむことは、教育的な成長の重要な目標の一つである。
 (a.1)物理的環境
  もともと情動の基本的役割は、生来の生命監視機能と結びついている。情動の役割は、命の状態を心にとどめ、その命の状態を行動に組み入れることだった。
 (a.2)文化的環境
  文化的環境は、情動の誘発に大きな影響を与える。そして逆に情動が、文化的構築物の評価、発展において重要な役割を担っている。それが、有益な役割を担うためには、文化が科学的で正確な人間像に基づかなければならない。
 (a.3)社会的環境
  社会的環境も、情動の誘発に大きな影響を与える。それは、人間集団の命の状態の指標でもある。そして逆に情動が、社会的環境の評価、改善において重要な役割を担っている。情動と、社会的な現象との関係を知的に考察することは、社会の苦しみを軽減し幸福を強化するような物質的、文化的環境状況を生み出すために必要なことである。
 (b)「自動的に引き起こされる」:(a)にもかかわらず、そのような意識的な評価は、情動が生じるためには必要ではない。
 (c)「自動的に引き起こされる」:意識的な評価どころか、情動を誘発しうる刺激(ECS)の存在に、われわれが気づいていようといなかろうと、情動は自動的に引き起こされる。
参照: 情動を誘発しうる刺激(ECS)の存在に、われわれが気づいていようといなかろうと、情動は自動的に引き起こされる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))
 (d)「対象や事象の評価を含む」:意識的な評価なしに自動的に引き起こされた情動にも、その対象や事象に対する評価結果が織り込まれている。ただし、それは意識的評価をはさんだ場合とは、異なるかもしれない。

 「特定の文化的環境に浸っている意識的、知的、想像的な生き物として、これまでわれわれ人間は倫理的規則をつくり、それを成文化して法律をつくり、その法律の適用を工夫してきた。われわれは今後もその営みに関わっていくだろう。

相互に作用しあう有機体の集団は、そのような集団が生み出す社会的環境と文化の中に存在しており、たとえ文化そのものが進化と神経生物学的作用によりかなり条件付けされているとしても、集団の文化は前述のような現象を理解する上できわめて重要である。

文化が有益な役割を担うかどうかは、その文化が、その将来の道筋を立てるために使う科学的な人間像の正確さに大きく依存しているからだ。そしてここにこそ、伝統的な社会科学と現代神経生物学を統合させる意味がある。

 おおよそ同じ理由で、倫理的行動の根底にある生物学的メカニズムを解明することは、それらのメカニズムやその機能障害を特定の行動の確たる原因とするものではない。それらは決定因かもしれないが、決定因である〈必然性〉はない。そのシステムはひじょうに複雑で多層的だから、なにがしかの自由度をもって作用する。

 もちろん、倫理的行動は特定の脳システムの機能に依存していると私は考えている。しかし、そのシステムは中枢ではない。「モラル中枢」のようなものは一つとして存在しない。前頭前・腹側内側皮質でさえ、それを中枢と考えるべきではない。

さらに、倫理的行動を支えるシステムは、たぶんとくに倫理に向けられたものではない。それらは、生物学的調整、記憶、意志決定、創造性に向けられたものだ。

倫理的行動は、そういった他の活動の驚くべき、そしてこの上なく有用な副次的作用である。しかし私が見るところ、脳の中にはモラル中枢もないし、これぞモラル・システムと言えるものさえない。

 こうした仮説では、感情の基本的役割は生来の生命監視機能と結びついている。感情というものが生まれて以来、感情の生来の役割は命の状態を心にとどめ、その命の状態を行動に組み入れることだったろう。

そして感情はいまもそれをつづけているからこそ、ここで言及してきたような文化的構築物の評価、発展、適用において重要な役割を果たしていると私は考えている。


 もし感情が生ける有機体一つひとつの命の状態の指標であるとすれば、感情はまた、規模の大小にかかわらず人間集団の命の状態の指標でもあるだろう。だから、喜びと悲しみの感情の経験と社会的な現象との関係を知的に考察することは、正義のシステムや政治的体制を永遠に工夫していかねばならない人間にとって不可欠であるように見える。

そしてたぶんもっとずっと重要なことだが、感情、それもとくに喜びと悲しみは、社会の苦しみを軽減し幸福を強化するような物質的、文化的環境状況を生み出すかもしれない。

実際、そのような方向で、生物学の発展と医学技術の進歩は過去100年間、人間の状況を改善してきた。物質的環境を利用する科学と技術もそうだった。ある程度まで、人文科学もそうだった。また、ある程度まで、民主主義国家における富の成長もそうだった。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))
(索引:文化的環境,社会的環境,情動)

感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

アントニオ・ダマシオ(1944-)
検索(アントニオ・ダマシオ)
検索(Antonio R. Damasio)
アントニオ・ダマシオの関連書籍(amazon)

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

科学ランキング
ブログサークル