進化の法則はあるのか
進化の法則はあり得るのだろうか。「その答えはノーであるに違いないと私は信じている」。生命の進化、あるいは人間社会の進化は、あらゆる因果関係の連鎖によって織り合わされているとはいえ、プロセスの記述は法則ではなく、単称的な歴史的言明に過ぎない。(カール・ポパー(1902-1994))
「しかし、進化の《法則》というものはありうるのだろうか。T・H・ハクスリーは「科学 が、遅かれ早かれ、有機的形態の進化の法則に傾倒するということを疑う哲学者は、まともな 哲学者ではありえない。その法則とは、古今を問わずあらゆる有機的形態がそのつなぎ目であ るような巨大な因果の鎖という不変の秩序である」と書いているが、このときハクスリーが意 図していた意味での科学的法則というものは、果たして存在しうるのだろうか。 その答えは「ノー」であるに違いないと私は信じている。私の考えでは、進化の中に「不変 の秩序」という法則を探し求めることは、生物学であろうと社会学であろうと、科学的方法の 範囲には収まりえないのである。私にとって理由は非常に単純だ。地上の生命の進化、あるい は人間社会の進化は、類例のない歴史的プロセスである。そのようなプロセスは、あらゆる種 類の因果法則、たとえば力学的法則や化学的法則、遺伝と分離の、あるいは自然選択の法則な どに従って進むと想定していいだろう。しかしそのプロセスの記述は法則ではなく、単称的な歴史的言明にすぎない。 普遍法則は、ハクスリーの言葉を借りるなら、不変の秩序に関わる、すなわち、特定の種類 のすべてのプロセスに関わる主張をなす。たしかに、単一の事例の観察をきっかけに普遍法則 の定式化に向かうということがあってはならない理由はないし、運が良ければそれで真理にた どり着くことがありえないと断じる理由もない。しかし、このようなあり方で(あるいはどの ようなあり方であれ)定式化された法則を科学でまともに取り上げるには、その前に新たな事 例で《検証》しなければならないことは明らかである。しかし、類例のない一回だけのプロセ スを観察しているかぎり、普遍的仮説を検証することも、科学的に認められる自然法則を見つ け出すことも期待できない。類例のない一回だけのプロセスの観察は、未来の展開の予測には 役立たない。《一匹の》芋虫の成長を細心の注意を払って観察しても、それが蝶へと変態する ことを予測する助けにはならないのである。」
(カール・ポパー(1902-1994),『歴史主義の貧困』,第4章 親自然主義的な見解への批判,27 進化の法則は存在するか:法則とトレンド,pp.180-182,日経BPクラシックスシリーズ (2013),岩坂彰(訳)