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2022年2月9日水曜日

結末だけを見て行為そのものを見ないのは基本的な誤りだ。自然の中には、人間の魂の中と同じように無限の可能性や力が眠っており、自然はあらゆる点で、達成し得ることを全て達成する。歴史も、あらゆる偶然を利用し、一度に何千という扉を叩く。いずれの扉が開かれるかは誰にもわからないのだ。(アレクサンドル・ゲルツェン(1812-1870))

自然の中の無限の可能性と力

結末だけを見て行為そのものを見ないのは基本的な誤りだ。自然の中には、人間の魂の中と同じように無限の可能性や力が眠っており、自然はあらゆる点で、達成し得ることを全て達成する。歴史も、あらゆる偶然を利用し、一度に何千という扉を叩く。いずれの扉が開かれるかは誰にもわからないのだ。(アレクサンドル・ゲルツェン(1812-1870))


アレクサンドル・ゲルツェン
(1812-1870)













(a)自然の中の無限の可能性と力
 自然の中には、人間の魂の中と同じように無限の可能性や力が眠っており、適当な条件さえ揃えばそれらは発達する。猛烈に発達するであろう。世界を満たすかも知れない。あるいは路傍に倒れるかもしれない。新しい方向をとるかも知れないし、立ち止まるかも知れな い。崩壊するかも知れない。自然は何が起ころうと全く無関心なのだ。
(b) 自然はあらゆる点で、達成し得ることを全て達成する
 結末だけを見て行為そのものを見ないのは基本的な誤りだ。自然は、はかないもの、今だけのものを軽蔑することもない。花が朝開いて夕べに萎れるからといって、バラやユリが石の硬さを与えられなかったといって、誰が自然を咎めるであろうか。自然はあらゆる点で、達成し得ることを全て達成する。
(c) 歴史はあらゆる偶然を利用し、一度に何千という扉を叩く
 生は空想や観念を実現する義務を負わない。生は新しいものを愛する。歴史が繰り返すことはめったにない。歴史はあらゆる偶然を利用し、一度に何千という扉を叩く。いずれの扉が開かれるかは誰にもわからないのだ。



「『自然の中には、人間の魂の中と同じように無限の可能性や力が眠っており、適当な条件 さえ揃えば......それらは発達する。猛烈に発達するであろう。世界を満たすかも知れない。ある いは路傍に倒れるかもしれない。新しい方向をとるかも知れないし、立ち止まるかも知れな い。崩壊するかも知れない。......自然は何が起ころうと全く無関心なのだ。〔外川訳『向こう岸 から』現代思潮社、1970年、53-54頁〕......〔しかしそこではこのように問われるかも知れな い〕こうしたことすべては何のためなのでしょうか。人々の生活は下らない遊戯になってしま います。......人々は小石や砂で何かを築くけれども、結局それはすべて再び崩れ落ちてしまう。すると人間は廃墟の下から這い出してきて、再びその場所を片づけ始め、苔や板切れや壊れた 柱頭で小屋を立てる。そして何世紀にもわたる際限のない苦労ののち、またしてもそれはすっ かり崩壊するのです。......シェイクスピアは、歴史は白痴によって語られる退屈な話だと言いま したが、もっともなことです。......  〔これに対して私は答える〕君はまるで......「人間は死ぬためにだけ生まれてきた」ことを思 い出すために涙を流す、ひどく感じやすい人々のようだ。結末だけを見て行為そのものを見な いのは基本的な誤りだ。鮮やかに咲く大輪の花は植物にとって何の役に立つだろうか。消え 去ってしまうだけの、あのうっとりするような匂いは何の役に立つだろうか。何の役にも立ち はしない。しかし自然はそれほどけちでもなければ、はかないもの、今だけのものを軽蔑する こともない。自然はあらゆる点で、達成し得ることをすべて達成する。......花が朝開いて夕べに 萎れるからといって、バラやユリが石の硬さを与えられなかったといって、誰が自然を咎める であろうか。このみじめで散文的な原理を、われわれは歴史の世界にも妥当させることを望 む。......生は〔文明の〕空想や観念を実現する義務を負わない。......生は新しいものを愛す る。...... ......歴史が繰り返すことはめったにない。歴史はあらゆる偶然を利用し、一度に何千という扉を 叩く。いずれの扉が開かれるかは......誰にもわからないのだ。〔同書、43-45頁〕』」
(アイザイア・バーリン(1909-1997),『アレクサンドル・ゲルツェン』,収録書籍名『ロマ ン主義と政治 バーリン選集3』,pp.366-367,岩波書店(1983),福田歓一,河合秀和(編),竹中浩(訳)

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アイザイア・バーリン
(1909-1997)