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2018年9月6日木曜日

16.思考は、言語で表現され外部の対象となることで、間主観的な批判に支えられた客観的な基準の世界3に属するようになる。(カール・ポパー(1902-1994))

思考と言語

【思考は、言語で表現され外部の対象となることで、間主観的な批判に支えられた客観的な基準の世界3に属するようになる。(カール・ポパー(1902-1994))】

(3)を追加記載

世界1:自然淘汰によって進化した遺伝的な基盤をもつ自然的過程
 言語を学習する強い必要性と、無意識的で生得的な動機
 言語を学習する能力

世界3:種々の言語と、その文化的進化
 様々な差異を持った数多くの言語が存在する。

世界2:個々の言語を実際に学習する過程
(1)言語の習得は、世界1の基盤によって支えられている。
(2)言語の習得は、意識的、能動的な世界3の学習と探究の過程である。
(3)思考は、言語で表現され外部の対象となることで、間主観的な批判に支えられた客観的な基準の世界3に属するようになる。
 (3.1)思考はひとたび言語に定着させられると、われわれの外部の対象となる。
 (3.2)外部の対象となることで、間主観的に批判できるものとなる
 (3.3)間主観的に批判できることで、客観的な基準の世界、すなわち世界3が出現してくる。
 (3.4)世界3に属することで、等値、導出可能性、矛盾といった論理的関係が意味を持つようになる。
 (3.5)客観的な基準の世界に対して、世界2は主観的な思考過程という位置づけが成立する。
(4)言語は、以下に対して強いフィードバック効果を持っている。
 (4.1)自らの物質的環境への精通
 (4.2)他者との関係
 (4.3)自我、人格の形成
(5)すなわち、自我、人格とは、
 (5.1)能動的な学習と探究の成果の所産である。
 (5.2)世界3の所産である。
 (5.3)物質的環境との相互作用の所産である。
 (5.4)他者との相互作用の所産である。

参照: 言語は、世界1の基盤に支えられ、意識的、能動的な世界3の学習と探究を通じて、世界1との関係、他者との関係、自我の形成に強い作用を及ぼす。自我は、世界1、他者、世界3との能動的な相互作用の所産である。(カール・ポパー(1902-1994))

 「人間の言語と人間の思想は、たがいの相互作用をつうじて、ともに進化する。

人間の言語は、あきらかに、人間の思考過程、つまり世界2の対象を表現する。

しかし、そうした対象が客観的な人間の言語で述べられると、それらにとっては非常に大きなちがいが生じてくる。

つまり、人間の言語と人間の心とのあいだに強力なフィードバック効果が存在するようになる。

 というのは、主に、思考はひとたび言語に定着させられると、われわれの外部の《対象》となるからである。

そうした対象は、間-主観的に《批判》できるものとなる――われわれのみならず他者もまた批判できるのである。

この意味で間主観的あるいは客観的批判は、人間の言語とともにはじめて出現してくる。

そしてそれとともに、人間の世界3、いいかえると、客観的な基準の世界、ならびに、われわれの主観的な思考過程の内容という世界が出現してくる。

 ここからして、たんにある思想を《考える》だけか、それともそれを言語で《述べる》(あるいはよりよい言い方をすると、書き下ろしたり、印刷させる)かには、重大なちがいがある。

たんにその思想が考えられているだけでは、それは客観的に批判できるものではない。それは、われわれの一部にほかならないからである。

批判できるためには、それが人間の言語で述べられ、そして対象、つまり世界3の対象にならなければならない。言語で述べられた思想は、世界3に属する。

それらは、たとえば、ある種の歓迎されない、あるいは不合理な論理的帰結をもつと示せるならば、それらを《論理的に》批判することができるのである。

ただ世界3に属する《思想内容》のみが、たとえば、等値、導出可能性、あるいは矛盾といった論理的関係をむすぶことができる。

 ここからして、世界2に属する主観的な《思考過程》と、世界3を構成する、思想の客観的な《内容》、つまり、いわば内容そのものとが明確に区別されねばならない。」

(カール・ポパー(1902-1994),『開かれた宇宙―非決定論の擁護』,付録1,世界3の実在と部分的自律性,pp.147-149,岩波書店(1999),小河原誠,蔭山泰之,(訳))
(索引:思考と言語)

