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2018年11月25日日曜日

ある表現が、意義のみを表現しているのか、意味の現存を前提としているのかは、表現の意図によって支えられている。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))

表現の意図

【ある表現が、意義のみを表現しているのか、意味の現存を前提としているのかは、表現の意図によって支えられている。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))】

(1.3)追加記載。

(1)記号の意義と意味

 記号、意義、意味の間の関係(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))
 (1.1)記号に対して一つの定まった意義が対応し、その意義に対してまた一つの定まった意味が対応する。

 記号 → 一つの意義 → 一つの意味
             =一つの対象

 (1.2)例。
 参照: 固有名の意義とは? 固有名の意味とは?(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))

記号   → 記号の意義   → 記号の意味
 あるいは
固有名

記号結合
表現

記号   → 記号によって  → 記号によって
       表現された     表示された
       対象の様態     特定の対象
※「記号」は「意義」を「表現する」。
※「記号」は「意味」を「表示する」。

宵の明星 → 太陽が沈んだ後、→(金星)
       西の空にどの星
       よりも先に、一
       番明るく輝いて
       いる星。

明けの明星→ 太陽が昇る前に、→(金星)
       東の空にどの星
       よりも後まで、
       一番明るく輝い
       ている星。

金星   → 太陽系で、太陽 →(金星)
       に近い方から二
       番目の惑星。

 (1.3)ある表現が、意義のみを表現しているのか、意味の現存を前提としているのかは、表現の意図によって支えられている。
  (1.3.1)例えば「月は地球より小さい。」は、意義のみではなく、意味が前提されている。
  (1.3.2)例えば、月の表象について語ることが意図されているならば、「私がもつ月の表象」という表現を使わなければならない。
  (1.3.3)もちろん、前提された意図に対して、誤った表現がなされることもあり得るし、解釈者が意図を誤って解釈することもあり得よう。


 「簡潔にして正確な表現を可能とするために以下のような用語法を確定しておきたい。すなわち固有名(語、記号、記号結合、表現)は、その意義を表現し(ausdrücken)、また、その意味を意味する(bedeuten)、または、その意味を表示する(bezeichnen)。我々は記号によって意義を表現し、記号によってその記号の意味を表示する。
 観念論者や懐疑論者の側からは、このような見解に対しておそらくすでに以前から反論がなされていることだろう。「君は、月を対象として語ることに躊躇していないが、月という名がそもそも一つの意味をもつことを君は何を根拠に知ったのか。また、ともかくも何ものかが一つの意味をもつことは何から知ったのか」。このような反論に対して、私は、我々がもつ月の表象について語ることが我々の意図(Absicht)ではなく、また我々が「月」と言うときには、意義のみで満足せずに一つの意味を前提(voraussetzen)していると答えたい。「月は地球より小さい」という文において月の表象が話題になっているとすると、この文は意義を失う。話し手が月の表象を話題にしようとするためには、「私がもつ月の表象」という表現を使わなければならないであろう。ところで、我々が何ものかを前提するという際に誤りを犯すことはもちろん可能である。そして、そのような誤りが実際に生じたこともある。しかし、ここで、場合によると我々が常に誤りを犯しているのではないかという疑問に対しては答えないままでいることが許される。なぜならば、当面、記号の意味について語ることを正当化するためには、そのような意味の現存する場合という留保が必要であるにせよ、語りまたは思考において我々がもつ意図を指摘しておけば十分であるからである。」
(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『意味と意義について』31-32、フレーゲ著作集4、pp.77-78、土屋俊)
(索引:意義を表現する,意味を表示する,表現の意図,表現の前提)

フレーゲ著作集〈4〉哲学論集


(出典:wikipedia
ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「1. 思考の本質を形づくる結合は、表象の連合とは本来異なる。
2. 違いは、[思考の場合には]結合に対しその身分を裏書きする副思想(Nebengedanke)が存在する、ということだけにあるのではない。
3. 思考に際して結合されるものは、本来、表象ではなく、物、性質、概念、関係である。
4. 思想は、特殊な事例を越えてその向こう側へと手を伸ばす何かを常に含んでいる。そして、これによって、特殊な事例が一般的な何かに帰属するということに気づくのである。
5. 思想の特質は、言語では、繋辞や動詞の人称語尾に現われる。
6. ある結合[様式]が思想を形づくっているかどうかを識別するための基準は、その結合[様式]について、それは真であるかまたは偽であるかという問いが意味を持つか否かである。
7. 真であるものは、私は、定義不可能であると思う。
8. 思想を言語で表現したものが文である。我々はまた、転用された意味で、文の真理についても語る。
9. 文は、思想の表現であるときにのみ、真または偽である。
10.「レオ・ザクセ」が何かを指示するときに限り、文「レオ・ザクセは人間である」は思想の表現である。同様に、語「この机」が、空虚な語でなく、私にとって何か特定のものを指示するときに限り、文「この机はまるい」は思想の表現である。
11. ダーウィン的進化の結果、すべての人間が 2+2=5 であると主張するようになっても、「2+2=4」は依然として真である。あらゆる真理は永遠であり、それを[誰かが]考えるかどうかということや、それを考える者の心理的構成要素には左右されない
12. 真と偽との間には違いがある、という確信があってはじめて論理学が可能になる。
13. 既に承認されている真理に立ち返るか、あるいは他の判断を利用しないかのいずれか[の方法]によって、我々は判断を正当化する。最初の場合[すなわち]、推論、のみが論理学の対象である。
14. 概念と判断に関する理論は、推論の理論に対する準備にすぎない。
15. 論理学の任務は、ある判断を他の判断によって正当化する際に用いる法則を打ち立てることである。ただし、これらの判断自身は真であるかどうかはどうでもよい。
16. 論理法則に従えば判断の真理が保証できるといえるのは、正当化のために我々が立ち返る判断が真である場合に限る。
17. 論理学の法則は心理学の研究によって正当化することはできない。
」 (ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『論理学についての一七のキー・センテンス』フレーゲ著作集4、p.9、大辻正晴)

ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)
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