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2018年5月28日月曜日

新しい記述言語が必要だ。なぜなら、(a)日常言語の曖昧さ、(b)論理の複雑さ、(c)想像力、習慣の影響、(d)詭弁と華麗な装飾。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

新しい記述言語

【新しい記述言語が必要だ。なぜなら、(a)日常言語の曖昧さ、(b)論理の複雑さ、(c)想像力、習慣の影響、(d)詭弁と華麗な装飾。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
 概念あるいは思想を正確に表現する適切な記号を考案して、新しい記述言語を作る必要がある。なぜなら、人々は、多くの場合、以下のような理由により、また、性急さ、軽率な検討、また外見や、快適な会話によって欺かれるからだ。
(a)人間は言葉を使用するが、明らかにその意味は僅かしか確定していない。
(b)日常会話と筆記法では、しばしば唯一つの完結文すら、もし人が論理学の厳密さの尺度で検討するならば、十個の単純三段論法を含む。
(c)人は、想像力を用い、話法の習慣により、また扱う内容の理解を通じて論理学の欠陥を補う。
(d)または、誤った推論が、華麗に飾り立てられる。
 「論理学者には多くの推論規則が伝えられている。記憶の容易のためにある図式が考え出された。それは「ロバの橋」[虎の巻]と呼ばれ、標語が使われている。
 これらすべては、学校において称揚されているだけで、日常生活では無視されている。多くの理由によるが、特に学校ではほとんど単純三段論法即ち三つの命題から成り立つ推論だけを考察するのが普通だからである。これに反して日常会話と筆記法では、しばしば唯一つの完結文すら、もし人が論理学の厳密さの尺度で検討するならば、十個の単純三段論法を含むのである。従って人は、想像力を用い、話法の習慣により、また扱う内容の理解を通じて論理学の欠陥を補うのが普通である。
 しかし性急さ、軽率な検討、また外見によってしばしば人々が欺かれることを認めなければならない。特に目で識別し、手で触れ、また経験によって確かめることができない対象においては、損害を通じて後で真の認識にいたることがまれではないとはいえるが、これを今までに知られた方法で免れることは困難である。何故ならば、人間は言葉を使用するが明らかにその意味は僅かしか確定しておらず、また言いまわしと不変詞を種々に使用して誤った推論を華麗に飾り立てることができ、誤謬の在り場所はほとんどわからない位だからである。自然の秩序が人工的な、耳を楽しませる繊細さによって驚くほど攪乱されることもしばしばである。そして人々は、多くの場合、冗長拙劣な言い方で教えられるよりもむしろ快適な会話によって欺かれることを好む結果となる。
 私は問題を熟考して次の点に唯一の解決策を見出した。即ち概念あるいは思想を正確に表現する適切な記号を考案して新しい記述言語を作るのである。この問題に対する真なる方法は私の知る限り今まで誰の心にも浮かばなかった。かつてこのようなものを求めた人々は目的から遙かに離れたところを長い間さまよっていたのである。しかしいつか、私が考えた通りにこれが実現されるならば、その効果は驚異的で、また用途は限りないであろう。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『数によって推論を検査する方法(一六七九)』ライプニッツ著作集1、pp.93-94、[澤口昭聿・1988])
(索引:新しい記述言語)

論理学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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不可分の実体は、人間の精神のみではない。精神以外にも数々の形相が存在し、想念によらない他の数々の表出があり、いろいろな差異、程度が見られるにちがいない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

