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2022年2月15日火曜日

2.人間観、社会観、政治理念には、数多くの矛盾する理念がある。しかし金融、政治エリートたちは、資本主義の理念に疑問を抱くことが不可能な世界を創出するために、経済的人間と自由市場の理念の常識化に多大な時間と精力を注いできた。従って、真の革命は、人々の常識を揺さぶるようなものでなければ、前進は不可能である。 (デヴィッド・グレーバー(1961-2020))

疑問を抱くことが不可能な世界の革命

人間観、社会観、政治理念には、数多くの矛盾する理念がある。しかし金融、政治エリートたちは、資本主義の理念に疑問を抱くことが不可能な世界を創出するために、経済的人間と自由市場の理念の常識化に多大な時間と精力を注いできた。従って、真の革命は、人々の常識を揺さぶるようなものでなければ、前進は不可能である。 (デヴィッド・グレーバー(1961-2020))


(1)人間観、社会観、政治理念
 政治とは何か、もしくは政治とはどのようなものであるべきか、社会とは何か、人々の基本的なあり方とは何か、そし て人々が世界から求められているのは何かといった、きわめて原理的な想定がある。
 (a)ここには絶対的な合意はない。多くの人々は、これらの問いをめぐる数多くの矛盾する考え方を抱いて いる。
(2)経済的存在としての人間と自由市場のイデオロギー
 人は基本的に経済的な存在である。すなわち民主主義とは市場であり、自由とは市場に参入する権利のことであり、消費者がますます豊かになることが、国 家的成功の尺度である。
 (a)それは常識であるという説得
 アメリカのメディアは、アメリカ人が既存の政治システムの諸条件を受け入れるよう説得するよりも、あらゆる人がそうしていると説得するようになってい る。
 (b)資本主義の理念に疑問を抱くことが不可能な世界の創出
  この国を動かしている金融エリート、政治エリートたちはこのイデオロギー的ゲームにすべてを賭けている。かれらは、実際に存続可能 な資本主義の形式を創出することよりも、資本主義という理念に疑問を抱くことをほぼ不可能 にする世界を創出することに多大な時間と精力を注いできた。
 


「真の革命の目的は、政治的・経済的関係の単なる再配置ではない。

真の革命は、つねに 人々の常識的水準に働きかけるものでなければならない。

アメリカではこれ以外のいかなる方 法でも前進は不可能であった。

説明しよう。  これまで論じてきたように、アメリカのメディアは、アメリカ人が既存の政治システムの諸 条件を受け入れるよう説得するよりも、あらゆる人がそうしていると説得するようになってい る。

ただこのことは特定のレベルにのみ当てはまる。より深層には、政治とは何か、もしくは政治とはどのようなものであるべきか、社会とは何か、人々の基本的なあり方とは何か、そし て人々が世界から求められているのは何かといった、きわめて原理的な想定がある。

ここには 絶対的な合意はない。多くの人々は、これらの問いをめぐる数多くの矛盾する考え方を抱いて いる。

それでもやはり重心は明確にある。深く埋め込まれた数多くの想定がある。 

 事実、世界の多くで、アメリカは政治的生活についてのある哲学の本拠地だといわれてい る。その哲学とは、何よりも人は基本的に経済的な存在であること、すなわち民主主義とは市 場であり、自由とは市場に参入する権利のことであり、消費者がますます豊かになることが国 家的成功の尺度であるというものである。

世界の大半でこれは「新自由主義」として知られて おり、数多くある哲学のなかのひとつとみなされ、その評価については国民的議論になってい る。

アメリカではこの単語はまったく使われない。われわれはこれらの事柄についてはただ 「自由」「自由市場」「自由貿易」「自由企業」「アメリカ的な生活」といったプロパガンダ 用語を通してしか語ることができない。

このような発想を冷笑はできるし、実際アメリカ人も そうすることはある。だがその基底にあるものに挑むためには、アメリカ人であることの意味 を根本から問い直さなければならない。

それは、必然的に革命的なプロジェクトたらざるをえ ない。そしてそれは同時にきわめて難しいことだ。

この国を動かしている金融エリート、政治 エリートたちはこのイデオロギー的ゲームにすべてを賭けている。かれらは、実際に存続可能 な資本主義の形式を創出することよりも、資本主義という理念に疑問を抱くことをほぼ不可能 にする世界を創出することに多大な時間と精力を注いできた。

その結果、われわれの帝国と経 済システムが窒息しよろめき、周囲のあらゆるものが崩壊する兆しが見えても、われわれの多 くは茫然としたまま、なにか別の可能性が存在することに思い至らなくなってしまったのであ る。」
 (デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『デモクラシー・プロジェクト』,第II章 なぜうま くいったのか,pp.137-138,航思社(2015),木下ちがや(訳),江上賢一郎(訳),原民樹(訳)) 


デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)