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2019年9月6日金曜日

人間の利他主義が限定的で断続的なものだという事実が、相互自制の体系を要請する。また同時に人間には、仲間の生存や幸福に関心を持つ傾向性があるという事実が、相互自制の体系を可能なものとする。(ハーバート・ハート(1907-1992))

限られた利他主義

【人間の利他主義が限定的で断続的なものだという事実が、相互自制の体系を要請する。また同時に人間には、仲間の生存や幸福に関心を持つ傾向性があるという事実が、相互自制の体系を可能なものとする。(ハーバート・ハート(1907-1992))】

(3.3)追加。

(3)人間に関する自然的事実
 (3.1)人間の傷つきやすさ
   人はときには身体に攻撃を加える傾向があるし、また攻撃を受ければ普通、傷つきやすいという事実が存在する。生存するという目的のためには、殺人や暴力の行使を制限するルールが要請される。(ハーバート・ハート(1907-1992))
  (a)人はときには身体に攻撃を加える傾向があるし、また攻撃を受ければ普通、傷つきやすいという事実が存在する。
  (b)法と道徳は、殺人とか身体的危害をもたらす暴力の行使を制限するルールを含まなければならない。
 (3.2)人間の諸能力のおおよその平等性
   人間は、他を圧倒するほどの例外者を除けば、おおよそ平等な諸能力を持っているという事実が存在する。生存という目的のためには、相互の自制と妥協の体系である法と道徳が要請される。(ハーバート・ハート(1907-1992))
  (a)人間の諸能力の差異
   人間は、肉体的な強さ、機敏さにおいて、まして知的な能力においてはなおさら、お互いに異なる。
  (b)人間の諸能力のおおよその平等性
   それにもかかわらず、どのような個人も、協力なしに長期間他人を支配し服従させるほど他人より強くはない。もっとも強い者でもときには眠らねばならず、眠ったときには一時的にその優位性を失う。
  (c)能力の大きな不均衡がもたらす事象
   人々が平等であるのではなく、他の者よりもずいぶん強く、また休息がなくても十分やってゆける者がいくらかいたかもしれない。そのような例外的な人間は、攻撃によって多くのものを得るであろうし、相互の自制や他人との妥協によって得るところはほとんどないであろう。
  (d)相互の自制と妥協の体系
   法的ならびに道徳的責務の基礎として、相互の自制と妥協の体系が必要であることが明らかになる。
  (e)違反者の存在
   そのような自制の体系が確立したときに、その保護の下に生活すると同時に、その制約を破ることによってそれを利用しようとする者が常にいる。
  (f)国際法の特異な性質
  強さや傷つきやすさの点で、国家間に巨大な不均衡が現に存在している。国際法の主体間のこの不平等こそ、国際法に国内法とは非常にちがった性格を与え、またそれが組織された強制体系として働きうる範囲を制限してきた事態の一つなのである。

 (3.3)限られた利他主義
  (a)人間は、天使ではない。
   人間の利他主義は、目下のところ限られたものであって、断続的なものであるから、攻撃したいという傾向は、もし統制されなかった場合、ときには社会生活に致命的な打撃を与えるほどのものとなることもある。
  (b)人間は、悪魔ではない。
   人間は非常に利己的で、仲間の生存や幸福に関心を持つのは、何か下心があるからだというのは、誤った見解である。
  (c)相互自制の体系の必要性と可能性
   以上の事実から、相互自制の体系は、必要であるとともに、可能でもあることが示される。相互自制の体系は、天使には不要で、悪魔には不可能である。

 「(iii)かぎられた利他主義 人間は互いに相手を絶滅したいという願望に支配されている悪魔ではない。だから、生存というもっとも謙虚な目的が与えられさえすれば、法と道徳の基本的なルールは必要なものとなるという論証と、人間は非常に利己的で、仲間の生存や幸福に関心をもつのはなにか下心があるからだという誤った見解と同一のものとしてはならない。しかし、人間は悪魔でないとしても天使でもない。そしてこの、人間がこれらの両極端の中間であるという事実によって、相互自制の体系が必要ともされ可能ともされるのである。他人に危害を加える気には決してならない天使には、自制を求めるルールなど必要ではないであろう。他人を破壊しようとし、それが自分自身にふりかかることを顧みない悪魔には、それらのルールは不可能であろう。人間の利他主義は、目下のところかぎられたものであって、断続的なものであるから、攻撃したいという傾向は、もし統制されなかった場合、ときには社会生活に致命的な打撃を与えるほどのものとなることもある。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法の概念』,第9章 法と道徳,第2節 自然法の最小限の内容,p.214,みすず書房(1976),矢崎光圀(監訳),明坂満(訳))
(索引:限られた利他主義,利他主義,相互自制の体系)

法の概念


(出典:wikipedia
ハーバート・ハート(1907-1992)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「決定的に重要な問題は、新しい理論がベンサムがブラックストーンの理論について行なった次のような批判を回避できるかどうかです。つまりブラックストーンの理論は、裁判官が実定法の背後に実際にある法を発見するという誤った偽装の下で、彼自身の個人的、道徳的、ないし政治的見解に対してすでに「在る法」としての表面的客観性を付与することを可能にするフィクションである、という批判です。すべては、ここでは正当に扱うことができませんでしたが、ドゥオーキン教授が強力かつ緻密に行なっている主張、つまりハード・ケースが生じる時、潜在している法が何であるかについての、同じようにもっともらしくかつ同じように十分根拠のある複数の説明的仮説が出てくることはないであろうという主張に依拠しているのです。これはまだこれから検討されねばならない主張であると思います。
 では要約に移りましょう。法学や哲学の将来に対する私の展望では、まだ終わっていない仕事がたくさんあります。私の国とあなたがたの国の両方で社会政策の実質的諸問題が個人の諸権利の観点から大いに議論されている時点で、われわれは、基本的人権およびそれらの人権と法を通して追求される他の諸価値との関係についての満足のゆく理論を依然として必要としているのです。したがってまた、もしも法理学において実証主義が最終的に葬られるべきであるとするならば、われわれは、すべての法体系にとって、ハード・ケースの解決の予備としての独自の正当化的諸原理群を含む、拡大された法の概念が、裁判官の任務の記述や遂行を曖昧にせず、それに照明を投ずるであろうということの論証を依然として必要としているのです。しかし現在進んでいる研究から判断すれば、われわれがこれらのものの少なくともあるものを手にするであろう見込みは十分あります。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法学・哲学論集』,第2部 アメリカ法理学,5 1776-1976年 哲学の透視図からみた法,pp.178-179,みすず書房(1990),矢崎光圀(監訳),深田三徳(訳))
(索引:)

ハーバート・ハート(1907-1992)
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