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2019年11月15日金曜日

戦争に伴う犯罪と苦痛を防ぐには、全ての市民が国際法を学び、自らの政府の行為に絶えず注意を払い、批判的な世論の形成が必要である。無関心で自分の意見を持たず、必要な抗議をしないことは誤っており害悪を生む。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

国際法の教育

【戦争に伴う犯罪と苦痛を防ぐには、全ての市民が国際法を学び、自らの政府の行為に絶えず注意を払い、批判的な世論の形成が必要である。無関心で自分の意見を持たず、必要な抗議をしないことは誤っており害悪を生む。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】
 (5.5)国際法
  (5.5.1)国際法とは何か
   (a)本来法律ではなく、倫理の一部、道徳的規則である。
   (b)起源においては、誠実と仁愛という道徳的原理が、国家間の交際に適用されたものである。
   (c)戦争が生み出す犯罪を減少させ、苦痛を軽減させるのが目的である。
   (d)この種の規則は、永遠に変化しないものではない。
   (e)この種の規則は、国民の良心が益々啓発され、社会の政治的要求が変化するに従って、時代とともに多かれ少なかれ変化してゆく。
  (5.5.2)国際法に関する知識と確実な判断力の必要性
   もちろん、外交官や法律家には必要なものである。
  (5.5.3)すべての市民が国際法を学ぶことの意義
   一国の行為が、国内的にも対外的にも、利己的で、背徳的で、圧政的であるか、それとも合理的かつ啓発的で、公正にして高貴であるかは、世論の一部を形成する個人個人が公的な業務に絶えず注意を払い、その細部にまで目を配る習慣を持っていることにかかっている。
   (a)黙認することの悪
    自分が選んだ代理人によって、もし、代理人に託した権限によって悪事が行われているにもかかわらず、そんなことに心を煩わしたくないという理由で、何の抗議もせず、黙認するようなら、正しいとは言えない。
   (b)関与しないことの悪
    自分がまったく関与しなければ、害になるはずがないというのは錯覚である。
   (c)意見を持たないことの悪
    また、自分が何の意見も持たなければ害になるはずがないというのも錯覚である。

 「以上のような学問に、更に国際法を付け加えたいと思います。国際法はすべての大学で教えられるべきであり、一般教養のなかの一科目になるべきであると私は固く信じています。この学問は、外交官や法律家だけにのみ必要とされるのでは決してなく、市民すべてにとっても必要なものであります。いわゆる「万民法」と言われているものは、本来法律ではなく、倫理の一部であります。つまり、文明国で権威あるものとして承認されている一連の道徳的規則に他なりません。確かに、この種の規則は、永遠に従う義務はありませんし、またそうあるべきではなく、国民の良心が益々啓発され、社会の政治的要求が変化するに従って、時代とともに多かれ少なかれ変化しますし、また変化しなければならないものであります。ところが、その規則の大部分は、その起源においては誠実と仁愛という道徳的原理が国家間の交際に適用されたその結果であり、また現在でもそうであります。つまり、この規則は、戦争が生み出す犯罪を減少させ、苦痛を軽減させるために、人類の道徳感情あるいは共通利益の認識から導入されたものであります。各々の国は世界の種々様々な関係にあり、多くの国々は――我が国もそのなかの一つでありますが――ある国に対して現実に権力を行使しています。それ故、国際的道義の確立された規則に関する知識は、すべての国にとって、従ってそのなかで国を構成し、その発言と感情とがいわゆる世論の一部を形成する個人個人にとっても、自らの義務を果たすための必要欠くべからざるものであります。自分がまったく関与しなければ、また何の意見ももたなければ害になるはずがないという錯覚で自己の良心をなだめるようなことは止めましょう。悪人が自分の目的を遂げるのに、善人が袖手傍観していてくれるほど好都合なことはないのです。自分の代理人によって、しかも自分が提供した手段が用いられて悪事が行われているにもかかわらず、そんなことに心を煩わしたくないという理由で、何の抗議もせず、黙認するような人間は善人ではありません。一国の行為が、国内的にも対外的にも、利己的で、背徳的で、圧政的であるか、それとも合理的かつ啓発的で、公正にして高貴であるかは、公的な業務に絶えず注意を払いその細部にまで目を配る習慣がその社会にあるかどうか、またその社会がその種の業務に関する知識と確実な判断力とをどの程度持ち合わせているかによることでしょう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『教育について』,日本語書籍名『ミルの大学教育論』,5 精神科学教育,(5)国際法,pp.65-66,お茶の水書房(1983),竹内一誠(訳))
(索引:国際法,戦争,道徳,世論,国際法の教育)
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)

(出典:wikipedia
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)

ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
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