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2022年1月14日金曜日

人間の生命には、自然的生命という意味でも、生涯という意味でも、内在的価値がある。各個人の生涯には、その人がどう考えるかにかかわらず客観的な意味と重要性が存在し、各個人には、自己の生涯に対する不可避的な倫理的責任が存在する。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))

人間の生命の価値

人間の生命には、自然的生命という意味でも、生涯という意味でも、内在的価値がある。各個人の生涯には、その人がどう考えるかにかかわらず客観的な意味と重要性が存在し、各個人には、自己の生涯に対する不可避的な倫理的責任が存在する。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))



(a)各個人の生涯には客観的な意味と重要性が存在する
 他の人びとに対する道徳的責任 だけでなく自分自身に対する倫理的責任をも受け入れて善く生きること。なぜそうなのか というと、単にわれわれがたまたまこれを重要だと考えるからではなくて、われわれがどう考 えるかにかかわらず、それがそれ自体として重要だからだ。
 (a.1)自己の生涯に対する各個人の不可避的な倫理的責任
  人間の生は 客観的な意味あるいは重要性をもっている。各人は自分の生を成功したものとすべく努める、 内在的な不可避の責任を負っている。

(b)自然における生命の価値
 自然の中の生命は、全体としても、またあらゆる部分においても、単なる事実の問題ではなくて、それ自体が崇高なもの、つまり内在的な価値と驚異をもつものである。



「ではわれわれは、何を宗教的態度とみなすべきなのか? 私は十分に抽象的で、それゆえ 普遍的と言えそうな説明を与えたい。宗教的態度とは、価値の完全な、独立した実在性を受け 入れる態度だ。それは価値に関する次の二つの主要な判断を受け入れる。第一に、人間の生は 客観的な意味あるいは重要性をもっている。各人は自分の生を成功したものとすべく努める、 内在的な不可避の責任を負っている。それが意味することは、他の人びとに対する道徳的責任 だけでなく自分自身に対する倫理的責任をも受け入れてよく生きることだが、なぜそうなのか というと、単にわれわれがたまたまこれを重要だと考えるからではなくて、われわれがどう考 えるかにかかわらず、それがそれ自体として重要だからだ。第二に、われわれが「自然」と呼 ぶもの――全体として、またあらゆる部分において――は単なる事実の問題ではなくて、それ自体が崇高なもの、つまり内在的な価値と驚異をもつものである。この二つの包括的な価値判断は 一緒になって、〈生命という意味でも生涯という意味でも、人間の生(human life)には内 在的価値がある〉と宣言する。われわれは自然の一部である。なぜならわれわれは物理的な存 在として存続するからだ。自然はわれわれの物理的生の場であり栄養素である。われわれは自 然から離れてもいる。なぜならわれわれは自分自身を生涯を作り出すものとして意識してお り、そして自分が作る生を全体として決める決断を行わなければならないからだ。」

 (ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『神なき宗教』,第1章 宗教的無神論,筑摩書房 (2014),pp.20-21,森村進(訳))

神なき宗教 「自由」と「平等」をいかに守るか [ ロナルド・ドゥウォーキン ]


ロナルド・ドゥオーキン
(1931-2013)