さまざまな表出

【不可分の実体は、人間の精神のみではない。精神以外にも数々の形相が存在し、想念によらない他の数々の表出があり、いろいろな差異、程度が見られるにちがいない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
 「不可分の実体」は、みな精神であって思惟するものでなければならないというのは、誤りである。可分的な現象ないしは多くの存在中に拡がっている現象も、ただ一個の不可分の存在において表出ないし表現される。したがって、思惟をむねとする形相以外にも、数々の形相が存在し、想念をもたない他の数々の表出があるはずであり、いろいろな差異、程度が見られるにちがいない。もし、これらが解明されれば、単純な物体的実体、生命体、動物の区別も、可能になるのではないか。
 「およそ分割不可能な実体(つまり私にいわせれば、おしなべて実体一般)は、みな精神であって、思惟するものでなければならないと、大見得をお切りになる。が、さあてこれは、なんともかんともきついばかりか、根も葉もないことに思われますね。形相の保持云々のほうが、ずっとましです。われわれの知っている感官といえば、五つしかない。たとえばそれから、若干の金属です。それなのに、世界にはもう他に、金属がないと結論してよろしいものか。自然がヴァラエティを好むものなら、思惟をむねとする形相以外にも、形相を数々つくりだしたとするほうが、よっぽどもっともらしいでしょう。なるほど私は、円錐曲線を除いては、二次の図形は存在しないと証明することはできましょう。がそれは私が、これらの線について判明な認識を具えているからで、判明なるがゆえに、厳密な分類にまで至ることを可能にしてくれるのです。しかし想念については、われわれは判明な観念をもたない。加うるに、不可分の実体の概念が、考える実体の概念と同一であるむねを示すことはできないのですから、この点についてきっぱりと断言するわけには、どうにもまいらないのです。想念についての観念は明晰である。そりゃあ、おっしゃるとおりです。しかし明晰なるもの、かならずしも判明ならず。われわれが想念を知るのは、もっぱら内部の感覚によるしかない(これはつとにマルブランシュ師が指摘したところ)。しかし感覚によって知ることができるのは、自分が経験した事柄だけでしょう。しかもわれわれは、他の形相のはたらきについて、身をもって経験したわけではない。ですから、これについて明晰な観念をもっていないからといって、なにもショックを受ける必要はない。実際、たとえ仮にそういった形相の類が認められたとしても、われわれはこれについて明晰な観念をもてるわけがないからでしょう。あるものが存在し得ないことを証明するのに、いくら明晰だからといって、明晰でない観念をダシにして、やろうというのは無茶というもの。逆に、判明な観念だけを相手にするなら、こう申せるのではありませんか。すなわち、可分的な現象ないしは多くの存在中に拡がっている現象も、ただ一個の不可分の存在において表出ないし表現される。そしてこれだけで十分であって、実体的形相なるものを考えるのに、なにもその表現に、想念だの反省だのをひっつけるにはおよばないと、こんなふうに考えることができる、と。いやまったくできようものなら、非物質的ではあるが想念をもたない他の数々の表出に関しても、その差異やら、程度やらを解き明かしてみたいものです。そうすれば、単純な物体的実体、生命体、動物の区別が、可能なかぎりはつくのではないか。でも私はまだ、この点について十分思いをめぐらせておりません。また十分に、自然を吟味いたしてもおりませんので、前記のものの器官やはたらきやらを比較して、形相のさまざまを判断することもいたしかねます。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『アルノーとの往復書簡』ハノーファーから、一六八七年一〇月九日、四、ライプニッツ著作集8、pp.375-376、[竹田篤司・1990])
(索引:表出)

前期哲学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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全宇宙を表出する魂は、その襞が無限に及んでおり、自分の襞を一挙にすっかり開いてみることはできない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

無限の襞

【全宇宙を表出する魂は、その襞が無限に及んでおり、自分の襞を一挙にすっかり開いてみることはできない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
 どの物体も、宇宙の中で起こることすべてを、時間的、場所的に遠くはなれているものをも、何らかの観点からすべて現在において感知し表出する。しかし魂は、自分の襞を一挙にすっかり開いてみることはできない。なぜなら、その襞は無限に及んでおり、魂が自分自身のうちに読み取ることができるのは、そこに判明に表現されているものだけだからである。
 「そこで、どの物体も宇宙の中で起こることをすべて感知するから、なんでも見える人があれば、どの物体の中にもあらゆる所でいま起こっていることだけではなく、いままでに起こったことやこれから起こるであろうことさえも、読み取ることができるであろう。つまり、時間的、場所的に遠くはなれているものを、現在の中に認めることができることになろう。「スベテガ共ニ呼吸ヲシテイル」とヒポクラテスは言った。しかし、魂が自分自身のうちに読み取ることができるのは、そこに判明に表現されているものだけである。魂は自分の襞を一挙にすっかり開いてみることはできない。その襞は無限に及んでいるからである。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『モナドロジー』六一、ライプニッツ著作集9、pp.231-232、[西谷裕作・1989])
(索引:表出、魂、無限の襞の喩え)

ライプニッツ著作集 (9)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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