開かれた宇宙―非決定論の擁護


(出典:wikipedia
カール・ポパー(1902-1994)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あらゆる合理的討論、つまり、真理探究に奉仕するあらゆる討論の基礎にある原則は、本来、《倫理的な》原則です。そのような原則を3つ述べておきましょう。
 1.可謬性の原則。おそらくわたくしが間違っているのであって、おそらくあなたが正しいのであろう。しかし、われわれ両方がともに間違っているのかもしれない。
 2.合理的討論の原則。われわれは、ある特定の批判可能な理論に対する賛否それぞれの理由を、可能なかぎり非個人的に比較検討しようと欲する。
 3.真理への接近の原則。ことがらに即した討論を通じて、われわれはほとんどいつでも真理に接近しようとする。そして、合意に達することができないときでも、よりよい理解には達する。
 これら3つの原則は、認識論的な、そして同時に倫理的な原則であるという点に気づくことが大切です。というのも、それらは、なんと言っても寛容を合意しているからです。わたくしがあなたから学ぶことができ、そして真理探究のために学ぼうとしているとき、わたくしはあなたに対して寛容であるだけでなく、あなたを潜在的に同等なものとして承認しなければなりません。あらゆる人間が潜在的には統一をもちうるのであり同等の権利をもちうるということが、合理的に討論しようとするわれわれの心構えの前提です。われわれは、討論が合意を導かないときでさえ、討論から多くを学ぶことができるという原則もまた重要です。なぜなら討論は、われわれの立場が抱えている弱点のいくつかを理解させてくれるからです。」
 「わたくしはこの点をさらに、知識人にとっての倫理という例に即して、とりわけ、知的職業の倫理、つまり、科学者、医者、法律家、技術者、建築家、公務員、そして非常に重要なこととしては、政治家にとっての倫理という例に即して、示してみたいと思います。」(中略)「わたくしは、その倫理を以下の12の原則に基礎をおくように提案します。そしてそれらを述べて〔この講演を〕終えたいと思います。
 1.われわれの客観的な推論知は、いつでも《ひとりの》人間が修得できるところをはるかに超えている。それゆえ《いかなる権威も存在しない》。このことは専門領域の内部においてもあてはまる。
 2.《すべての誤りを避けること》は、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けることは、《不可能である》。」(中略)「
 3.《もちろん、可能なかぎり誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である》。しかしながら、まさに誤りを避けるためには、誤りを避けることがいかに難しいことであるか、そして何ぴとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。」(中略)「
 4.もっともよく確証された理論のうちにさえ、誤りは潜んでいるかもしれない。」(中略)「
 5.《それゆえ、われわれは誤りに対する態度を変更しなければならない》。われわれの実際上の倫理改革が始まるのは《ここにおいて》である。」(中略)「
 6.新しい原則は、学ぶためには、また可能なかぎり誤りを避けるためには、われわれは《まさに自らの誤りから学ば》ねばならないということである。それゆえ、誤りをもみ消すことは最大の知的犯罪である。
 7.それゆえ、われわれはたえずわれわれの誤りを見張っていなければならない。われわれは、誤りを見出したなら、それを心に刻まねばならない。誤りの根本に達するために、誤りをあらゆる角度から分析しなければならない。
 8.それゆえ、自己批判的な態度と誠実さが義務となる
 9.われわれは、誤りから学ばねばならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせてくれたときには、それを受け入れること、実際、《感謝の念をもって》受け入れることを学ばねばならない。われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと同じような誤りを犯したことがあることをいつでも思い出すべきである。」(中略)「
 10.《誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とする(また彼らはわれわれを必要とする)ということ》、とりわけ、異なった環境のもとで異なった理念のもとで育った他の人間を必要とすることが自覚されねばならない。これはまた寛容に通じる。
 11.われわれは、自己批判が最良の批判であること、しかし《他者による批判が必要な》ことを学ばねばならない。それは自己批判と同じくらい良いものである。
 12.合理的な批判は、いつでも特定されたものでなければならない。それは、なぜ特定の言明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の論証が妥当でないのかについての特定された理由を述べるものでなければならない。それは客観的真理に接近するという理念によって導かれていなければならない。このような意味において、合理的な批判は非個人的なものでなければならない。」
(カール・ポパー(1902-1994),『よりよき世界を求めて』,第3部 最近のものから,第14章 寛容と知的責任,VI~VIII,pp.316-317,319-321,未来社(1995),小河原誠,蔭山泰之,(訳))

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