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2022年3月2日水曜日

権力は人を怠け者に仕立てる。それは制度化された怠惰の諸形態と化しているのである。この計算された無知を克服して、想像力への束縛を解き放ち、不可能なことが 全く不可能ではないと自覚できるには、どうすれば良いのか。社会理論には果たすべき役割があるのではないか。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))

制度化された怠惰の克服

権力は人を怠け者に仕立てる。それは制度化された怠惰の諸形態と化しているのである。この計算された無知を克服して、想像力への束縛を解き放ち、不可能なことが 全く不可能ではないと自覚できるには、どうすれば良いのか。社会理論には果たすべき役割があるのではないか。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))



「権力はひとを怠け者に仕立てる。ここまでの構造的暴力についての理論的議論があきらか にした点があるとすれば、このことである。すなわち、権力や特権をそなえた状況にある者 は、しばしば重責を背負っていると感じているものであるが、しかし、大部分の場合におい て、権力とは、ひとがそれについて考える必要の《ない》もの、知る必要の《ない》もの、行 う必要の《ない》ものにかかわっているのである。官僚制やこの種の権力を、少なくともある 程度は民主化することもできる。だが取り除くことはできない。それは制度化された怠惰の諸 形態と化しているのである。革命的変化は、想像力への束縛を解き放つ高揚、不可能なことが まったく不可能ではないという突然の自覚の高揚をふくむものであろう。だが、それはまた、ほ とんどの人びとが、この根深く習慣化された怠惰の一部を克服し、こうした諸現実を確固たる ものにすべき、長い時間をかけて解釈(想像力の)労働に関与しはじめねばならない、という ことをも意味している。 わたしはこの20年間のほとんどを、社会理論がこの過程にいかに貢献できるかについて考察 することに費やしてきた。強調してきたように、社会理論はそれ自体、一種の根本的な単純化 であり、計算された無知の形態、そして、それ以外のやり方ではみえないパターンをあきらか にするよう仕組まれた一連の方向指示器を設定する方法とみなすことができよう。  それゆえ、わたしの試みてきたことは、別の仕方でみることを可能にする一連の方向指示器 の設定なのである。」
 (デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『官僚制のユートピア』,1 想像力の死角? 構造 的愚かさについての一考察,pp.143-144,以文社(2017),酒井隆史(訳),芳賀達彦(訳),森田 和樹(訳))

官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則 [ デヴィッド・グレーバー ]



デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)