ページ

2022年1月7日金曜日

政治的正当性の基礎は同胞関係にあり、政治的責務というものは、家族や友人関係や、その他の形態のより局所的で親密な連帯的結合と同じように、 そこに生まれ落ち、子供のときにそこで育てられたことに基礎を持つ。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))

政治的責務の基礎

政治的正当性の基礎は同胞関係にあり、政治的責務というものは、家族や友人関係や、その他の形態のより局所的で親密な連帯的結合と同じように、 そこに生まれ落ち、子供のときにそこで育てられたことに基礎を持つ。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))


(1)政治的正当性の基礎は同胞関係にある
 (a)政治的正当性、すなわち政治共同体がそのメンバーたちを共同体の集団的決定を理由に責務に服しているものとして取り扱う権利の最善なる擁護は、同胞関係や共同社会、そしてこれらに随伴する様々な責務の、より肥沃な地盤に見出されねばならない。
 (b)見知らぬ人々の間でも妥当するような契約とか正義の義務とかフェア・プレイの責務といったものではない。

(2)政治的責務は連帯責務である
 政治的責務というものは、家族や友人関係や、その他の形態のより局所的で親密な連帯的結合と同じように、 そこに生まれ落ち、子供のときにそこで育てられたことに基礎を持つ。
(3) 様々な同胞的共同体
 (a)我々に知られている様々な同胞的共同体を、完全な選択によってメンバーになるものから、選択の余地が全くないものへと 及ぶスペクトルに沿って配置したとき、政治共同体はその中央部分のどこかに位置づけられ る。政治共同体は人々に移住を許しているのであるから、政治的責務は家族が負う数多くの責 務ほどには非意図的なものではない。
 (b)移住の自由の意義
  移住の選択の実際上の可能性はしばしばごくわ ずかでしかないが、それにもかかわらず移住の選択を否定する暴政を想起すれば分かるよう に、この選択はそれ自体において重要な意味をもつ。



「ついに我々は、我々の仮説を直接的に考察することができるようになった。つまり、政治 的正当性――政治共同体がそのメンバーたちを、共同体の集団的決定を理由に責務に服している ものとして取り扱う権利――の最善なる擁護は、見知らぬ人々の間でも妥当するような契約とか 正義の義務とかフェア・プレイの責務といった堅い地盤――哲学者たちは、このような地盤に政 治的正当性の最善の根拠を見い出そうと望んできた――の上ではなく、同胞関係や共同社会、そ してこれらに随伴する様々な責務のより肥沃な地盤に見出されねばならない。政治的責務とい うものは、家族や友人関係や、その他の形態のより局所的で親密な連帯的結合と同じように、 そこに生まれ落ち、子供のときにそこで育てられたにすぎない。我々に知られている様々な同 胞的共同体を、完全な選択によってメンバーになるものから、選択の余地が全くないものへと 及ぶスペクトルに沿って配置したとき、政治共同体はその中央部分のどこかに位置づけられ る。政治共同体は人々に移住を許しているのであるから、政治的責務は家族が負う数多くの責 務ほどには非意図的なものではない。そして、移住の選択の実際上の可能性はしばしばごくわ ずかでしかないが、それにもかかわらず移住の選択を否定する暴政を想起すれば分かるよう に、この選択はそれ自体において重要な意味をもつ。かくして、事実上の裸の政治共同体のメ ンバーである人々は、同胞関係の責務に必須な他の条件――これらの条件は、政治共同体に当て はまるように適切に再定義される――が充足されている場合には、政治的責務に服することにな る。」

(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『法の帝国』,第6章 純一性,同胞関係と政治共同 体,未来社(1995),pp.322-324,小林公(訳))

ロナルド・ドゥオーキン
(1931-2013)