ページ

2022年1月15日土曜日

16.各個人の選択において、干渉や妨害を加えずに放任しておくという消極的自由と、その選択が各個人自らの統治すなわち自己支配を基礎とした自由な選択かを問う積極的自由との概念がある。弱者の積極的自由の保護のためには消極的自由の制限が必要となるが、積極的自由が歪曲され悪用されることが多かった。(アイザイア・バーリン(1909-1997))

消極的自由と積極的自由

各個人の選択において、干渉や妨害を加えずに放任しておくという消極的自由と、その選択が各個人自らの統治すなわち自己支配を基礎とした自由な選択かを問う積極的自由との概念がある。弱者の積極的自由の保護のためには消極的自由の制限が必要となるが、積極的自由が歪曲され悪用されることが多かった。(アイザイア・バーリン(1909-1997))




 「―――自由について話すとなると、まずあなたが積極的自由と消極的自由の間に引いた区別 を、あなた自身の口から説明したいただけませんか。

バーリン
  二つの別々の問題があります。一つは、「私にはいくつのドアが開いているか」 もう一つは、「誰がここの責任者か、誰が管理しているのか」です。この二つの問題はからみ 合ってはいるが、同じ問題ではありません。別の答えを必要としているのです。

私にはいくつのドアが開いているのか。消極的自由の範囲という問題は、私の前にどのような障害があるか にかかっています。他の人々によって――故意にか間接的にか、意図的でなく制度的にか――私が 何をするのを妨害されているのかという問題です。

もう一つの問題は、「誰が私を統治してい るのか、他の人が私を統治しているのか、それとも私が自分を統治しているのか。もし他の人 が統治しているとすれば、いかなる権利、いかなる権威によってか。

もし私が自己支配、自治 の権利を持っているとすれば、私はこの権利を失うことができるのか、放棄できるのか。また 取り返せるのか。どのようにしてか。誰が法を作るのか、あるいは誰がそれを執行するのか。 私は協議に参加できるのか。多数が統治しているのか。何故そうなのか。それとも神が、聖職 者が、政党が統治しているのか。それとも世論の圧力なのか。伝統の圧力なのか。いかなる権 威によってなのか。」

それは別の問題です。両方の問題、それに付随する問題は、それぞれに 中心的な問題、正統な問題です。両方に答えねばなりません。

私は、積極的自由に反対して消 極的自由を擁護し、消極的自由の方が文明社会に相応しいと主張したという嫌疑をかけられて いますが、その理由は唯一つ、積極的自由という観念――もちろん、まともな生存のためには本 質的に必要なものです――の方が消極的自由の観念よりも悪用ないし歪曲されることが多かった からという理由です。

二つとも真の問題であり、避ける訳にはいきません。そして、この二つ の問題にたいする答えが社会の性質――それが自由主義的か権威主義的か、民主的か専制的か、 世俗的か神政的か、個人主義的か共同主義的か等々を規定します。

二つの自由概念は、政治 的、道徳的にねじ曲げられて逆のものに変えられてきました。

この点では、ジョージ・オー ウェルが見事です。「私があなたの真の願望を表明する。あなたは、自分が何を望んでいるか 自分で知っていると思っているかもしれないが、私、指導者、われわれ、共産党中央委員会 は、あなたが自分で知っているよりもあなたのことをよく知っており、あなたが自分の「真 の」必要を認識するならば、あなたの欲するものを与えよう。」

虎と羊にとって、自由は平等 でなければならぬ、虎が羊を喰うことができるようになっても、そこで国家の強制を発動して はならぬというのなら、これは避けられない事態なのだと言い出してしまうと、消極的自由が ねじ曲げられることになります。

もちろん、資本家にとっての無制限の自由は労働者の自由を 破壊し、鉱山所有者や親の無制限の自由は子供を鉱山労働に使うのを許すでしょう。弱者を強 者に対して守らねばならないし、その限りで自由を制限しなければならない、これは確実なこ とです。

積極的自由を充分に実現しなければならないとすれば、消極的自由を制限しなければ なりません。

この二つの間にバランスがなければなりませんが、このバランスについては何か 明確な原理を打ち出すことはできません。

積極的自由、消極的自由は、ともに完全に有効な概 念ですが、歴史的に見て現代世界ではインチキ積極的自由の方がインチキ消極的自由よりも大 きな損害をもたらしてきました。」

 (アイザイア・バーリン(1909-1997),『ある思想史家の回想』,インタヴュア:R. ジャハ ンベグロー,第1の対話 バルト地方からテムズ河へ,二つの自由概念,pp.66-68,みすず書房 (1993),河合秀和(訳))