ページ

2022年4月3日日曜日

爽快感、不機嫌、落ち着いている、興味津々、活力がみなぎっ ている、退屈や倦怠など、恒常的な内受容感覚が気分である。気分は、快・不快の感情価と、覚醒度の属性を持つ。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))

気分

爽快感、不機嫌、落ち着いている、興味津々、活力がみなぎっ ている、退屈や倦怠など、恒常的な内受容感覚が気分である。気分は、快・不快の感情価と、覚醒度の属性を持つ。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))


(a)気分
 爽快感、不機嫌、落ち着いている、興味津々、活力がみなぎっ ている、退屈や倦怠など。
(b)気分の感情価
 それがど れくらい快、もしくは不快に感じられるかで、科学者はこの特徴を「感情価 (affective valence)」と呼ぶ。 たとえば肌にあたる日光の快さ、好物のおいしさ、胃痛やつねられたときの不快さはすべて感情価の 例である。
(c)気分の覚醒度
 どれくらい穏やかに、あるいは興奮して感じられるかで、科学者は「覚 醒 (arousal)」と呼んでいる。 よい知らせを期待しているときの活力あふれる感覚、コーヒーを飲みす ぎたあとの苛立ち、長距離を走ったあとの疲労、睡眠不足に起因する倦怠感などは、覚醒の度合 の高さ、あるいは低さを示す例だ。
(d)気分は恒常的な内受容感覚
 気分は内受容に依存する。つまり生涯を通じ、じっとしているときでも 眠っているときでも、恒常的な流れとして存在し続ける。 

「朝目覚めたとき、あなたは爽快感を覚えているだろうか、それとも不機嫌だろうか? あるいは、 たった今どう感じているだろうか? 落ち着いているのか? 何かに興味津々なのか? 活力がみなぎっ ているか? 退屈や倦怠を感じているのか? それらの感覚はすべて、本章の冒頭で論じた単純な感情 で、一般に気分と呼ばれているものである(「気分」の原文はaffect だが、これについては訳者あとがきを参照)。
 本書における「気分」は、人が日常生活で経験している一般的な感情のことを表わす。それは情 動とは異なり、次のような二つの特徴を持つごく単純な感情を意味する。一つ目の特徴は、それがど れくらい快、もしくは不快に感じられるかで、科学者はこの特徴を「感情価 (affective valence)」と呼ぶ。 たとえば肌にあたる日光の快さ、好物のおいしさ、胃痛やつねられたときの不快さはすべて感情価の 例である。二つ目の特徴は、どれくらい穏やかに、あるいは興奮して感じられるかで、科学者は「覚 醒 (arousal)」と呼んでいる。 よい知らせを期待しているときの活力あふれる感覚、コーヒーを飲みす ぎたあとの苛立ち、長距離を走ったあとの疲労、睡眠不足に起因する倦怠感などは、覚醒の度合 の高さ、あるいは低さを示す例だ。また、投資のリスクや好機に対する直感、他者が信用できるか否かに関する本能的な感覚なども、本書で言う気分の例と見なせる。さらに言えば、気分には完全に中立 的なものもある。
 洋の東西を問わず哲学者たちは、感情価や覚醒を人間の経験の基本的な特徴としてとらえてきた。 ほとんどの科学者は、新生児が完全な形態の情動をもって生まれてくるか否かをめぐっては見解が分 かれていても、人間には誕生時からすでに気分を感じる能力が備わっており、乳児が快や不快を感じ、 知覚できるという点については一致している。
 気分は内受容に依存することを覚えておいてほしい。つまり生涯を通じ、じっとしているときでも 眠っているときでも、恒常的な流れとして存在し続ける。 情動として経験されるできごとに反応して、オンになったりオフになったりするようなものではない。その意味において気分は、明るさや音の強 弱などと同様、意識の根本的な側面をなす。 脳が物体から反射された光の波長を処理することで明る さや暗さが、また空気の圧力の変化を処理することで音の強弱が経験される。それと同様、脳が内受 容刺激の変化を表象することで、快や不快、あるいは興奮や落ち着きが経験されるのである。このよ うにして、気分も、明るさも音の強弱も、生まれてから死ぬまで私たちにつきまとう。」

(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第4章 情動の指源泉,pp.126-127,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))

情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論 [ リサ・フェルドマン・バレット ]




リサ・フェルドマン・
バレット(1963-)




情動に関係のある脳領域は、様々な内臓器官、代謝、免疫系の機能を維持するために必要なエネルギーの需給を予測し管理する身体予算管理領域と、心臓、 肺、腎臓、皮膚、筋肉、血管などの器官や組織の変化を予測し内受容刺激と突き合わせ内受容感覚を生み出す一次内受容皮質とから構成される。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))

内受容ネットワーク

情動に関係のある脳領域は、様々な内臓器官、代謝、免疫系の機能を維持するために必要なエネルギーの需給を予測し管理する身体予算管理領域と、心臓、 肺、腎臓、皮膚、筋肉、血管などの器官や組織の変化を予測し内受容刺激と突き合わせ内受容感覚を生み出す一次内受容皮質とから構成される。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))


