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2020年6月8日月曜日

7.否定的および肯定的裁可によって社会性を維持するための諸感情を洗練してきた人類は、他者の感情と期待を表現する、より一般的な道徳記号を生成した。そして、道徳記号への違反と同調が、感情を喚起する。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

道徳的記号化

【否定的および肯定的裁可によって社会性を維持するための諸感情を洗練してきた人類は、他者の感情と期待を表現する、より一般的な道徳記号を生成した。そして、道徳記号への違反と同調が、感情を喚起する。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】

(1.7)追記

(1)人類の歴史
 (1.1)社会性と集団が無ければ生存できなかった
 (1.2)感情能力が強化されることで社会性が獲得された
 (1.3)社会性を強化するための、感情能力に依存する6つの仕組み
 (1.4)その1:感情エネルギーの動員と経路づけ
 (1.5)その2:対面反応の調整
 (1.6)その3:裁可
  (1.6.1)否定的裁可
   (1.6.1.1)怒りの表出
   (1.6.1.2)恐怖の喚起
   (1.6.1.3)否定的裁可の効果
   (1.6.1.4)否定的裁可の離反的効果
  (1.6.2)否定的裁可の内在化、恥と罪の感情
  (1.6.3)記憶による感情の持続化、激情化と肯定的感情の発展
   (1.6.3.1)記憶による感情の持続化と激情化
   (1.6.3.2)肯定的感情の必要性
  (1.6.4)肯定的裁可の内在化、誇りの感情
  (1.6.5)自己像の形成と自尊心の感情の誕生
  (1.6.6)悲しみなどの否定的感情の役割
   (1.6.6.1)恥や後悔などの感情と動機づけ
   (1.6.6.2)他者の悲しみの感知と連帯
 (1.7)その4:道徳的記号化
  (1.7.1)道徳的記号化
   (a)人間は他者の期待に注意を払い、同調性を高めなければならなかった。
   (b)人間は他者の表現する全方向の感情に対して、敏感でなければならなかった。
   (c)人間は感情と期待を、より一般的な行動記号(たとえば、規範、価値)を生成できるような方法で結合する必要があった。
  (1.7.2)道徳記号の機能
   (a)道徳記号に違反が発生すると、違反者に対する怒りが同調を要求する他者を興奮させ、また違反者に向けられた。
   (b)違反者に向けられる怒りは、同調の努力を喚起させるであろう。
   (c)道徳記号が守られるとき、同調に向う満足-幸せは、同調の継続に肯定的強化物を与えるであろう。
 (1.8)その5:資源評価と資源交換
 (1.9)その6:合理的意思決定

 「アフリカ・サヴァンナで組織を作ろうとする相対的に社会性の低い動物を想像するとき、選択はこの動物の神経解剖学的構造にどのように関与しなければならなかっただろうか。

第一に、選択はこの動物の神経解剖学的構造を強化する必要があった。そのためこの動物は他者の期待に注意を払い、そして同調性を高めなければならなかった。

第二に、その動物は他者の表現する全方向の感情に対して敏感でなければならなかった。

第三に、その動物は感情と期待を、より一般的な行動記号(たとえば、規範、価値)を生成できるような方法で結合する必要があった。

恐れ、怒り、そして満足といった原基感情はこの過程を開始するのに十分であった。

選択はこれらの原基感情を道徳記号にするための変種に、そしてその変種によって作られる感情をいっそう複雑かつ精妙に拡張したと仮定することは可能である。

したがって道徳記号に違反が発生すると、違反者に対する怒りが同調を要求する他者を興奮させ、また違反者に向けられた。これと同様に、違反者に向けられる怒りは、同調の努力を喚起させるであろう。

道徳記号が守られるとき、同調に向う満足-幸せは同調の継続に肯定的強化物を与えるであろう。

こうした原基感情のより微妙な変種と組み合わせが進化すると、記号そのものとその裁可が結果的にますます複雑になり、これによってヒト科類人猿の祖先に適した、いっそう柔軟な社会的構成が可能になった。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第2章 選択力と感情の進化、pp.76-77、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:道徳的記号化)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学



(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

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