(a) 身体予算管理領域
 身体に予測を送る一連の脳領域である。我々はこれを「身体予算管理領域 (body-budgeting regions)」と呼ん でいる。
 (i)エネルギーは、様々な内臓器官、代謝、免疫系の機能を維持するために使われる。 
 (ii)すべての消費や補給を管理するために、脳はつねに、身体の予算を立てるかの ごとく、身体のエネルギー需要を予測しなければならない。
 (iii)身体予算管理領域が心拍数の高 まりなどの運動の変化を予測する。

(b)一次内受容皮質
 もう一方の部位は、体内の感覚刺激を表現する「一次内受容皮質」と呼ばれる領域から成る。
 (i)胸の高鳴りなど の感覚の変化を予測する。このような感覚予測は「内受容予測」と呼ばれる。
 (ii)心臓、 肺、腎臓、皮膚、筋肉、血管などの器官や組織から感覚入力を受け取る。 
 (iii)一次内受容皮質のニューロ ンは、シミュレーションの結果と感覚入力を比べ、予測エラーがあればそれを計算して予測ループを 完結させ、最終的に内受容刺激を生み出す。

「議論をすっきりさせるために、独自の役割を担う二つの一般的な部位から成るものとして、内受容ネットワークを考えよう。 一方の部位は、心拍を速める、呼吸のペースを落とす、多量のコルチゾー ルを分泌する、グルコースの代謝を高めるなどして、体内の環境をコントロールするために身体に予 測を送る一連の脳領域である。われわれはこれを「身体予算管理領域 (body-budgeting regions)」と呼ん でいる。もう一方の部位は、体内の感覚刺激を表現する「一次内受容皮質」と呼ばれる領域から成る。 内受容ネットワークの二つの部位は、予測ループに関与している。身体予算管理領域が心拍数の高 まりなどの運動の変化を予測するたびに、二つの部位は、それによってもたらされる胸の高鳴りなど の感覚の変化も予測する。このような感覚予測は「内受容予測」と呼ばれ、一次内受容皮質に入って そこで通常どおりシミュレートされる。 一次内受容皮質はまた、所定の処理を行なうあいだ、 心臓、 肺、腎臓、皮膚、筋肉、血管などの器官や組織から感覚入力を受け取る。 一次内受容皮質のニューロ ンは、シミュレーションの結果と感覚入力を比べ、予測エラーがあればそれを計算して予測ループを 完結させ、最終的に内受容刺激を生み出す。
 身体予算管理領域は、生存に重要な役割を果たす。 脳が、内部であろうが外部であろうが身体のい かなる部位を動かすときにも、ある程度のエネルギー資源が消費される。エネルギーは、さまざまな 内臓器官、代謝、免疫系の機能を維持するために使われる。 身体資源は、食べる、飲む、眠ることで 補給され、また身体のエネルギー消費量は、近しい人々とリラックスすることで (セックスすることで も) 低減する。これらすべての消費や補給を管理するために、脳はつねに、身体の予算を立てるかの ごとく、身体のエネルギー需要を予測しなければならない。そのために、企業が会社全体の予算運用 のバランスを保つべく、預金や引き出し、あるいは口座間での資金の移動を管理する経理課を設置しているように、脳は身体の予算管理の責任を負う神経回路を設置している。この神経回路は、内受容ネットワーク内に存在する。かくして身体予算管理領域は、過去の経験を指針として予測を行ない、 無事に生きていくのに必要な資源の量を見積もるのだ。
 なぜそれが情動と関係するのか? なぜなら、人間の情動の拠点とされている脳領域はすべて、 内 受容ネットワーク内の身体予算管理領域でもあるからだ。しかしこの領域は、情動の生成という形態 で反応するのではない。そもそも反応するのではなく、身体予算を調節するために予測する。 視覚、 聴覚、思考、記憶、想像、そしてもちろん情動に関する予測を行なうのだ。 情動を司る脳領域という 考えは、反応する脳という時代遅れの信念に基づく幻想と見なせる。 今日の神経科学者はその点をわ きまえているが、そのメッセージは、心理学者、精神科医、社会学者、経済学者、あるいはその他の 情動の研究者の多くには伝わっていない。」

(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第4章 情動の指源泉,pp.119-122,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))

情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論 [ リサ・フェルドマン・バレット ]




リサ・フェルドマン・
バレット(1963-)




心拍、呼吸、内臓の動きなど、体内から得られた感覚刺激には、客観的な心理的意味など全く含まれていない。脳はつねに概念を用いてこれらの刺激をシミュレートしており、概念が関与し始めると、追加の意味が感覚刺激に付与される。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))

概念によるシミュレーション

心拍、呼吸、内臓の動きなど、体内から得られた感覚刺激には、客観的な心理的意味など全く含まれていない。脳はつねに概念を用いてこれらの刺激をシミュレートしており、概念が関与し始めると、追加の意味が感覚刺激に付与される。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))


(a)同じ刺激が多様に解釈される
 食卓に座っているときに感 じた胃の痛みは、空腹として経験されるだろう。インフルエンザが流行っていたら、同じ痛 みは吐き気として経験するだろう。 あるいは判事なら、被告を信用してはならないという虫の知らせ として、この種の痛みを受け取るかもしれない。

「生きている限り、脳はつねに概念を用いて外界をシミュレートしている。 概念を欠けば、ミツバチ が不定形のかたまりに見えたときのように経験盲の状態に置かれる。 脳は、概念を用いて本人が 気づかぬうちに自動的にシミュレートするため、視覚や聴覚をはじめとする感覚作用は、構築ではなく反射であるように思える。 

 さて今度は、次の問いを考えてみよう。 脳がそれと同じ手順を用いて、心拍、呼吸、内臓の動きなど、体内から得られた感覚刺激の意味も作り出していたとしたらどうだろう? 脳の観点からすれば、自分の身体は感覚入力の源泉のうちの一つにすぎない。心臓や肺、代謝作用、 体温の変化などに由来する感覚刺激は、図21に示されている不定形のかたまりのようなものだ。 これら純然たる身体由来の感覚刺激には、客観的な心理的意味などまったく含まれていない。しかし ひとたび概念が関与し始めると、追加の意味が感覚刺激に付与される。食卓にすわっているときに感 じた胃の痛みは、空腹として経験されるだろう。インフルエンザが流行っていたら、同じ痛 まは吐き として経験するだろう。 あるいは判事なら、被告を信用してはならないという虫の知らせ としてこの種の痛みを受け取るかもしれない。このように、脳は時と場合に応じて、概念を用いて、 外界の感覚刺激と体内に由来する感覚刺激の両方に同時に意味を付与するのだ。こうして脳は、 空腹、吐き気、疑いなどのインスタンスを生成する。」

(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第2章 情動は構築される,pp.60-61,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))


情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論 [ リサ・フェルドマン・バレット ]





リサ・フェルドマン・
バレット(1963-)



知覚のみならず、言語、共感、 想起、想像、夢などの心理現象は、それぞれ異なる心的事象ではなく、外界に対する単なる反応では なく、シミュレーションという一つの普遍的な過程によって記述で きる。 (リサ・フェルドマン・バレット(1963-))

シミュレーションとしての心的現象

知覚のみならず、言語、共感、 想起、想像、夢などの心理現象は、それぞれ異なる心的事象ではなく、外界に対する単なる反応では なく、シミュレーションという一つの普遍的な過程によって記述で きる。 (リサ・フェルドマン・バレット(1963-))


「科学的証拠に基づいて、私たちが見る、聞く、触る、かぐものは、たいていは外界に対する反応では なく、それに関するシミュレーションであることが明らかにされたのだ。先見の明のある科学者は、 シミュレーションを知覚のみならず、言語、共感、 想起、想像、夢などの心理現象を理解するための 一般的なメカニズムと見なすようになった。(少なくとも欧米人の常識的な考えでは、思考と知覚と夢 はそれぞれ異なる心的事象だと思われる。だがそれらはすべて、一つの普遍的な過程によって記述で きる。 シミュレーションは、あらゆる心的活動の基本をなし、脳がどのように情動を生成するのかと いう謎を解くカギでもある。」

(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第2章 情動は構築される,p.58,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))

情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論 [ リサ・フェルドマン・バレット ]






リサ・フェルドマン・
バレット(1963-)



身体反応は任意であるわけでもなく、各行動にはそれ独自の動きを維持するために、異なる心拍、呼吸などのパターンが伴う。しかし、状況や文脈によって、異なる身体反応に同じ情動カテゴリーが割り当てられる。その結果、各情動に独自の生理的指標が見出せない。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))

情動に生理的指標はあるのか

身体反応は任意であるわけでもなく、各行動にはそれ独自の動きを維持するために、異なる心拍、呼吸などのパターンが伴う。しかし、状況や文脈によって、異なる身体反応に同じ情動カテゴリーが割り当てられる。その結果、各情動に独自の生理的指標が見出せない。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))


「数百の実験を要約した四つのメタ分析が、各情動に対応する自律神経系の独自の指標を一貫して見 出すのに失敗したというのはいったいどういうことか? それは、情動が幻想にすぎないことを意味 するのでもなければ、身体反応が任意であることを意味するのでもなく、状況や文脈によって、ある いは研究によって、同一人物であろうが個人間であろうが、同じ情動カテゴリーに、異なる身体反応 が関与しうることを意味する。画一性ではなく、多様性が標準なのだ。これらの実験結果は、おのお のの行動にはそれ独自の動きを維持するために、それぞれに異なる心拍、呼吸などのパターンがともなうという生理学者たちの半世紀以上前からの知見とも合致する。

 このように、膨大な時間と資金が投入されてきたにもかかわらず、いかなる情動に関しても、それ に対応する一貫した身体的指標は見出されていないのである。」

(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第1章 情動の指標の探求,p.38,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))

情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論 [ リサ・フェルドマン・バレット ]





リサ・フェルドマン・
バレット(1963-)